YOUTH LAGOON『Year Of Hibernation』(Fat Possum / Hostess)

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  まず、ウィリアム・ブレイクという詩人の「無垢」を幻視者の"それ"として捉えては、何も始まってこない。同じく、作家の芥川龍之介の「歯車」は本当に見えたのかもしれないし、ブレイクの「老いたる無知」への辛辣な言及にこそ、意味があり、「閉ざされた知覚」内での象徴記号の自己/相互分裂の裂け目に無垢はあった。としたら、その裂け目から世界を覗いてみる。それも、ベッドルーム越しに。すると、見えた景色はどうも芳しくない。冬眠でもするしかないか。という訳で、『The Year Of Hibernation』と名付けられたアルバムの邦題は、『冬眠の年』だ(精緻には、"Hibernation"という単語は、休止状態という意味を含む)。しかも、《Fat Possum》というもっとも活発なレーベルの一つに背中を押されて。

 深くリヴァ―ヴがかかった中に、残響する、折れそうなか弱い声。ベッドルーム・シンガーソングライターが静かに音を重ねて紡ぎ上げたヒプナゴジック・ポップのような側面もありながら、チルウェイヴの「波には乗れない(乗ることを考えない)」ハミングするような「Afternoon」という曲を象徴とした、個が抱えた絶対不安下での現実内で、積極的に微かな光のような「夢」を求める一青年のツイート的ロマンティシズムと諦観。

 今年は、コナー・オバースト(ブライト・アイズ)、ベイルート、ケイト・ブッシュ、エド・シーランまで、新旧のシンガーソングライターが世界で新しい音を紡ぎ上げながらも、それぞれがキャリアに関係なく、時代の趨勢を鑑みてのことか、どことなく憤怒と悲哀の間で振れる"慈しみ"に揺れていたのが興味深かったが、この、アメリカはアイダホ出身の23歳の青年トレバー・パワーズによるソロ・プロジェクトのYouth Lagoon(ユース・ラグーン)は、コクトー・ツインズを聴き込んできた、尚且つずっと不安に苛まれた人生をおくってきた、という来し方を差し引いても、「特異」な場所から、自分の声を「世の中」に届けようとする。または、届けようともしていない。何故ならば、シド・バレットの『The Madcap Laughs』やベックの『Stereopathetic Soul Manure』、エリオット・スミス『Either/Or』が持っていた作品に宿る儚さと粗さが「個性」として、柔らかく結実しているからであり、ローファイ/ハイファイで分ける音楽的タームよりも、チープな音の浮遊感の中に「声」も同化させ、景色にさせる―そこで、ループを刻むビート、ふと入る電子音、フックよりも全体としての音像を意識した曲単位の意識よりも、子守唄みたく響く微睡みを優先する漠然とした方向へと舵を切りながら、自己完結のようにシャッターを下ろすサウンドスケープに終始しているからだ。

 この作品をピッチフォークが8.4点を与え、モデスト・マウス、ギャラクシー500の名前を挙げつつ、絶賛するというのは個人的に、分からない。「分からない」というのは、つまり批評というものが遂に「自己完結のシャッターが下りた、サウンドスケープ」にさえ詰めないといけない証左であり、そこで「街」は想像されていないところに、どうにも物悲しさと2011年の温度を感じる。

 曲単位で追っていこう。2曲目の「Cannons」の明るく拓けていくベッドルーム・クワイワに人気が集まっているようだが、タイトルそのままの6曲目の「Daydream」はその割にタイトなサイケデリック・ポップで興味深く、イントロがコリーンの諸作を彷彿とさせる9曲目の「The Hunt」もなかなか良い。しかし、突出したメロディーメイカーという訳ではなく、同時に、音響工作の匠では程良い緩さがあり、その曖昧模糊たる場所において、ヘッドホンで聴くと、まさにL⇔Rに様々な電子音、ビート、歪みが行き交い、浮世から離れたような声が遠くで「鳴っている」。チルウェイヴは、現実「逃避」に立脚していた節があり、その逃避は切実な「現実」を強く認識したが故の強度があり、ムーヴメントではなく、点と点が自然と結び合わさり、仄かに浮かび上がった現象として捉えるならば、ユース・ラグーンの描く音世界はもっと「彼岸」に近い。

 その「彼岸」を「冬眠」と置きかえられるほど、進行形のリアリティに疲弊している人たちには、このアルバムは静かな"空中キャンプ"を促すことだろう。

 哲学者のダニエル・C・デネットは云う。

 自由はちゃんと存在する。勿論のこと、完全な自由などはないが、でも、段段と自由が増してゆく方向に、生物はどんどん進んできた。自由意志はあるし、それは進化論の中でしっかり位置付けられる。そうなると、現代において、進化論の中での自由意志を、退化論への疑惑としての自由意思。そう置き換えても、差異はない。この作品に漂う「自由意思」は、僕は尊重したい。

(松浦達)

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