SEAHAWKS『Invisible Sunrise』(Ocean Moon)

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SEAHAWKS.jpg  緩慢な時の流れが支配する桃源郷へようこそ。ここは人工美のキラメキと恍惚が得られる心地良い空間。ふとしたことで心が傷つき、ちょっと気休めが必要な人には最適な場所。こんな書き方をすれば"現実逃避の音楽"と思われるかもしれないが、それでけっこうじゃないか。"現実逃避"は現実を意識しているからこそできることで、閉塞感が覆うこの世界で生きるための手段、または戦いが"現実逃避"だと僕は思うよ。クラブで快楽的に踊っている人々の多くは、戦っているんです。肉体を精いっぱい動かしたり、逆に直立不動だが心と感覚をトリップさせるチル・アウトなど、多くの意味を持つ"踊る"は、現実に対する立派な戦闘行為なのだ。しかし、設立当初はエイフェックス・ツインやソニック・ユースのサーストン・ムーア、近年はハッチバックなどのニュー・バレアリック / ディスコのリリースで知られる《Lo Recordings》を主宰し、自らもMLO名義で《R&S》や《Rising High》からのリリース経験もある、謂わばオリジナル・レイヴの生き字引きジョン・タイ(Jon Tey)と、ソニーのデザイナーとして活躍したのち、トイ・デザイン会社プレイビースト(Playbeast)を設立し、水木しげるとコラボレーションもしたピート・ファウラー(Pete Fowler)によるシーホークス(Seahawks)が鳴らすダンス・ミュージックは、聴き手の心を飛ばしてくれる"チル"だ。激しく肉体を動かすよりも、聴き手をゆっくりトランス状態へと誘うアンビエントな音楽、例えばKLF『Chill Out』を思い出してもらえれば、彼らが鳴らす音楽をある程度想像できると思う。

 といっても『Invisible Sunrise』は、KLF『Chill Out』をまんま引き継いだ音ではない。クワイエット・ヴィレッジ(レディオ・スレイヴ名義で知られるマッド・エドワーズと映像作家ジョエル・マーティンのユニット)のデビューを口火に盛り上がった、ゼロ年代半ば以降のニュー・バレアリックの文脈に位置する音だ。このニュー・バレアリックは、ダウンテンポなディスコ・ミュージックを中心としながらも、新たなチル・アウトを開拓しようとするメロウな音楽も登場するなど、非常に面白い現象だった。リンドストロームやプリンス・トーマスといった北欧のアーティストが活躍したシーンだったから、レコード・ショップや音楽雑誌は"大注目の北欧系ダンス・ミュージック特集! "みたいに紹介して、やたら北欧が神格化されていた記憶がある。まあ、僕はそんなアホらしいメディアの悪習を鼻で笑っていたが・・・。このシーンは北欧だけではなく、エロール・アルカンが元サイキックTVのリチャード・ノリスと組んで結成したビヨンド・ザ・ウィザーズ・スリーヴ(Beyond The Wizards Sleeve)もいたし、ハッチバックはアメリカ西海岸のアーティストだ。これらの例からもわかるように、ニュー・バレアリックは意外と世界的なムーヴメントであり、注目されていた音楽であるのは間違いない。一時の盛り上がりと比べたら現在はだいぶ落ち着いたが、去年はホット・トディー(Hot Toddy)『Late Night Boogie』といった良盤がリリースされるなど、着実に発展と進化を遂げている。『Invisible Sunrise』は、そんなニュー・バレアリックの最新型と断言できるアルバムだ。

 ウルグアイの《International Feel》からリリースされたマインド・フェアー(Mind Fair)「Kerry's Scene」のように、サイケデリック・フォークを取り入れたアシッディーなディスコという異端が出現したりもしているが、本作は正統派と言えるだろう。彼らはファースト・アルバム『Ocean Trippin'』でジャーマン・エレクトロの影響やニュー・エイジなシンセ・ワークを披露し、続く『Vision Quest One : Spaceships Over Topanga Canyon』ではジ・オーブ『The Orb's Adventures Beyond The Ultraworld』を彷彿とさせるチル・アウトを、そして今年の夏にリリースされたミニ・アルバム(ホット・チップのメンバーも参加している)「Another Summer With Seahawks」では、アコースティックかつトロピカルな音を展開してみせたが、『Invisible Sunrise』はこの3作の要素を残しつつ、インディー・ダンスのアプローチを強調したチャレンジングな音に仕上がっている。サンプリングを使用せず、ライブ・ミュージシャンを起用しレコーディンクするなど、鮮度にこだわる姿勢も素晴らしい。そこにサックスやエレピが交わることで、80年代AORのアトモスフィアが形成され、ほんの一瞬TOTOの姿が頭に浮かぶこともある。「Love On A Mountain Top」から「New Future Blue」まで、聴き手の耳を飽きさせない万華鏡のようなプリズム的音世界が本作には存在する。

 『Invisible Sunrise』を聴きながら街を歩いていると、現実の風景が倦怠感漂う灰色に見えるときがある。それは"山" "星" "火" "空" "海"といった、自然世界を象徴する記号が紛れている曲群のせいだろう。これらの記号で彩られた本作は、現実を塗り替えるための"世界"の創造を試みているのかもしれない。それは、"チル"が単なる"逃避"から現実を意識した"現実逃避"へと変貌し、生き辛い現実に対する"対抗手段"として一定の求心力を得るまでになった証左のように思えてくる。現にこうして目の前に、形を変えながらも"チル"は存在する。このことに僕は、希望を抱かずにはいられない。まあ、多くのリアリストにとって"チル"は机上の空論だし、人によっては疎ましい音楽かもしれないが、"想像の結果として現実が形成される"と考える僕にとって"チル"は、日常の行く先を指し示す立派な羅針盤だ。

 リーマン・ショックなどによって現実がディストピアと化した今、快楽主義は価値を失い敗北への道を辿っているし、特に3・11以降の日本では、その傾向が顕著だと思う。しかし、それでも"チル"という名の快楽を纏う『Invisible Sunrise』を無視できないのは、ディストピアとなった現実に対する"抵抗の音楽"を鳴らしているから。そしてこの"抵抗の音楽"は敗北を予感する諦念に満ちたものではなく、現実を変えるために知恵と想像力を振り絞ったポジティブなものであり、その試みは成功するという確信に満ちていることを、『目に見えない日の出』と名付けられた本作は、文字通り"日の出"という形で告げている。それは、人の形をした"ナニカ"が日の出の太陽へ飛び込む瞬間を描いたジャケからも読み取れる。実はこのジャケ、真正面から見ると太陽は背後に位置し、"ナニカ"が崖から飛び降りる様子に見えるが、ある角度からジャケを見ると、人の形をした"ナニカ"が太陽へ飛び込むように見えるのだ。この仕掛けは、リスナーに対し多角的な想像力を求めるメッセージだと、僕は捉えている。"ナニカ"が太陽へ飛び込む絵は、本作がトロピクス『Parodia Flare』と同様「現実と融和し和解しようとする新たな"戦う逃避行"」であることを、そしてその戦いはすでに始まっていることを明確に示している。

 いままで述べてきたことから察するに、2人はまったく絶望していないのだろう。まあ、こんな2人をシニカルな目つきで一笑に伏す輩も居そうだね。だが、そんな輩のペシミズムに付き合うほど、僕は暗くもないし陰険ではないからねえ。悪いけど、僕もまだまだ絶望しちゃいない。というわけで僕は、ディストピアに音楽(そして"チル")という可能性で対抗する本作に賭けてみようと思う。

 

(近藤真弥)

 

※2011年12月8日リリース予定

 

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