LANTERN PARADE『夏の一部始終』(Rose)

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LANTERN PARADE.  考えてみると、ショーペンハウアーは、デカルトやカントが「物質界」や「物自体」とみなしたところのものを、「意志」とみなした"転回"は今でも大きかった。視角の"転換"の問題としても。ただ、この「意志」には世界内での感知出来ないものを含み、その一部を「適当」に切り取っているということであり、当たり前ではないだろうか、というところと、「勝手で、適当な意志」で、世界とはどう縁取られるのか、という難渋な議題にぶつかる。世界そのものが「見えない意志」ならば、人間側が辿る形而上的な線の上には、モデル化、存在、感情の総体的カテゴリーの縄を解く自由な何かが見える。その何かを降りていくと、「意志」がやはり見える。

 「意志」の音楽家としてのランタン・パレード。

 先ごろ、《ローズ・レコーズ》のHPにてランタン・パレードこと清水民尋氏のフリーでダウンロードすることができたMIXの「秋よ来い」の1時間ほどの選曲と繋ぎはそれこそ、一時期の橋本徹氏界隈のサバ―ビア、フリーソウル系が好きな方が聴いたらたまらないメロウネスとともにディスコ、オールド・ジャズ、サンバ、ボサノヴァ、ニューソウルなどがシームレスに結ばれていた。

 基本的に、ランタン・パレードは04年デビュー以来、音自体は過去の膨大な音楽遺産からサンプリングの引っ張り方はいつも絶妙な洒脱さでバック・トラックだけ抽出して聴くと、滑らかなインナー・シティー・ライフの綻びと機微が見えるようなものが多かった。ただ、そこにハードコア・パンクをルーツに持つ彼のラップでもポエトリー・リーディングでもないトーキング・ワーズのような、ぼそぼそとした声が乗った途端に、メロウで透き通った甘美な視界に厳然たるリアリティと彼自身のいささか過激なステイトメントが融け込み、聴き手の感性を攪乱せしめてもいた。06年の『ランタンパレードの激情』、『太陽が胸をえぐる』辺りはまだネタのセンスと絶妙な言葉のシビアさが均衡点を保っていたように思えるが、同年のミニ・アルバム『清水君からの手紙』ではもどかしそうなまでに言葉を見極め、瀬戸際のフレーズ片を投げつける。

 《音楽 どうでもいい大人 暗躍 してる業界 膨大な広告費 大層な謳い文句 大衆は真に受け でも 使い捨て 結局 ブックオフで叩き売られ》(「不浄の音楽」、『清水君からの手紙』より)

 《身だしなみに気を付ける 余裕のある絶望 とってつけたように自己卑下する傾向 若者は退廃的なものにひかれる 若者は反抗的なものにひかれる どんなにやられても報復しない覚悟はある? 》(「臆病者が突き詰めるブルース」、『清水君からの手紙』より)

 といったように、"韻を踏んでいる"ような部分もあるが、完全なるラップではなく、完全に形式をそれた演説、もしくはスラム、独り言の切っ先の尖り方が目立ち、その流れの臨界点は07年に1,000枚限定でリリースされたミニ・アルバム『絶賛舌戦中』に帰着することになる。そのタイトル通り、言葉数はより増えて、音楽というフォルムを越えて、彼の内面に秘めた過激な想いと切なさが露呈するものになった。その反動なのか、同年の『とぎすまそう』は20曲のトラック名は総て無題(「とぎすまそう」)に統一され、言葉も少なめにフロア・ライクなハウス・アルバムとして80年代的なミラーボールを用意するようなムードに行く。08年の『Tokyo Eye And Ear Control』も、『とぎすまそう』と同系列の内容になっている。"架空のMIX CD"を夢想いたというその世界観は、Lantern Paradeの懐の深さを見せたがしかし、その多作振りと質の高さになかなか評価が定まらないのを個人的に歯痒く思ってもいた。

 ジャジー、メロウで、ディスコティックにスムースに躍ることができる『とぎすまそう』、『Tokyo Eye And Ear Control』を経て、原点回帰且つ総括的な彼の持ち札とセンスを見せた09年のミニ・アルバム『Melodies&Memories』、7枚目のフル・アルバム『ファンクがファンクであったときから』、ベスト・アルバム『a selection of songs 2004-2009』で、ほぼ休憩を取らず、駆け抜けてきた軌跡が一旦、小休止されることになる。13もの作品の中からレーベル・オーナーの曽我部恵一氏の手によって、19曲が選ばれたベスト・アルバムでも十二分に彼のリリカルさと硬質さ、ハウスなどダンス・ミュージックへの傾倒の要所は伺えるが、ここから個々の作品を振り返ってみるのもいいとも思う。

 そして、今年、2年振りに『Disco Chaotic Dischord』というアルバムでシーンに帰ってきたのとともに、徹底されたダンス・ミュージックの機能性と煌めきを持ったその内容、過去のネタのカット・アップの妙は流石だったが、遂にサンプリングを捨て、自らがギターを持ち、ドラムの光永捗氏、ベース、コーラスの曽我部恵一氏、ピアノの横山裕章氏、パーカッションの高田陽平氏とのバンド形式で、8月11日にレコーディングされたのが今作『夏の一部始終』である。バンド形式ということもあるのか、これまでの彼の四畳半的な風情とDJセンスから、はっぴぃえんどや初期のくるり、または、空気公団、星野源のソロ・アルバムのような柔和な雰囲気と素朴さへ引き継がれながら、短篇小説集的な10曲が美しくも悲しくソフトに奏でられる。

 ピアノの響きが感傷を引き寄せる1曲目の「この葉散る」では、《切ない運命の人でも 本当は惨めじゃないのか 前向きな言葉を紡いだけど それはただ ついてただけなのか》のような彼特有の諦念が混じったような歌詞が耳に残る。サニーデイ・サービス的な日常を優美に筆致する3曲目の「人生は旅だそうだ」も美しい。

 《朝 冷たい水で顔を洗う まだ目は覚めないままでいる いつものことを いつものように 繰り返していくことを》(「人生は旅だそうだ」)

 現在のフォーク・リヴァイバルの流れで今、青山陽一氏、徳永憲氏や前野健太氏などの動きとも共振する部分がありながら、貫かれている諦念とちょっとした前向き、それを程良い緩さで纏め上げたこのアルバムは、やはり異質でもある。元々、ランタン・パレードにはアーティスト内にもファンが少なくなくおり、昆虫キッズやイルリメ、ceroなどから称賛の声も受けているが、この作品は、よりもっと幅広いリスナーに届いて欲しい音楽だと思う。和の情緒とブリティッシュ・フォークの折衷点にフワッと薫る倦怠が混ざったといえる白眉は、6曲目の「優しい思い出」だろう。リリカルな情景描写と清水氏の声と控えめなバンド・アレンジにより抑え目な、夏の,水溜りを反射する光のような儚い曲。

 《倒れるときも前のめりなら それは素敵というか それは粋というか》(「優しい思い出」)

 前のめりに倒れるのも、素敵なことだと思う。

 ここで、ランタン・パレードに出会うのも粋なことだと思う。

 

(松浦達)

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