JUSTICE『Audio, Video, Disco』(Because / Warner)

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Justice.jpg『†(クロス)』からもう4年近くになる。"衝撃的"という言葉が相応しいこのアルバムをリリースしたジャスティスは、文字通り"王者"となった。鼓膜を破壊するかのような爆音を撒き散らし、"ニュー・エレクトロ"と呼ばれたその強大なインパクトは、世界中を席巻するほどの大きな潮流となった(多くの人が"エレクトロ"と呼ぶのは承知しているが、僕にとって"エレクトロ"は、アフリカ・バンバータのような音を指す言葉だから、"ニュー・エレクトロ"と呼んでいる)。この強大なインパクトは、"東京エレクトロ"なるシーンが生まれたことからもわかるように、ここ日本にまで及んだ。80Kidzは縦横無尽に暴れまわり、さらには《XXX》のオーガナイズで話題を集めたDJキョウコ、デザイナーやモデルとしても活躍するマドモアゼル・ユリアなど、ファッション・アイコンとなるフィメールDJまで登場し、注目を集めた。そして、ニュー・エレクトロの波は、多感な10代の心も奪っていった。その代表的なパーティーである《Too Young DJ's》は、DJも10代の者がほとんどで、ニュー・エレクトロはもちろんのこと、ニュー・エキセントリックや当時のインディー・ロックに影響を受けた若者の支持も得た。このティーンエイジ・パーティーの流れは、2006年の夏、当時14歳のサム・キルコインの行動がキッカケだった。年齢を理由に観たいバンドを観ることができなかった彼は、未成年のみ入場可とするイベントを開催し、ティーンエイジャーの支持を得る。また、この勢いはドイツなどにも波及し、2007年には、リン・ラーラ・フーがハンブルクにあるクラブ《キール》で、《アイスクリーム(I-Scream)》というパーティーを始める。このパーティー自体は1年程で幕を閉じたが、インディー・ロック・ファンの間では知られるビート・ビート・ビートを無名時代からフィーチャーするなど、ドイツのインディー・シーンの発展に尽力した。

 これら一連の現象が面白かったのは、日本に居てもタイムラグを感じることなく、むしろ、世界と連動するリアルタイムなものとして発展を遂げていった点だろう。日本では風営法改正の影響もあったのだろうが、僕自身このスピードに宿る熱狂に取りつかれたひとりだし、エレクトロ・クラッシュのように、数年遅れで受け取るのではなく、自分たちで作り上げていくような感覚と参加意識が斬新に感じられた。そして、無名の若手バンドやアーティストを紹介するプラットフォームとしても機能していた。そのおかげで、知らなかった数多くのバンドを知ることができたし、音楽を聴く際の色眼鏡もなくなった。アメリカでは80年代から、当時のインディー・ミュージックに10代のファンが付きはじめたのをきっかけに、21歳以下限定のライブやイベントも散見されたけど、これと似たようなことが、ゼロ年代に起きたのだ。しかもそれは、遠く離れた海の向こうの話ではなく、ここ日本でも実感できる、目の前の出来事として。当時僕は、「ああ、セカンド・サマー・オブ・ラブ期のマンチェスターも、こんな感じだったのかな?」とか思いながら、ビートに身を任せ、誰ともわからぬ人達と笑って過ごしていた。そして、こうした数多くの場面にかならずと言っていいほど影をチラつかせていたのが、ジャスティスだったというわけだ。ジャスティス以降もニュー・エレクトロと呼ばれるアーティストは登場したが、その多くは、もはや忘れ去られた存在となっている。その点ジャスティスは、ニュースなどで名が出るたびに、多くの視線と注目が注がれた。それに値するだけの存在感を、ニュー・エレクトロのブームが去った現在も、ジャスティスは放ち続けているのだ。

 そのジャスティスが、満を持してリリースしたアルバム『Audio, Video, Disco』。「一時代を築いた王者が向かう次なる行き先は?」という期待と共に本作は聴かれるだろうけど、1曲目の「Horsepower」を聴いて、ぶったまげた。これ、プログレです。どこまでも大仰で、チープなデジタル臭を漂わせる不思議な音。アディダスのCMで使用された「Civilization」も同様だが、こちらは幾分『†(クロス)』の音楽性を引きずっている。本作はトリビュート曲も多く、「Ohio」はクロスビー、スティルス&ナッシュへ、「Brianvision」はブライアン・メイへのトリビュートだそうだ。正直、一聴しただけではわからないトリビュートではあるが、彼ら特有の解釈がユニークに鳴らされている。「On'n'on」は中期ビートルズのようだし、「Parade」ではクイーンの影響も窺わせるなど、2人にとっての音楽的文脈を披露しているようで面白い。

 本作は、80年代以前の音楽を独自の世界観で鳴らし、自由にやりたいことをやった、王者の風格と余裕を見せつけたアルバム...と、書けば聞こえはいいが、この余裕がどうしても虚栄に見えてしまう。細かいところまで仕掛けを施した前作に比べれば、意図的に軽さを演出し、リスナーの想像力に依拠する音作りは、完璧であることを放棄した白旗宣言に思える。人によっては、ザ・プロディジーが『The Fat Of The Land』のあとに「Baby's Got A Temper」をリリースしてしまったときのような、腑に落ちない気持ち悪さを抱いたとしても不思議じゃない。これらを踏まえれば、「クソだし二度と聴きたくない」と斬り捨てることも可能だが、それでも本作を繰り返し聴いてしまうのは、映画『トロン』を想起させるフューチャリスティックな音楽が先を予感させてくれるからだし、なにより、聴衆を圧倒し跪かせた前作から一転して、リスナーにサプライズを提供しようとするサービス精神と曲の構成は、前述した白旗宣言が、聴衆に手を差し伸べはじめたジャスティスの姿を映しだすように思えるからだ。本作を持ち上げることも、非情に突き落すこともできない僕にできることは、彼らが差し伸べてくれた手を取ることだけだ。

(近藤真弥)

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