JEAN PIERRE MAGNET Y SERENATA DE LOS ANDES 『Jean Pierre Magnet Y Serenata De Los Andes 』(Play Music / Beans)

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Jean Pierre Magnet Y Serenata De Los Andes.jpg  柳田国男のフォークロア(民俗学的観点)とは、文学や哲学のそれとは無縁の、ルポルタージュの路を進むところに意味があった訳であり、そこでフォーカスを当てるのはフラットに日々をおくる一生活者の体験から演繹された着想だった。そして、彼は「ハレとケ」という言葉を見出したが、「ハレ」とは簡単に言えば、祭祀、行事、非日常的な躍動に係ること、「ケ」はそのまま普段の生活を指す。「ハレ」の場でこそ、普段の生活者たちの日常にふと挟み込まれる儀式、祭祀によって、人は社会、共同体内で規律化している欲望を解放することが出来る。

  このたび、06年のファースト・アルバムにボーナス・トラックとして「Jinetes Del Ande(アンデスのカウボーイ)」の1曲を加え、再リリースされることになったジョアン・ピエール・マグネト・イ・セレナータ・デ・ロス・アンデスのセルフタイトル作『Jean Pierre Magnet Y Serenata De Los Andes』。この作品が何よりも興味深かったのは、トラディショナルなアンデスの各地での祭りやパーティー、宴会で演奏されてきた曲を基軸において、現代的に構成され直している点だろうか。アンデスの音楽文化は、やはり戦争の歴史と切っても離すことが出来ないが、スペインからの侵略を受ける前のアンデスの本来的な文化と西洋文化が入り込んでからの折衷により拡がりを増した、その折衷の最良点を探しあてたかのようなこの作品に溢れている華やかさは、いつかの日本で、ファンファーレ・チォカリーアやタラフ・ドゥ・ハイドゥークスといったジプシー・ブラスに魅了されていた人たちにも届くものがあるとも感じる。メンバーとしては、ペルーのジャズ・シーンの中でも、大御所となったジャン・ピエール・マグネト。ギタリストのラモン・スタグナーロ、パーカッションのアレックス・アクーニャ。いずれも腕の立つアーティストばかりであり、彼らのキャリア上に行き交う名前も凄い。マグネトならば、エバ・アイジョン、スタグナ-ロはサンタナ、ルイス・ミゲル、アクーニャはエルヴィス・プレスリー、ダイアナ・ロス、ポール・マッカートニーなど数知れないビッグ・ネームとの重要な共演を果たしている。巷間的には、ペルーのアンデス音楽といえば、どうしても、サイモン・アンド・ガーファンクルの『コンドルはとんでゆく』に代表されるようなイメージ、要は、ケーナ(笛)、チャランゴ(弦楽器)、ギターの哀感を誘う印象を持っている方も多いと思うが、この楽団では、ケーナも使っていない。もっと言えば、伝統楽器のチャランゴ、ボンボ(大太鼓)なども出てこない(出てきても、そこまで大きく扱われない)。その代わりに、サックス、アルパ(ハープ)、バイオリン、ギターというコンテンポラリーな楽器がメインに置かれる。

  一曲目の「Princesita Huanca(ワンカの王女)」から、パーカッションの響きにサックスが重なり、朗らかながら洗練されたハレとしての音が撥ねる。無論、アンデス音楽の大衆音楽の中心を占めるワイノという一拍子の舞曲の影も確かに見える。ワイノが汲みあげてきた生活者たちの「ハレ」のための音楽、舞踏のための音楽。そこには、普通の生活をおくる老若男女が関わらず、ときに日常の柵から放たれて、自由に、明日の生活へと繋げてゆくための 姿勢、つまり、世界中のどこでも変わらない絵が浮かぶ。四曲目の10分30秒を越える「Llamas En Libertad(自由なリャマ)」も素晴らしい。ギターが軽快に爪弾かれながら、バイオリンが優雅に交わり、独特の展開を見せる。五曲目の「Susurros Del Titicaca(ティティカカ湖の囁き)」もエクアドルで用いられるパンフルート、ロンダドール(パンパイプ)の響きから、サンポーニャ(アンデス地方に伝わる笛)による合奏曲シクリアーダへと流れ込んでゆく。サックスは勿論、チャランゴ、アルパも加わり、冒頭の印象が全く変わってしまう。

  ペルーの伝統音楽への敬意を最大限に示しながら、「変奏」を行なおうとしている実験精神がどの曲にも伺えることが出来る。といっても、ただ鳴っている音そのもの、楽器同士の連なりに耳を澄ませているだけでも、非常にアヴァンギャルドなアレンジメントがときに感じられる部分があり、それも面白い。また、ペルーのアンデス音楽に決して詳しくない人でも、スッと入り込める「人懐こさ」も特徴といえ、国境や民族性を越えて、どんな人間でも、内部に本来宿っている、規制化される前の原意識に近付く。

  ライヴ映像を見る分には20人にも及ぶ編成で祝祭的に且つアッパーに演奏しているのも含め、この音は「そのままの音像」として受けとめる以上に、身体で噛み締めるものともいえる。09年のライヴ盤『En Vivo』でもそれは感じることが出来るが、作品内でのふと見える室内楽的様相と派手なパフォーマンスの距離感、そこに滲み出るアンデスの伝統、それらが組み合わされながらも、ジャケットのアートワークが示すような寓話性の高い場所へと聴き手を運んでゆく。ただし、それは、ファンタジーとしての異境の音楽ではなく、現実と地続きの中で「ハレ」のために用意された音楽でもある。

(松浦達)

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