DRC MUSIC『Kinshasa One Two』(Warp / Beat)

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DRCMusic.jpg  近年のコノノNo.1の活躍やドキュメンタリー映画「ベンダ・ビリリ!」の公開によって、日本でも大きな注目を集めているコンゴの音楽。あいにく僕は今年のフジ・ロックには行けなかったけれども、コンゴトロニクス(コノノNo.1+カサイ・オールスターズ)With フアナ・モリーナ&スケルトンズの単独ライヴはしっかり楽しんだ。そう、「楽しんだ」という言葉がぴったりな最高のライヴだった。電気で最大限に増幅されたリケンベ(親指ピアノ)を中心に据えて打ち鳴らされる強靭でセクシャルなグルーヴ、大人数のメンバーが汗まみれになって放つピース・サイン、そして輝くような笑顔。

 世界中の音楽ファンを踊らせ、気鋭のミュージシャンたちをも魅了するコンゴの音楽。けれども、その音楽を生み出したコンゴは"楽園"などではない。コンゴ民主共和国は1998年から続く紛争で今もなお戦闘状態にある。10年間で540万人もの生命が奪われ、武装勢力による非人道的被害もあとを断たないという。DRC(Democratic Republic Of The Congo)ミュージックと名付けられたこのプロジェクトは、コンゴに暮らす人々が貧困から抜け出すことを支援する民間団体「オックスファム(Oxfam)」への援助金を集めるために、デーモン・アルバーンの呼びかけによって実現された。『Kinshasa One Two』の制作にあたっては、デーモンに声をかけられた11名のプロデューサー/ミュージシャンが今年の7月に首都キンシャサへ飛び、現地の50人以上のパフォーマーと共に5日間でレコーディングを完了。行動の素早さとリリースまでのスパンの短さが、"緊急を要するもの"という事実を何よりも雄弁に物語っている。

 そのようなコンゴにおける深刻な政治的(軍事的)背景、目を背けたくなるような現実とは裏腹に、力強い音楽に満ちあふれた素晴らしいアルバムが完成した。フェラ・クティと共にアフロ・ビートを文字通り牽引してきたトニー・アレンを"ルードなポップ・バンド"であるザ・グッド・ザ・バッド&ザ・クイーンに引き込んでしまうデーモンのセンスは、今回の"プロデューサーをプロデュース"する手腕でも冴え渡っている。ヴァンパイア・ウィークエンドからレディオヘッドまでを擁するXL Recordingsの総帥リチャード・ラッセル、ゴリラズの1stでデーモンのイメージする音像を見事に具現化してみせたダン・ジ・オートメイター、アルバムでは3曲ものプロデュースを担当するT-E-E-Dことトータリー・エノーマス・エクスティンクト・ディノサウルスなど錚々たるメンツが名を連ねる。時間的な制約と限られたレコーディング環境が逆に功を奏したのかもしれない。決して豊富とは言えないサンプリング音源をどう活かすか? という一点で参加者たちの自由なアイデアが発揮され、個性豊かなトラックが揃うことになった。

 アルバム・ジャケットとブックレットのデザインも印象的だ。材木や空き缶、鉄クズなどを組み合わせた手作りの打楽器が漆黒の闇に浮かぶ。すり減り、手垢で変色するほどに使い込まれたマラカスやリケンベ、奇妙な形のパーカッション。国内での戦闘が長引くほど、その楽器を持つ手にも力が入ったのだろう。そして、決して手放すこともなかった。アルバムに収録されているトラックからアート・ワークまで、コンゴの音楽と現地のミュージシャンたちに対するリスペクトが伝わってくる。デーモンが女性シンガーとのデュエットを聞かせるダビーなオープニング・トラック「Hallo」は初期のゴリラズのようだ。ダン・ジ・オートメイターがプロデュースを務める2曲目「K-Town」はアッパーなリフとスクラッチが最高にカッコいいヒップホップ。3曲目の「Love」のように、アフリカンなヴォーカル・トラックだけで構成された曲もある。パーカッシヴなグルーヴと独特のメロディがテクノ~ハウス、ダブステップへと連なるダンス・ミュージックのアプローチと絶妙なバランスで融合している。パワフルなヴォーカルをフィーチャーした荒削りなダンス・トラック「Three Piece Sweet Part 1 & 2」を手掛けたアクトレス(Actress)、息を呑むほど美しいアンビエント・トラック「Departure」を仕上げたクウェス(Kwess)など、新鋭のアーティストと出会う絶好の機会にもなるだろう。

 02年にリリースされたデーモン・アルバーン&マリ・ミュージシャンズ名義の『マリ・ミュージック』、ブラー『シンク・タンク』でのモロッコ音楽への接近、商業的にも大きな成果を上げたゴリラズでの様々なコラボレーション、そして『西遊記』をテーマにしたオペラの作曲などデーモン・アルバーンの未知なる音楽に対する好奇心は尽きることがないようだ。最先端の機材に囲まれた安全なスタジオを抜け出し、デジタル配信で済ませることもできる世界中の音楽と「現地」でふれあうこと。同情ではなく、行動で意思を明確にすること。それは"与える/与えられる"という恩着せがましいチャリティの定義を粉砕し、「西洋のミュージシャンがアフリカの音楽を取り入れました」的なお行儀の良さをも蹴散らす。鋼のようなグルーヴと最大限のボリュームは、人々が生きている証だ。楽器を手作りしてまでも鳴らさなければならない音楽がある。コンゴのミュージシャンたちが放つピース・サインを心して受け止めよう。

(犬飼一郎)

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