DJ SHADOW『The Less You Know The Better』(Universal International)

|

DJ SHADOW.jpg  まず、異才フーゴ・バルの言葉を孫引いてみよう。

  「1913年の世界と社会はこんな塩梅だった。生は完全に閉じ込められ、枷をはめられていた...日夜問われるもっとも切迫した問いは、こうした状況を終わらせる強さを、なかんずく正気を持った力が何処かにあるだろうか? という問いだった。」(『時代からの逃走』序文より)

 そして、有名な彼の「音声詩」、つまり、「言葉のない詩」とは通常言語を捨てるために、人間の本来的な意識の下で発される「正気を持った力」として言葉を取り戻そうとする試みであり、溢れた言葉の「深奥」を探る為の「詩的魔性」を確認する行為だった。

  「詩的魔性」という意味では、現在、90年代的な音のリヴァイヴァルやその生き残り組の新譜が目立つ中、ロンドンのストリートが燃えた今年になって帰ってきた、「アブストラクト・ヒップホップの先駆者」として、ときに名称もされるDJシャドウの存在は欠かせない。90年代のヒップホップは、例えば、ア・トライブ・コールド・クエストのジャズをネタに取り入れたスムースさ、アウトキャストのアマルガム的な加速、ナズの硬質さなどがパブリック・エネミー以降の視界を変えて行きながらも、USのユース・カルチャーを語る際には「組成/混合としての音楽」のヒップホップを考えないことには、見えないものが多くあった。日本でも、ロック×ダンスのエクレクティズムの波と、ストリート・カルチャー×アート性としてのヒップホップは一部のトライヴのみならず、耳聡いリスナーの五感をフック・アップした。

 その中でも、96年のDJシャドウの『Endtroducing...』の新しさとその後も語り継がれる意義とは、細かく刻まれた美しくも抽象的なビートの上に幽霊のように幾つもの声やサンプリングがジャンプ・カット写法のように切り替えられながらも、通底はメロウな感触に貫かれている、というところだったのかもしれない。また、トリップ・ホップ、チルアウトなどとも緩やかに共振しながらも、その音はベックの『オディレイ』が刷新しただろうセンスの鋭さ、豊潤な音楽の歴史の遺物への敬礼というタームで括ることも出来たが、現在のディプロが行なうようなDJのフロアーに根差した現場感覚とサウンド・センスの絶妙な「間」を縫ったというのも大きかった。それは、アンクル、トマト×アンダーワールドにおけるアート的に且つアンダーグラウンド・カルチャーの水脈を叮嚀に拾い上げ、しっかりとアップ・デイトしてシーンへと掲げたクールネスにも準ずるだろう。DJシャドウのサンプリング、元ネタのヴァイナルの数々、音源にも注目が集まり、そのストイックなステージ・パフォーマンスでも、非常に魅力を持ったアイコンの一人だった。

 彼のその後は、コラボーレーション、リミックス・ワーク、カット・ケミストとの「Brainfreeze」など順当に活動を拡げ、02年のセカンド・ソロ・アルバム『The Private Press』はサンプリングをベースにしている点では、ファーストとほぼ変わらなかったが、その心の中に潜りこむような暗さが増し、内省が強くなっていたところがあったが、この美しい陰翳を愛するリスナーも少なくない。

 問題にはなったのが、何より06年のサード・ソロ・アルバム『The Outsider』であり、大きな賛否両論を生んだ。殆どの曲で客演、ボーカルを迎えたストレートなヒップホップ・アルバム。背景に自身が死を近くに感じたというエピソードがあるにしても、彼のビート・メイクとストイックなセンスを信頼していた人たちからしたら、この「拓け方」には、戸惑いも覚えた人も多かったが、アート性が先立っていて、入り込むことが出来なかった人たちには新しい入り口にもなった。

 そして、10年代、ダブステップ的なサウンド・メイクが基調になり、寧ろ彼の作る音が巡り廻り、求められるのではないか、という中で届けられた新譜『The Less You Know The Better』。簡単に邦訳すれば、「貴方が知らなければ、知らないに越したことがないよ」という諦念とシニックに通底したタイトルになっている。そのタイトル名通り、更に憑き物が落ちたように、明快なヒップホップ・アルバムへと舵を取っている。「Border Crossing」でのハードなギターの響き、PosdnusとTalib Kweliのライムが軽やかにステップする「Stay The Course」、「Sad And Lonely」にはメロウなR&Bの馨りが濃厚に漂う。Tom Vekの参加した「Warning Call」は懐かしい90年代のヒップホップの歴史背景が見え、従来通りのアブストラクト・ビートが冴える「Tedium」、「Enemy Lines」など含め、「10年代の音」として考えるよりも、DJシャドウが長いキャリアを重ねてきた結果、行き着いた場所がこういったバック・トゥ・ベーシックではなく、自分の中に幾つも眠るレコードの束、音楽を並列的に出来る限り絞らず、呈示するということであれば、これは90年代後半に出てきた一人の天才的トラック・メイカーが素のレコード・コレクターたる自分の顔を見せて、フロアーに皆を呼び込むための一通のインビテーション・カードになったのではないだろうか。作品としての纏まりの無さ、統一性のなさ、彼特有の美学の希薄さにフォーカスを当てるよりも、この音を聴いて、現場に足を運ぶことを促すものである。

 だから、もう「詩的魔性」は今の彼にはない。

 しかしながら、これまでの来歴を想えば、良いのかもしれない。

(松浦達)

retweet