SUBMOTION ORCHESTRA『Finest Hour』(Exceptional / P-Vine)

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SUBMOTION ORCHESTRA.jpg  音楽的な歴史に照応しても、自然的な選択への防衛網を張るべく、自己の複製を続けて、ようやく複製の「プロセス」の最良点を見出せた、というのは科学者のダニエル・C・デネットに言われるまでもなく、認識レベルで把握できるところはあると思う。但し、そこでは、そのプロセスに向けて、多くの「回避」と「予防」によって成り立ったものであり、現実の速度内ではあまりに緩やかな流れなので、想像力の中で「速めていく」ことになる点も大事だろう。では、その「想像力内で速められた」複製物へ寄生していくことで、本質を喰い尽くす、そういうことも起こり得るのではないか、とさえ気付く。設計図は描かれていたとしても、複製物が産出されたとしても、「寄生」により、偶然にも発明に近い何かを巡るとしたら、今現在において、確実に、ダブステップ以降の潮流が来ているというのも強ち、眉唾の話ではない気がする。その多くは、パスティーシュと「本流のダブステップ」(アンビヴァレントな言葉だが)への寄生に拠っているとしても。

  スクリームやマグネティック・マンなどの台頭もあり、一気にポップ・フィールドへと地表化したレベル・ミュージックの形態が今度は「ポスト-」の名を纏い、アンダーグラウンド/ソフィスティケイティッドの分岐路にある、といえるだろうか。よりディープに籠ってゆく形での鳴りを目指す者も居れば、志としては、生演奏とDJのマッシュアップにより拓かれてゆくスティルを選ぶ者。

  そこで、後者では、今、UKのリーズの7人組バンド、サブモーション・オーケストラが注目に値するかもしれない。

  主軸を担うのは、ラックスピン名義でDJ活動とプロデュース業も活発に行なうドン・ハワード(Don Howard)。彼の紡ぎあげる音はディープなテック・ダブステップ的センスを含みながら、分かり易いフロア・コンシャスなものが多い。例えば、今年にリリースされたシングル「Shikra/Blessings(Featuring J.Sparrow)」のように。その彼と、リーズ大学でジャズを学び、ジェントルマンズ・ダブ・クラブ(Gentleman's Dub Club)のドラマーのトミー・エヴァンス(Tommy Evans)の二人が中心になり、09年に結成された。他のメンバーはパーカッションのダニー・テンプルマン(Danny Templeman)、ベースのクリス・ハーグリーブス(Chris Hargreaves)、紅一点で女声ボーカルを請け負うルビー・ウッド(Ruby Wood)、キーボードのタズ・モディ(Taz Modi)、トランペットのサイモン・ベドー(Simon Beddoe)である。そもそも、バンドが成り立った経緯が面白い。ドン・ハワードがUKのアート・カウンシルから「北ヨーロッパでも最大の教会であるヨーク・ミンスターで、生演奏でダブステップを演奏してくれないか?」という打診を受け、そこから始まっている、というものだ。元々、チャーチ・ソングの懐が深いUKらしい思い切った企画だが、そこで行なったパフォーマンスは、様々な層から喝采を受けた。

  このバンドの音は、ダブステップの通奏低音は保ちながらも、とても懐かしい音が聴こえてくる。それは、インコグニートやロンドン・エレクトリシティー等が持っていたようなアシッド・ジャズ的なエッセンス、作品のイメージでは、4ヒーロー『Creating Patterns』、ジャガ・ジャジスト『What We Must』のような麗しくも人肌のあるファットなサウンド・テクスチュアを彷彿とさせながら、ルビー・ウッドの女声ボーカルの伸びやかさもあり、ソウル・ミュージックとしての間口の広さも持つ。そして、硬質なビート・メイクが為され、そこに絡んでくる各楽器もどちらかというそのバンド名に入っている"オーケストラ"と比して、非常にストイックで「引き算の美学」で成り立っているものの、その引き算が良い形ではなく、ポピュラリティと引き換えのBGMとして聴き流されかねない薄さも目立つのは否めないところと言える。

 満を持してのファースト・アルバム『Finest Hour』に関しても、リード・シングルの「All Yours」の時点で、既にラウンジ・ミュージックのような大人の馨りを持っていたが、全体を見渡しても、非常にムーディーな色香が全面に出ている。但し、そのムーディーさは、ラウンジ・ミュージック、イージー・リスニングとして回収される手前で、もっと聴き手側をダウナーな場所へと導き、適度にソリッドなビートとファットなベース、ダヴィーな音響処理によって、安易な聴き流しを「拒む」。そこに、キーボードやパーカッション、トランペットが絶妙に絡み合い、ときにストリングスも持ち込まれ、音楽的語彙としての表層性やノスタルジーも孕みながらも、それでも、何らかの先の音を見越そうとしている模索も伺える。例えば、「Back Chat」には、スタンダードなダブステップの雰囲気もあり、「Always」にはシンプルなミニマル・ビートに乗るフラットなクラブ対応の響き、「Suffer Not」のビョークには及ばないにしても、それに近い凛とした翳りを見ることも出来るように、過去の音楽遺産を現在地点に再構築しながらも、まだ漠然とした手触りもあるところも少なくない。個人的には、これから、彼らが化けてくるか、化けないかではなく、このダブステップへの「寄生」は果たして複製の「プロセス」を越えてくる景色を描ける可能性もあるのではないか、という想いがある。その可能性に賭けてみるのも良い気がする。

(松浦達)

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