September 2011アーカイブ

2011年10月3日

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2011年10月3日更新分レヴューです。

GROUPLOVE 『Never Trust A Happy Song』
2011年10月3日 更新
FOUR TET 『Fabriclive 59』
2011年10月3日 更新
GIRLS 『Father, Son, Holy Ghost』
2011年10月3日 更新
HANGGAI 『He Who Travels Far』
2011年10月3日 更新
SO MANY TEARS 『So Many Tears』
2011年10月3日 更新
佐伯誠之助 『Ingo Beats Vol.1 Remixies!!!』
2011年10月3日 更新

2011年9月28日

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2011年9月28日更新分レヴューです。

【合評】THE DRUMS 『Portamento』
2011年9月28日 更新
SACOYAN 「Tivu Folded Shelves」
2011年9月28日 更新
LITTLE DRAGON 『Ritual Union』
2011年9月28日 更新
COLDPLAY「Paradise」
2011年9月28日 更新

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R-WAY JUNCTION.jpg  アンダーグラウンド・ミュージックの多くは、ブレイクという形で大勢の目に触れた後、リスナーに消費されていく過程でアンダーグラウンドに戻るというのがパターンとしてある。しかし、多くの人に名が知られた現在においても、ダブステップは高い匿名性を保っているように見える。その結果としてイメージや現象が先行しているように感じるが、本来日本の悪い面であるこの先行は、ダブステップ生誕の地であるイギリスでも同様ではないだろうか? 例えば、マグネティックマン『Magnetic Man』や、スクリーム『Outside The Box』をキッカケとしたブレイクスルーも、ダブステップと呼ばれる以前のダークな2ステップの頃から触れている者以外の人たちからすれば、突然現れたように映ったかもしれない。だとすれば、ブリアルなどのメランコリーなダブステップはさらなる解釈と再評価の余地を残していると言えるし、もっと言えば、ジェームズ・ブレイクが存在感を強めているのも、メランコリーなダブステップに対する新たな解釈や再評価の文脈上で成り立っているということだ。もちろんこの解釈や再評価の中心となっているのは、「ダークな2ステップの頃から触れている者以外の人たち」なのは言うまでもない。そして、この"捻じれ"と呼べるものがダブステップの順応性と相まって、我々の理解や消化を待つ前にダブステップは"ベース・ミュージック"となり、もしくは応急処置的に、"ポスト・ダブステップ"と呼ぶしかない領域に達してしまったのかもしれない。だからこそ、誕生から数年経った現在でもダブステップは変化し続けているし、良い意味で先が見えない曖昧模糊な状態となっている。

 とはいえ、日本オリジナル企画としてリリースされる『R-way Junction』によって、そんな曖昧模糊な現状も少しはハッキリしてくるかもしれない。なぜなら、イギリスのレーベル《ランプ》のコンピである本作は、近年のベース・ミュージックが辿ってきた潮流の一部が刻まれているからだ。《ランプ》はトム・ケリッジが主宰のレーベルで、フライング・ロータスジェームズ・ブレイクのリリースなどで知られている(前者はデクライム、後者はエアヘッドとのコラボレーションという形でのリリース)。カタログも多様なものになっていて、『R-way Junction』収録のアーティストだけでも、フライング・ロータスやサブトラクト、フェルティ・DLにトキモンスタなどのビート系やベース・ミュージックはもちろんのこと、マキシミリオン・ダンバーのようなハウスもある。クラッシュ誌のインタビューでトム・ケリッジは、ヴァイナルの購入に多額のお金を使うと語っているが、《プラネット・ミュー》のマイク・パラディナスなど、こういったオタク的な人たちが音楽シーンの中で影響力を持ちはじめている。それは音楽に対して寛容で、勇気があるからこそ持てるものだ。でなければ、マイク・パラディナスはジュークを積極的に紹介しなかっただろうし、トム・ケリッジは、今をときめくアーティストたちを次々とフックアップすることもなかった。この寛容さと勇気が、《ランプ》を注目すべきレーベルへと成長させ、ベース・ミュージックの中心に押し上げたのは間違いない。

 そして、『R-way Junction』に収録されている2曲の未発表作は、《ランプ》の未来を指し示すものになりそうだ。まずは、イギリスの《ザ・トリロジー・テープス》からのデビューEPも話題となった、ドロ・キャリー(Dro Carey)による「Velvet Mouth」。DJシャドウに影響を受けたという彼は、シドニー在住の18歳だ。ブリーピーなベースに、R&Bやヒップホップの影響を窺わせるプロダクションが特徴的な、疾走感溢れるサウンドを聴かせてくれる。FACTのMIXシリーズに登場するなど、今後のブレイクが期待される新鋭だ。もうひとつは、ステイ・ポジティブ(Stay+)「Fever」。ステイ・ポジティブはマンチェスター出身のデュオで、インディー精神に基づいたベース・ミュージックを鳴らすのが面白い。レイヴィーな熱狂を生み出すグルーヴに、キラキラとしたシンセのシークエンスが聴く者を高揚させるアンセムとなっている。サウンドクラウドで聴ける彼らの音源からは、幅広い音楽性を持ち合わせていることも確認できるし、来月ブリクストン・アカデミーで行われるフレンドリー・ファイアーズの公演で前座を務めるなど、注目度も右肩上がり。今のうちにチェックしておいて損はない逸材だ。

 本作を聴けば、近年のベース・ミュージックの流れを振り返ることもできるし、2011年以降の動きを予測した要素も散りばめられているのが分かる。『R-way Junction』をキッカケに、ベース・ミュージックの素晴らしき混沌に身を投じるのも有りだろう。

 (近藤真弥)

※『R-way Junction』は10月23日(日)発売予定。

 

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SUBMOTION ORCHESTRA.jpg  音楽的な歴史に照応しても、自然的な選択への防衛網を張るべく、自己の複製を続けて、ようやく複製の「プロセス」の最良点を見出せた、というのは科学者のダニエル・C・デネットに言われるまでもなく、認識レベルで把握できるところはあると思う。但し、そこでは、そのプロセスに向けて、多くの「回避」と「予防」によって成り立ったものであり、現実の速度内ではあまりに緩やかな流れなので、想像力の中で「速めていく」ことになる点も大事だろう。では、その「想像力内で速められた」複製物へ寄生していくことで、本質を喰い尽くす、そういうことも起こり得るのではないか、とさえ気付く。設計図は描かれていたとしても、複製物が産出されたとしても、「寄生」により、偶然にも発明に近い何かを巡るとしたら、今現在において、確実に、ダブステップ以降の潮流が来ているというのも強ち、眉唾の話ではない気がする。その多くは、パスティーシュと「本流のダブステップ」(アンビヴァレントな言葉だが)への寄生に拠っているとしても。

  スクリームやマグネティック・マンなどの台頭もあり、一気にポップ・フィールドへと地表化したレベル・ミュージックの形態が今度は「ポスト-」の名を纏い、アンダーグラウンド/ソフィスティケイティッドの分岐路にある、といえるだろうか。よりディープに籠ってゆく形での鳴りを目指す者も居れば、志としては、生演奏とDJのマッシュアップにより拓かれてゆくスティルを選ぶ者。

  そこで、後者では、今、UKのリーズの7人組バンド、サブモーション・オーケストラが注目に値するかもしれない。

  主軸を担うのは、ラックスピン名義でDJ活動とプロデュース業も活発に行なうドン・ハワード(Don Howard)。彼の紡ぎあげる音はディープなテック・ダブステップ的センスを含みながら、分かり易いフロア・コンシャスなものが多い。例えば、今年にリリースされたシングル「Shikra/Blessings(Featuring J.Sparrow)」のように。その彼と、リーズ大学でジャズを学び、ジェントルマンズ・ダブ・クラブ(Gentleman's Dub Club)のドラマーのトミー・エヴァンス(Tommy Evans)の二人が中心になり、09年に結成された。他のメンバーはパーカッションのダニー・テンプルマン(Danny Templeman)、ベースのクリス・ハーグリーブス(Chris Hargreaves)、紅一点で女声ボーカルを請け負うルビー・ウッド(Ruby Wood)、キーボードのタズ・モディ(Taz Modi)、トランペットのサイモン・ベドー(Simon Beddoe)である。そもそも、バンドが成り立った経緯が面白い。ドン・ハワードがUKのアート・カウンシルから「北ヨーロッパでも最大の教会であるヨーク・ミンスターで、生演奏でダブステップを演奏してくれないか?」という打診を受け、そこから始まっている、というものだ。元々、チャーチ・ソングの懐が深いUKらしい思い切った企画だが、そこで行なったパフォーマンスは、様々な層から喝采を受けた。

  このバンドの音は、ダブステップの通奏低音は保ちながらも、とても懐かしい音が聴こえてくる。それは、インコグニートやロンドン・エレクトリシティー等が持っていたようなアシッド・ジャズ的なエッセンス、作品のイメージでは、4ヒーロー『Creating Patterns』、ジャガ・ジャジスト『What We Must』のような麗しくも人肌のあるファットなサウンド・テクスチュアを彷彿とさせながら、ルビー・ウッドの女声ボーカルの伸びやかさもあり、ソウル・ミュージックとしての間口の広さも持つ。そして、硬質なビート・メイクが為され、そこに絡んでくる各楽器もどちらかというそのバンド名に入っている"オーケストラ"と比して、非常にストイックで「引き算の美学」で成り立っているものの、その引き算が良い形ではなく、ポピュラリティと引き換えのBGMとして聴き流されかねない薄さも目立つのは否めないところと言える。

 満を持してのファースト・アルバム『Finest Hour』に関しても、リード・シングルの「All Yours」の時点で、既にラウンジ・ミュージックのような大人の馨りを持っていたが、全体を見渡しても、非常にムーディーな色香が全面に出ている。但し、そのムーディーさは、ラウンジ・ミュージック、イージー・リスニングとして回収される手前で、もっと聴き手側をダウナーな場所へと導き、適度にソリッドなビートとファットなベース、ダヴィーな音響処理によって、安易な聴き流しを「拒む」。そこに、キーボードやパーカッション、トランペットが絶妙に絡み合い、ときにストリングスも持ち込まれ、音楽的語彙としての表層性やノスタルジーも孕みながらも、それでも、何らかの先の音を見越そうとしている模索も伺える。例えば、「Back Chat」には、スタンダードなダブステップの雰囲気もあり、「Always」にはシンプルなミニマル・ビートに乗るフラットなクラブ対応の響き、「Suffer Not」のビョークには及ばないにしても、それに近い凛とした翳りを見ることも出来るように、過去の音楽遺産を現在地点に再構築しながらも、まだ漠然とした手触りもあるところも少なくない。個人的には、これから、彼らが化けてくるか、化けないかではなく、このダブステップへの「寄生」は果たして複製の「プロセス」を越えてくる景色を描ける可能性もあるのではないか、という想いがある。その可能性に賭けてみるのも良い気がする。

(松浦達)

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RUSTIE.jpg  ラスティーのファースト・アルバム『Glass Swords』はマジで最高! 音を鳴らす喜びに満ち溢れた初期衝動、"ジャンル"を嘲笑うかのように様々な音楽を行き来するフットワークの軽さ。デトロイト・テクノ、グライム、16ビット、はたまたファンクにプログレッシヴ・ロックまで、ラスティーの豊かな音楽性が遺憾なく発揮された傑作と断言していいだろう。

 2007年に発表された「Jagz The Smack EP」も、現在のベース・ミュージックの雛型となる曲が詰まった予言的な作品だったが、そんな「Jagz The Smack EP」ですら"クラシック"に追いやってしまうほどの未来を、『Glass Swords』は描いてしまった。恍惚的なシンセとギター・サウンドが高らかに舞う「Glass Swords」。レーシングゲームのサウンドトラックに収録されていそうな「Flash Back」。地球を揺るがす破壊的なビートが刻まれる「Surph」。そして、オールド・スクール・レイヴなシンセがキラキラと輝く「Hover Traps」。ここまでは疾走感溢れるトラックが並んでいるが、ヒップホップ色が強い「City Star」以降は、「Death Mountain」のようなヘヴィ・トラック、どこまでもハイになれる「Ice Tunnels」など、あらゆる方向からリスナーの心と耳を楽しませてくれる。アルバム前半は統一感を保ち、一定のグルーヴを維持しているが、中盤以降の縦横無尽に駆け回る奔放な姿がラスティーの本質だろう。

 ラスティーは、ハドソン・モホークと同じグラスゴーのエレクトロニック・シーンから出てきた逸材で、文字通り時代を象徴する存在と言っていい。ほぼすべての音楽は手に届く範囲にあり、それゆえ過剰にならざるをえない現代に生きる同時代性の塊。それがラスティーだ。

(近藤真弥)

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ROMAN FLUGEL.jpg「Rocker」のヒットでも知られるオルター・イーゴでの活動や、リカルド・ヴィラロボスとのRiromなど様々な名義を使い分け、長年に渡りドイツのテクノ・シーンで活躍してきたローマン・フリューゲル。そして、これらのプロジェクトで実践してきたアイディアや手法の集大成として生まれたのが、本人名義では初のフルアルバムとなる『Fatty Folders』だ。

 先行シングルとしてリリースされた、優雅なハウス・トラック「How To Spread Lies」をはじめ、トロピカルな電子音が特徴的な「Bahia Blues Bootcamp」。多彩なシンセのレイヤーが、壮大なコズミックを創り上げる「Krautus」。さらには、ジャジーなリズムと絡み合うピアノが心地良い「Song With Blue」といった曲までもが存在する。これらが収録された本作を支配しているのは、人工的な構築美であり、その構築物に感情を宿し、肉感的なグルーヴを得ようとするローマン・フリューゲルの姿だ。この"肉感的なグルーヴ"を得るにあたって、シカゴ・ハウス的な構造を取り入れたりもしているが、この試みは成功したと言っていいだろう。終始ストイックかつマッドな欲情が見え隠れするし、何より、心の揺らぎなどによって変化する精神状態を音で描写するという難題も達成している。

 非常にシンプルで派手なアルバムとは言えない本作だが、精密なサウンド・プロダクションと精巧なトラック群によって、美術館に展示されていてもおかしくない荘厳かつ凛とした雰囲気を発している。そんな『Fatty Folders』は、聴くたびにリスナーの想像力を喚起する、音楽という名の絵画の域に達した素晴らしいアルバムだと言えよう。

(近藤真弥)

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A WINGED VICTORY FOR THE SULLEN.jpg  2011年の上半期はダスティン・オー・ハロラン(Dustin O'Halloran)の『Piano Solos Vol.1 And 2』というアルバムを愛聴していた。それは、過去リリースされた彼の作品の内、入手困難な2004年と2006年のピアノ作品集を二枚組にして再発したアルバムであったのだが、これが今年の(正確には今年ではないが、アルバム二枚の間における不思議な統一性は特筆すべき)私的なベスト・アルバムになるのだろうと、漫然とタカを括っていた。しかしながら九月に至り、思わず唸らざるを得ないアルバムが再びリリースされてしまった。それがア・ウィングド・ヴィクトリー・フォー・ザ・サレンというプロジェクトのファーストだ。ドローン・アンビエントの雄であるスターズ・オブ・ザ・リッド(Stars Of The Lid)のAdam Wiltzieが立ちあげたユニットであるのだが、蓋を開けると悔しいかな、彼の新たな活動を共にするのはダスティン・オー・ハロランなのである。記事の多くは、このプロジェクトを通過した先にあるスターズ・オブ・ザ・リッドの新作に想いを馳せているが、ダスティン・オー・ハロランだって何も劣ることはない。

 敬虔なアルバムである。チルアウトという一言で片付けることを拒む、宗教的な荘厳さと神秘的な美しさを秘めている。スターズ・オブ・ザ・リッド直系の、シネマティックなドローン音は過度に持続しすぎず、生々しく余韻を残す。ストリングスやホルンなどによるオーケストレーションは輪郭がぼかされ、不鮮明でくすんだレイヤーとして滲むように響く。それらが曖昧に溶けあうことで浮かび上がる重厚なアンビエントを背景に、ダスティン・オー・ハロランのノスタルジーで色彩感の無いピアノが響く。ユニット名の通り"高遠"なピアノは、ベルリンのグリューネヴァルトという教会でレコーディングされたものであるようだ。

 アルバム内には、スパークルホースのフロントマンであったマーク・リンカスの死を追悼する曲が収録されている。鎮魂のために捧げられた曲は一曲のみであるが、その曲がアルバムの流れや統一性を損ねたり、ぎこちなさを醸し出したりすることはない。そういった敬虔さがアルバム全体に浸透している点から、このアルバムの本質を垣間見ることができる。ゲストにはピーター・ブロデリック、ニルズ・フラーム、フランチェスコ・ドナテロ(ジャルディ二・ディ・ミロ)、Hildur Gudnadottirなどが参加しており、華々しい手向けとなっている。美しいアンビエント・ミュージックの一つの理想系であると、昂然と評す価値のある作品である。

(楓屋)

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神聖かまってちゃん.jpg『つまんね』『みんな死ね』までは、自分自身を曝け出すような音楽を鳴らしていた。しかし『8月32日へ』では、4人と神聖かまってちゃんという存在の間に微妙な距離感がある。もちろんすべての曲は4人が作り上げたものだし、の子の告白的な歌詞も健在だ。それでもこの"微妙な距離感"が拭えないのは、4人の音楽に対する接し方が変化してきているからだろう。それはまるで、設定したキャラクターを通して自らの表現をアウトプットしてきた、デヴィッド・ボウイのようだ。

 デヴィッド・ボウイは根っからのロックンローラーではなく、"発信媒体としての音楽"の可能性を独自の視点で切り開いてきた、"役者"に近い存在だったと思う。そんな役者人生に『Scary Monsters』で自ら終止符を打ち、その後ボウイは、「自分とは一体何なのか?」という新たな問題に悩まされる。この苦悩は、名声を手に入れた者が抱える典型的なものだが、それは神聖かまってちゃんも同様だった。

 とはいえ、神聖かまってちゃんの悩みは、ボウイのそれとは異なる。前述したように、ボウイは自分自身について悩んだが、神聖かまってちゃんの場合は音楽そのものについて悩んでいる。「夕暮れメモライザ」「コタツから眺める世界地図」「僕は頑張るよっ」「死にたい季節」のようなピッチシフトを極端に上げ、アニメの主題歌風になっている曲はもちろんのこと、アルバム全体を通して漂う雰囲気もどこか上の空というか、曲から遠いところで4人は演奏している。それは、イメージが先行し、ソングライティングなど純粋な音楽的力量が評価されないもどかしさからくるものではないか? 以前に比べて上手くなった演奏や洗練されたプロダクションも、このもどかしさの説得力を強固なものにしている。過渡期な音楽と共に、神聖かまってちゃんという"器"に向き合う4人の姿が、『8月32日へ』には記録されている。

(近藤真弥)

2011年9月23日

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2011年9月23日更新分レヴューです。

THE WOMBATS 『Proudly Present...This Modern Glitch』
2011年9月23日 更新
BALAM ACAB 『Wander / Wonder』
2011年9月23日 更新
808 STATE 『Blueprint』
2011年9月23日 更新
MY VIOLAINE MORNING 『The Next Episode Of This World』
2011年9月23日 更新
ROPES 「Slow / Last Day」
2011年9月23日 更新

2011年9月18日

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2011年9月18日更新分レヴューです。

YUCK 『Yuck』
2011年9月18日更新
THE WEEKND 『Thursday』
2011年9月18日更新
TINARIWEN 『Tassili』
2011年9月18日更新
LUOMO 『Plus』
2011年9月18日更新
SOAKUBEATS 『Tatsuru Of The Living Dead』
2011年9月18日更新
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