SEBASTIAN 『Total』(Because / Warner)

|

Sebastian.jpg  現今、相互連関する諸要素を複合関係的に組み立てているといえる動向の総体について考えないと、相互の「個」さえも曖昧になってしまう。それが例えば、ベルタランフィの云う「システムに則った上で、思考する」という行為性に帰納するとしたならば、閉鎖されたシステム内で増えないエントロピーの問題は棚上げされてもくる。増大しないでも、そう、もはや既にコアな音楽フリーク以外にも真摯なビートメイカーとして、ジェームズ・ブレイクはしっかりと認識され、チルアウト、チャーチ・ソングの水脈の中にボン・イヴェールが世界の福音と把握される中、その両者が組んだ曲「Fall Creek Boys Choir」が2011年の基調低音になったのだろうか、という問いを一つの岐路に置くのも正しいとは思う。例えば、僕が今夏に居たUKのロンドンでふと寄ったクラブで流れていた90年代後半のようなプロディジーやプロペラヘッズのようなバキバキのエレクトロ・サウンドやプログレッシヴなハウス・サウンド、はたまた、低音の響くゴシックでダークな翳りを帯びたビート・ミュージックは明らかに「それ」の周縁を巡ってもいた。寧ろ、ウィッチ・ハウス、ホーンテッド・ハウスや、旧くはドラムンベース、トリップホップへと帰着する仄暗さとストレンジネスがあり、そこにバラム・アカヴやホーリー・アザー辺りのアーティストの新しい音が着実に「オン」になりながらも、明らかに待望されているような温度も感じたのは事実だ。そして、周知の通り、じわじわとまるでリスナーの反応や飢餓感を試すように公開されてきているジャスティスの「新しい音」はそのままの新しさよりも、「即効性」にリスナー・サイドの文脈がスライドされているとしたならば、ネクスト・ダブステップ、ベースメント・ミュージックに混合してくる要素で重要なものはベーシックなリズムへの意識の高さに回帰するのかもしれない、と夢想さえできる。

>>>>>>>>>>

 挿話になるが、00年代の端境期に、ネプチューンズやティンバランドといったプロデュース・ワークでケリスやブリトニー・スピアーズ、ジャスティン・ティンバレイクといったイコンたちのサウンドや声を変曲させながらも、ビルボードのトップに滑り込ませていたときの「メインストリーム」の奇妙さと躍動感と対比して、今のレディ・ガガが一時期のマドンナが持っていた全能性を纏い、一手に担う80年代的なエレクトロ・ポップと過度なヴィジュアル・イメージの「終末観」に峻厳なものを見出している人たちはカウンターとして、インディーの更に、暗闇に向かう、ということなのか、もしくはコールドプレイのようなビッグネスへと向かうのか、考えてみると、「どちらでもない」という気もする。

 世界的な金融情勢の切詰まりやロンドンでの暴動、などの諸事がカット・アップで入ってくるニュース越しに、BGMではなく、基底としてフィットしてきそうな音として、今年のセバスチャン(Sebastian)のいささか遅すぎたかもしれないデビューアルバムである『Total』がじわじわと目映さを放つ。

>>>>>>>>>>

 《エド・バンガー》の乱暴な優等生、フレンチ・エレクトロの俊英として、05年のEP『Smoking Kills?』、『H.A.L.』、06年の『Ross Ross Ross』からダフト・パンクやクラクソンズなどの秀逸なリミックス・ワークを経て、そのままシーンの「真ん中」まで突っ走ることができたはずなのに、彼はそうせずに地道なDJワークをこなすことなどで少しずつ名を売っていった。

 そこで、満を持して届けられた今作『Total』は驚くほどに、バラエティに富んだ内容になった。

 メイヤー・ホーソンがフィーチャリングされたポップでバウンシーな「Love In Motion」や電子音の面白さや星が降るようなシンセに耳が奪われるが、形式としてはスマートでアーバンなR&Bで、ロマンティックさも溢れている。「Arabest」においては、80年代的なハウスのユーフォリアにも目配せされており、煌びやかだ。そこに、フロアヒットとなった過去曲の「Ross Ross Ross」などのビートが立ったマッシヴなものも混ざり合いながらも、複雑怪奇な音空間が生成されている。

 と、容易に纏められる内容にはなっている訳でもなく、多種多様な音がスキゾに詰め込まれているところも含めて、どうにも「今」の音だといえる。フル・アルバムを出すのが遅すぎたアフィと比すると、同じ轍を踏んでいるところを彼の場合も感じる。ただ、昨年と今年では、シーンがより内向きになったと見ると、この『Total』はそのジェット・ラグを含めて、今年を象徴する一枚と言ってもいいだろう。なお、"《エド・バンガー》のダークサイド"とまで言われた彼が、2011年のムードの中では非常に健康的に現前しているのが頼もしくもある。全体を通じて、比較されがちなジャスティスに少し足りなかったと思えるセクシーさがあるのもいいし、クラブでもパブでもラジオ・フレンドリーでもあるほど、心地良い息遣いも混ざっており、目玉の一つでもあるM.I.A. がフィーチャーされた不穏で呪術的なヒップホップ「C.T.F.O.」もクオリティが高い。しかし、なにより、全体を通じて貫かれる彼のビート・メイキング越しの暗渠を見つめる美意識内に詰め込まれた様々なカット・アップ、ノイズ、変拍子、ふと混じるエレガントなダンス・ビートの先に、彼の現在のフロア、ビート・ミュージックへの隔靴掻痒たる疑義が提出されているという真摯さに、個人的に胸が疼く。

>>>>>>>>>>

 鮮やかなデビューから6年で辿り着いたフル・アルバムと時代がシンクロ(同期)したと鑑みると、セバスチャンはようやく「始まった」のだろうか。そして、無論のこと、彼はカウンターのままで終わらない。オルタナティヴに「未来の真ん中」を切り拓いてゆくビートメイカーとしての道を進む。快作になったと思う。

(松浦達)

 

 

retweet