Record Shop Django×工藤鴎芽『Mondo』〜奈良にて

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奈良にある、とあるレコード・ショップと、そのコラボレーションCDの紹介です。


投稿してくださったのは、いつもコントリビューターとして様々な音楽を紹介してくれている松浦達さん。


奈良県に行く機会があったら、そして奈良やその近郊にお住まいの方々、是非注目してみてください。


CDの方はお取り寄せも可能だそうです。


(吉川裕里子)



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 音楽に興味ある方、本日奈良を散策中でしたらどうぞ。奈良町のレコード/CD屋です。CD店が本当に残りわずかの奈良県で異彩を放つセレクトCD&レコード店。いつの間にか老舗。国内盤新品&輸入盤&中古。もちいどの商店街真ん中あたりの十字路の角から1軒め。夜8時半まで。


 そんな定期ツイート( http://twitter.com/djangorecords )が巡るように、奈良と呼ばれる場所で独特のセンスで音楽の芳醇さの可能性へ繋げる架け橋となっているレコード/CD屋がある。それは、「ジャンゴ(Django)」という名前で、おそらく店主の松田氏のマカロニ・ウェスタンへの想いを忖度すると、「さすらいのジャンゴ」から来ているのかもしれないが、その店名どおり、音楽業界のうねりの中をサヴァイヴしてきた。


 個人的なことだが、僕は、高校の頃に最初に訪れた。その時は、近鉄奈良駅の近くの町屋で経営していて、所謂、J-POPではなく、渋谷系、ラウンジ、モンド、北欧ポップ、珍しいサントラが並んでいて、その品揃えの半分も分からないまま、ジャケットの良さに魅かれて買って、実際に聴いてみて良くて、血肉化されたものも多い。高校時代は兎に角、お金がなかったので、そんなにお店側からすると、良い客ではなかったとは想うけれど、店内に流れているBGMや店主の話一つひとつ含めて、現在、僕が音楽に「対峙」するときの大きな糧になっているのは紛うことない。「音楽は音楽で、エレガントでポップで、拡がりがあるものなのだよ。」といえばいいのか、分からないが、時代やシーンを背負う音楽も良いとは想うものの、音楽がそのまま音楽として流れる必要性を店長も感じておられていた気がする。


 その後、僕は京都の大学に行き、そして、00年代に入り、You Tubeやi-Podや携帯で音楽を聴く、データで音楽を聴く時代に入ってゆく中で、ジャンゴ自体もその煽りを受け、時折は訪れていたものの、「パッケージ商品を売り捌く難しさ」を悩ましげに語られる店長の顔を見て、僕自身も胸が痛かったが、どうすることもできなかった。最近、僕は細々とながらも、音楽について「語る」機会が増えて、ジャンゴも場所を変えながら、厳しい状況でも続けていっている。ツイッターでも時折、共振することもあったりしながら、奈良という場所でもはや何か音楽を求めようとしても、可能性が少なくなる状況が切り詰まっているのは明らかだった。


 今回、ジャンゴと何か出来ないか、と想い、奇遇な縁で京都に住む工藤鴎芽女史の1周年記念ミニ・アルバムを独占で発売する形式を取り、尚且つ、その総体的なレビューを僕が書くという繋がりが生まれた。つまり、これは自身の想い入れのあるレコード・ショップとアーティストが協力をし、そこに僕がほんの僅かながら、「恩返し」させていただくというささやかな一つの企画だ。でも、何よりも大きい意味を持つ企画であるとも思っている。


 今回、ジャンゴにだけで独占発売される工藤鴎芽のミニ・アルバムは『Mondo』という。


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 モンド・ミュージック、ラウンジ・ミュージックとアンビエント、環境音楽の溝は深かった。


 前者は、B級的なセンスに則られたムード重視の音楽、要は"刺身のツマ"として解釈されてしまうケースが時代の風潮が強く、後者はブライアン・イーノ、ペンギン・カフェ・オーケストラ、エリック・サティの功績もあったのか、芸術音楽としての「思想形態」を示すものとして、例えば、空港に流れるものでは決して無くても、「空港のための音楽」というコンセプト立てが為されれば、そのコンセプトのまま、芸術へと吸収されていった。


 主に00年を折り返してだろうか、日本ではカフェが乱立したのもあり、要はクラブ・ジャズ系の音であったり、流麗なラウンジ・ミュージック、エンニオ・モリコーネやミシェル・ルグランなどのサウンド・トラックが"オン"になるといった状況が起きた。そこに乙女系ハウス、My Space時代以降のエレクトロニカが混ざり、兎に角、耳馴染みが良いものが優先される場所が用意され、カフェのみならず、お洒落なクラブでもi-depやスタジオ・アパートメント、Free TEMPOといった和製ハウスがスピンされ、そこで見えた「倒錯」というのは、要は「高機能的でなければいい」という現象だった。寛ぐために音楽が必要である訳ではなく、音楽があるから寛げる余地があるという切迫が、例えば、〈スキーマ〉辺りの熱狂を集合的な自意識サイドに組み込んだのだろうし、決して面白みがないクラブ・ジャズが流れ続けても、不快にならないという「モード」が00年代後半の不穏さだったのだろう。


 ニコラ・コンテやハイ・ファイヴの音が流れ続けるカフェで、「何も喋らなくてもいい」というのが非常に面白い袋小路を生んだ。思い返してみると、〈渋谷系〉と呼ばれた90年代前半の音楽スタイルはあらゆる音楽を並列にならべた上で、心地良くクールにスイングして、ホットな車の上でスパイを追いかければいい("Cool Spy On A Hot Car")、というイロニー込みのものがあった。しかし、昨今のベタな音楽は環境に馴染むどころか、環境をはじく。「環境をはじく」というのは、それだけ環境が雑音に混じりきってしまった中で、それを除去するだけの柔らかさがないということでもある。


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 さて、ソロ名義、工藤鴎芽として、レコード・ショップのジャンゴとのタッグで出来あがった1周年記念となるミニ・アルバム『Mondo』は、過去の彼女を想うと、意外な印象を受ける方も多いかもしれない。彼女自身、ジャンゴの店のイメージを想って作ったという通り、ボーカルが入った曲は一曲のみ、あとはインストゥルメンタルとして"架空の、セレクト・ショップのためのサウンド・トラック"のような磨かれ方と柔和さを持っている。


 1曲目の「Clock」からまるで、聴く人が聴けば、現代音楽の枠に入っていてもおかしくないミニマルなリズムが刻まれるオーガニックな曲で、途中で電子音が入り、ベースなどが音自体の膨らみをもたらせていくものの、静かに過ぎてゆく低熱の優美さがある。2曲目の「Satisfaction」は歌が入ったハウス・チューン。軽快に音が重ねられていき、アウトロはビートが重なり、弦が入り、ユーフォリックな高揚感をもたらせる。3曲目「Mondo」は、ボサノヴァみたく爪弾かれるギターに打ち込みが入り、ふと目の前の景色と「混ざり合う」繊細な小品。エレガンスに溢れている意味では、昨今の下世話なエレクトリック・スウィング辺りと一線を隔し、ポスト・クラシカル的な温度がある。


 4曲目の「訪ねる」はまるで、60年代から70年代のヨーロッパ映画のサウンド・トラックに入っていてもおかしくないような綺麗な曲だ。ストリートを歩いていく音に、刻まれるギター、ピアノの響き、シャンゼリゼ通りなのかどこか分からないが、シェルブールの雨傘の下で寄り添う恋人の姿も見える。そして、タイトル通りに彼、または、彼女は何処かを訪れるのだが、それは是非、曲を聴いて感じてみて欲しい。5曲目の「泳ぐ」は昨今のフォー・テットやエイ・リリー辺りを想わせるファニーな雰囲気をもったものになっている。ここまでの流れはシームレスというくらい鮮やかだ。


 しかし、一転、6曲目の「Count Down」は深夜のクラブに合うようなダンス・チューンであり、ファンキーな要素もありながらも、70年代辺りのエレクトリック・ジャズのカオティックなインプロもあり、興味深い。7曲目、「Analyse」も前曲と引き続き、ファンクでエレクトリック・ピアノが映えるグル―ヴが前に出たもので、1曲目から通して聴くと、後半に向けてじわじわと獰猛に、熱を帯びてゆく空気感が察知出来る。すなわち、これは『Mondo』というアルバム・タイトルを取りながら、やはり彼女のアーティスト精神から沿うとオルタナティヴな音楽を示した一側面であり、同時に、これまでにない音響工作への意識の高さとポテンシャルを見せたミニ・アルバムになったといえる。


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 イギリスの社会学者ニコラス・ローズは自由に関して「強制的に自由にせねばならなかったのだ」と言ったが、今やパノプティコン型の市場社会が世を囲い込む中、自由に音楽を聴くことさえ、「選ばされている」という危惧が出ている。


 奈良という現在、実物を扱うCD、レコード・ショップが全滅しつつある場所で頑なに自分のセンスに基づき、続けるジャンゴというレコード・ショップと工藤鴎芽という独自の美学を持つアーティストがこういう形でリンクをしたというのを喜びたい。そして、何よりこの音源を皆、手にとって聴いて欲しいのを願うとともに、奈良に来た際にはこのジャンゴにも訪れてみて欲しい。きっと、自分が気付かなかった音楽に出会えることだろうと思う。


※注:7月7日リリース

セレクト・レコード・ショップ・ジャンゴ店頭で購入できます。取り寄せ等も可能。

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(松浦達)

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