R. I. P. Rei Harakami

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エレクトロニカというジャンルにおいて、常にトップを走り抜けていた彼。

関西特有のユーモアを持ち、観る者聴く者を和ませてくれていた。

そんな彼が、急死した。

ユザーンやインナー・サイレンスといった同士や仲間や後輩たちにも大変ショックだったことだろう。もはや今年一番の衝撃だったと言っても過言ではない。

レイ・ハラカミは、たくさんの人々に愛されながら、逝ってしまった。

クッキーシーンからも、ここに追悼の意を表したい。


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「ケン・イシイに影響を受けて音楽を作り始めた」というレイ・ハラカミ。かつていわゆるテクノ好きだった筆者はもちろんケン・イシイの作品も愛聴していた。だが中古屋で安く売られていた1枚のアルバムがあった。確か赤っぽいジャケで海外からリリースされていたと思う。それを聴いたとき、「なんだこれ? らしくないなぁ」という印象しかなかった。だがのちに初めてレイ・ハラカミの音楽を聴いたとき、まさしくそのケン・イシイの安い中古盤の音で、それを革新的なアプローチで全く新しい音楽を作り上げていたのだ。

「これは何と称したらいいのだろう?」と思った。アンビエントというにはリズムやビートも入っているし、かと言ってテクノと呼ぶには奇妙なまでに美しすぎる。結局ふさわしい言葉が思い付かないまま、スコットランドのボーズ・オブ・カナダを聴き、彼らの音楽がUKで「エレクトロニカ」とレヴューされたことから、最終的にレイ・ハラカミは「エレクトロニカ」であるという一般的認知を得た。

 テクノ(=フロア)かアンビエント(=リスニング)かは問題ではなかった。当時その中間がなかった頃、どちらとも言えない音楽を生み出したレイ・ハラカミはシーンにとって非常に斬新だった。きっと海外にも彼の音楽は大きな影響を与えたであろう。更に言えばエレクトロニカというジャンルを生み出したきっかけが彼だったと言っても過言ではないはずだ。

 そんなレイ・ハラカミのデビュー・アルバム『Unrest』は1998年にリリースされた。彼にとって念願の、Sublimeからのリリースだった。Sublimeと言えば当然ケン・イシイをはじめとするテクノ・レーベルで、思い浮かぶのはヒット作「Extra」を含む『Jelly Tones』などの作品。他にも類似するアーティストがたくさん所属しており定期的にDJ/クラブ・イヴェントも開催していた。だがそんな中でのレイ・ハラカミは異色すぎた。音楽界は常にいろんなところで「シーン」が作られていく。レイ・ハラカミは果たしてSublimeに所属したものの「シーン」にどうやって対応していくのだろう、とリスナーとして不安でいっぱいだった。

 しかしそんな心配をよそに、彼は特に海外で多くのライヴを行なった。そして日本ではSonarsound TokyoでのShiro Takatani氏とのコラボレーションが大変素晴らしかった。Takatani氏はダム・タイプという演劇から始まった天才集団の一員だった。ダム・タイプの『S/N』は20世紀における隠れた名盤中の名盤。そんな元ダム・タイプの方とのコラボともなれば見逃すわけにはいくまい。準備万端で、スクリーンとメンバーが見える真正面のいい位置を確保し、ライヴに挑んだ。彼らは期待を遥かに上回った。この年のSonarsound Tokyoの中でも別格のベスト・アクトだったと断言できる。レイ・ハラカミの奏でる浮遊感とアンニューイな雰囲気とハッピーな雰囲気に、見事なまでにシンクロする映像。3面を用いたスクリーンで、ときに全体を一つに使い、ときに1面ずつ違った映像を流し、常に2人とも「流れる」「動く」というアートを展開してくれた。これはDJだけでも成り立たない、映像だけでも成り立たない、レイ・ハラカミのライヴにおいて1、2を争うアクトだったのではないだろうか。

 そして今年2011 年、フジ・ロック・フェスティヴァルに行った際、伝言板(ほぼ落書き板)に「R. I. P. Rei Harakami」という文字を見た。目を疑った。まさか冗談だろう。とはいえ本当だったら...と3日間動揺を隠せずにいた。それから東京に帰ってきてすぐに調べたところ、まさかの事実だった。7月27日、脳出血により急死。我々は大切な人を失った。原神怜、享年40歳。若すぎる死に、深くご冥福をお祈りいたします。

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