OGRE YOU ASSHOLE 『Homely』(Vap)

OrgaYou.jpg  この『Homely』を聴いて感じるものは、何故かジャック・フィニィの『盗まれた街』の読後感だった。クラシックSFなので、周知の方も多いだろうが、アメリカの田舎の町で、自分の親や知り合いを「彼らは本人ではない」と言いだす住民が増え始める。そういった状況に対して、主人公である医者とその愛人は、調べてゆく中で人間に豆の莢(さや)のようなものを見つける。これ(異星人)が人間を「侵略」し、その人間に「取って代わっている」ということが分かってから、少しずつ現実が軋み始める。

「よく見知った」人たちが「全く違う誰か(異星人)」になってゆく過程内で、誰が脳を侵略されているのか分からないまま、で、芝居かリアルか分からない境界線が曖昧になったままで、他者への不信と恐怖が主人公たちを心理的に追い込み、愈よ"となりの町(ここではない、どこか)"へと逃げだそうとする際に、見知った街の「知人たち」が大勢で追跡してくるというラスト・シーンで「沸点」を迎えながらも、後を引く皮膚感覚がある。こういう侵略を隠喩に置くとして、それまで「そう」と思っていたものが「そう、ではないこと」、「そう、と演じられていたこと」に向き合い始め、人間が認識の閾値を切り替えるとき、心理的な恐慌が静かに沸き立つ。何故ならば、そもそも自分としての誰かは、いつも自分で、自分のことを知っている「つもり」になっている訳で、その前提条件を規律や方策、ときに法律、暗黙の積み重ね、書面、絆、などの様々な可視・不可視的な要素と因子で「確認」しては、追認する。しかし、自身のことを想おうとするほどに、いつの間にか他者との「関係性」の曖昧さを綴っていることになる。

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 自分というものが、元来、他者との比較においてしか芽生えないということはラカンに指摘されずとも、その「知っている」という自分の中での取り決めごとが病的なレヴェルではない、緩やかな「かもしれない」に浸食されてゆくとき、静かに視界・認識が歪む。その歪みを『盗まれた街』のようなSF的な怖さではなく、サイケデリックな現実の"その隣"として、オウガ・ユー・アスホールはこれまでも柔らかく描写し、聴き手側の固定観念のバランスを仄かに崩してきた。

 前作にあたる昨年のミニ・アルバム「浮かれている人」での、デモーニッシュ且つ独特の"揺れ"と言語感覚は多くの人たちの切実なリアリティをカラフルに屈曲させた。奇妙なコーラス・ワークに乗っての《次のイメージを出来ない 怖さの方によって 進んだ その先を選び分けるんだろ 伝わる物陰で 曖昧な日を過ごして 潜った その先を書き替えて立ってたよ》(「タンカティーラ」)というように、街を「盗んでしまう」センスは極まっていたが、今作では、サイケデリックなバランスや柔らかいAOR調の曲や後期フィッシュマンズのような彼岸のような洗練されたリズム、ダヴィーなサウンド、ゆらゆら帝国が最後に見せていた「引きの美学」にミニマルなビートが反復されるようなものなど、よりサウンド・ヴァリエーションは増えながらも、締まったストイックな印象を受ける内容に帰着している。

 ムーディーで洗練された展開さえを見せる9曲の音世界はまるで、都会のカフェで流れていても、現代のシティーポップスとして収められても違和がないくらいスムースな質感もあるがそれでも、日本のロック・ポップスに必ずといっていいくらい仕掛けられている分かり易いフック・ラインがほぼない、という点からして、シームレスに9曲が繋がっている空気感があり、その空気感も、昨今のトレンドのハイファイでクッキリ輪郭の立った音ではないところも興味深い。強いて言うならば、2曲目の「ロープ」が象徴するように、カンやファウスト辺りのクラウトロックの影響が伺える曲もいいが、女声ナレーションで始まる3曲目の「フェンスのある家」、4曲目の「ライフワーク」のAORやイージーリスニング的な舵取りを途中で、静謐な過激さで微妙に音像を変成させてしまうポイントが今作の肝かもしれない。

 なお、触れておくと、このアルバムのレコーディングに入ってから、ベースの平出氏がバンドを脱退しており(1曲では、彼名義のベースがあるが、他はギターの馬渕氏がベースを弾いている)、前作と同じく彼らの長野の地元スタジオで録音されている。インタビューでは、ギター/ヴォーカルの出戸氏は飄然と、「居心地の良さと悲惨な感じの同居を目指した」、「確実に何かが朽ち果てていっている感じ、それを更に俯瞰で見ていながらも、その朽ち果てている中に自分も居るシリアスさもある」というようなことを言っているとおり、実のところ、今までの彼らのキャリアを振り返ってみると相当、異色性をおぼえる人も居ると思うくらい、「捉えづらさが明確化している」内容にもなっている。決して、前ミニ・アルバムの『浮かれている人』との地続きの感覚はない。今回のアルバムの曲は、3月の震災前に書かれたようだが、震災後、数箇月経ち、問題は山積していながらも、フラットに仄暗く日常は進んでいる。

 そのような「日常」に近接しているところが大きくあり、これまで、非日常への近道を探すことで日常からの遠回りを見せていた彼らの世界観が淡いファンタジーやエスケーピズムへ機能していたと言えるとしたなら、『Homely』における"揺れ"は、より日常の内側で籠る熱が圧縮されている気さえおぼえる。

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 つねづね、ビルト・トゥ・スピル、モデスト・マウスやアニマル・コレクティヴなどUSインディに目配せし、シンクロ(共振)してきた彼らのことだから、昨今の一つの潮流であるチルウェイヴへの意識も少しは含まれているのかもしれないが、決してこれは、代名詞的な"ヒプナゴジック・ポップ"ではなく、バンドとしての一体感と人力のリズム、グルーヴに拘ったものでもあり、その気骨こそが彼らをより先へとフロート・オンさせてゆく逞しさを感じる。

 派手な意匠がない分だけ、賛否両論を分けそうな作品になったが、オウガ・ユー・アスホールというバンドがますますオンリーワンであり、オルタナティヴな存在だということを示した意味で、僕は積極的に評価したい。

《やわらかい所に 埋まっていくように 注がれていった このままでいたいな 変わらない所に 集っていくように 囲まれていった このまま横になるよ》(「ライフワーク」)

(松浦達)

 

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