スピッツ at 大阪城ホール 2011. 7. 15

 かつて<<輝くほどに不細工なモグラ>>(「クリスピー」)と自らを形容したモラトリアム・ナード青年だった彼らが、アリーナという場所で一つのショーを提示すること。しかも、純粋ゆえのフェイクを歌い切った『とげまる』というアルバムを中心に展開されること。それは、彼らのもつ「真摯な背徳」を最大限に活かし、アップビートな曲を基軸に構成されたセットリストでオーディエンスを熱狂とともに知らず知らずの内に共犯へと誘うことを見事に成功させてしまった。『とげまる』の「まる」の部分を示す「聞かせてよ」から始まり、アルバムと同じく「君は太陽」の<<理想の世界じゃないけど/大丈夫そうなんで>>という最上の背徳的甘美の一節で幕を閉じる本編を観ただけで、ナード男子であるまま世界と対峙してきた者の見せる、どこかで決定的に歪んだいびつながらも素晴らしいポップの世界であった。


 なお本記事は基本的に『とげまリーナ』ツアーで3日に及ぶ大阪公演の2日目にあたる7月15日の公演についてのライヴ・レポートであるが、僕は1日目である7月12日の公演も個人的に鑑賞していたので、その1日目も含めた上でレポートさせていただくことをご了承願いたい。


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 前アルバム『さざなみCD』のツアーまで、アリーナで演奏することを回避してきた彼ら。前述のように3日間にわたる同地でのアリーナ公演にも関わらず、初日と変わらず幅広い年齢層のオーディエンスが広大な大阪城ホール内を見る見る内に埋めていく。メンバー自身が選曲したのかは分からないが、開演までのBGMとしてザ・ドラムス「Best Friend」やティーンエイジ・ファンクラブ「Alchoholiday」といった曲が流れている(1日目にはこれらに加えてフランツ・フェルディナンド「Do You Want To」なども流されていた)こともあり、はやりすぎることもなく落ち着いた心持ちで開演を待つことができた。

 

 広い会場を万遍なく照らす明るい客電がゆっくりと消えていき暗転すると、ゆっくりとメンバーが現れ、拍手と閑静が静まるとおもむろに「聞かせてよ」が始まる。アリーナを前にしてこの曲が幕開けとして配されることは、一方的に自分たちのステージをみせるだけのスタンスでは決してなく、<<聞かせてよ/君の声で/僕は変わるから>>と歌われるサビ同様に、「あくまでステージとオーディエンスの相互作用によって成り立つ空間であるのだよ」と意志表明をしているように響く。それを示すかのように、ライヴの始まりとしてはゆるやかな曲調であるが、オーディエンスも皆、早くから手拍子で応じている光景が微笑ましい。もちろん先の一節のあとに<<新しい甘い言葉で/愚かになりたい>>と言葉が連なることで、自らの世界に誘い込んでいるようでもある。その穏やかな空気から一転して、草野マサムネ(ヴォーカル、ギター)がタンバリンを持ったことにより、突如鳴らされたのは「俺のすべて」。これまではライヴの中盤や終盤に配され大きな盛り上がりをみせることが多かった曲であるが、いきなり2曲目にもってきたことは、自分の歪んだフェティシズムをいきなり曝け出しているようでもあり、前曲で誘われたオーディエンスを否応なくより奥へと引きつける。それまで定位置を守っていたメンバーも間奏などでは、早々にステージを縦横無尽に駆け回る。タンバリン片手の草野が煽り、三輪テツヤ(ギター)が特徴的なアシンメトリーのヘアースタイルを振り乱しながら緻密にメロディーを奏で、メンバー1暴れ回りながらも田村明浩(ベース)が図太いベースを打ち鳴らし、﨑山龍男(ドラム)が卓越したテクニックで間奏をキめ、それらに乗っかかった毒っ気を帯びた歌詞のコンビネーションが素晴らしい。臨場感もそのままに「恋する凡人」がストレートな衝動として響き、「ビギナー」へと繋がる。アルバムとしては幕開けの曲だけあって、どこか配された位置が曖昧な印象も受けたが、前曲に続き己がもつ無垢ではない上での純粋性を改めて提示されているようにも感じた。


 「蒸し暑い平日なのにスピッツを観に来てくれてありがとう」という草野の簡単なMCを挟み、名曲「ロビンソン」が演奏される。精密なドラミングと安定したメロディーが綺麗だが、続いたのは「幻のドラゴン」、「メモリーズ・カスタム」で煽情的な焦燥が響く。極めつけは「TRABANT」だ。<<フェイクの味に酔い/部外者には堕ちまいと/やわい言葉吐きながら/配給される悦びを/あえて疑わずに>>という歪んだ情念が前曲の勢いに乗り鋭利に突き刺さる。この曲はハコ級の会場の方が、即効性をもって届くのではないかという懸念もあったが、アリーナでも妙に冷めたオーディエンスを敢えて突き放して鳴らされているようで、曲自体のもつ非情さが絵になっていて、クールだった。


 「あまり最近演ってなかった昔の曲を」として、「冷たい頬」がプレイされると、アート好きな青年だった彼らの切なさがホールに満ちて、そのアンバランスさが逆に面白い。それは続いた「猫になりたい」も同様で、元々閉じた世界観を誇る両曲だが、開かれた会場で鳴らされることが<<消えないようにキズつけてあげるよ>>という歌詞も相まってアリーナ全体が甘美に沈み込むようだ。アリーナ用に自分をコーディネートするのではなく、普段のひねくれたフェティシズムを臆面もなく晒しているようで、安心できる。


 草野が「実はスピッツの初ライヴは7月17日で、今年でバンドは24年目。2まわりもしちゃってるね」と明かし、「そんなに大きく変わってもないけど、どうなんでしょう」などと良い意味で、ぐだぐだまったりとしたMCをはさみ(1日目は、これに加えて「アマチュアの頃は自分のバンドの目立ち方が分からなくなくて、(ライヴに)虫取り網を持って登場したことがあって、最前列のお客さんに被せたりしていた」などという、これまた彼ららしいエピソードが語られた)「アマチュアの頃から演ってる曲を当時のアレンジで演ってみます」とし、ビートパンク然とした「鳥になって」へ。続いたのが「ラズベリー」となるとモラトリアムの妄想が爆発寸前に膨れ上がっていくのを直に感じるようだ。言うまでもなく「鳥になって」で鳥になるのは、僕ではなく君で、ただただ僕を救済してくれる存在を歌っている情けなさがあるし、「ラズベリー」についても引きのきいたエロティックな歌詞だが、サビで歌われるのは<<もっと切り刻んで/もっと弄んで>>なので、やはり情けない。しかし、それがアリーナを前に歌われると、へっぽこながらもどこかで確信的な真理を打ち鳴らしているかのように映るのは錯覚ではないだろう。「ウチらは、これしかできないし」という卑屈じみたものではなく、「こういうことをいつも思っているけれど、それをもってここまで到達したんだよ」と言うようなナードのまま、それを鳴らし続けることで、色んな物を見て来たんだと強く現れているようだ。「ヒバリのこころ」がプレイされると、そのこんがらがった青い叙情がさらに説得力を増す。<<水槽の熱帯魚から/離れられなくなっていた>>というセンチメンタルも、閉じたものとしてではなく、普遍性をもった感傷のように響くのはアリーナのマジックだろうか。


 大阪でのオフの日の観光の思い出を語ったあとに「しんみりした曲が続きます」と草野のMCのあとに「ガーベラ」「新月」がプレイされる。幽玄で神秘的な夜の世界を映し出すがバンドのサウンドは力強く頼もしいくらいに届いてくる。おもむろにプレイされた「ジュテーム?」は明らかに、今回のショーのハイライトの一つと言えるだろう。素朴な演奏に<<君がいるのはステキなことだ/優しくなる何もかも>> 、<<君がいるのはイケナいことだ/悩み疲れた今日もまた>>と歌われるその空気は虚ろに歪んでいたし、『とげまる』の世界によってまた違う色づけをされたように強かに鳴らされており、最もこの曲が映える瞬間なのでは、とさえ感じた。


 「シロクマ」、「つぐみ」と清々しさと温もりをもった優しいメロディーが続いた後に、「どんどどん」がプレイされるとこれまでの曲との対比が面白い。ひねくれたセクシャルな衝動でもって突き動かされるような、この曲は序盤の「恋する凡人」のストレートさとは全く違うものであるし、この曲がアルバムにおいてもライヴにおいても妖艶なアクセントになることを証明しているようだ。


 「みんな、スピッツとともに探検に出てみないかね?」と草野がMCで煽るとアップビートな曲が惜しげも無く連発される探検モードに突入する。もちろん「探検隊」が始まり、田村のストレートなベースラインと草野の透き通ったハイが際立つ。お得意の田村のベース・ソロを起爆点にして「けもの道」がプレイされると、ホール全体が開かれていくような感覚に陥る。だが、そんなオープンになった空間で歌われているのが、<<可愛いつもりの/醜いかたまり/まだ/これから>>となるのだから、確信的な笑みも止まらない。それはメンバーのパフォーマンスにも現れていて、草野は得意げにシャウトし、田村にいたってはベースを縦に、横に振り回し崎山に擦り寄ってシンバルを叩いて回っている。印象的なアウトロが鳴り終わると、間髪入れずに三輪のギターが印象的なパワーコードを掻き鳴らす。「トンガリ'95」だ。ねじれてとがった焦燥が行き着いた先は、「8823」。ライヴでの大盛り上がりの定番曲であるが、この流れを受けたこともあり、爆発的な衝動は収まるところを知らない。草野が<<君を不幸にできるのは 宇宙でただ一人だけ>>と歌うと、田村はステージを右左前奥など問題ではないと言うように爆裂に暴れ回る。シンバルを叩き、三輪に詰め寄り、最後には﨑山の裏を通ってクジヒロコの眼前を通り抜けた。


 「素敵な探検だった」と草野が呟き、探検モードが終了した後に残されたのは、本編ラスト曲、「君は太陽」。力強くストレートではあるが、<<こぼれ落ちそうな/美しくない涙/だけどキラッとなるシナリオ>>で彩られ、オーディエンスもその純粋な背徳を共有している。冷静に見れば、カオティックな光景ではあるが、それはスピッツの成せるところ。そんないびつな空気もポップにコーティングし、冒頭に記した最後の一節も力強く鳴らせる。やはり、このアルバムのツアーの本編は、この曲で完結しなければならないだろう。


 アンコール1曲目に配されたのは、今となってはかなり懐かしい曲である「海とピンク」。これも生真面目なぎこちない2人の情事を思わせる閉じ気味の曲だが、その仄かな情欲を飾らずホールに響かせるところが、やはり彼らはいつまでたっても変わらないことの何よりもの証明だろう。メンバー紹介の後に最終曲としてプレイされるのは「チェリー」。一見、この流れから似つかわしくない選曲のようにも思えるが、<<ズルしても真面目にも生きてゆける気がしたよ>>との節だけが、この甘美な共犯の終わりを示せる言葉であるように思える。


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 アリーナ公演であってもMCも気取らずいつも通りの自然体でいる彼らを見ていると、やはり冒頭で書いたようなナード青年だった彼らがそのまま変わらず練り上げた世界を見せていることを再確認できた。それは下手に貫禄のある演出よりもよっぽどオルタナティヴな毒を持っているし、それこそがスピッツの成せる最上のポップ・センスであると言えるだろう。構成としては、基本的に新譜の世界観に忠実に過去曲を繋げていくようなスタイルだった前ツアーに比べて、新曲のテイストを元にして過去曲に新たな色づけをするようなライヴであった。「不細工なモグラ」たちがそのままホールと言う空間にいる全ての人を巻き込んで歌になること、その背徳的な快楽が『とげまる』のカラーを飛び越え、ある種の普遍性をもった妖しい蜜をぶちまけていくような感覚をもったし、それが閉じた陰険なものでなく、これこそ一つの答えなのだと言うように力強く打ち鳴らされている空間が素晴らしかった。


(青野圭祐)


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