それに関して、読者のかた(「Private Top 10s Of 2010」にも投稿してくださった、たびけんさん)から貴重なご意見をいただきました!
なるほど! と感心しました。もちろんぼくにはぼくの意見があるのですが、ここ(「The Kink Controversy」)は、その名のとおり「討論」の場。あえて自分の意見は併記せず、そのまま掲載させていただきました。たびけんさん、ありがとうございます!
さて、みなさんはどう思われますか?
奈良にある、とあるレコード・ショップと、そのコラボレーションCDの紹介です。
投稿してくださったのは、いつもコントリビューターとして様々な音楽を紹介してくれている松浦達さん。
奈良県に行く機会があったら、そして奈良やその近郊にお住まいの方々、是非注目してみてください。
CDの方はお取り寄せも可能だそうです。
2011年9月9日更新分レヴューです。
"チルウェイヴ"という言葉が生まれ、多くのリスナーはそこに"現実逃避"を求めた。ウォッシュド・アウトやネオン・インディアンなどが注目を集めるようになり、同時に様々な議論のネタになった。"現実逃避"のみを対象とすれば、『Bon Iver』で「ボン・イヴェールこそが居場所」としたジャスティン・ヴァーノン。"歌声"という聖域を犯しながら、そこに新たなソウルを宿して見せたジェームズ・ブレイクなども"現実逃避"的な音楽を鳴らしている者達だろう。他にもブリアルやアニマル・コレクティブなど、ここ数年で枚挙にいとまがないくらい"現実逃避"的な音楽は生まれ続けてきた。
僕自身こうした流れをポジティブに捉えている。というのも、従来の逃避、つまり現実に背を向け見て見ぬフリをしてきた逃避とは少し違うものを感じるからだ。様々なものが複雑になりフラット化していくなか、多くのものが見えづらくなってしまった現代において何かしらの仮想敵を前提としたカウンター・カルチャーは形成されにくくなった。それは一見すると敵がいない平穏な世界に見えなくもないが、ご存じの通り世界は閉塞感で窒息死寸前だ。悪くなる一方なのに、その原因が見えてこない。そんな状況で"現実逃避"という手段は前向きでポジティヴな意味合いを纏っていくのは自然であり、希望を残しながら戦うためには必然の流れだった。謂わば"現実逃避"とは、己の中に渦巻く感情や思考などをアーティスト自身にとっても分かりやすく外在化するために都合の良いキーワードであり、そこに内包される音楽は何でもよかったのだ。つまり、現実に対してネガティブ・トランジション(攻→守への切り替え)をするための殻として、"現実逃避"が担ぎ出されたと考えられる。
そして、22歳のイギリス人マルチ奏者Chris Wardによるトロピクスのアルバム『Parodia Flare』は、次の段階であるポジティブ・トランジション(守→攻への切り替え)への移行を素晴らしい音楽と共に宣言してくれる。レコードショップでは"チルウェイヴ"の棚に並べられるかもしれないが、秘境的な雰囲気と極上のサイケデリアを生み出すと同時に、透明度が高い音像と開放的なユーフォリアが鳴らされている。甘く心地良いメロディが特徴的な「Going Back」「After Visiting」。アズ・ワン「Soul Soul Soul」を想起させる「On The Move」など、叙情的かつトワイライトでムーディーなグルーヴがアルバム全体を覆っている。しかし、カーテンの向こう側で申し訳なさそうに音を鳴らしているのではなく、むしろ聴く者を優しく励ますような親近感が、力強く前向きなエネルギーとなって前面に出ている。往年の《Planet Mu》リスナーも唸らせるアンビエントな電子音に、淡いセピア写真のようなギター・サウンド。管楽器などの生音を上手く調和させているプロダクションも特筆すべき点だろう。USインディー的なチルウェイヴとは違うどこかヨーロッパ的な空気もあるけど、トロピクスは《Planet Mu》が新たなインディー層を取り込む際に間違いなく重要な働きをするはずだ。
冒頭で説明した意味における"現実逃避"は終わってしまったかもしれない(例えば、"ウォッシュド・アウト『Within And Without』は現実逃避(チルウェイヴ)を終焉させる"みたいな意見も多かった)。しかし、それではあまりにも救いがないように思える。激しさを伴ったものではないものの、ゆっくりと着実に1歩1歩前進していく非常に堅実な「抵抗」とダイナミズムが、『Parodia Flare』には刻まれている。そしてそれは、自分たちのエンパイアを築き上げながらも、現実と融和し和解しようとする新たな「戦う逃避行」の始まりに見えなくもない。『Parodia Flare』とは、そんな希望へと向かうアルバムだ。
ハード・ファイの日本における評価は低すぎる。何なら世界における評価も低すぎる。彼らはときにアークティックよりも称賛されるべき存在だと個人的には思う。スウィングトップにジーンズ姿で「おれは週末のために生きている」なんてジャストなフレーズを繰り出すリチャードの姿は、カリスマ以外の何物でもない。歌はびっくりこくくらい下手だけど。労働者階級のキッズの代弁者であり、たくましき野心の持ち主である彼らの新作は、スチュアート・プライス(マドンナ、キラーズ)やアラン・モウルダー(マイ・ブラッディ・バレンタイン、ヤー・ヤー・ヤーズ)、グレッグ・カースティン(リリー・アレン)らをプロデューサーに招き入れた意欲作。なかでもスチュアートの起用は意外だった。やはり前二作よりも四つ打ちのリズムとシンセサイザーは目立つが、プロデューサーの色にハード・ファイの個性が圧勝しているので、いままでのファンが困惑の色を浮かべるようなことはあまりなさそう。
初っ端から「お前はいったい何の役に立っているんだ?」と問いかける「Good For Nothing」がとんでもない。これで今年ナンバー1アンセムのポジションはおそらく最後まで揺らがないだろう。新世代のレベルミュージックと言っても良い。しばらく鳴りを潜めていたと思ったら見事に現代のクラッシュになって帰ってきた。彼らの曲を聴いていると何か行動を起こしてやろうという気になる。そういえばこの前のイギリスで起こった暴動って、何かBGM的なものはあったのかな。別にあんな略奪だらけのクソみたいな暴動に彼らの曲を使ってほしいなんて思わないけどさ。いや、でもあれもティーンの叫びだぜ? モラルがないとか、政治的意図がないとかいうけどさ、ないよねそんなもん。持つような環境じゃないんだから。それで未来がないんだから。ずっと精神的に虐げられて、何の形でも良いから自由を掴みたかったんじゃないかな。そんなキッズの希望になるような音楽を作れるのはコールドプレイじゃなくて、アークティック・モンキーズとかビーディー・アイとかハード・ファイなんだから、もっと彼らをまともな方向に連れて行ってやって欲しい。
相変わらずアルバムの曲にはコール&レスポンスの要素が満載。ライヴハウスが新作のナンバーで熱狂の渦に包まれるところを一刻も早く目撃したい。一際シンセ色が強い「Love Song」とか盛り上がりそうじゃない。イギリスのキッズも決して希望を失わずに「Good For Nothing」を全力でシンガロングして、自分たちはぜったい「Good For Nothing」な人間になんてなってやるものか、と思ってほしい。ぬるま湯みたいなこの国で育った私がこんなこと書いても1ミリの説得力もないかもしれないが、なぜかわたしもハード・ファイのようなバンドが持つ精神性と共鳴する部分が多いから、最終的にはこういう音楽が勝利を収めるんだ、と思って今日も生きていこうと思う。