樋口毅宏『テロルのすべて』(徳間書店)

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『テロルのすべて』.jpg 1945年8月6日、広島市に原子爆弾リトルボーイがB-29(エノラ・ゲイ)によって投下された。3日後、8月9日、長崎市に原子爆弾ファットマンがB-29(ボックスカー)により投下された。同年8月14日、日本はポツダム宣言受諾し、翌日8月15日に玉音放送により国民に発表された。

 『さらば雑司ヶ谷』『日本のセックス』『民宿雪国』『雑司ヶ谷R.I.P.』を発表している小説家・樋口毅宏が放つ五冊目は日本に核爆弾を落としたアメリカに対する一人の若者の復讐劇『テロルのすべて』だ。

 福島原発のメルトダウンを含む現在の原発問題は解決の行方が見えないままだ。かつて忌野清志郎はRC サクセション「SUMMER TIME BULES」で原発批判をした。地震と原発で揺れるこの2011年に誰もが起きないと思っていた事が起き、世の中の仕組みが、わたしたちの住んでいるこの国や企業の利権や思惑が放射能と一緒に知らされなかったものも放たれた。騙されていたのか? いやきっと知ろうとしなかった、あってもない事にしていたものが目の前に一気に目に見える形で現れ問題を突きつけている。

 地震の後に多くの小説家やミュージシャンは自分たちの言葉や音楽を失い、途方に暮れてしまった。樋口氏は読切り小説誌『FeeL Love』の「2011.3.11 そして、いま私が思うこと。」のコラムでみんな自分たちのしている事(小説)がそんなに大層な政治的なものだと思っていたのか? と小説を書くのは生活のためと少々の見栄が欲しいという旨に近い事を書かれている。こちらも読んでもらえると小説家・樋口毅宏という作家の姿勢がわかる。

"自分たちの都合のいいようにルールを決め、今なお世界の覇者気取りで澄ましているアメリカを、僕は心の底から軽蔑している。嫌いじゃない、大ッ嫌いだ。では、弱者が取るべき行動は何か。自分より弱者を見つけ、叩くことではない。強者の脳天に斧を振り上げることではないだろうか。そう。テロルこそもっとも有効な手段なのである。アメリカに、××を落とすのだ。注目の異才がどこまでも過激に紡ぎ出す、テロリズムまでの道のり。" (AMAZON 作品紹介より)

 僕が福島原発の爆発等の一連の流れをテレビで見ていて思っていたのはかつて長谷川和彦監督が作った『太陽を盗んだ男』のような作品がきっと出てくるだろうと思っていた。この作品まだ観たことない人は観てください。内容は中学の理科教師である城戸誠(沢田研二)が原子力発電所から液体プルトニウムを強奪しハンドメイドの原爆を作りそれで政府を脅迫するというもの。監督の長谷川氏は母親の胎内にいる時に広島で胎児被爆をされている。

 『テロルのすべて』の主人公はアメリカ・ボストンの大学で学ぶ、そこには世界屈指の優秀な学生ばかりだ。アラン・B・クルーガー『テロの経済学』によると「貧しくて教育レベルが低いひとがテロリストになる」というのは間違ったイメージで実はその真逆で「少なくとも中流以上。教育を受けてきたエリートがテロリストになる」と述べているが彼はその事に同意する。さまざまなテロ行為事件を起こした人物たちがそれに当てはまるからだ。彼もまたそうだった。

 主人公の宇津木が日本の大学に通っている時に唯一心を許せた友の名前は「長谷川誠」だ。この作品が長谷川和彦氏に捧げられているのは読むとわかる。

 文学における現実をどう描くか、希望と絶望をどう捉えるか。小説家は今どんな物語を書くのか。優しい、癒しだけが必要ではないと思う。悲惨な現状を前にしてもそれよりも悲惨な絶望を見ることで読む事で癒されてしまうということもあるし、世界の成り立ちに牙を剥き、勢いで突き進むスピードこそが救いになるということもあると僕は思う。

 地震の後の原発問題で誰かが長谷川和彦監督『太陽を盗んだ男』のようなアイロニーと強烈な意志を持った作品を作るだろうと思ったら樋口毅宏『テロルのすべて』でやっていた。今読了したけどゴジさんに捧げますって。意志は引き継がれる。と僕がtwitterでつぶやいたら樋口さんに返信していただいたのが、「僕がやらないで誰がやるのだろう?」だった。

 この夏、『テロルのすべて』と『太陽を盗んだ男』をどちらが先でも後でもいいから読んで観てほしい。このふたつを読んで観て何も感じない人はきっと幸せな人生を歩んでいくだろう、そして一生目に見えない誰かを踏み台にして(そんな想像力もないのだろうけど)痛みも感じずに暮らしていけばいい、そして一生僕の目の前に現れないでほしい。

(碇本学)

 

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