ATARI TEENAGE RIOT 『Is This Hyperreal?』(Digital Hardcore / Beat)

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 去年のサマーソニックにおける、アタリ・ティーンエイジ・ライオットのライヴはほんとに凄まじかった。アレック・エンパイアは相変わらずのキレっぷりを見せつけてくれたし、「カオス」という言葉が相応しい熱狂と歓喜に満ちていた。そのライヴで見せてくれたパワーがさらに増していることを、オリジナル・アルバムとしては12年振りとなる『Is This Hyperreal?』は教えてくれる。

 以前鳴らしていたドラムンベースなどの要素はなくなり、アレックがルーツとするテクノの要素が目立つ内容となっている。アルバムの多くを占める荒々しいノイジーな曲とは裏腹に、ひとつひとつの音は丁寧に作られた洗練に近いものを感じる。それはキャリアを通して、優れたIDM(インテリジェント・ダンス・ミュージック)やアンビエントを生み出してきたアレックだからこそできる芸当だ。政治・社会性溢れる刺激的なメッセージに隠れがちだが、アタリ・ティーンエイジ・ライオットの音楽は、サウンド・プロダクションにも目を見張るべき非凡なものがある。

 だからといって、彼らのメッセージや表現方法について無視するわけにもいかない。音楽リスナーのなかには、政治性が強い音楽を嫌う者もいるが、音楽という表現は「自身の内面」を出発点としている。もちろん外部からの影響はあるが、その影響も結局は「自身」というフィルターを通過するし、もしその「自身」が様々な政治的意見や背景に囲まれた環境で育った者であれば、むしろ強い主張は当たり前とさえ言える。これらが起因としてあるから、アタリ・ティーンエイジ・ライオットの音楽とメッセージには説得力が宿っている。彼らにとって、音楽も政治もあくまで「日常の一部」でしかなく、好きなものであり追求するものであっても、決して盲信するものではないし、権威化や特権化して分ける対象でもない。しかし、「日常の一部」だからこそ、音楽という方法で我々とのコミュニケーションを求め、手を差し伸べてくる。これは彼らのライブを観れば、さらにハッキリと実感できるはずだ。もし、そんなアタリ・ティーンエイジ・ライオットのことを未だに「異端」としてしまう世界だとしたら、我々のほうがおかしいのかも知れない。『Is This Hyperreal?』は、そんな疑問を抱かせるだけの力がある。そして本作は、前述したように12年振りのオリジナル・アルバムだ。12年経ってもまだ有効なのである。この事実をどう捉えるべきか、僕も本作を聴きながら模索しているところだ。

 (近藤真弥)

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