ニコラ・コンテ『ラヴ&レヴォリューション』(Impulz! / Universal)

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  まずは、タイトル名とその鮮やかな色彩のジャケットに目を奪われる。

"LOVE & REVOLUTION"という大文字を見て、そこで何故&の次に"PEACE"が来なかったのか、僕などは彼の代表作でもある『Other Directions』のシックさと既存のジャズではない、その他を目指そうとするオルタナティヴなセンスをして、マル・ウォルドマンとは別文脈、語義で"レフト・アローン"的な何かを求めていた部分があるが、それは良い意味で裏切られた。そして、いわゆる、クラブ・ジャズの実質的な終焉を示した作品としては決定打となるだろう。00年代後半から雨後の筍のように溢れたクラブ・ジャズとしてカテゴライズされた、打ち込みが混じり、スムースなジャズ・テイストのサウンドの機能性の「限界」を打ち破るのは何よりその名称を嫌っていたニコラ・コンテだったというのも興味深い。

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 彼は、ミュージシャンであるが、コンポーザー且つ、DJとしての資質も強い。

 だからこそ、エディット感覚も優れており、今回でも多くのフィーチャーされたアーティストを束ね上げ、適する場所に配置するのも絶妙だ。ちなみに、前作の『Rituals』から引き続いた参加アーティストは、ボーカリストとしてはホセ・ジェイムズ、アリーチェ・リチャルディ、トランペットのティル・ブレナー、ファブリッツィオ・ボッソ、ピアノのピエトロ・ルッス、バリトン・サックスとフルートのティモ・ラッシー、ドラムスのテッポ・マキネン、コンガとパーカッションズのピエルパオロ・ビゾーニョなど鉄壁の面々が揃い、今作では、ジャイルス・ピーターソンも絶賛していた女性シンガーのナイラ・ポーター、パートタイム・ヒーローズ、ネクストメン、ダブレックス・インク等々でフィーチャーされてきたガーナ系イギリス人の女性シンガーのブリジット・アモファーから、2011年のグラミー賞のベスト・ジャズ・ヴォーカル・アルバムにノミネートされたのも記憶に新しい『Water』でデビューした気鋭の男性シンガー、グレゴリー・ポーターといった新顔が涼しげな風を吹き込んでいる。勿論、ボーカリスト以外にも、サックス・プレイヤーとしての実力も評価が高いマグヌス・リングレンやクワイエット・ナイツ・オーケストラのリーダーでトロンボーンを扱うピーター・フレドリクソンなど多岐に渡すメンバーがそれぞれに良い働きをしており、色彩豊かな作品内に奥行きとふくよかさを付与することに貢献している。

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 今作は、ヴォーカル・トラックが主軸になっており、ウォームでオーガニックな空気感が全編を漂う。まず、吃驚するのが、冒頭の「Do You Feel Like I Feel」だろう。これは、ニューソウル的な雰囲気もあり、非常にスムースで、グレゴリー・ポーターの歌声もダニー・ハサウェイのようでソウルフルだ。これまでベースとしては、モード・ジャズを推し進めてきたニコラ・コンテの姿勢を知る人からすると、「モード」ではなく、よりポップ且つソウルフルな温度を手に入れたかったのか、と思うかもしれない。しかし、"黒さ"とは無縁と言っていいだろう、センスの良さとエレガンスなサウンド・メイキングが醸しだす音風景にはどうにも洒落た夜のバーやカフェに合うようなムードとたおやかでメロウで程よいクールさが備わっている。レアグル―ヴへの目配せがされた上で、更にリズムの細かさやグルーヴにセンシティヴになったのが伺える結果として、アシッド・ジャズのような「Black Spirits」からパーカッシヴで躍動的な「Ghana」、静謐なピアノが柔らかく女性ボーカルと絡み合うフィラデルフィア・ソウルのような雰囲気さえある「Quiet Dawn」辺りの曲は印象的だ。また、イントロでシタールが響く「Scarborough Fair」といい、中近東の音楽やアフロ・ビートへの配慮がより強くなっているのも特徴だろう。なお、ファラオ・サンダースやサン・ラーのようなスピリチュアル性に対しても向き合っているところも要所で感じることができるが、精神的な内面に潜航し、ときに難渋さを帯びる何かがあるというよりも、精神性の深遠越しに、もっとリスナーやオーディエンス・サイドへ開けた視点へと変換するセンスが上回っているというのは如何にも彼らしい。クラブで流れる絵が浮かぶ「Bantu」みたいな曲もあるが、基本、この作品はフラットに生きる人たちの平穏なる日常に寄り添い、少しの安らぎと華やぎをもたらすサウンドトラックとしての意味が大きい気がする。そして、彼に興味が湧かなかった人やクラブ・ジャズ周辺の音になんとなく距離を置いていた人にも届くものになった点は、何よりも評価はしたい。

 ただ、ベンサム的な再考証の観点を入れるとして、現在の「不自由な自由」とは人間の行動が快楽の追求と苦痛の回避に基づいた「効用」の合理的最大化によって成り立っているとしたならば、その「効用」面での最大化に寄与する音として今回のニコラ・コンテの音は"透明な"社会の要請によって成り立った、如何にも汎的でグローバルな音になってしまったきらいもあるのは否めない。モード・ジャズ内で収まっていた頃の彼は、ある種の「自由な不自由」を満喫出来ていた。しかし、この作品で踏み込んだ「不自由な自由」の中で、今後、より彼の刻印が押された音を出していけるのか、そういった岐路に立つことにもなった気がする。ジャズ・レコードとしての耳で捉えるのではなく、ポップ・レコードとしての文脈とクラブ・ジャズの歴史の終焉を重ね合わせながら聴くと、感慨深くなるものになった。

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