ダス・ポップ『ザ・ゲーム』(EMI / EMI)

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 アメリカの詩人ローラ・ライディングは『語ること』の中で、我々には語られるべき何かがあって、それが語られるのを皆が待っており、不本意な「無知」の状態下で、それでも、人は古い人生、新しい人生、捏造された人生などを巡る物語に進んで耳を傾けると述べている。そして、尽きはしない好奇心の時間を何らかの形でも埋めてくれるものはないか、という熱量が動かすものはあるかもしれないが、それは結局代わりにはならないし、なれないと敷衍する。空虚は空虚のまま、「語られる」。だから、何をどう語られるか、静かに待ち続けるか、しかない。そんな待つための時間に合う音楽は、僕はポップであるべきだと思うときがある。

 トッド・ラングレンやXTCをはじめとして、彼らは大きな意味を求めない代わりに、語られるべき何かを「ポップ」という言語に置換して、多くの人たちの好奇心が募って何かを追いかける隙間の時間を埋め合わせてきた。しかし、ポップと呼ばれるものの背景でアーティストはパラノアックになってゆく過程に入っていった事例は枚挙にいとまがない。「伝統形式としてのロック」としてのそれは続くのに、何故に「ポップを響かせるのは難しいのか」。やはり、作り込む中で自家中毒的な状態に陥ってしまうからなのか、それとも、細部に神は宿るがゆえに、その宿らせるマジカルな瞬間を彼らも「待ち続ける」だけしかないのか、昨今、聴いていて胸が躍動するような現代のアーティストのポップな作品と出会う機会が減ってきているのは自分のアンテナの怠慢もあるにしても、絶対数としても、ポップを迂回しようとしている動きさえ感じる。

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 ベルギー出身の四人組の2年振りの新作。前作をソウルワックスが手掛けたこともあり世界的にもブレイクしたが、今作ではセルフ・プロデュースで、自分のスタジオで音作りを始めていったという。では、前作との変化はあるのか、というと、目立った点では、80年代的なギターとエレクトロニクスの折衷が見られる以外、引き続き、「ポップ」であることに忠実な内容になっており、素晴らしい。ここには、ジェリー・フィッシュ、ファウンテインズ・オブ・ウェインのようなパワーポップの煌めきもペイル・ファウンテンズやアズテック・カメラなどのネオアコ的な繊細なメロディーも、そして、稀代のポップ・メイカーであるエルトン・ジョンやブライン・ウィルソンへの畏敬の念にも溢れている。つまりは、弾んだムードと美しいメロディー、リリシズム、練り込まれたサウンドスケープの中で「音楽自体が愉しそうに戯れている」。

 これだけ健やかにオーセンティックなポップに対峙したという意味で、どちらかというと、少し真面目過ぎると思ってしまう人も居るかもしれない。例えば、スクイーズのようにもう少しのひねくれた部分を求める人からしたら、あまりにまっすぐなポップが全編で貫かれているのも否めない。ただ、例えば、「Skip The Rope」でのピアノが鳴り響く叮嚀なメロディーライン、ベル・アンド・セバスチャンのようなナイーヴさが映える「Fair Weather Friends」、「I Me Mine」の伸びやかな高揚感など、純粋に音楽としての心地良さが先立つ。

 時代を引っ繰り返すとかシーンをかき回す、とかそういった大それたアルバムではないが、この作品に出会った人はこれからもずっと大事にしていけるようなものになったと思う。様々な刺激的なサウンドが溢れ、犇めき、どうにもまっすぐポップに向き合うバンドは陽当たりがいい訳ではないのも実情だ。でも、ダス・ポップのような存在が居なくては困る。聴かず嫌いは抜きに、より多くの方に届いて欲しい快作。

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