フリート・フォクシーズ『ヘルプレスネス・ブルーズ』(Sub Pop / P-Vine)

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fleetfoxes.jpg 2008年、海外主要音楽メディアの年間チャートを独占、まさに世界的大成功を収めたフリート・フォクシーズの新作。御多分に漏れず、大成功からの重圧に苦しんだようで、3年という月日の後完成された作品とは、我々リスナーのみならず、メンバー達にとっても待望だったのではないだろうか。
 
 思い起こせば僕にとって、彼らの奏でる音楽との出会いとは突然だった。それは、冒頭に述べた、海外メディアの高評価を受けてからの紹介や、2007年にクラクソンズのデビュー・アルバムが発売されている事からも明らかなように、電子音に踊らされて、ニューレイブというムーブメントの熱量にあてられてしまっていたからだろう。そんな状況下において、ある種、「冷静さ」を取り戻させてくれたのは、彼らのアコースティックな楽器を主体とした牧歌的なサウンドであり、美しいコーラス・ワークであった。

 思うに、彼らの音とは、「ボブ・ディランやビーチ・ボーイズを一人称で語りたいのだけれど語れない」というリスナーに対して最も響いたのではないだろうか(それらのアーティストの熱心なリスナーが彼らのファン層ではない気がしている)。中心人物である、ロビン・ベックノールドがナップスターで手に入れたボブ・ディランやビーチ・ボーイズを(16世紀の画家ピーテル・ブリューゲルの作品をジャケットに用いたり、音楽性、ルックス含め、どこか浮世離れしたように思えたが、とっかかりが実に現代的で面白いなと思うと同時に、シアトル出身という何の脈略もないような部分を繋ぎ合せたものがインターネットサービスであった事に随分と納得した)まわりには語れる友人がいなかったというエピソードからも、それらは、自らとの対話との中で多くを育み、やがてフリート・フォクシーズというバンドを介して、世に放たれた結果、想像以上の人達を巻き込みリスナーのもつ、その時間軸さえ超越させてしまったのだろう。
 
 さて、前置きが長くなったが、今作は前作に比べ、全体的な雰囲気は継承しながらも、方向性を例えるならば、掘り下げて土に還るというよりも、その土に新たな種が植えられて、やがて大きな森林が形成されていくような、そんな豊かさを聴きとる事ができる。それは、例えば、カントリーやジャズといったアプローチが使われる中でヴァイオリンやサックスの音色が印象的に響き、一つ一つの音は、前作よりも輪郭がはっきりしている。それは、ロビン・ベックノールドの歌声も同様で、美しいコーラス・ワークは枝葉のように宿る事は変わらないけれど、あらためて、彼の歌声がこのバンドの魅力の大きな部分を占めている事にも気付かされる。そして、力強く躍動感溢れるアコースティックギターのストロークは前作では聴かれなかった音で、バロックという言葉を枕詞に、後にはポップでありロックと評される壮大な響きでじわりと高揚感を得た前作よりも、より直接的に我々の胸に訴えかけ、より明確に高揚感を覚える。しかしながら、最初に、自然を比喩としながらも今作を紹介したように、彼らの持つ、「牧歌的」な雰囲気は決して損なわれず、無理なく広げた表現の幅は実に好意的に、そして不思議と新鮮に響き、大成功を収めたアルバムの次作としては、理想的な作品となったのではないだろうか。

 次なる希望は、今作のテスト・プレス盤を通して、震災への義援金とした心やさしい、まだ20代の彼らがかねてより日本通との噂のもと、ここ日本でその雄姿を早く見たいという思いである。

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