パンダ・ベア『トムボーイ』(Paw Tracks / Hostess)

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pandabear.jpg「何か...サンプラーをいじってどうこうすることには少しうんざりしてきちゃって―今回は寧ろ、ニルヴァーナやホワイト・ストライプスみたいなギターとリズムに焦点を当てた音楽に影響を受けたかな」(パンダ・ベア)

《さあ、僕を信じて/少しのあいだだけど、君を守ってあげるから―ねえ、だから出ておいで》(「You Can Count On Me」)--強烈なリバーブを掛けられた空間でリフレインを繰り返すコーラス。そこにハンドクラップ、ドラム、時折入ってくるざわめきの残響の起こすディレイが後続の音と繋がって多層的なフィードバックを生じさせて行く―『Tomboy』を再生すると先ず、私たちはある種呪詛的なフィーリングを見出すだろう。

 加えてサマーブリージンへの目配せからか、このアルバムの全編はフロウティングな柔らかいビートや、更にフォグに暈す所謂「Hypnagogic Pop(=入眠時のポップ)」的なヴァイブスに包まれている。さきに引用した「You Can Count On Me」のように少しダークでセンチメンタルな世界観はそのままに、要はフリー・フォークのセオリーに則った多幸感にアンビエントとオフビート・トランスを合わせてチルアウトしていくように展開して行くのだが、パンダ・ベアの新譜に於いてはそれはでも、このような「計算されたダンス・ポップの妙」を加味してもやはり予定調和であると言えなくもない、といった一抹の不安を或いは抱くのではないだろうか。

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 例えば「サマー・オブ・ラヴ」がそうであったように、件の911テロ事件やイラク戦争といった社会的な不安が多くの人々を包んだような00年代をして「浮遊の時代」と呼ぶことがあるが、そうした時代の持つ「浮遊感」に対して若者達は「集まり」、「パーティーを始めた」のは記憶に新しい。それが所謂、破れたスキニーをガムテープで留め、ライダースを着込んで"良かった昔なんてない"と逆説的な「現在」の否定を図る所作(=「ワット・ア・ウェイスター」)であったり、パッション・ピットゴールド・パンダのように個人的な動機(動悸)を胸にベッドルームとダンスホールを繋ぐアーティストの発現であったりする。そして10年代に入り間を縫うように「グローファイ/チルウェイヴ」というタームが浮上するのだが、それは置いておくとして、"MP3ダウンロードという聴き方"を経てより「個人的」なものとなった「音楽体験」からすると、「今」のインディーズ・シーンでヴァイナルやカセット限定のリリースが多い理由もだからわからないでもないし、「世界のある場所で起こってきたこと、いまも起こっていることにより正確な観点を与え、意識化すること」を掲げたワールド・ワイドなレーベルであるサブライム・フリークエンシーズの存在を想起せずには居られないのも事実である。

 アラン・ビショップの言葉を引用するまでもなく、「現在」に於いて音楽を聴くということは寧ろ、任意の地域の切り取る「窓」としての「周波数」をキャッチすることに近いのかも知れない。ヒシュバやチョビ、或いはルークトゥン。サハラではどういうわけかフランジャーを効かせた音が跋扈しているといった具合に、ラジオを通して「出会う」、「ケオティックな体験」の希求が現代は確かに認められる。いや寧ろ、「同じふたつのことを言う人間」はつねに「他者」であるからして(=『終わりなき対話』)、音楽とのフィジカリーな邂逅という意味ではだから、彼にとって4作目となる本作で「如何にも」なフリー・フォークが「今」、鳴っているのも不思議ではないような気もする。そして「彼は敢えて同じことをする」。

「もし"Tomboy"のイメージを僕に当てはめるとしたらそうだな、ボルチモアのラジオの音源を集めていたミドル・スクール時代を追体験するような感じだね」(パンダ・ベア「Paw Tracks」掲載ページより抜粋)

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「乾いた水を飲まされて喉がからからになっても、君をまちがえてのみこんだりしませんように」(「月のひざし」)--では水が引いた「そこ」にあるものは、地下室で"黙示録的な呪詛"を謳う若者だろうか、それとも「足場」としてのノスタルジアに対する傾斜か。或いは、ふたたび"裏庭から水が湧き出て"来る、という可能性も考えられる―さて、この「アクティヴ・チャイルド(Active Child = お転婆娘)」と名付けられたアルバムをどのように評価したものか。

 夜明けとともにパーティーが穏やかにチルアウトしていく凪の瞬間のように「多層的な」不安を尻目に、「Tomboy」は無邪気に走り去って行くだろう。行き着く先で「彼」はサーフィンをするのか、植民地の音楽に傾倒するのか、はたまた「鏡の向こう」を見つけてしまうのか―どちらにせよ、彼の動向からまだ暫くは目が離せないのだろう。

(黒田千尋)

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