ノー・エイジの「立ち位置」

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前にもこのコーナーでノー・エイジについての論考を掲載しましたが、またも彼らについての原稿がとどきました。今回のタイトルは<ノー・エイジの「立ち位置」>。先日の大阪公演のライブレポも兼ねた面白い考察になっています。執筆者はこのコーナーの常連となりつつある(笑)、財津奈保子さん。端正な文体がみごとだなぁと、いつも惚れ惚れしているのはここだけの話です。

常時ドタバタしているクッキーシーンですが、こういう原稿も大歓迎。ライブで感じたこと、思ったことなども教えていただけましたら幸いです。それこそ、このコーナーはある意味で読者欄も兼ねていると思います。たとえばR.E.M.とリスナーの関係がそうであるように(新譜も楽しみ! 詳しくはCDジャーナル3月号の伊藤さんの原稿を参照のこと)送り手と受け手に差なんて存在しないわけで、いろんな人のいろんな声を反映し、掲載していければと思っています。

では、どうぞー!



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 インターネットが普及して「インディ」という言葉をパソコンに入力するだけでどれだけのバンドが出てくるか? その数の音源を網羅しようとすれば一生なんて時間は本当に短い。雑誌で細々とディスク・レビューをチェックしてはレコード屋に足を運んでいただけの頃を思い返せば、試聴する時間だけでも考えただけで卒倒してしまう。そもそも「インディ」という括りで一番売れている音源は何かさえ私には分からないし、そういう文脈で言うとそれぞれが個々に追いたいものを追える現在においてシーンなんて本当に存在しているのだろうか?と、まで思ってしまう。私も私で様々な媒体でチェックはしても最終的には自分の耳と直感で購入を決めてしまう。すごくエモーショナルな行為ではあると思うが、言葉や歌詞の意味が瞬時に理解出来ない音楽でこそ個人的には真意があるようにも思う。

「ノー・エイジ」という一つのバンドにおいても様々な音楽的要素から、「シットゲイズ」「ノー・ファイ」「ノイズ・ポップ」という言葉が生まれたようだが、どこに振り分けられるか?と聞かれれば、私はどこにも振り分けれない、と答えると思う。先日行われた2月15日の来日公演を見に行ってそう思った。

 会場である大阪鰻谷SUNSUIは、「クリエイティブ・マイノリティ」という言葉を掲げているライブも出来るアートスペースである。場所は東心斎橋で、駅からも近いのだが、地下で開場前まで看板もなにも立っていないので、初めて行く人は見過ごし注意である。開場時間の開始と共に小さいドアから中に入ると、まずロッカースペースが見える。私は御用が無かったので、またすぐ左側にあるドアを開けるとバーカウンターがあり、その手前すぐに小さな物販スペースがあった。そのさらに左側にベンチスペースが結構大きくあり、開演まで物販のTシャツなどを眺めながら座って飲めるのがとても有難かった。早速物販で物色していると、ノー・エイジはLPとTシャツのみでCDが置いてない。売子のお姉さんに尋ねてみると「CDも持ってきてるとは聞いてるんですが、今日は販売しないみたいでかわりにこちらを売ってくれ、と今日言われたんです...。」と若干戸惑いながら見せてくれたのが、PPMからリリースされているCDやLP達。すごく少ない枚数で、売りたいようにはとても思えない。でもこの紙ジャケのレトロさや、かごに入れただけのチープな佇まいに私は購買意欲がとても湧いた。音楽も今や大々的なマーケティングが主流の中で、アーティスト達の温もりを直に感じたような気がして、即売的に物を売る、って本来こういうものだよなぁ、と嬉しくなった。

 ノー・エイジのTシャツやLP、PPMのCDを数枚購入しながら売子のお姉さんと談話していると、普通に同じドアからノー・エイジの2人が登場。すぐスタッフルームに入っていったが、ディーンはその後すぐに物販スペースを覗きに来た。突然だが私は人が人を崇拝する構図が嫌いである。だから1ファンである事を重々承知で(あくまで礼儀はわきまえるが)同じ人間同士、眼を見てお話したいと思っているので、遭遇できれば声をかける事が多い。が、この時は声をかけれなかった。ディーンは外国人のファンと喋ってはいたのだが、周りの人たちも、ただずっと見ているだけで喋りかけれない。その威圧感ともとれるオーラに、これから始まるライブの期待値もぐんぐん上がった。

 開演時間を少しおしてから、すぐ隣のライブスペースへ移動した。200人入ればパンパンになりそうなスペースで、ステージは低くオーディエンスとの距離がとても近い。客席の後方にはPAブースがあるがその前で見ても充分楽しんで見る事が出来ると思う。もう、ノー・エイジを見るのにロケーションとしては最高だ。そう思いながら、エフェクターがズラリとならんでいるランディの立ち位置であろう右側で待っていると、アーロン(A-ron the Downtown Don)がステージに出てきた。前座バンドだと勝手に想像していたので、紙を見ながら始まったマイクパフォーマンスに驚きつつ、一回噛んでしまった後、ちゃんと律儀に言いなおすこのパフォーマーに、オーディエンスも笑いながらアット・ホームな空間となった。最後にアーロンが「ノー!」と呼びかけオーディエンスが「エイジ!」と答える。初めての体験であったが、声を出した事もあり、身体も温まった。そして、サポートメンバーのウィリアム、ランディ、最後にディーンが出てきた。オープニングは最新アルバム『Everything In Between』でも一曲目の「Life Prowler」。重たい打ち込みのリズムとメロディアスなギターラインから始まるこの曲だが、ディーンのヴォーカルとドラムはマッシヴに聞こえるのにランディーのギターの音が小さい、といきなり思った。ランディーも自分で感じたのかもっと上げて、と手でサインしていた。音源を聞いてディーンのラウドなドラミングも楽しみにしていたが、ランディーの歪んだギターを聞くのも楽しみにしていた私は、もっとギターの音量をあげてもいいんじゃないかと残念にも思った。あのギターの音がもっと聞こえれば、シューゲイズの要素が高まって音源にも近かったと思う。だが、プレイスタイルは振り切ったもので、サブ・ポップの先輩であったサーストン・ムーアを連想した。

 続く「Teen Creeps」「You're A Target」では被っていたキャップが脱げる位、頭と身体を激しくふりながら演奏していて、そのギター、こっちにブン投げてくるんじゃないの? と思ってしまう位ヒリヒリとしていた。なので、合間にディーンが「ファッキン。」と呟いたのだが、それがシャレにならない空気だったので会場は一瞬ひやりとした。PVもブラックなユーモアで素晴らしかった「Fever Dreaming」もアッパーが効いていてあがってくる。でも、その一方でサウンド・エフェクトがあるものの、ギターとドラムだけで、しかもパワフルにドラムを叩きながらのヴォーカルスタイルは徐々に苦しくなってくるんじゃないかなぁ? とも思っていた。そんな危惧を抱きながらも見ていたのだが、当初の考えとは全く真逆で、進むに連れてどんどんソリッドに加速していった。ランディも激しく動いているのに笑みを浮かべている。

 中盤の「Common Heat」では、倦怠的にも聞こえるディーンのヴォーカルとランディのギターフレーズが相まってこの曲を聞かせていたし「Cappo」「Glitter」のキラーチューンの連投には激しく身体をふるオーディエンス達がいた。ランディーはプレイ中とは別人のように「僕たちはノー・エイジです。ありがとうございます。」とにこやかに、流暢な日本語でMCをしてくれた。個人的に大好きな「Valley Hump Crash」。メンバーもオーディエンスも汗だくである。最新アルバムからのポップなナンバー「Chem Trails」からラストの「Miner」までまさに駆け抜けたライブだった。アンコールではランディーとディーンが普通のテンションで会話しながら何をするか話していた。「クイックソングをやる。」というディーンの言葉どうりに、パンキッシュな曲が始まる。すごくパワフルで突き抜けているプレイスタイルに反してディーンの眼はすごく冷静だ。フェイヴァリットにラモーンズをあげていたのを思い出す。全体を通して身体はあがっているが低温やけどのようで、ぐいぐい引っ張られるというよりどんどん突き放されている感じ。ラモーンズは「誰でもロックが出来る」と主張していたが、ノー・エイジは聞き手にそうは思わせない。ノー・エイジの音楽を生で聞いて感じたのは、全然ポップでもなかったしシューゲイズでもなかった、というのが主観だ。だけど冒頭にあげたジャンル達にも私は各当しない気がするし、乱暴に言えば、ストリート・アートにも組み込まれてくる気がする。そこにあったのは一体感ではなかったが商業主義に中指を突き立てているような彼らのライブは個人的に心地良くもあった。その乾いた空気は「The Smell」という彼らのホームの再現としては成功していたのではないか? と思う。が、これをもっとキャパの広いオーディエンスとは離された空間でみるとどうなるのか? そう考えると歌詞や文学という観点から「傲慢」というキーワードをはじき出した八木さんの考察も当たっているかもしれない。このまま慣れ合わず淡々とストリートを突き進んでいくのも私はまた面白いと思うしはっきりいえばそのスタイルが好きだ。数あるインディバンドの中でも別格に感じる。しかし、生き残ってもいかなければならない。今後彼らがどういう風にライブを見せていくか、音楽的展開をしていくのか、がとても興味があるし、注目して行きたいと思う。

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