NICOLAS JAAR『Space Is Only Noise』(Circus Company)

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nicolas_jaar.jpg ニコラス・ジャーと僕は似ている(実際、ライナーノーツにも僕が登場します)。ニコラス・ジャーは常に身近にピアノがあり、それを即興的に弾きこなしていたそうだ。そして、テクノに目覚めたキッカケが14歳のときに聴いたティガのミックスCDで、その年のクリスマスプレゼントにお父さんからルオモのアルバムとリカルド・ヴィラロボス『The Au Harem d'Archimede』を貰い、「今まで聴いたなかで一番セクシーな音楽だなと思ったよ」とぬかすニコラス・ジャー。 詳しくはライナーノーツに載っているので、買って読んでください。かなり面白いです。

 ちなみに僕も、音楽は常に身近にあった。クッキーシーンで書かせてもらった原稿でも何回か触れたけど、僕の親父とお袋は小さい頃からいろんな音楽(主にポストパンクやダンス・ミュージック)を聴かせてくれた。これは僕の友達のなかでも賛否がある話なんだけど、僕は87年に『ハシエンダ』でDJペドロのプレイ聴いた! まず、DJペドロとはロラン・ガルニエが『ハシエンダ』でDJを始めたときのDJネームだ。そして、なぜ僕がDJペドロのDJを聴いたと言えるのか? それは、僕が胎児としてお袋のお腹にいるとき、親父とお袋は『ハシエンダ』に行ってるからだ。よく胎内にいるときでも外の音は聞こえると言われているが、もしそれが本当なら、僕は『ハシエンダ』の音を胎児として体験していることになる。ただ残念なことに、そのときの記憶は一切ないのだが...。

 こうして書いていくと、ニコラス・ジャーと僕は共に音楽の英才教育を受けていると言えなくもないし、共通点も少なくない。ただ、ニコラス・ジャーにはその英才教育の成果を、音楽という形で表現できる才能がある。一方の僕は、ニコラス・ジャーみたいに音楽として成果を表現できる才能がなく、それでも好きな音楽に関わりたいがために、こうして「不誠実な寄生虫」として文章を書いている。そんな僕からすれば、この『Space Is Only Noise』は、嫉妬にも近い賞賛をしたくなるようなアルバムだ。

『Space Is Only Noise』は、Circus Companyというレーベルからリリースされている。昨年のDop『Greatest Hits』リリースで注目を集めたレーベルで、次にプッシュするのがニコラス・ジャーというわけだ。そのニコラス・ジャーのデビュー・アルバムは、実験的なポップ・ミュージックであると同時に、ダンス・ミュージックでもある。『Time For Us EP』や『Love You Gotta Lose Again EP』のように「トラック」として機能させようとした意識はなく、自由に様々な音楽を楽しんでいる様子が見て取れる。前衛的なインタールード曲「Sunflower」、美しいピアノとヴォイス・サンプルに鋭いヒップホップ・ビートが交わる「Specters Of The Future」、スーパーピッチャー『Kilimanjaro』を思わせる「Too Many Kids Finding Rain In The Dust」や「Keep Me There」など、アルバム全体としては今までのリリースで見せてきたダンス・ミュージック色に加え、ジャズやアフリカ音楽というニコラス・ジャーが幼少の頃から聴いてきた音楽の要素が色濃く出ている。そのためフロア直結型ではないが、映画のサウンドトラックのように全体としての世界観はより強固なものとなっている。そして、『Space Is Only Noise』の音は歌っている。わかりやすいヴォーカル曲があるわけではないが、音のひとつひとつに言葉と風景が刻まれていて、それらが一斉に歌っているかのように聞こえるのだ。それは時折SSWアルバムと錯覚させるほど。そういう意味では、ジェームズ・ブレイクの『James Blake』に近いと言えるかも知れない。ただ、『Space Is Only Noise』のほうがより強い主張があるし、『James Blake』にある孤独さというのは感じられない。メランコリックではあるものの、より豊かな感情表現がある。

 そして、この豊かな感情表現と主張の強さの理由は、ニコラス・ジャーのこんな発言からも垣間見える思想によるものかも知れない。

「90年代を通して、ダンス・ミュージックはスピードをあげたかもしれないけど、一方で表現する幅は狭くなった」(ライナーノーツから引用。発言元はガーディアンのインタビュー)

 このあとは「とても一面的で、現実逃避のサウンドトラックになってしまった」と続くが、この話には同意できる。というのも、The Kink Controversyで現在のダンス・ミュージックについて書かせてもらったことと一致する部分もあるからだ。ニコラス・ジャーは、ダンスフロアに感情の幅広さと「自己」を呼び戻したと思う。上手く表現できる言葉が見つからないが、ニコラス・ジャーの音楽がダンスフロアで鳴り響いた瞬間、そこにいる人々は私小説を披露することが許される。そして、それぞれが自分を表現することによって「人は皆違う」と理解し、その点においてその場に居る人達が「共有」できる何かが生まれる。それは、無理して大衆となり息苦しい思いをしている人や、無理して大衆になれないがために疎外感を抱いている人。そうした人々も許容される場ではないだろうか? 美しい緊張感とメランコリックに溢れながらも、自由でリラックスとした雰囲気すら感じる『Space Is Only Noise』を聴いていると、そんなダンスフロアの新たな風景が見えてくる。

(近藤真弥)

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