ベルトイア『Modern Synthesis』(Novel Sounds)

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bertoia.jpg 2007年の結成から3年経って発表されたベルトイア(Bertoia)のデビューアルバム『Modern Synthesis』は極めて正しく「シューゲイザ―」と呼称されるそのジャンルの歴史を踏まえた上で作られている。ここにはラッシュがあり、マイ・ブラッディー・バレンタインがあり、ペイル・セインツがあり、ギャラクシー500があり、スロウダイブがあり、チャプターハウスがあり...とその音楽的記憶が豊かに反映され、我々が「シューゲイザ―」という言葉を聴いた時に存在していて欲しい旋律、アレンジ、ハーモニーが存在している。これらが美しく折り重なるよう緻密な配慮が行き届いた音像が、豊潤なハーモニーを生み出している。無論、これは予想通りのものがそこにあると言う意味ではなく、むしろこうあって欲しいという集合的無意識が見る夢がその音像に奇跡的に反映されているということだ。

 昨今の欧米のポップミュージックシーンにおいてシューゲイザ―の影響下におかれたバンドが乱立していることは周知の通りだ。最近ではアソビ・セクス、ザ・ペインズ・オブ・オブ・ビーイング・ピュア・ハートなどのアクトが素晴らしい作品を上梓したが、多くのシューゲイズ・バンドにマンネリ感が漂っていることは否めず、個人的には去年の暮あたりから食傷気味であった。そんなときに届けられたのがこのベルトイアである。シューゲイザ―という歴史が堆積させてきたデータベースから抽出してきたそのファクターを巧みに配置させ作り上げられたそのサウンドは先ほども述べたように由緒正しいシューゲイザ―であり、それは僕を食傷気味にさせるどころか、その出会いを心から喜ばしく思うような作品であった。

 その理由はなんだろうか。まず確認しておきたいのは多くのシューゲイズサウンドが逃避主義的と言われる理由はそれが「ここではないどこか」という超越性を志向し、リスナーをその次元にトリップさせるという力学が働いているからである。それに対して、ベルトイアのシューゲイズはそのような「外在する超越性」ではなく、日常のワンシーンに思いがけなく、物静かに刻み込まれているような「内在する超越性」にリスナーを「気付かせる」働きを持っているように思える。これがベルトイアが多くのシューゲイズバンドとの間に横たわっている大きな差異である。ベルトイアの音楽がいつだってどこか優しく寄り添っていてくれるようなサウンドであるのはそのおかげである。

 ここで少しその「超越性」=「理想」という言葉について纏めてみる。プラトンにおいては「本来の世界」であるイデア界はその不完全な写しである現象界よりも上位に位置している。つまり我々が知覚している現象界にとって本来の世界であるイデア界は「ここではないどこか」に存在しており、この2つの関係はイデア界が「上」、現象界が「下」の上下の関係として捉える事ができる。しかし、これでは近代科学を考えることはできないと考えたデカルトは「理想」を上ではなく、「私」という存在の「内」に「観念」として読み変え、それは完全な存在としてあるとした(上下から内外へ)。だが、その「観念」は不完全な「私」から生み出されたものなので必然的に完全な存在の観念を産めないのである。「私の意識のうちにあるものは、いわば、ものの像であって、これにのみ、本来、観念という名は当てはまる」という『省察』内での彼の言葉はそのように受け止められるべきである。彼にとって「内」は「精神」であり、「外」は「物体」であるとされ、その2つを繋げることによって近代科学を成立させるという夢を持っていた。

 このように「理想」が「観念」に変化したものの、それはなお、「理想」を維持し続けている。であるから、僕らがベルトイアの音楽を聴いてその時に内在する己の「理想」を日常になんらかの形で投影することも可能ではないだろうか。

 話を変えて、もう少しその音楽性について見てゆこう。前述したようにここにあるのはあまりにも優秀なシューゲイズサウンドだ。だが、それを説明しただけでは彼らの音楽性を描写したことにはならない。なぜならヴォーカル&ギターを担当しているmurmurはギターポップ・ソロユニットmurmur、打ち込みや音響を担当している根岸たくみはフォークトロニカ・ユニット、swimmingpoo1としても活動しており、この2人の音楽性がこのアルバムに置いてスパイスとして効いており、それがベルトイアの独自性をより確固たるものにしている。

 murmurのメロディセンスはシューゲイザ―を聴いているだけでは培えないものであり、そこには彼女が影響として挙げているようなトッド・ラングレンや、デスキャブ・フォー・キューティーなどが―無論、直接的な影響としては感じられないが―遠く反響しているのかもしれない。ソロユニットmurmurは参照点は数多くあるが、何よりも思わず渋谷系を想起してしまう爽やかな音楽を奏でていて、時折見せるそよ風のような安らぎがベルトイアに物静かな気品をもたらしている。そして、ベルトイアにおける音響、音のレイヤーの構築の秀逸さは根岸たくみによるところが大きいのではないだろうか。彼のswimmingpoo1(日本のボーズ・オブ・カナダとつい言いたくなってしまう素晴らしいユニット)における世界観が直接反映されているわけではないものの、その躁にも鬱にも振り切れない独特のドリーミングな音像はこのベルトイアにも盛り込まれているのは確かだ。また、ベースの歌うようなラインはややもするとギターノイズばかりが先行し、単調になってしまうシューゲイズサウンドに彩りをもたらしているし、ドラムの安定感はしっかりとベルトイアの世界観を底から支えている。このリズム隊あってこそのベルトイアであろう。そして、個人的にはギターにはいたく感動させられた。いわゆるシューゲイズ的なギターサウンドだけではなく、時にダイナソーJr.における掻き毟るような切ないギターが鳴り響く瞬間があり、これには驚かされた。

 少々語り過ぎてしまったが、まだまだ彼らの魅力を伝えきれた気がしない。いくら言葉を紡いでも追いつくことは無いだろう。彼らが産声を上げる瞬間を目の当たりにできたことを心から嬉しく思う。彼らはシューゲイザ―のネクストステージだ。

(八木皓平)

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