キリングボーイ『Killing Boy』(Veryape)

|

Killing_boy.jpg アートスクールのフロントマン、木下理樹と2003年末にバンドを離れた日向秀和(現:ストレイテナー、ナッシング・カーヴド・イン・ストーンetc、元:ザゼン・ボーイズ)が再び手を組んだ。2010年半ば頃からTwitter上にて木下が「ソロ活動をしたい」と呟いたところ、日向が「是非バックで弾かせてほしい」との旨のリプライを送ったことにより胎動を始めた、このキリング・ボーイ(余談ではあるが、このバンド名は、木下がアートスクールのサイト上でのブログ「狂人日記」において、日向がバンドを離れる前後、「好きな(映画)作品BEST50」として挙げた作品の一つでもあるカルト・ムービー、『キリング・ゾーイ』を思わせる)は、日向がナッシング・カーヴド・イン・ストーンから大喜多崇規を、木下が旧友の元スパルタ・ローカルズ、現ヒントの伊東真一を誘い、彼らをレギュラー・サポート・メンバーとして迎えて結成される。2010年末に、年越しライヴ・イベントで、そのベールを脱いだ彼らがこの度リリースするのが、パーカッションとして現ヴォラ・アンド・ジ・オリエンタル・マシーン、元ザゼン・ボーイズならびにナンバー・ガールのアヒト・イナザワ、エンジニアとしてメレンゲのクボケンジといった顔ぶれの豪華なゲストも目立つ、デビュー盤だ。

 先のTwitter上の日向のリプライに対して、木下が「初期のデス・キャブ(・フォー・キューティー)みたいな暗いのをやろうよ」と返していたのが印象的だったが、キリング・ボーイとして彼が鳴らすのは、デス・キャブの色は薄く、ゴスやポストパンクといった80'sのUKからの影響が色濃く感じられるニューウェイヴ・ソングだ。木下は同じくTwitter上で「このプロジェクトはリズム、ループ感、グルーブに重点を置いている。それはアフリカ音楽の概念を理解し探求していく作業でもある。(中略)その反復するリズムに俺はシューゲイズの感覚も残したい」とも呟いているが、そのツイートが示すように、トーキング・ヘッズやヴァンパイア・ウィークエンドといったバンドを思わせるアフロリズムに、度々繰り返される抑制されたループで構成されるグルーブが強烈だ。これは木下と日向とが共通する各々のルーツに、プリンスがいることが非常に大きいだろう。また最近のバンドの共通のフェイバリットとして、フランスのフェニックスやジャマイカも挙げている。ここまで書くと、心地良いダンス・サウンドを想起させるかも知れないが、木下は、キリング・ボーイのメロディについて、「ダークなのにポップな」、ザ・キュアーのそれを意識したことも強調する。少なくとも木下は、日向が在籍していた頃から、特に最新のアートスクールのアルバムにおいてもキュアーの感触を前面に押し出しているが、ここで感じられるのは、それとは少し違い、あくまでグルーヴィーなプリンスのサウンドと暗澹たるポップさを保ったキュアーのサウンドを融合させるという試みの野心だ。
 
 この融合は、抑圧されて内省的な一面も見せる木下と躍動感溢れる日向という対照的な二人の邂逅においても、完全に功を奏している。木下は日向と再びプレイすることを決めた際に、昨年末にフジ・ロックで繰り広げられたアトムズ・フォー・ピースの名演を思い出したと言う。アトムズと言えば、言わずと知れたレディオヘッドのフロントマン、トム・ヨークとレッド・ホット・チリ・ペッパーズのベーシスト、フリーなどによるトムのソロ作をライヴで再現することから始まった異色バンドだが、どこか似ていないだろうか、このキリング・ボーイの成り立ち、構成と。ここでのトムは木下、フリーは日向だと言うと、やや大袈裟だけれど、邦楽ロック界をそれぞれの手法で牽引する彼らを見ていると、それほどのポテンシャルをどこかに垣間見てしまうのも事実だ。木下は活動当初、日向にスパークルホースの魅力を伝えたとも語っているが、マーク・リンカスが鳴らした、虚無や憂鬱も同時に色付けることにも、ニューゲイズやチルウェイブ、グローファイといったインディ・シーンの時流を取り入れることにも成功している。
 
 かくして、生まれたキリング・ボーイのサウンドは邦楽界に新しい風を巻き込む、「暗く閉じているのに踊れる」ダンス・ロックである。

 歌詞の面も注目したい。≪僕の愛は死んで≫(「cold blue swan」)、≪注射針を抜く時/固くなった傷跡≫(「xu」)、≪死にたい時そんなことを考えたりするよ≫(「Confusion」)など、明らかにアートスクールのそれよりも、直接的な言葉を用いて堕ちている。最終曲「Sweet Sixteen」(タイトルは、映画「SWEET SIXTEEN」を思わせる)に至っては、一節目から≪月曜は死にたいと思った≫であり、キュアーの「Friday I'm In Love」を思わせるように、曜日順に感情を歌っているが、全ての日がどれも病んでいる。キリング・ボーイは、木下の陰鬱な感性を更に曝け出すようだ。
 
 この歌詞は、インディだからこそ出せたと木下は語るが、このアルバム自体も、木下の自主レーベルであり、日向が脱退してからメジャーに移籍するまでのアートスクールの作品をリリースしていた、VeryApe Records(ニルヴァーナを敬愛する木下らしいネーミング・センスだ)からのリリースである。原盤制作費も自らが負担するなど、こだわった発売形態はこの規模の邦楽のバンドでは、珍しいほどの感じられるインディとしての意志が感じられて素晴らしい。

 キリング・ボーイは、実直なほどに海外的なエッセンスを取り入れたサウンド、自身の闇あるいは病んだ精神を晒す無防備さ、自主レーベルからの徹底的に突き詰めたリリース形態などで、邦楽シーンに新たなスタンスを提示する。それは、何よりも音楽が大好きな人間だけで構成される愛をもった現代に対するささやかなアンチテーゼのようだ。この規模のバンドのこんな活動スタイルが広く認められるようになれば、邦楽ロック界も、更に大きな可能性がどんどん芽生えるのではないだろうか。このアルバムがキッズ達にどう聴かれるかが発売早々、楽しみでならない。

(青野圭祐)

retweet