リッキ・リー『ウーンデッド・ライムス』(Atlantic / Warner Music)

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lykke_li.jpg リッキ・リーの名前、もしくは声を初めて聞いたのはいつだろうか。私はプライマル・スクリーム『Beautiful Future』の「uptown」「the glory of love」におけるバッキング・ボーカルでその声を初めて聴いた。次はロイクソップ『Junior』での「Miss It So Much」と「Were You Ever Wanted」における客演であった。このように彼女の声に初めて触れたのが本人の音源ではなく、アーティストの客演や、リミックスであったという人は多いのではないだろうか。他にも彼女が客演している曲、リミックスされたものを挙げると、カニエ・ウエスト、N.A.S.A.、サンティゴールドなどと供に「ギフテッド」を収録、TV オン・ザ・レディオの中心人物デイヴ・シーテックは彼女の「I Follow Revers」をリミックスし、「Little Bit」のドレイクによるリミックスなどもある。また、フレンドリー・ファイアーズは彼女の「I'm Good, I'm Gone」をカヴァーしていて、彼女の才能が非常に大きな規模で受け入れられていることがわかる。また、彼女自身、他アーティストの曲のカヴァーもおこなっていて、カヴァー曲にはキングス・オブ・レオン「Knocked Up」、ア・トライブ・コールド・クエスト「Can I Kick It?」、リル・ウェイン「A Milli」、ヴァンパイア・ウィークエンド「Cape Cod Kwassa Kwassa」などがあり、彼女の音楽的関心もまたジャンルレスであることが窺われる。

 そんな彼女は1986年にミュージシャンの親の元に生まれ、世界の様々な場所を転々と引っ越しを繰り返し、越境を繰り返した。ニューヨークに流れ着いた彼女は、そこで2008年にデビューアルバム『Youth Novels』をリリースした。まずは少しだけこのアルバムの音楽性について言及しようと思う。しかしその前にいささか唐突ではあるが、あるギタリストの発言の引用をする。

「彼はミニマリストなんだ。ギターのオーヴァーダブとかドラムスの音をいろいろいじったりすることを嫌う。かつビートにこだわるんだ。それと、ベース。その2つが決まればかなり満足するんだ、俺たち。例えば他のプロデューサーだったら何百と音を入れるようなところに、彼は2つ3つを入れる程度。それが良いんだな。それにユーモアのセンスが最高さ。スウェーデン風の不思議なユーモア、俺たちそれが特に気にいったんだ」

 これはプライマル・スクリームのギタリストであるアンドリュー・イネスが、彼らのアルバム『Beautiful Future』の一部の曲をプロデュースしたビョ―ン・イットリングについて言及したものであり、イネスの言葉はビョ―ンのプロデュースについての特徴を巧みに言い表している。実はリッキ・リーがリリースしてきた2枚のスタジオアルバムも彼のプロデュースであり、イネスによるビョ―ンのプロデューサーとしての特徴についての言及は彼女の2枚の作品においても的を得ている。

『Youth Novels』は清楚でガーリーな、それでいてどこか小悪魔チックなところもある彼女のボーカルがビョ―ン・イットリングによるダンサブルでミニマルなアレンジの上で踊る良盤である。この作品は当時、21歳だった彼女の赤裸々な想いを書き連ねた、まさしく「青春小説」である。しかし、それは思春期特有の甘酸っぱさとはかけ離れており、どこか物寂しげで、時に暗く沈む。

 冒頭で《愛はハーモニー 欲望は鍵 愛はメロディー 今、私とともにそれを歌う》(「Melodies & Desires」)とテルミン、シンセサイザー、ピアノ、アコースティックギターがごく控えめに奏でる陰鬱なサウンドの中、彼女は呟く。アルバムの幕開けとして最適なナンバーであり、この曲がアルバムの雰囲気を完全に決定している。 続く「Dance Dance Dance」はダンサブルなベースが孤独に響き続ける中、「ダンス」という言葉から連想する楽しさなどは微塵も感じられず、誰もいない部屋の中で一人ぼっちでダンスしている彼女の姿を思わず連想してしまう。「Let It Fall」のように失意の中、わずかにドリーミーな瞬間が差し挟まれる曲もあるのだが、その「ドリーミー」はどこか夢想することへの諦念のようなものを含んでいる。60sにおけるガールズ・ポップを彷彿とするナンバー「My love」では彼女が付き合ってきたであろう男性たちに《どこに行ったの?》と問いかけ、《私の愛する人はきっとやってくる》と歌う。「Tonight」では《私の瞳よ、乾いて》と歌い、「Little Bit」では《私はあなたを少しだけ愛してる、あなたが私を少しだけ愛してくれるならね》と歌う。「Everybody But Me」にでは《みんな踊っているけど私は踊らないわ》と自分以外の人間と自分との間に広がる絶望的なまでの差異に戸惑っている。そしてそれほどまでに辛い思いをしてでも彼女は、静かなピアノの音色にか細い、今にも千切れてしまいそうなウィスパリングボイスを優しく乗せ、《私は青春を失いたくない》と「Time Flies」で歌う。

 今回はこのアルバムのレビューではないのでいくつかの曲をざっと紹介するにとどめて置くが、それだけでも十二分に彼女の1stアルバムにおいて基調となっている雰囲気を読みとってもらえたと思う。このアルバムの全てのナンバーが青春は喪失や寂寥感のそれであると囁き続けていた。

 ここで、このレビューで紹介する『Wounded Rhymes』について説明しようと思うのだが、その前に少しだけ彼女がこのアルバムを発売する前に発表されたモーゼズ・バークソンが撮ったショートフィルム『Solarium』について触れなければいけない。なぜなら彼女はこの映画の出演者であり、この映画は『Wounded Rhymes』製作に大きな影響を与えているからである。彼女は失恋、それに加えて度重なるツアーへの疲れから、友人とともにキャメラを携えて砂漠へ向かった。そこにある大きな太陽と鏡が(映画内には多くの鏡が出てくる)、「自分自信のエゴ、思想、期待、取り除くのが困難な様々な想い」を可視化する助けになったらしい。ジャック・ラカンを引くまでもなく、いつの時代も人々は鏡に想像的な己を映し出すのだ。このモノクロームのショートフィルムにおけるリッキ・リーは『Young Novels』において我々が想像したキュートでガーリーな彼女は存在せず、エロティックに体を揺れ動かし、艶めかしく鏡に摺りつけ、なにか怨念めいたものを体中から噴出させている彼女がそこにはいた。そして、この彼女の変化は『Wounded Rhymes』においても継続しているのだ。このアルバムにおいてまず印象的なのは前作におけるセンチメンタルなシンセ・サウンド、ロリータ・ヴォーカルはそのままだが、際立って鼓膜を刺激するのはビョークさえ想起させる野性味溢れるブードゥーでダンサブルなドラムであった。このダークで躍動的なビートが本作におけるトーンを形作っている。

 彼女は前作を《愛はハーモニー 欲望は鍵 愛はメロディー 今、私とともにそれを歌う》という言葉とともに始めたが、彼女はこのアルバムを雄々しく打ち鳴らされるドラムに乗せて《私は若者は知らないと言った 若者は痛みが無いことを知っている》と始めた。ここでも彼女が歌うのは前作と同じ、「若者」についてである。そしてそれは「痛み」についての物語であると彼女は歌う。続く「I Follow Rever」では《海の底まであなたについてゆくわ》と歌い、「Love Out Of Lust」では《あなたの腕で死んだ方がマシ》と歌う。前作よりもラウドで強靭になったビートに比べ、歌詞においては前作よりも相手の男性に依存してゆくようなものが多く見られるのは興味深いところだ。続く「Unrequested Love」ではムードが一転してカントリー風の歌唱が柔らかに爪弾かれるギターとともに緩やかな雰囲気に満たされる。60sのガールズ・ポップ風味のバックコーラスが聴こえるのもムード演出に一役買っている。しかしそこで歌われるのは「報われない恋」についてである。5曲目はリード・シングル「Get Some」。肉体的でダンサブルなビートに乗せてリッキ・リーが言葉にメロディを纏わせず、ぶつきりのまま、その想いをストレートにぶちまけるなんともアグレッシヴなナンバーである。これは村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』に触発されて書かれた曲であることが知られているが、歌詞のほうはかなりダイレクトにイヤラシイことになっている。本人曰く「みんなエロいっていうけど、これはパワーについての曲なのよ!」らしいが、やっぱりどう読んでもこの歌詞はエロい。でも彼女は私のような論者に対しては「女が何かするとすぐに神経質にセックスのことだと言ってくるのよね」と言っているらしい。本当にごめんなさい。両方とも英新聞『ガーディアン』からの引用です。

「Rich Kids Blues」はハモンドオルガンが鳴り響く中、リッキがどこか粘着質な歌唱法で《私は金持ちの坊やたちのブルースを得た あなたには関係ないけどね》と歌う。続く「Sadness Is A Blessing」はこのアルバムのタイトル『Wounded Rhymes』というワードをその歌詞に含む曲であり、フィル・スペクターを彷彿とさせるアレンジがその物悲しい歌詞に静かに優しく寄り添う。この曲は彼女の失恋についての曲である。《毎晩 私はわめきちらし、求め、乞う。彼に行かないでくれと》そして、彼女はここで彼女にとっての「成長」を歌う。《悲しみは祝福 悲しみは真珠 悲しみはボーイフレンド ああ悲しみよ 私はあなたの女よ》。そう、その「成長」とは悲しみを受け入れることであった。1stアルバムから長い道のりを経て彼女はこの答えを見出した。大袈裟な物言いであることは十分に承知しているが、それでも1人の女性として、リッキがこの想いを吐き出したことに僕は静かな感動を覚えた。その答えに辿り着いた彼女は次の曲「I Know Places」でどこか達観したように《私は私たちのゆける場所がわかるの》と静かに、溜め息を吐くように歌い、「Jerome」ではジェロームに向かって《今、あなたは私のもの もう一度私のものになったの 誓いなさい あなたは決して私のもとを離れないと》と、その身勝手な想いのたけを口にする。最終曲「Silent My Song」。彼女はこのアルバムが「痛み」についての物語であるということを1曲目で宣言したと私は書いた。この最後の曲では彼女はやはり「痛み」について歌う。《背中の中に針が入っていて 私の血管と魂を切り開き そのことが私をリラックスさせる》。このマゾヒスティックな表現から読みとることができるのは彼女が青春、もしくは若さというものが徹頭徹尾、痛みや悲しみによって貫かれていると考えているということである。

 無論、彼女がこのアルバムで辿り着いた答えは何の目新しさも無い。しかし、ポップ・ミュージックが恋愛を語るときにダイナミズムを帯びるのは、決まって「愛」を得る時よりも、それを失った時である。少なくとも私はそう思っている。リッキ・リーは「失われた愛」を「傷ついた韻」で歌った。この事実はポップ・ミュージックにおいて一人の才能あふれる歌姫が誕生したことを告げる。

(八木皓平)

*日本盤は4月20日リリース予定です。【編集部追記】

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