『アンチクライスト』映画(キングレコード / Iae)

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antichrist.jpg『ダンサー・イン・ザ・ダーク』などを手掛けたラース・フォン・トリアーが監督した新作『アンチクライスト』はシャルロット・ゲンズブールとウィレム・デフォーが主演し、シャルロットは今作の演技で第62回カンヌ国際映画祭で女優賞を受賞している。

(*ストーリー・愛し合っている最中に息子を事故で失った妻(シャルロット・ゲンズブール)は罪悪感から精神を病んでしまい、セラピストの夫(ウィレム・デフォー)は妻を何とかしようと森の中にあるエデンと呼ぶ山小屋に連れて行って治療を試みるが、事態はますます悪化していき...。)

 ラース・フォン・トリアー監督が自身のうつ病からリハビリとして書き始めた今作は彼にとってのセラピーになったようだ。大ヒットしている『冷たい熱帯魚』の園子温監督もこの映画を作ることで自分自身が救われたとインタビューで答えていたが、どちらも強烈な作品であり目を逸らしたくなるようなシーンも性的な描写もある作品である。

 壊れていく妻であるシャルロットとそれを見守る夫のウィレムのセックスシーンはぼかしが入っているのだが海外の映画はそこまで作品のためにできるのだなあと改めて思いながら観賞した。二人の性行為シーンは妻の肉薄した壊れそうな自分を救ってほしい、この世に繋ぎ止めるような行為であり、シャルロットの自慰行為などもぼかしを入れる必要あるのかと思ってしまった。ない方が自然だし、入れる事で余計に意味を持たしてしまうような気もする。

 精神が壊れてしまう妻を観ていると思い浮かんだのは橋口亮輔監督『ぐるりのこと。』とトラン・アン・ユン監督『ノルウェイの森』の二作だった。『ぐるりのこと。』はとても素晴らしく壊れてしまった妻とずっと一緒にいた夫との時間を社会に起きた事件などを描きながら二人がいたその時間を丁寧に描いた作品だった。

 『ノルウェイの森』は非常に脚本がクソだとしか思えない展開で原作の村上春樹『ノルウェイの森』を読んでないと映画の物語が補完できない残念な作りだった。そしてこの作品はボーイフレンドが自殺して精神が病んでしまった直子を演じた菊地凛子や小説では重要なキャラクターだったレイコを演じた霧島れいかとの性行為シーンが胸すら出ないし映ってないという不自然極まりないシーンで内容も残念な事ながらそこにもリアリティの欠片もなかった。

 シャルロットの演技を観て、一部のきわどいショットは代役らしいが(おそらくはそれはクリトリスや女性器が映っているシーンではないかと思うのだが)、性行為シーンや『ノルウェイの森』の原作小説でいえば緑のパンティで包んで手コキ(映画ではそのシーンはなかった)に近いシーンでも彼女はウィレム・デフォーと肉体を持って演技して、妻になっていた彼女を観ながら僕は『ノルウェイの森』の菊地凛子もシャルロット・ゲンズブールぐらいしてくれたらあの映画もまだ少しだけマシにはなったのではないかと思いながら観てしまった。画というか撮り方がアートフィルムのような感じの部分もあり、そこの辺りは少し眠気を感じたりもしたが、後半に行くにつれて妻と夫しか出てこないシーンでの展開と妻が夫にする行為を観ながら喉がとても乾いた。

 セックスとある種の暴力を描く事で、観ることで、救われる何かというものが人間の何かは少なからずある。そこには作品における殺人も含まれていると思う。人は体験できないことを、しようと思ってもできないことを作品で疑似体験するによって救いだったり癒しやストレスからの開放を見つけれる事ができる。

 ミニシアター系の単館系の映画館の閉館が続き少しだけ話題になったが、シネコンの乱発でスクリーンは増えているのに上映される作品の数自体は減っているようだ。スクリーンが増えても同じ作品を多く流されるという状況の中でこの『アンチクライスト』の公開や一月末に公開され連日立ち見になりヒットしている園子温監督『冷たい熱帯魚』という作品が求められる理由は簡単だろう。

 観客は制作側の「どうせこのくらいの内容で役者で知名度がある原作なら客入るっしょ」的な考えで作られた作品にはもう飽き飽きしているのだ。いろんなものがフリーになっていく時代の中でお金を払ってでもみたいのは作り手の強烈な才能や禁忌とすら戯れているようでもあるラインを越えてしまうような作品に出会い、体験したいのだと思う。

 シャルロット演じる妻が下半身丸出しで森を彷徨うシーンや夫の自由を奪うためにする目を背けたくなるような行為や、セックスの最中に子供を失ってしまった事に対しての懺悔のようなシーンの強烈さ、などまさしく息をのんでしまう。観終わった後に劇場から渋谷の雑踏に立ったときに、少しだけラース監督がこの作品によって救われたと言った事がわかるような気がした。

(碇本学)

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