THE STROKES「Under Cover Of Darkness」Teaser Single(RCA / Rough Trade)

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 60年代前半における英米シーンでのブルーズ/フォークというルーツ・ミュージックの再発見の過程で、ビートニク、パンク、プロテスト精神の切れ端が散らばっていた。その切れ端を掻き集め、《ファクトリー》の中でアート・ロック方面に拡張したのがルー・リードであり、商業主義として昇華させたのがアンディ・ウォーホールだったとしたならば、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド(・アンド・ニコ)のバナナ・ジャケットのアルバムに詰められた音の設計図を担っていたキーマンはジョン・ケイルだという気がする。あの作品が示す全能的且つ前衛性に詰め込まれた熱の中には、ビートニクからヒッピーイズムへのパラダイムの変化における軋みとアンダーグラウンド・シーンで呻いていた名もなきアーティストたちの声が拾い上げられていたからこそ、尽きない魅惑を今でも持つ。同時に、耳が馴れてきても、明らかに歪みとバランスがおかしい音像を持つあのサウンド・メイキングに加担した「彼」は、クセナキスに師事をし、ドローンへの興味を持ちながら、ラ・モンテ・ヤングの"The Theatre Of Eternal Music(永久音楽劇場)"にも参加し、トニー・コンラッド、アンガス・マクリース、マリアン・ザジーラといった面々と共に、即興演奏を行なったりもしていた。そして、ヴェルヴェッツの骨組みのサウンドの中でケイルのヴィオラやベースが空気を切り裂くとき、そこの亀裂から向こうにニコの倦怠感に溢れた声もルー・リードの闇の詩情も立体的に浮かび上がった。 

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 10年代において"ジョン・ケイルとしてのザ・ストロークス"を想起してみると、繋がる線がある。今回のシングル「Under Cover Of Darkness」でも、過去の代表曲である「Hard To Explain」や「Last Nite」を思わせるという"バック・トゥ・ベーシック"の要素に言及するよりも明らかに奇妙なサウンド・テクスチュアに耳を向けることに意味がある気がするのも事実だ。ミニマルなリズムのドラム、淡々としたベース、予定調和を破るようなギターのフレーズ、低温を保ち続けるボーカル、静かに「熱が籠る」ムード。この出口が埋め立てられた構図は、ロックンロールというフォーマット下で判断すると、「味気のなさ」にも換言できるだろう。それでも、聴いていると、静かに皮膚の裏側から込み上げる何かがある。

 確信犯のようなローファイ、美学にも近いニヒリズムでNYパンクを再写したザ・ストロークスが現れたとき、僕はすぐには乗れなかった。何故ならば、99年頃から、ダンス・ミュージック、先鋭的なR&B、ヒップホップが世界を席巻し、ロックというジャンルでは線の細いギターロックやモダン・へヴィネス、ポスト・ロックといった音が地味に存命していた、その中で、カウンターだったのかも分からないくらい、情報量を最小限に絞った音で01年に、『Is This It』(これはそれ?)とシーンに向けて憮然とロウに問いかけた様は、スタイリッシュでクールであったが、メディアが作り上げた出来すぎたハイプ(幻像)なのかもしれない、とも思ってしまったからだ。加え、ニューヨークから出てきたというのもあり、ヴェルヴェッツ・チルドレンとしての枠内やテレヴィジョンとの近似性で語られ、囲い込まれてしまうことが多かったのに引いてしまっていたのもあった。

 そこから、フォトジェニックなヴィジュアルやイメージ先行な様を覆すようにライヴでの良質なパフォーマンスも確実に浸透していき、色眼鏡やバイアス、世間の声も捌かれて、「オルタナティヴ・シーンの中心」に駆け上がるまではあっという間だった。個人的にも、03年のセカンドの『Room On Fire』に見える不安定な危うさを孕んだバランスには掴まれた(冒頭の「What Ever Happened?」からして《I want to be forgotten》と始まるのには痺れた。)。ジュリアン・カサブランカスの気怠いボーカル、ファブリツィオ・モレッティのストイックながら激しいドラム、ニック・ヴァレンシとアルバート・ハモンドJr.のツイン・ギターのオリジナリティ溢れるフレーズ、ニューウェーヴのようなニコライ・フレイチュアのベースとが組み合わされた結果、化学反応としてローファイなサウンドに"なっていた"が、細部を聴き込むと、楽器の鳴り方から位相まで考えつくされているのが分かる。そのレトロフューチャーなサウンド・フォーマットがどこまでも「新しかった」のだと思う。実際にライヴでも幾度か観る機会があったが、音源以上に淡々とアンチ・クライマックスな展開であっさり終わってしまうのが興味深かった。いえども、別に演奏技量や演出がどうとかではなく、各々のパートにおけるPAバランスも奇妙ながら、見せ方が真摯なのだ。ミニマルな音世界が反復/差異を示しながらも、ふと気になるフレーズが入り込み、聴き手の意識を散逸させつつも、シンプルな8ビートが身体を軽快にスイングさせる。ライヴ後はいつも、ガレージ・ロックというにはモダン・フォーマットの中で再構成されたポスト・パンクと言うべきバンドという認識が正しいような気もしたものだった。
 
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 思うに、ロックンロールという様式美に到達できないということがあらかじめ定まっていると考えるとき、類推と非・リアリスティックな熱情が「非在」としてのサウンドを目指すとしたならば、ザ・ストロークスのビートルズやストーンズといった親殺しを「果たせなかった」ところにこそ意味があり、「未到達」が故の8ビートがアナロジックな模写として本物を「追い越した」のが面白いのだと思う。しかし、音楽というものは、表現への「現象」が創りだす非現実への意識への反転でもある訳で、精確に言うと「未到達」であればこそ、「意識」で考えられるものならば、「作者の死」が岸に打ち上げられる。「非在としてのバンド」は不変たるナラティヴの切断をそのまま機能と修辞効果へと接続させる。そのダイナミクスがザ・ストロークスにはあったような気がする。 

 そういったダイナミクスを背景に、ザ・ストロークスというバンドのチャームは居丈高にクールを気取らない然り気なさも大きかった。しかし、「然り気なさ」の背景で、アルバムを重ねるにつれ、明らかにサウンドが重層的にサイケにさえなっていき、並行して活発に行なわれたメンバーのソロ活動ではそれぞれに、打ち込みを取り入れてみたり、柔らかなポップネスを追求してみたり、各々が持っているルーツや音楽的嗜好が鮮明に見えるなど難渋な複層性を帯びてきた流れがあった。その過程で、R&B~ロックンロールという歴史を換骨奪胎するのではなく、「更新」するためのラボとしての意味を追求しているようにさえ感じられ、バンド・フォーマットを保った上でのこれからがどう見えてくるのか、霞む部分も常に帯びていた。だからこそ、"有機組織体としての"バンドは、"手段としてのサウンド・メイク"が目的化しつつあるのを「引き戻す」作業をする間に、5年という歳月が要ったのかもしれず、つまり、今回の新しい4枚目となる『Angles』までの「5年間」とは、メンバーたち相互の意思疎通がはかれなかったというより、それぞれのアイデアや音楽的背景が堅固でバラバラな分だけ、幾度も試行してみた上で、共通のOKとするラインを見出すことが容易ではなかったという証左だったのかもしれない。
 
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 もはやモダン・クラシックとなった01年の『Is This It』でのラフでファストなロックンロール、03年の『Room On Fire』におけるニューウェーヴ的な"プラスティカルな熱さ"を持った音、実験性とサウンド・バリエーションの多彩さでコーティングされた06年の『First Impressions Of Earth』でのサイケデリア、と作品毎に確実に新しいフェイズに入っていった彼らだが、では、次はどうなのか。今回のシングル「Under Cover Of Darkness」で慮る分には、セカンド~サードの間を埋めるような奥行きのある「音響空間」が活かされつつ、ミニマリズムの中を駆け抜けてゆくソリッドなシェイプと、デビュー当時から彼らが持っていた不遜な余裕が感じられるのには鼓舞させられるものがあり、十二分にアルバムへの期待を抱くことができると言える。また、昨今のクラウド・ナッシングス(CLOUD NOTHINGS)やスミス・ウエスタンズ(SMITH WESTERNS)辺りの音ともリンクしてくるものもあり、ローファイ/シット・ゲイズといったジャンルへも波及する影響があるような気もする。この曲の持つ飛距離は2011年において、より意義深いものがあるだろう。3月に控える『Angles』も楽しみに待ちたい。

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