徳永憲『ただ可憐なもの』(Suzak Musik)

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toku_ken.jpg 故・大里俊晴氏が言及していたように、そもそも、ポップ・ミュージックは芸術音楽のコンテクスト内でアヴァン・ギャルドの死や前史の繰り返しをしてはならないというオブセッションなど無かった。元来、膨大な引用と編集で成り立っていた"ポップ"には前衛性を気取った閉じた実験室での大衆性に背を向けた行為性とは疎遠であるべき筈で、今さら、紋切り型のクリシェで原典を差し当てること自体に意味がない。それよりも、その周囲を巡りながら、ポップ・ミュージックの擬態の先を可視化する行為が肝要だと思う。行為としては、反動の場所からではなく、よりマージナルに立脚する必然が要る。前衛と普遍のマージナルな場所からこそ浮かぶ音楽がある筈であり、"それ"を規定するコードを読み解くには膨大な音楽のバック・カタログが生み出してきた誤差を鑑みる必要性が出てくる。「誤差」とはドゥルーズ=ガタリが言うところの「あまりにも意味作用的な連鎖の束縛から脱するための、断絶状態の音響性」も孕んでくるとしたならば、昨今の日本でのフォーク・リヴァイヴァルを担う七尾旅人や前野健太のような形式は、非属領化されない「声と言語」を持っているという文脈で繋がってくる。一回性が持つ美しくも儚い「個として」の人間の想いが今、ポップに普遍に拓かれるためには「詩の音楽」へと還らないといけないのかもしれないからだ。「詩の音楽」とは、単純な私小説のような音楽をすり抜け、彼岸の聴き手を望む。徳永憲の新作『ただ可憐なもの』に宿るものもまさに「詩の音楽」である。

 彼の98年のデビューアルバムである『アイヴィー』はブレイクこそしなかったが、確実に一定の層には傷痕を残した。98年といえば、最近、デラックス・エディションとして再リリースされたパラダイス・ガラージ『実験の夜、発見の朝』を筆頭に、田辺マモルの『田辺マモルのヤング・アメリカン』、高橋徹也『夜に生きるもの』、小島麻由美『さよならセシル』など良質なシンガーソングライターの作品が多く、彼の『アイヴィー』も不機嫌そうに並んでいた。アシッド・フォークを思わせる曲の中に立ち込めるリリシズムはシド・バレット、ニック・ドレイク、エリオット・スミスのような危うい儚さがあり、同時にまた、フォーク・インプロージョン『ワン・パート・ララバイ』やヘイデン『エブリシング・アイ・ロング・フォー』にあったようなザラッとしたローファイなサウンド・メイクからはオルタナティヴなシンガーソングライターとしての一面をリプレゼントしていた。歌詞は、寓話性と詩的なフレーズに溢れているが、《君のことを台無しにしてやりたい》(「優しいマペット」)、《ジャイアントパンダは早く子供を作れ》(「オートマチック・ラブラブマシーン」)のようなシニシズムとサーカズムに満ちたフック・ラインがふと浮上するという捩れた世界観が呈示される。その詩世界は今も一貫しており、詩自体への巷間の評価も高い。『アイヴィー』の「低温の好戦性」は世間には大きく受容されたという訳ではなかったが、一定のファンと確たる評価を得た。その後も堅実に音楽活動は続き、前作にあたる08年の『裸のステラ』ではホーンの取り入れ方など音空間にもグッと奥行きと色彩が出てくるとともに、箱庭的且つ神経症気味な世界観が確立された力作になっていたのは記憶に新しい。
 
 7作目となる『ただ可憐なもの』は一聴、シンプルで、原点回帰のようなところもありながら、これまでとは違う奥深さとたおやかさがある。また、ソロ活動と並行して01年から組んでいたバンド、チェルシーボロ(09年に解散)の曲も幾つか入っていることから、インストゥルメンタル、バンド・サウンド、内省的なフォーキーなサウンドが併存するという形で、絶妙にソロ・キャリアを総括しているともいえる。そこに、折れそうな彼の繊細な声とシュールな歌詞が乗り、仄かに《1万台の大砲がこっちを向き/君の何たるかを狙う》(「ウサギの国」)、《誕生日がきて子供は思った/自ら祝うほどのことではない》(「ハッピーバースデイ」)という特有のセンスに満ちたシニカルな視線が浮き上がるのも面白い。しかし、そういった作為性よりも、過去に《いつまでも生きていたい》と歌っていたように、早く「この場所」を抜け出したいという欲動が今作では先立っている。"このボートじゃ何処へも辿り着けない"という意識を持ちながらも、「どこか」を目指そうとする、その焦燥感が最後には小文字の「君」に捻じれながらも収斂してゆく流れが美しい。その「君」を通り越す訳ではなく、向かい合うために「この町を出ないといけない」という構造は彼自身が描いた「ただ可憐なもの」へのリゾーム的な思考を照射する。

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 鈴木慶一、直枝政広、青山陽一といった錚々たるアーティストが彼のホームページで称賛を寄せているように、ミュージシャンズ・ミュージシャンとしても常々評価が高かったが、今作でのフォーキーなサウンドを基底にした前衛性とポップネスの巧みな均整は、近年のフォーク・リヴァイヴァルの趨勢の流れとのシンクロする部分も感じさせる。ただ、「ボート」のような7分を越える重厚なロック・チューンやトクマルシューゴにも繋がるトイポップなど多様な曲が入っており、既存のリスナーやファン以外にも十二分にアピールをするポップな底強さを持っているのも印象深い。そのバラエティーの富み方をして、色彩豊かというよりはモノクロ画が持つ深みに近く感じるのは如何にも彼らしいが、キャリアを重ねてきてもぶれることのない軸がここにはあり、今こそ正当な評価軸を敷くべきだという気もする、凛然とした彼の反骨精神に貫かれた秀作である。

(松浦達)

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