アディティア・ソフィアン『クワイエット・ダウン』(Self-Released / Production Dessinee) [reviews]

adhitia_sofyan.jpg インドネシアで音楽といえば、条件反射的にガムランが思い浮かぶ。神秘的な音色。ガムランといえばYMOの『テクノデリック』。70年代のインドネシア・サイケは結構熱い。オリエンタルでエキゾチックで...。

 こういう偏狭すぎるかの国への固定概念(すいませんでした)を取り払ってくれそうなのが、ジャカルタ出身のアディティア・ソフィアン(Adhitia Sofyan)による『Quiet Down』だ。みずからを"コーヒー・ミュージックを歌うシンガー・ソングライター"と呼ぶ純朴な見た目をした青年の奏でる音楽は、そのアルバム名のとおりに聴く人の心を穏やかにさせる。慌ただしい仕事からも街の喧騒からも離れた、手持ぶさたでアンニュイなひとりきりの時間をすごす人々へ彼の歌は捧げられている。

 普段はオンライン・マーケティングの仕事に携わっているという彼は、あるときからアコースティック・ギターを携えベッドルームで録音を開始する。そしてラジオ局のプッシュから火がつき、インドネシア国内の音楽フェスを回り、映画(『Kambing Jantan』という、ブログを原作にした作品。ブログ執筆者ご本人が扮する主人公の顔が激しくナードなところも込みで『電車男』を思わせる)にも曲が起用され大ヒット。まるでインドネシアにおけるエリオット・スミス(『グッド・ウィル・ハンティング』)ともいうべきサクセス・ストーリーを歩む彼だが、どれもこれも素晴らしい曲があってこその話だ。

 やさしく頬を撫でるゆるやかな風を思わせるギターの調べに乗せて、そっと語りかけられるように歌われる冒頭の「Adelaide Sky」。過ぎ去る時間や別離といったモチーフが、人肌や夕暮れどきの日差しがもつ温かみとともに押し寄せてくる。控えめなストリングスもさりげなく華を添え、郷愁が胸を静かに通り過ぎていく。唯一インドネシア語で歌われる「Memlihmu」では歌声はさまざまな表情を遠慮ぎみに見せ、"チキチキバンバン~"と癖になるフレーズが挟み込まれる。まるで自分の目の前で演奏されているかのようなアットホームな音色は終始リラックス・ムードに包まれ、ときにセンチメンタルなトーンや言葉が飛び出すものの、メロドラマ的に押しつけがましくなることなく、静かに寄り添ってくれる。流れていく景色を肘をついて車窓からぼんやり眺めているような、カップに入った飲み物の温度を取っ手ごしにじんわり確かめるような、そんな音楽だ。

 品のいい奥ゆかしさをもったミニマムな弾き語りは、一時期のニック・ドレイクやサイモン&ガーファンクルを想起させる。どんな想像や妄想をも許してくれそうな包容力に満ちた作品だ。背中を向けたジャケットのイラストもいい。そっぽを向いた彼はシャイながらも面倒見のいい音楽の気質を、コーヒー豆を思わせる背景の淡い茶色は「Sound Of Silence」とも「Quiet Is The New Loud」とも違う、彼にしか出せないのどかで芳しい香りを、それぞれ地味ながらもうまく表しているように思う。

(小熊俊哉)

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このページは、伊藤英嗣が2011年2月23日 06:28に書いたブログ記事です。

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