八木皓平

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CORINNE BAILEY RAE『The Sea』*画像
DE DE MOUSE『A Journey To Freedom』
YUKI『うれしくって抱きあうよ』
MYSTERY JETS『Serotonin』
LCD SOUNDSYSTEM『This Is Happening』
WILD NOTHING『Gemini』
MATTHEW HERBERT『One One』
OF MONTRIAL『False Priest』
SUFJAN STEVENS『The Age of Adz』
JONSI『Go』






「USインディーが猛威をふるい、UKギター・ロックが低迷していた」。どの音楽雑誌をめくってもこのような言葉で2010年のシーンが総括されるであろう。確かに、今年は僕もUSインディーを良く聴いた。ビーチ・ボーイズやフィル・スペクターへの憧憬が散見され、そのノスタルジアはアメリカ全土を覆っていた。彼らは己の好きなままに過去を模倣した。それは一つの制度と呼べるくらいに膨張し、コード化された。アリエル・ピンクのように暴力的なまでにあらゆる過去を切り取り、それらが歪なままに、強引に繋ぎ合せてゆくことによって奇妙な構造物を作り上げるアクトもいれば、過去を巧みに模倣することによってそこにフレッシュな驚き(古臭さとは時に新鮮である)を与えるマジック・キッズのようなアクトもいた。だが、次第にどうしようもなく退屈になってきた。どこかでこんな文章を見つけた。「USインディーはアーティストが楽しそうに、自由にやっていてとても羨ましい。日本のアクトはなんであんなに暗い雰囲気なんだ」。文章が解釈可能性に満ち満ちていて、僕の読解力では何を言いたかったのかさっぱり分からなかったのだが、僕はこれに対しては脊髄反射レベルで反感をもった。文脈をたどるとそこで語られている「自由」とはマーケットを意識せず、ということらしい。僕に言わせてみればそんなことは大きな間違いで、USインディーのアクトは彼らなりに、彼らが該当するマーケットを意識して曲を作っていることは間違いないだろう。日本には同様のマーケットが微小であるため、なかなかそれが難しいということであろう。そこを単純に比較して「自由」云々とクリティ―クするのは大きな間違いである。そんなこんなで僕はUSインディーをほとんど聴かなくなった。いや、聴いてはいたのだが、少なくとも2010年上半期のようなワクワクした心持ちで聴くようなことはほとんどなくなった。ノー・エイジやディアハンターなど非常に良質なアルバムを上梓してきたアクトもいて、かなり心を揺さぶられもしたが、振り返ってみるとUSインディーに拘泥した年、とは全く言えなかったし、「USインディーに希望しか感じない」(これも何かの雑誌で読んだ)とはお世辞にも言えない一年であった。そんな僕が何を好んで聴いていたかと言うと上に挙げた10枚である。

 ヨンシー(Jonsi)『Go』。シガー・ロス『残響』で垣間見せていた「音のポジティヴィティへの希求」が一気に花開き、躍動感に満ちたメロディ、トライバルで多彩なリズム、「成長」をテーマにした歌詞、それら全てが有機的に絡み合った傑作となった。ただ、このアルバムは「僕は君のことを知らないまま終わってしまうのさ 君は誰のことも本当には知らずに 終わってしまうのさ」という内省的な歌詞もひっそりと抱えている。ネガ・ポジのどちらにも振り切れること無いこのアルバムをポジティヴィティのみで語るのは片手落ちだろう。

 スフィアン・スティーヴンス(Sufjan Stevens)『The Age of Adz』。シンプルであることを基調とした「いわゆるUSインディー」を横目に見ることもせず、できるだけ大袈裟に、できるだけ過剰に、できるだけ派手に(全部似たような意味か)己のイマジネーションを爆発させた男が、スフィアン・スティーヴンスその人である。そこではお得意のチェンバー・ポップに無理やりエレクトロニカを縫い付け、ひたすら自分語りをし続けるという、最先端の承認欲求が音として鳴り響いていた。今年もっとも愛おしかったアルバムである。

 オブ・モントリオール『False Priest』。相変わらず、ド変態でファンシーで、ファンキーで、キュートな連中、オブ・モントリオールの新作はあまりに妄想過剰だった前作をスマートにまとめあげた傑作...というものでは全くない。今作も十分に好き放題やっていて、そこが彼らのファンにとってはたまらない。スマートに纏まってはいないが、前作よりもアルバム全体として聴きやすくなっていることは確かである。外部プロデューサーの導入が大きかったのだろう。「表現の深み」など一切必要としない彼らの音への快楽性のみを極めて表層的に追求するその強靭なメンタリティ(一応コンセプトはあるのだからこれは言い過ぎ?)には恐れ入るばかりだ。

 マシュー・ハーバート『One One』。この美しい傑作についてなのだが、ここまでスフィアン・スティーヴンス、オブ・モントリオールと書いていて、変態ばかり書いていることに気づく。彼は新聞紙を破った音、トースターの音、ゴミ箱に落ちた鼠が逃げようとする音を使ってレコード作るような人間である。そんな彼がソロ名義で出したコンセプトアルバム『one one』はいつものハーバートでした。内省へと向かった音像ではあるが、個人的にはそこはあまり気にならず、ハーバートが曲を作れば面白くなるというそれ以上でもそれ以下でもない、ただひたすらハーバートの個性が際立っていることを証明するアルバムだった。

 ワイルド・ナッシング『Gemini』。今年の新人の個人的な大プッシュがこれ。80sポップの要素もあれば、シューゲイズの要素もあり、はたまたチルウェイブのような要素もある、と言えば昨今のUSインディーのデフォルトだろうか。ただ、そこにザ・スミスを盛り込んでみてはどうだろう?「There is a light that never goes out」のどうしようもない内省と生と死の狭間を行くその浮遊感がこのアルバムには満ちている。これはジャック・テイタムという一人のナードのソロ・プロジェクトであり、彼のベッドルームの妄想絵巻であることを考えると、深い内省がこのアルバムに満ちた時に甘酸っぱく、時に穏やかに煌めくポップの根底にあることは想像に難くない。

 LCDサウンドシステム『This Is Happening』。どこまで本気だったのか。彼は一度、二度とアルバムを作らないという発言をした(これは後に訂正された)。そう言ってこのアルバムをシーンに投下した。彼はデビューした時からノスタルジアの帝王であった。「俺はそこにいたんだよ」という言葉に類いまれな無力感を付与しながら颯爽と重い足取りで彼は音楽シーンに現れた。現れた時にはすでにいいオッサンだった。No NYの不機嫌なディスコを基調としながら、それをエレクトロニカの意匠で飾り、彼は全世界を躍らせた。そんな彼の3rdアルバムはいつも通りどこまでもグズグズとしていた。しかも、その音と歌の説得力は相変わらず抜群だった。「君はヒットしたいんだろ。でも僕らにヒットは飛ばせやしない」「僕が欲しいのはただ、君の同情」こんな歌詞を40そこらのおっさんが必死に歌ってたらそれは泣けるでしょう。島宇宙化が進み、ビートルズが決して現れない世界でポップ・ミュージックがどう鳴らされるべきかを模索する男の怒りと涙と諦め、そして決意のアルバム。

 ミステリー・ジェッツ『Serotonin』。誰よりも早く80sにおけるMTV全盛の空気をその作品に盛り込み、至高のメロディセンスを惜しげもなく披露した前作をさらに華やかに、さらにメランコリックに飛躍させたこのアルバムは僕にとって、2010年音楽シーンにおけるハイライトであったと断言したい。この場で挙げる10枚の中でも最も聴いた一枚であることは確かだ。世間で盛り上がっていないのが非常に不思議であり、メディアにおける扱いの小ささはこれは何かの間違いではないかと呟きたくなるほどだ。歌詞の内容も最高だ。「もう遅すぎる」「彼女は行ってしまった」。こんなことばっかり。しかし、聴いていると何とも言えぬ最高の気分になってくる。我々がイギリスの音楽を愛するのはこの出口の無いグズグズした内省が語り手の絶妙なナルシズム(「こんなに内省してる僕...」)とともに、鼓膜を刺激するからに違いない。この高揚感以外は何も見当たらない僕の白痴な文章を読めば、どれほどこのアルバムに涙し、興奮させられたかがわかるであろう。

 YUKI『うれしくって抱きあうよ』。歌詞カードに付いている写真が素晴らしい。YUKIが見えない何かを抱擁している写真が載っている。そこでYUKIは張り裂けんばかりの笑顔、何かを取り逃がしたような顔、妖艶な顔、様々な表情を浮かべている。その中でも圧倒的に笑顔が多く、何かを抱きしめることの喜びが伝わってくる。しかし、その写真でも、歌詞の中にも、そこにいるのはYUKIだけである。彼女は何も抱きしめてはいない。いくら「僕」と歌っても相手はそこにはいない。「君」と「僕」のセカイ系作品ではない。もう一度言うがここにはYUKIしかいないのだ。それでも彼女はそこに何の疑問も無いようにしてを求め、「愛」を歌い続ける。この決意には心を打たれた。「幸せを持ちあわせ 1人より2人なら レコードは廻り出す うれしくって抱きあうよ」「動き出す2つの鼓動 辿りつく涙の岸辺 降り出した雨止まずに びしょ濡れならそのままもいいさ」。このまま、歌詞をひたすら載せ続けていきたい衝動に駆られるが、続きはアルバムを聴いてください。

 デ・デ・マウス『A Journey To Freedom』。自由への旅立ちとはよく言ったものだ。どこかノスタルジックで内省的だった前作とは少々趣が違う。旅立ちへのファンファーレのようだ。メロディは独特のオリエンタルなムードを持ちながらも非常に華やかに煌めいている。このアルバムは子供の声から幕を開ける。彼は「先の見えない真っ暗な未来へと飛び込まされる以前の、真っ直ぐさ」と子供について語っている。あまりに眩しい旅立ちだ。僕はそこに心底やられた。全編を駆け巡る強靭なビートが高揚感に拍車をかける。しかし、このアルバムには秘密がある。なにしろ9曲目は"goodbye parade"なのだ。何も知らずに、無邪気さと戯れることが自由なのではなく、全てを知って、それらを引き受けたうえで、踏み出す一歩こそが自由への旅立ちなのだ。子供は大人にならなくてはならない。子供のような無邪気さが迸るこのアルバムにはデ・デ・マウスの深遠な決意が漲っている。

 コリーヌ・ベイリー・レイ(Corinne Bailey Rae)『The Sea』。夫を亡くした彼女は活動を休止し、沈黙した。そして、彼女はまた、音楽を始めた。この2ndアルバムに収録されている楽曲のほとんどは彼女の亡き夫について歌われたものだ。 「あなたはここにいるの?あなたは今そばにいてくれるの?ここにいるのね?だって心に甦る何もかもが、鮮やかなままだから 何事もなかったかのように感じるの」人は過去の奴隷ではない。しかし、人は過去によって支えられているし、過去がまた未来で反復することもある。時は脳を侵し、肉体を否応なく変容させる。想い出という手に取ることのできない何かは、いつだって僕らの心に現れては消え、それを繰り返す。2010年の僕のミュージック・ライフで最も光り輝いたのは、己の過去と壮絶な争いをした、一人の女性の孤独な、そして計り知れないほどの愛に満ちたアルバムでした。

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