オルタナティヴとしてのアストル・ピアソラ―『Octeto Buenos Aires』を巡って

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astor_piazzolla.jpg 晩年期の"アメリカン・クラーヴェ"に残した作品が高音質で再発されるなど、俄かにアストル・ピアソラの界隈が賑やかしい。それは、ピアソラ自身が遺した音が今でも耐久度を持っている、とか、今こそ新しい解釈を迫るものである、といった理由ではなく、「現代音楽内でのピアソラ」をポストモダンの瀬で切取り線を敷こうという些か野蛮な試みの一環である気がしてならない。『タンゴ・ゼロ・アワー』以降なのか、『12モンキーズ』以降なのか、菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラール以降なのか、その境界の「線」は分からない。それでも、その「境界線」の上では無数の言葉が行き交い、多くの人が改めてタンゴをイメージしてみたのは確かだろう。

 多くの人がイメージする「タンゴ」が帯びる表層的なエレガンスの裏には歴史の暗みと深みが広がっており、その「暗み」の背景では、ダンス文化とローカリティーが鬩ぎ合っており、19世紀末頃のアルゼンチンのブエノス・アイレスという港町でヨーロッパからの移民たちや少し世間の道を外れた人たちがキューバ伝来のアバネーラにアフリカ系の祭祀性とアルコールを入れて、野放図なダンスする度に零れ落ちる切なさが気化していた。その気化するまでの切なさを少しでも紛らわせるように、バンドネオンのダイナミクスが必要だった訳であり、最初はフルートやヴァイオリンといったものが基調になっていたが、アコーディオンでないとダンスに「間に合わなかった」とも言え、そして、ヨーロッパからの移民たちの故郷喪失者ゆえの切実な想いがタンゴへ仮託(マップ)されることとなり、よりタンゴという音楽は哀愁とヘビーな情感を孕むことになった。その情感が今でもタンゴをときに、悲痛な音楽形式へと引っ張る。

 しかし、こういう側面もある。第一次世界大戦がもたらせた好況なども合わさり、20世紀に入った頃にはブエノス・アイレスは急激に発展し、タンゴを取り巻く環境も変わっていき、人口が増え、ダンスホールなどを中心に盛んに踊られるようになり、人々の娯楽としてブエノス・アイレスの代表する音楽となってゆき、それを見たヨーロッパの人たちが、ヨーロッパ大陸へと運んだ。ヨーロッパに渡ったタンゴは、「コンチネンタル・タンゴ」として編成のスケールが大きく、いわゆる社交ダンス用にモダナイズされることになったということ。このタンゴがエキゾチシズムとして現代に希釈されて、幅広く流通しているのは紛うことない。また、タンゴという音楽自体の「人気」に関して言うならば、40年代から陰りは見えてきていたものの、フリオ・デ=カロからオスバルド・プグリエーセ楽団に至る流れが、アルゼンチン・タンゴの暗みとセンチメントをより「正統」に引き継いでいた。となると、既にそれなりの歴史があったアルゼンチン・タンゴを担い、ときに実験の材料にしたアストル・ピアソラという存在は、タンゴの歴史下での異端者として捉えるべき存在になるのだろうか。僕はそうは思わない。「純正なる冒険者」であり、モダニストという側面から見るのが正しいのかもしれない、と思っている。彼は貪欲にタンゴという音楽を向かい合い、その結果、モダンネスの中でタンゴを「再発見」したとも言える可能性もあるからだ。

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 少しバイオグラフィーに触れよう。アストル・ピアソラは1921年の3月11日にブエノス・アイレス州マル・デル・プラタで生まれているが、幼少の頃はニューヨークで過ごしているのもあり、タンゴ自体への距離感さえ持っていた。8歳の頃に父親からバンドネオンを買い与えられて、少しずつフォルクローレやクラシックを練習し、腕を上げていった。タンゴの持つ可能性に気付いたのはラジオで聴いたエルビーノ・バルダーロ楽団の演奏だったという。

 そして、アニバル・トロイロ楽団への参加、アルゼンチン・クラシック界のアルベルト・ヒナステーラへの師事、フィオレンティーノの伴奏楽団の指揮者、その楽団を発展させたオルケスタ・ティピカを経て、その解散後の50年代に入ってからは他の楽団への作曲、編曲などの過程で、「パラ・ルシルセ(輝くばかり)」、「タングアンゴ」、「トリウンファル(勝利)」、など幾つもの意欲的な曲を残した。印象的なのは、その時点で既に管弦楽からのアプローチが為されるなど、クラシカルな因子が見えるということだ。例えば、それは女性歌手のマリア・デ・ラ・フエンテの伴奏楽団の編曲指揮を手掛けていた時期に作曲した「手の中の天国」、「同罪」、「フヒティーバ」の三曲にも含まれている。1954年に彼は奨学金を得て、パリに留学し、ナディア・ブーランジェに師事し、「クラシック作曲家としての道」を進もうとするものの、彼女から「タンゴを極めた方が良い」との助言を受け、この年、16曲(自作曲含め)をパリ・オペラ座の楽団員たちと録音している。1955年の『シンフォニア・デ・タンゴ』でその一部を聴くことができるが、粗さの中にも彼のタンゴへの情熱の原点となるものが含まれている好盤である。
 
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 パリからアルゼンチンに帰国した1955年といえば、タンゴはもはや大衆文化と密接に結びついている音楽ではなく、チャック・ベリー、リトル・リチャード辺りのR&B~ロックンロールという様式がユース・カルチャーを中心に芽吹きだしている中で、旧来的なタンゴという音楽が持つダンス・ミュージックとしての有効性は低くなってもいた。そんな時代を背に、ピアソラはブエノス・アイレス八重楽団(オクテート・ブエノス・アイレス)と弦楽オーケストラの二つを結成する。前者はすべてインストゥルメンタルであり、ジャズ界から参加したオラシオ・マルビチーノのエレキ・ギターも入った前衛性を持ったものであり、後者はほぼ既成曲をホルヘ・ソブラルが歌うというもので、この二つの活動に関しては巷間の「真っ当な評価」が殆ど伴わなかった。その傷心を受けてか、ニューヨークに居を移し、再び1960年に帰国して組んだバンドネオン、ヴァイオリン、ピアノ、エレキ・ギター、コントラバスからなる、キンテート(五重奏団)を結成し、愈よ活動が軌道に乗ることになってゆくが、以降の作品群は比較的、手に取り易く、録音も良いものも多く、評価軸も定まっているような部分も強い。

 だからこそ、僕自身としては、オルタナティヴとしての突端であった初代オクテート・ブエノス・アイレス時期の『Octeto Buenos Aires』の孕む艶やかさと荒さの共存した独特の音を推したい。今の耳で聴いても、面白く、発見があると思う。ピアソラのバンドネオン演奏自体の豪放さ、「Marron Y Azul(栗色と青色)」といった名曲含め、過度な前衛性に傾ぐ寸前でハンドルを切り返す様な危ういバランスも楽しむことができる。マテイ・カルネスクの言に沿うならば、モダニズムとは美を決して変わることのない永遠の価値とするのではなく、不断の変化、「新しさ」を追求して常に前進し続ける運動の形態と捉えることが出来る。ピアソラのオクテート・ブエノス・アイレスには、「新しさ」があるからこそ、多少の無愛想さと厚顔、加え、青さも見受けられる。しかし、芸術において起こりうる唯一の過ちが模倣であるとしたならば、ここでは模倣としての芸術が陥りがちな不遜さを周到に回避しながら、凡庸なラジカリズムへの忠信よりももっと性急な「前進」への欲動がおさめられている。

 晩年の高評価、また、再更新されてゆく彼を巡るイメージを出来る限り迂回するように、1955年前後の彼の活動及び作品の持っていたパトスを主題に置いて、「それまで」を書いたのは、どうしても、作品としては80年代の五重奏団によるものが薦められやすく、『タンゴ・ゼロ・アワー』など形態を変え、何度も再発されることもあり、それ以前の「音源」自体がどうにも正当に評価枠に入りきれない気が個人的にしているからだ。80年代以前でも、60年代での五重奏団での形式でようやく彼が掴んだ手応えやその熱が収められている1965年の『ニューヨークのアストル・ピアソラ』であったり、70年代に入ってからの、1970年の『レジーナ劇場のアストル・ピアソラ』での「ブエノス・アイレスの四季」への対峙の仕方、1974年のイタリア期の『リベルタンゴ』など十二分に美しさと強度を兼ね揃えた傑出した作品も多い。それらの作品群が示唆するのは、トラディショナルなタンゴを内破していった革新者としての側面や現代音楽からのアプローチで彼の音楽を捉えるにはあまりに御座なりになってしまうということだ。例えば、バンドネオン奏者として活躍する小松亮太氏の09年のピアソラのベストの選曲などは潔く、円熟期の彼ではなく、野心を持っていた時期の作品をメインに纏め上げていて、僕は好感が持てたが、タンゴとは、やはり額縁で眺める歴史資料ではなく、その音自体が放つ猥雑で官能的で、それでいて、ダイナミック且つ繊細な要素にこそ、魅惑を感じるべきだという気がするとともに、現在進行形で新しく発見されてゆくような「活きた」音楽なのだとも思う。

 確かに、ピアソラは大衆のための音楽としてのタンゴを藝術の領域まで高めた偉大なる功労者かもしれず、音楽そのものを「眺める」だけでも十二分に感じるものがあるが、彼のステージングを映像を通してでも観たことがある人なら、張り詰めたテンションに鳴動させられたと同時にそのクラシックな佇まいに思うところもあったと察する。ピアソラを巡る解釈や想いは聴取者の数だけ何通りでもある分だけ、様々なコンテクストを踏まえた上で余計なバイアスやイメージを除いて、挑むべきなのだろう。

『Octeto Buenos Aires』の持つ尖りは今なお喪われていなく、ここでのピアソラはポストモダニズムの手の平の上でスポイルされてしまうような匿名性の強い音を見事に回避している。

(松浦達)

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