ブラント・バラウアー・フリック『ユー・メイク・ミー・リアル』(!K7)

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brandt_brauer_frick.jpg 最近でも、NICOLA CONTEの04年の名盤『Other Directions』のデラックス・エディションがリリースされるなど、ミラノの〈SCHEMA RECORDS〉を中心にしながら、ヨーロピアン・クラブ・ジャズ・シーンを巡る熱は相変わらず高いものがある。思えば、05年のTHE FIVE CORNERS QUINTETのフル・アルバム『Chasin' The Jazz Gone By』(過ぎ去りしジャズを求めて)というタイトル名と内容が象徴していたように、「記号としての優等生的なモダン・ジャズ」をスタイリッシュに見立ての良い衣装(意匠)で纏い、引用レベルのアフロ・ビートとパーカッションが入った流麗な音はカオティックな音楽が溢れる中で、まるで壁一枚隔てた無菌室、エレガントなダンスホールで「鳴っている」ような幻想をもたらせてくれたのは確かだ。ジェラルド・フリジーナ、ザ・インヴィジブル・セッションなどもクラブを通過したジャズとして、ファッショナブルでヒップな多くの人に求められ、結果、そのような破綻なきスムースさが直接のフロアーも含め、カフェにも「居場所」を見つけてしまったのは周知のことかもしれない。兎に角、個人的に、00年代の後半は行く国々のカフェで、"打ち込みが入った如何にもなジャズ"が流れる場面に出会うことが多かった。

 また、その流れと並行して、無名に近かったイタリアのピアノ・トリオであったMAYAFRA COMBOの77年の良作『Mayafra』やGIL CUPPINI QUINTET、ROB AGERBEEK QUINTET等が再発見・再開拓され、過去に埋もれていたヨーロピアン・ジャズまでも「今」に取り込まれて、クラブでスピンされているのは良いものだな、と自然と昂揚したが、ハウス・メイカーのSTEFAN GOLDMANの『Le Sacre Du Printemps』が09年にドロップされて以降とも言えるだろうか、いわゆるクラブ・ジャズはミニマル・テクノと微妙に拮抗するようになっていったような気がする。当該作品における、ストラヴィンスキーの『春の祭典』のスコアを146もの断片にエディットした所作はポスト・クラシカルとしても鮮やかであり、クラブ・ジャズ・シーンが進めたモダンネスを対象化するものがあった。10年代に入ってから、個人的に京都のクラブ・ジャズ・イヴェントに訪れたとき、かかっていたのは、大半が05年から増えだした「名の通った」冒頭から挙げたようなヨーロピアン・クラブ・ジャズだったものの、STEFAN GOLDMAN、COBBLESTONE JAZZ、THE MOLEやWAREIKAといった、ジャズというよりもミニマル・テクノに近い音も混ざりだしていたのには驚いた。取り分け、COBBLESTONE JAZZの存在には魅かれた。生音を取り入れたジャズの即興性とラップ・トップ、リズムマシンを組み合わせた上で緻密な音を生みだすのに長けており、ライヴで見せるクールネスから含めて、ディープ・ミニマル・シーンの胎動を強く感じさせるバンドだと思ったのと同時に、シーンの「これから」に強い関心を持った。

 そのシーンの「これから」を担っていくことになるだろうBRANDT BRAUER FRICKの持つ懐の深さと知性には期待をしている。ダニエル・ブラント(DANIEL"BRANDT")、ヤン・バラウアー(JAN"BRAUER")、ポール・フリック(PAUL "FRICK")の三人からなるベルリンを拠点にした多彩なアイデアを持ったバンド(察しの通り、バンド名は彼らの名前の繋ぎ合わせである)。何より先に、多くの人が彼らの存在に注目を持つようになったのは09年のPV「Bop」だろう。映像作家としての肩書も持つメンバーのダニエルのディレクションの下、旧き良き時代の歌謡ショー"ミニマル・パレード"(司会者の言葉に対応して、なぜか、日本語字幕が流れる)のショーケースに参加する彼らがピアノ、ヴィブラフォン、ドラム、パーカッション、金管楽器を扱いながら、10人以上に増えていったり(その内、扱う楽器は、半分くらいは壊れたようなものである)、途中にはバレリーナが現れて可憐な舞いを見せるなどシュールな内容に終始しており、かのカニエ・ウエストも自身のブログで紹介していた。

 都度の音源が12インチのヴァイナルとしてカットされる度に、DJやアーティスト、早耳のリスナーによって売り切れを起こすなど、密かに彼らを囲む状況は盛り上がる中、ファースト・フル・アルバム『You Make Me Real』が届けられた。日本盤のリリースは昨年の末になるが、この作品が持つ熱量は今も着実に世界中に伝播していっており、2011年はスタジオ・ワークスを越えてライヴでの真価もより試されるだろう一年になると思う。このアルバムは「9曲で1曲」のような感じさえ受ける、シームレスでひんやりとした温度とピアノを基調としたトーンに多様な楽器と微妙に反復を逸れる電子音と共に、ミニマルに紡がれる音像が特徴的である。その生音とエレクトロニクスの絶妙な混合は、緻密な設計図さえあるのではないか、というほど精度が高い。加えて、ミニマル・テクノ、ミニマル・ミュージックの造形美を保ちながら、静謐に体を揺らせてくれるという意味ではテックハウスの様な享楽性もある。目立った曲としては、3曲目の「Paparazzi」でのピアノの連弾にビートが刻まれていき、じわじわと熱が帯びてゆく気配は美しく、ダウンビートとサウンド・エフェクトの妙が心地良い9曲目の「Teufelsleiter」も面白い。その中でも、5曲目の「Mi Corazon」がハイライトと言えるかもしれない。パーカッションとプログラミングされた電子音にピアノや金管楽器などが静かに絡む硬質なテクノで、非常に素晴らしい。

 ちなみに、このアルバムで聴こえる音をして、ある雑誌ではセオ・パリッシュの名を彼らに賛辞として寄せていた。それも分からないでもないが、もっと彼らの場合は「現代音楽」寄りなところがあり、スティーヴ・ライヒの『Drumming』を思わせるようなアフロ・リズムが伺える曲もあったり、ポスト・クラシカルと言われるアーティストたちに繋がる要素の方が強い気がする。ライヴも映像で見る分には音が想起させるような締まった印象よりも、もっとラフで肉感的な雰囲気が先立っていた。こういった音はライヴでのダイナミクスこそ「体感」してみたい。

(松浦達)

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