February 2011アーカイブ

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1月におこなわれ大盛況だったスーパー・ファンタスティックなDJイベント、ラウンジ・クッキーシーン。第2回の開催がいよいよ間近に迫って参りました。最終確定したDJ陣などの詳細をお伝えします!

日時:3月12日(土)21:00~翌朝5:00

場所:渋谷 Bar&Cafe 特異点

チャージ:500円(プラス・ワン・ドリンク・オーダーがマストになります)
*クッキーシーン最新ムック『Pop & Alternative '00s』を当日ご持参の方はチャージ無料!
*会場で販売される上記ムックをご購入いただけた方は、ドリンク引換券を1枚進呈!

DJs
Cookie Scene Staffs

伊藤英嗣  twitter→@hidetsugu_ito
小熊俊哉  twitter→@kitikuma3
Cookie Scene Contributors
犬飼一郎  twitter→@roro1656
ekatokyo  twitter→@ekatokyo
黒田隆憲  twitter→@otoan69
近藤真弥  twitter→@TBotaku
Special Guests
@K     twitter→@AAA_3
Kawanishi  twitter→@kawanishi_JUKE
深水光洋  twitter→@satsumagenjine

前回にひきつづきクッキーシーン編集部から伊藤と小熊が、そしてコントリビューター陣から上野(功平:ekatokyo)と近藤(TBotaku)が! 今回はさらに後者から、犬飼(roro1656)と黒田(otoan69:『シューゲイザー・ディスク・ガイド』監修者のひとり)が駆けつけてくれます!

スペシャル・ゲストとして、オール・ミックス・パーティーJUKEBOXで青山の夜を熱くめらめらと燃やしている、ミスターKawanishiが! さらには、なんと深水光洋が! 後者は活動休止中のポップ・バンドTotosのリーダーとして、もしくはThistimeレコーズの斬りこみ隊長として知られています(深水はかつてビート・クルセイダースのオリジナル・メンバーとともにBrokenspaceという超人気バンドをやっていました。2009年に復活した「バンド演奏あり」のクラブ・イヴェント、クッキーシーン・ナイトでは伊藤とふたりで運営も担当しています)。

そして、前回および今回の運営に関わってくれた@K(青木:マイブラ・ナイトなどさまざまなパーティーを都内で主催)も、もちろんDJで参加!

上記ムックと同じセレクション基準(1990年以降にファースト・アルバムを発表したアーティストによる、2000年1月から2009年12月までにリリースされた作品)で、最高の曲がかかりまくり!

また、今回はちょっとした新しい試みも...。それについて詳しいことは開催直前に発表しますが、まあ、それはたいしたことじゃないといえば、たいしたことじゃない...。とにかく「現場」がいちばん楽しいことは間違いない。その場にいなければわからないおもしろさが確実にあります。

ご来場者全員が楽しめるよう、一同、萌えます...いや、間違った。燃えます!

可能な方は、是非遊びにきてくださいねー! よろしくです!

2011年3月6日5時6分(HI)

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 ロンドンの中心街から地下鉄で20分ほど北東へ向かった「Old Street」駅より徒歩10分くらいのところに、今回の会場「Hoxton Square Bar & Kitchen」はある。いわゆるイヴェント・スペースで、カフェ&レストラン、ギャラリー、小さめのライヴハウスなどが一緒になった、日本で言えば「渋谷アップリンク」のような場所だ。今夜はここで、モグワイのライヴが行なわれる。言うまでもなくモグワイはUKを代表するインストゥルメンタル・ロック・バンドであり、日本でも「恵比寿Liquid Room」や「新木場Studio Coast」を満員にしてしまうほどの人気と実力を誇っている。そんな彼らが、200人も入ればギチギチになってしまうようなハコに出演するのだ。

 実はこれ、2月中旬からベルファストの「Mandela Hall」を皮切りにスタートする彼らのUKツアーに先駆けた、言わば「リハーサル・ギグ」のようなもの。All Tomorrow's Partiesの粋なはからいによって実現したこの滅多にないチャンスにロンドンでは壮絶なチケット争奪戦が巻き起こり、あっという間に完売となったようだ(そりゃそうだろう)。地元に住む友人たちにも羨ましがられたこの一夜限りのショウを、幸運にも筆者は観戦することが出来た。

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周知のとおり、来たる2月27日にAll Tomorrow's Parties(以下ATP)の姉妹イヴェントとでもいうべきI'll Be Your Mirror(以下IBYM)が新木場スタジオコーストにて開催される。

ATPといえば、開催ごとにアーティスト/バンドがキュレーターとなり、出演者を決定するというコンセプトで知られている。過去にもモグワイ、オウテカ、トータス、マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン、果てはシンプソンズの作者として知られるマット・グレイニングetc...、錚々たる面々がそのホスト役を務め、どの面々も自分たちの趣味性を存分に発揮した味のあるブッキングを披露。商業主義に中指を突き付けるかのような(実際、ATPは一切の企業スポンサーを受け付けていないことでも知られる)挑戦的かつイマジナティブなラインナップに毎回圧倒させられる。このフェスの創立者であるバリー・ホーガンや(ソニック・ユースの)サーストン・ムーアは過去にATPを「究極のミックステープ」と形容しているが、まさにアーティストも含めた音楽ファンの夢を具現化した理想的なパーティーと呼べるであろう。

世に数多ある音楽フェスのなかでも、「DIY」とか「オルタナティヴ」とかという観点でいえばぶっちぎりなこのイヴェントが、ついに日本でも開催されるというのは実に興奮させられる(残念ながら、最初ということで上記のキュレーター・システムは今回採用されていないが、たとえば選ばれた出演者は世間でのATPのイメージとかなり近いものがあるし、そのなかでもトリを務めるゴッドスピード・ユー!ブラックエンペラーの演奏枠が2時間もあるのは実に"らしい"といえるだろう)。

一方で、どうせ観るなら本場の空気を直に体感したい...そう考える人もいるはずだ。IBYMは基本的な部分はATPとは変わらないものの、都会の町中で開催することで手軽に楽しめるようにすることをコンセプトとしており、それなりの準備をしてド田舎のリゾート施設で宿泊もしながらノビノビと満喫する本家ATPとは若干様相が異なる。またATPに限らず、コーチェラやロラパルーザ、グラストンベリーなど、海外の有名フェスのラインナップをながめるたびに、悔しくてハンカチを噛む思いをした音楽ファンはたくさんいるはず。

しかし、やっぱり海外に足を運ぶとなるといろいろ心配になってしまうのも事実。言葉も通じない、勝手もわからない。費用は? 交通手段は? 未経験者からしてみたら、どうしても敷居が高くて遠い世界に感じてしまうのも無理のない話だ。

そこで今回は<ATP NY 2010レポート対談>と題して、昨年9月3日~5日に開催された同イベント(このときのキュレーターは1日目と2日目をATP、3日目はつい最近ユニクロTシャツ化もされた、偉大な映画監督ジム・ジャームッシュ!)について、黒田隆憲さんと上野功平さんの両コントリビューターがその目で見聞きしてきた感想や体験談を、パスポートすら未所持なわたくし小熊が聞き手となり、対談形式で掲載することにした。IBYMへ臨む前にこれを読めばテンションも上がること必至だし、日本での常識では考えられない魅力的な目ウロコ話の連続で、海外渡航のノウハウにいたるまでを実体験込みで語っていただいているので、これから海外に"冒険"してみるつもりの方にもぜひとも参考にしてほしい内容になっている。

ちなみに、この対談自体はイヴェントの終わった数日後(昨年の9月中旬ぐらい)に収録されていたものである。そのときはまさか日本でも開催されることになるとは誰も予想だにしておらず、アナウンスを知ったとき三人一様に驚いてしまったことを本文に入る前に追記しておく。今回のIBYMはチケットも無事にソールドアウトしたそうだし、日本でもこのまま定着していってほしい! 

また今後のATPは、イギリスにて5月にアニマル・コレクティヴ、12月にジェフ・マンガム(ニュートラル・ミルク・ホテル)、またIBYMのほうはロンドンで7月、ニュージャーシーで9~10月にともにポーティスヘッドとATPが、いずれもキュレーターとなり開催される予定となっている。

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去る1月、渋谷の夜をおおいに盛りあげた(笑)スーパー・ファンタスティックなDJイヴェント、ラウンジ・クッキーシーン。第2回の開催が決定しました! というか、ちょっと前に決定していたんですが、発表が遅くなってしまいましたー!

日時は、3月12日(土)21時〜29時。前回同様、チャージは500円(ワン・ドリンク・オーダーがマストとなります)。クッキーシーンの最新ムックを当日ご持参の方はチャージ無料! 会場で販売されるムックをご購入いただけた方は、ドリンクとの引換券を1枚進呈します。

場所は前回と同じく、渋谷のBar&Cafe 特異点。DJ陣など詳細は最終確定し次第発表します。

都内近郊のみなさん、遊びにきてくださいねー! よろしくです!

2011年2月26日1時22分(HI)

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クッキーシーン編集長伊藤英嗣(って、文末の署名から推測されるとおり、これを書いてる本人なんですが...。すみません:恥&笑)による「歌詞対訳講座」が、音楽配信サイト、オトトイで開講します。

サブ・タイトルは「ポップ・ミュージックが歌ってきたもの」。講座とはいっても決して堅苦しいものではなく、わりとフランクな講師を中心とした「ゼミ」みたいなものと考えていただければ...(というか、ぼくは大学生時代「ゼミなしっ子」だったので、推測で話しております:笑)。

くわしくは、こちらをご覧ください。

上記リンク先に講座の予定が書いてありますが「内容」はあくまで仮。メンバーの希望を受けつつ、とりあげるアーティストのセレクションは、ある程度フレキシブルに変えていく可能性ありです。

ぼくがこれまで絡んだ「商品」としては最も高額なものとなっており恐縮ですが、よくある「教養講座」みたいなものよりはたぶん安いと思いますし、その価格にみあったものにしたいと強く思っております。月1回、半年間、ともに学んでいければ幸いです!

基本的に、英語がそれほど得意ではない方も歓迎です!

ちなみに、ぼくは父親が(そして、なぜか妻も偶然)高校教師...。「教師」的なものにさからって(笑)今もこういうことをやっているわけですが、ついにぼくもそれっぽいことを...。うー、悔しいので、ますますそうじゃなくふるまうよう努力したい...です...。

なにかご質問がございましたら、ツイッターのぼくのアカウント(@hidetsugu_ito)まで「アットマーク・ツイート」をとばしてください。なるべく早めにお返事さしあげるようにします(ツイッターをやっていない方、すみません...。ただメールだと、なかなかお返事できない可能性もあるので...)。

よろしくお願いします!

2011年2月24日2時55分(HI)

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bright_eyes.jpg 「ブライト・アイズの新作が出た!」ってことで、僕がツイッターでフォロワーさんと交わした会話に「あの手コキの歌、好きですよ!」という言葉があった。僕はもちろん激しく同意。その歌は2004年に「Lua」と同時にリリースされたシングル「Take It Easy(Love Nothing)」のこと。"最初は手でやってもらって、その次は..."って、いきなり歌い出すあたりが素敵。この2曲は全米チャートで1位と2位を独占した。ブライト・アイズは当時、ブッシュ政権の再選を阻止することを目的とした"VOTE FOR CHANGE"ツアーに参加。スプリングスティーンやR.E.M.とステージを共にしているが結局、そのときはブッシュが再選を果たしている。ブライト・アイズはその直後、ブッシュ政権を批判する「When The President Talks To God」をiTunesからリリースした。手コキの歌のあとに、真摯なプロテスト・ソングで国家に楯突く。僕はその時からブライト・アイズを本気で好きになった。僕たちにとっては両方とも切実な問題だから。

 前作『CASSADAGA』がリリースされたのは、ブッシュ政権下の2007年。荘厳ともいえるオーケストラ・アレンジと緻密なリズム・アプローチ(ジョン・マッケンタイアも参加)が印象的だった。カントリー/フォーク・ミュージックを現代へと継承するソング・ライティングも本当に素晴らしかったけれど、かつてのような「叫び」は抑えられている。安定感のあるサウンドは、ブライト・アイズがコナー・オバーストのソロ・ユニットからバンドへと変貌したことを印象づけた。その後、ブライト・アイズはデビュー以来初めてコンスタントなリリースを休止し、コナー・オバーストのソロやモンスターズ・オブ・フォークとしての活動へと移ってゆく。そしてブッシュが表舞台から姿を消すまでに、僕たちは2年も待たされることになる。

 2009年のオバマ政権誕生から、さらに2年。ようやくブライト・アイズとしての新作が届けられた。タイトルの『THE PEOPLE'S KEY』とは、クラシックやポピュラー・ミュージックで"Gメジャー"を表す言葉だという。ギターやキーボードを持っている人は、ポロンと鳴らしてみよう。"人々のキー"と呼ばれる理由がわかるかもしれない。アルバムはSF調のスポークン・ワードに導かれて幕を開ける。燃え上がるジャングルのようなアートワークも意味深だ。バンドは前作と同様にコナー・オバースト、マイク・モギス、そしてネイト・ウォルコットを中心に編成されている。曲ごとにカーシヴやザ・フェイント、ナウ・イッツ・オーヴァーヘッドなどから、気心の知れた仲間たちが参加。サウンドは前作よりもシンプルでタイトだ。カントリー/フォーク・ミュージックへと連なるフィーリングは希薄で、ミュートを効かせたギターのカッティングとシンセはむしろニュー・ウェーヴっぽくもある。そして震えるようなあの叫びは、ひと言ひと言を噛みしめる強い歌声へと完全に生まれ変わっている。

 その歌声には、古代の神話、近未来のヴィジョン、ヒトラーとエヴァ・ブラウン、そしてラスタファリアニズム(!)などの象徴的なキーワードがたくさん散りばめられている。特にラスタファリアニズムからの引用が興味深い。「Firewall」では、"Lions Of Judah"や"I And I"という言葉が使われ、「Haile Selassie(ハイレ・セラシエ)」というタイトルの曲もある。でも、不思議なことにサウンドとしてレゲエを取り入れたアプローチの曲はひとつもない。

 エチオピアには、「アフリカをひとつにするのは、黒人の王が即位する時だ」という予言どおりに、ハイレ・セラシエ1世が皇帝に即位したという歴史がある。ラスタファリアニズムの起源となったエピソードだ。その姿をバラク・オバマの登場になぞらえているって思うのは、深読みのしすぎかな。それでも僕はこのアルバムを聞いた後に、ボブ・マーリィの「Redemption Song」を思い出した。アコースティック・バラードとして永遠ともいえる力強さを持った名曲だ。前半では搾取されてきた人々の歴史が歌われ、後半では現代の核兵器を中心とする軍事的な科学へ懐疑的な眼差しが向けられている。過去と未来の真ん中に立った人々の歌だ。それは2011年の今、この世界そのものでもある。そしてブライト・アイズは「A Machine Spiritual (In The People's Key)」(Gメジャーの機械霊歌)で、こんなふうに歌っている。

《歴史がお辞儀をして、脇にどいた/ジャングルの中には紫の光の円柱がある/僕たちはやり直すんだ》

 少しだけ時は流れた。残念ながらもう手コキの歌はないけれど、ブライト・アイズが帰ってきた。きっかけは外国人の違法滞在を取り締まるアリゾナ州法SB1070号への抗議団体"THE SOUND STRIKE"の結成だった。異議を唱えよう。そしてまた、前へ進もう。僕は今、ギターを抱えて"人々のキー"を鳴らしてみる。「Redemption Song」もGメジャーだった。

(犬飼一郎)

*日本盤は3月2日リリース予定です。【編集部追記】

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radiohead.jpg 2月14日、レディオヘッドのニュー・アルバム『The King Of Limbs』が週末にリリースされることが突如発表になった。僕はそれをTwitterで知った。その後、彼らのtwitter公式アカウントから、日本語で「渋谷 ハチ公広場 金曜日18時59分」とツイートされ、様々な憶測が流れた。

 結局のところ、渋谷駅前を占拠する3基の巨大ビジョンで、ニュー・アルバムから「Lotus Flower」のPVが世界で最初に流されるということだったらしい。しかし、ライブ・パフォーマンスがおこなわるかもしれないなどといった憶測が流れ、そのことを否定するも渋谷のハチ公前に人が集まり混乱になる可能性が高いということで、日本のレーベル、ホステスから企画自体が中止になった事が発表された。 

 僕自身は午後六時に仕事が終わり、中止になった事を知らぬまま渋谷に向かっている電車の中でその発表について知った。とりあえず様子だけ見ようと思いハチ公広場に向かった。金曜日だった事もありたくさんの人が待ち合わせしていたが、なんとなく普段よりも欧米系の外人の姿が多かったように思えた。何も起こらないのならばと僕は家路を急いだ。 

 その後、もともと予定されていた時間ぐらいに『Lotus Flower』のPVがYouTube上にアップされ、一日前倒しでニューアルバムが「今すぐ発売」となって配信開始された。僕もTwitterのTLを眺めながら予約していたのでダウンロードを開始した。トラフィックがあまりに混みあっていたせいか最初はうまくいかずにいたが、数分後にはダウンロードできた。一通り全八曲を聴いた時に二曲目『Morning Mr Magpie』と七曲目『Give Up The Ghost』と八曲目『Separator』が特にいいなと思い、その後も何度も繰り返してアルバムを通して聴いた。 

 全体的にはなんというかしなやかなダンスを見ている体験を聴いたようなリズムというのだろうか、僕の中にゆっくりと溶け込んでいくような音だった。『Lotus Flower』のPVでトム・ヨークがダンスしているせいかもしれないがそんなイメージ。ちなみにそんなPV監督はブラー「Coffee & TV」などでも有名で、以前に僕もレヴューを書いた『リトル・ランボーズ』のガース・ジェニングス。 

 このアルバムに付属するもの全てがこのアルバム『The King of Limbs』ではないかと何度も聴きながら思う。そこで思い出したのが大塚英志著『定本物語消費論』だった。 

「1980年代の終わりに、子供たちは『ビックリマンチョコレート』のシールを集め、『人面犬』などの都市伝説に熱狂した。それは消費者が商品の作り手が作りだした物語に満足できず、消費者自らの手で物語を作り上げる時代の予兆であった。1989年に於ける「大きな物語」の終焉を出発点に、読者が自分たちが消費する物語を自分たちで捏造する時代の到来を予見した幻の消費論」(本の裏面の紹介文より)

「『ビックリマン』において子供たちは、一枚一枚のシールという目に見える商品を購入することを通じて、実はその背後にある『ビックリマン神話』を手に入れようとしていた。商品の実体はシールでも、ましてやチョコレートでもなく、<神話>そのものだったのである。『ドラクエ』や『ファイブスター物語』でもそれは変わらない。消費者は<神話>や<歴史>の全体像を知る手段として、その断片であるソフトやコミックを買うのだといえる」(文庫版 P66より) 

 音源のダウンロードではシールのような実物ではなくデータであるので目には見えないが、ネット上でリリースされることやTwitterでの告知やそれにまつわるツイートなどが可視化される。そして中止になっても知らないでハチ公前に集まった人達が期待していたのは<神話>や<歴史>をニューアルバムについての何かがハチ公前で起きる事が目の前で起こるだろうという期待、それは一種の<祭り>であった。大規模なものではないにしても、リアルタイムで流され拡散される情報によりレディオヘッドに期待する人、洋楽ロックに興味ある人がネットを通じてその祭りに参加しようと期待値を膨らませていた。その流れも今回のアルバムには付随してしまうものだった。 

 中止になったからこそすぐに前倒しでダウンロードを始める事で、この祭りは不満で潰される事なく哀しみの後の喜びのように届けられた。現実において彼らの音は届いた。だが、彼らが今まで作りだしてきた音楽にあるリズムとそのメッセージ性が、現実の中において、聴けば聴くほどにある種の形を僕の中で作りだして行く。 

 僕がそうやって<祭り>だったり<祝祭性>という言葉を使うようになったのは社会学者・鈴木謙介著『カーニヴァル化する社会』を読んでからだが、彼は本文を始める最初の「ふたつの「祭り」+1/お祭り化する日常」において、  こう書いている。

「夢を語る/騙ることが問題なのではなく、こうも容易くたくさんの夢を見ることができる時代に、なぜ私たちは夢から醒めることができないでいる、あるいは醒めようとしないでいるのかについて考えるのが、本書の役割であるのだから」(P12より) 

 さきほど引用した『定本物語消費論』の著者である大塚英志は、かつて『MADARA』という漫画の原作を手がけている。その作品はメディアミックスされ、今の角川書店におけるメディアミックスの基になっていると彼は主張しているのだが、そこにあった一筋縄ではいかない顛末の結果として『MADARA』という言葉をタイトルからはずし、"終わらす為に書いた"作品『僕は天使の羽を踏まない』の文庫後書きにて、こう書いている。 

「ぼくは中途でしばしば物語ることを放棄するし、読者に小説の外側の世界をいつも突きつけようとする。なるほど、しばしの間、夢を見ていた読者にとってぼくは迷惑で無責任な小説家なのだろうが、しかし、ぼくにとって小説は夢を見せるためではなく、醒めさせることのためにある」(文庫版 P282より) 

 僕がずっとレディオヘッドに感じていた事は、彼らの音楽は夢を見せるものではなく醒まさせる事にある音楽という事だ。ラストの八曲目『Separator』の最後で「wake me up」とトムが何度も歌っているように。

(碇本学) 

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radiohead.jpg「作者」が表現の全体を把握し、「読者」は作者の唯一のメッセージを読み取る「解読」を行っていた時代では、その主従関係のバランスとともに表現の隷属者であったのは作者なのか読者なのか、曖昧であった。しかし、今や「作者」がその特権的な位置を消失した現在において、読者はどのような視角を持って「作者」に対峙すればよいのだろうか? ミスリーディングされた道をそのまま辿り、適度な場所で自戒すればいいのか、複数の意味を見出せばいいのか、幾つでも選択肢は「拡がった」中で、審美眼は読者側に預けられることになった。これが、所謂、「作者の死」を巡る基礎概念だ。

 読者とは、あるエクリチュ-ルを構成するあらゆる引用が、一つも失われることなく記入される空間にほかならない。あるテクストの統一性は、テクストの起源ではなく、テクストの宛て先にある。(略)読者とは、歴史も、伝記も、心理ももたない人間である。彼はただ、書かれたものを構成している痕跡のすべてを、同じ一つの場に集めておく、あの誰かに過ぎない。(ロラン・バルト『テクストの快楽』より)

「誰か」は「僕」かもしれないし、「君」かもしれない。そうだとしたら、『Kid A』とはまさに「誰も」であった。それはレディオヘッド自身を映した鏡面であったのかもしれないし、今更、新しい装置としてのロックを起動させるという意味を避ける為の潜航だったような気もする。

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 2月14日にオフィシャル・サイトでふとポストされた新しいアルバム『The King Of Limbs』のリリース告知と、その後の過度な盛り上がりと、レディオヘッド側のまどろっこしいマーケティング手法には個人的に少し消耗するものがあった。『In Rainbows』のときも、急遽、買い手側の言い値方式のリリースを敢行し、話題になったが、それは彼らがレコード・レーベルの契約に振り回されていない身分であるということよりも、セールス・ポテンシャルが強い自分たちを用いた実験のような、遊びのようなものが見えた。「システムとして新しい」、「既存のリリース・スタイルを変えた」など多くの賛美の声も寄せられたが、それは部分的な変化であり、全体様式としての影響とはまたセパレートして語られる知的な蛮行だったと思う。その"知的な蛮行"というイロニカルな要素がレディオヘッドの良い要素でもあった訳だが、今回の彼らの「仕掛け」はどうにも野暮ったく、"物語なき時代"における謎解きとしての面白さ以上の付加的要素を見ることができなかった。

 現代の状況においては、パラダイムに忠実であるか、パラダイムから自由であるか、といったことはもはや重要な問題ではないだろう。社会・経済的環境の変化、とりわけコンピュータやそのネットワークの加速度的な発達は、科学研究のスタイルにも、その中身にも大きな影響を与えている。すなわち、科学研究も含めた知識生産の様式(Mode)が大きく変化しつつある。というより部分的には、すでに変化してしまったのである。(M・ギボンズ、1998年)

 例のレディオヘッドのオフィシャル・ツイッターで2月17日にツイートされた「渋谷 ハチ公広場 金曜日 18時59分」を受けて、渋谷で大々的に流れるはずだったかもしれない(※企画が中止されたので、もはや真偽は分からないが。)トム・ヨークがダンスする「Lotus Flower」のモノクロームのPVは鮮やかで、また、曲も以前からライヴでは発表されていたものの、ダブ・ステップ経由のビート・メイクと幾層ものエレクトロニクスが神経症気味に絡みつく優美なアレンジに着地していたのは流石だと感じた。DEAD AIR SPACE(彼らのウェブサイト)のオフィス・チャートでAPPARAT「King Of Clubs」、ブリアル「South London Boroughs」、ローン(LONE)「Angel Brain」などの曲をポストしていたことからの影響も伺える音の肌理細やかさをそこには感じることが出来たからだ。そこに、《I'll set you free》、《Listen your heart》といったフレーズがトムのか細い声で紡がれる。個人的には、この曲を聴く分には、『Kid A』以上にバンド・サウンドとしてのダイナミクスを感じないのに不安になったが、アルバム自体はよりサウンド・テクスチャーの面で明らかに「細部に降りてゆく」ことは何となく想像していた。

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 このアルバムに至るまでの最近の経緯を簡単に追ってみよう。

 09年には、第一次大戦を戦った最後の元英陸軍兵、ハリー・パッチ氏の05年のTODAYのインタヴューをトム・ヨークが聞き、インスパイアされて作ったという「Harry Patch(In Memory Of)」と、「These Are My Twisted Words」という今回のアルバムに向けてなのか、レコーディングを行っていた最初期に録り終えた曲をダウンロード・リリースするものの、ストリングスが優雅な前者、ブレイクビーツに「Palo Alto」のような不穏なサウンドが被さるラフで実験性の高い後者といい、どちらも具体的なアルバムへの道筋を付けるという曲ではなく、単体としての意味が大きかった。2010年の1月にはLAでナイジェル・ゴドリッチとレコーディングを行なっているとの情報が入り、その後も、各々メンバーのコメントはどうにも歯切れが悪いものが多く、「出来上がっている」、「殆ど完成しそうなんだ」と、ファンはその都度、振り回されたまま、2010年内のリリースは無かった。しかし、周知の通り、トム・ヨークのフライング・ロータスの作品への客演やレッド・ホット・チリ・ペッパーズのフリーなどと組んだアトムス・フォー・ピース名義でのバンド活動、ドラマーのフィル・セルウェイの滋味深いソロ・アルバム、ジョニー・グリーンウッドの手掛けた『ノルウェイの森』のサウンドトラック等の課外活動は盛んだった。

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 昨年、フジロックで観たアトムス・フォー・ピースのライヴで、トム・ヨークのソロ・パートで、弾き語りで今回の『The King Of Limbs』にも入っている「Give Up The Ghost」を聴いたとき、メロディーオリエンティッドなものをより離れ、全体の音像として聴かせるようなミュジーク・コンクレート(Musique Concrète)へより接近してゆくのではないか、という想いも少し抱いていた。その想いは半分、当たっていたような気もするものの、半分は外れていた。何故ならば、『King Of Limbs』の8曲、40分にも満たない内容の中で、展開されるミニマルに刻まれたリズムとより精度が極められたビートはまるで、ドナルド・ジャッドの『無題』の絵を見ているかのような気分にもなったからだ。

 例えば、音楽としての進歩体系の一つかもしれない「トータル・セリエズム」とは、音楽家サイドからは知的な音楽の構築姿勢として捉えることも出来たかもしれないが、大半の「保守」的な聴衆には、無規則な音の羅列に対して距離を置いてしまったのではないか、という疑念は歴史上、何度も検討されてきた。トータル・セリエズムの起点としては、「人間が聴くことが出来る情報処理能力の有限性」への懐疑があった。初期のトータル・セリエリズム楽曲の演奏は誤りが多く、それを聴く聴衆側の耳も誤解が多かったゆえに深刻化した問題を克服するために、「ポスト・セリエル」へとモードが転回されていく訳だが、ここで大きな点として、こういった音楽の発展らしき何かと比して「聴衆不在の音楽」としての背景も忖度せざるを得ない憂慮があった。今回、レディオヘッドの作品は『Kid A』とは違った形での(つまり、"拒絶"ではない)「聴衆不在」の音楽のような気もする。ミニマル・ミュージックがときに「ニュー・シンプリシティ」と言われるのに対して、彼らの音はより複雑になっているからこそ、この複雑さが何を規定してくるのか、今の僕には見えないのだ。

 前半4曲までには、ヨーロッパのディープ・ミニマル・シーンとの共振を感じさせるとともに、クラウト・ロック、つまりカンやノイ!辺りの60年代末から70年代初めにかけて西ドイツに登場した実験的バンド群のリズムからの影響も垣間見える。2曲目の「Morning Mr.Maggie」は、前作の「15 Step」がよりリズムを細かく刻まれ、音響的な"含み"を持たせたという印象も持ったが、ドラスティックな曲展開が「起こらない」という点で、カタルシスのポイントがサウンドのダイナミクスではなく、緻密に編まれた電子音そのものへの意識付けによって為されるとしたら、この書簡は届けられるのか、疑念を呈さざるを得ない。アドルノが言うような、「誰かが拾ってくれることを祈って、真摯に書かれる音楽には、音楽家と聴衆との間に、偶然と言っても良い出会いによってミメーシスが行われることへの希望が込められている」としたならば、『King Of Limbs』の描く希望とは何なのか。それは、これまでの彼らのサウンド・ヴォキャブラリーが今の形で再構築された佳曲「Lotus Flower」や柔和なピアノ・バラッド「Codex」などが入る後半の4曲を聴いても、よく分からない。

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 この作品は、大文字の「ロック」を別に進化させるものでも、再定義を迫るものでもないが、音楽が音楽そのものとして語られるべき強度を持っているのは興味深い。そして、映画『ソーシャル・ネットワーク』の予告編でベルギーの少女合唱団スカラ(Scala & Kolacny Brothers)が朗々と歌っていた彼らの初期の代表曲「Creep」を対象化させる「速度」に溢れた作品である。この作品が「過ぎた」跡に、蓮花(Lotus Flower)が咲くとしたならば、それはそれで何て救いのないことだろう、と思いもするが、レディオヘッドというバンド体としての名義で音楽を「音楽」に戻そうとした意味で、今回は「聴衆の不在」ではなく、「非在」の場所を目指したのかもしれない。そう考えると、ライヴではどんな形で再現されるかどうかの観点は別にして、バンドとしてのダイナミクスや力学を感じないのも納得がいく。

 08年のダン・ル・サック vs スクルービアス・ピップ(Dan Le Sac Vs Scroobius Pip、UKのヒップホップ・エレクトロ・デュオ)のシニカルな歌詞を改めて噛み締めてみるにはいい時期なのかもしれない。この作品が「批評」される磁場に僕は興味がある。

《No matter how great they are, or were.Radiohead, just a band.》
(ダン・ル・サック vs スクルービアス・ピップ「Thou Shalt Always Kill」より)

(松浦達)

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frankie.jpg 彼らの何が素晴らしいって、まずはEPからジャケットに使い続けているモノクロの写真。今回はいかにもやんちゃそうなガキどもがカメラに向かって無邪気な笑顔を浮かべたり、ぜんぜん無邪気じゃない笑顔を浮かべたり、憂いのある表情を浮かべたりしている。これを見ただけで「2011年は楽しくなりそうだ」という気がしてくる。2010年後半に彼らがデビューして、イギリスではいよいよバンド・サウンドの復権が叫ばれるようになった。といってもヴァクシーンズやブラザーのようなラッディズムとはすこし違って、彼らの場合(特にヴォーカルのフランキーは)根はノーブルだ。フランキーのステージでの動きを見て真っ先に連想したのはモリッシーだが、週末のパブで野朗が大合唱していそうな曲の大衆性もまた、彼らを積極的にプッシュしたくなる理由のひとつである。
 
 そしてリリック。もう女々しくて、ウジウジしてて、後悔してて、開き直ってて、ほんま最高。自分から別れを切り出した相手に向かって、「なぜそんなことを言ったのか、自分でも分からない。君を取り戻したい」とか。恋人との倦怠期に「これはただの肉欲なのか」とか。「お前が泣こうがわめこうが、ちっとも気にならない」とか。全部同じ1人の相手に向けられているのではないか、というほどリアルで、勝手にセンチメンタルで、情けない。だって、どれもこれも恋愛においてぜったいに優位に立てない男の話でしょ。恋人がいないとまともに生きて行けない究極の寂しがり屋でしょ。それを男4人のバンドで思いっきり歌い上げることで、また人生の同じところをグルグルまわるんでしょ。
 
 今回リリースされたファースト・フル・アルバム「Hunger」はEPからとくにサウンド面での変化はなく、いかにも彼ららしい強烈なフックを持った「ど」キャッチーな楽曲が並ぶ。構成もメロディの運び方も、どうやら彼らはぶれない芯をひとつすでに持っているようだ。今回もプロデューサーは元オレンジ・ジュースのエドウィン・コリンズ。ちなみに「Want You Back」のアレンジが変わって、もっと名曲になった(「Ungrateful」を除く既発曲はすべて再レコーディングされている)は全てアルバム用に再レコーディング)。良いアルバムだ。空前のリリース・ラッシュですこし埋もれてしまった感のあるこのアルバムだけど、たぶん7作目くらいで「相変わらず良いね」と言われるようなバンドになると思う。

(長畑宏明)

*昨年来日時のインタヴューはこちらに掲載されています。【編集部追記】

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james_blake_a.jpg これはダブステップ・アルバムではない。これはジェームズ・ブレイクというノース・ロンドン出身の青年が作り上げた、美しくもメランコリックな「ただのアルバム」だ。ジェームズ・ブレイクは、主に「ポスト・ダブステップ」というタームの中で語られている。昨年は素晴らしいファースト・アルバムを上梓してくれたゴールドパンダ。他にもマウント・キンビーやフローティング・ポインツなど、今やポスト・ダブステップは大きな一大勢力となって、我々の耳と心を賑やかにしてくれる。しかし、『James Blake』はポスト・ダブステップの中でも浮いた存在だし、寧ろ孤高に近い存在感を放っている。
 
『James Blake』は、良い曲が詰まったSSWアルバムに過ぎない。こう書くとあまり褒めていないように思われるかも知れない。だが、ダブステップが日常に侵食していることを証明するアルバムではあっても、「ダブステップ・アルバム」と片付けられるほど単純なアルバムではないはずだ。「Limit To Your Love」などはダブステップのトラックとしても機能しているが、その他の曲は歌そのものだ。

 僕自身の話になってしまうけど、クラブやライブハウスで様々な人に話を訊く限り、『James Blake』はダンス・ミュージックよりもインディー・ロックを好んでいる人が多く聴いている気がする。それは、何百人と集まる場所のアンセムとして鳴るタイプのような曲が多いわけでもないし、一人部屋で音楽と向き合って聴くような、謂わば聴き手と1対1の会話を求めてくるアルバムだからかも知れない。

 しかし、なぜジェームズ・ブレイクはここまでアルバムを待望されたアーティストなのか? それは、これでもかと心の中をさらけ出し、それを音楽という芸術として表現したからだろう。機械的に加工され、もはや中性的ですらある歌声や、ひんやりと冷淡な音とビート。その音やビートも「歌声」として機能させているプロダクション。どこか近未来的なヴィジョンと、現実的な匂いや呼吸を混ぜ合わせたようなハイブリット・ソウル。ジェームズ・ブレイクは、本質的な音楽の役割に忠実だっただけに過ぎない(「自己を表現する」というのは音楽だけではなく、小説や映画など「芸術」と呼ばれるすべての行為に言えることだが)。その役割を前提とした上での表現が、多くの人の琴線に触れたのだ。「自己を表現すること自体が」コンセプトとなってしまっている音楽が多いなか、『James Blake』の音楽的表現(芸術的表現)はかなり飛び抜けている。

「自己を表現することを前提とし、その自己をどうやって多くの人に届けるか?」

 ジェームズ・ブレイクはいま、こうした次元でポップ・ミュージックを鳴らしている。

(近藤真弥)

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anna_calvi.jpg 風が吹きすさぶ不穏なパノラマ――、それはまさに幕開けにふさわしい。オープニングのインスト曲、「Rider In The Storm」は、そんなヴィジョンを脳裏に焼き付ける。この曲が示唆するとおり、このロンドンの新星、アンナ・カルヴィ(Anna Calvi)のセルフタイトル・デビュー・アルバムはあまりに映像的でドラマチックだ。

 このアルバムは、全体を通してひとつの物語が展開されるコンセプト・アルバムではない。だが、ひとつひとつのシーンを克明に語りつくすような歌詞や、オーケストラ風の音のとり方で壮大さを表現したサウンドスケープは、彼女自らデヴィッド・リンチの作品を目指しただけあり、悪魔や欲望をテーマとした映画と呼ぶに相応しい。

 ジミ・ヘンドリックスに影響を受けたというギターは言葉より巧みにストーリーのディティールを語り、ニーナ・シモンやマリア・カラスの歌唱法を取り入れたヴォーカルは堂々と存在感を示す。プロデューサーはPJハーヴェイの仕事で知られるロブ・エリス。彼が、無駄を削ぎ落としたサウンドを煌びやかに輝くよう組み立てている。また、バックを支えるマルチ・インストゥルメンタリストのマリー・ハーペズとドラマーのダニエル・メイデン・ウッドの腕も確か。スキルの高さが、スト-リーの陰影を際出させ、迫真の演技を想起させるようだ。

 ここ数年、フローレンス・アンド・ザ・マシーンやマリーナ・アンド・ザ・ダイアモンズといった、非日常的な世界観を提示するポップ・アイコンが台頭してきた。彼女たちの音楽には、繰り返される貧しく苦しい日常を一瞬でも忘れさせるための妙薬、という側面があるといえるだろう。そして、このアンナ・カルヴィ。音楽的にはかけ離れているが、ひとときの夢にリスナーを浸らせてくれる、という役目においては同じだろう。

 確かに、BBC SOUND OF 2011のリストに選出されたことや、ブライアン・イーノが熱烈な援助を行なっているなど、熱心なリスナーなら食いつかずにいられない話題が彼女には尽きない。だが、何よりこのアンナ・カルヴィは、そういった余計な情報を一切排除して耳を傾ければ感じられる、類まれなる物語性によって真価をはかってほしい。

(角田仁志)

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michou.jpg 現在、最も注目すべきエモ/インディ・ロック・バンドを一組挙げろ、と言われたら、僕は何の迷いも無く、このカナダはオンタリオ州ウィンザー出身のミシュー(Michou)を挙げるだろう。

 彼らのmyspaceのバイオグラフィーには、「未来の科学者が1974年にタイムスリップし、ある実験を行った。それは1人の男性に別々の4人の女性を妊娠させ、4人の子どもを産ませるといったものだ。4人はそれぞれ男の子として産まれ、彼らの父親の跡を追っていく内に、深内部のある街に辿り着き、カウボーイになりギャング行為を行い、人々から恐れられるようになった。市民はギャングたちが現れる時に叫ぶ『ミシュー』というコールに怯えながら街を歩くこととなった。科学者は4人のギャングを2010年に呼び起こす。そこで彼らは、ポップ・センスに満ちた未来のインディ・ミュージックを生み出し始めた。そして、自分たちのバンド名を昔の合い言葉から取り『ミシュー』と名付けた」というストーリーが載せられている。幻想的なのかSF的なのか、何だかよく分からないが、凝ったヒストリーだ。

 さて、そんな彼らが今年、世界的にリリースするこの『カルドナ』は、まさに、先のバイオグラフィーにも書かれていた通り、極上のポップ・センスによるインディ・ロック、エモの新たな指針になることは、まず間違いないだろう。ここでは、僕たちの日常に寄り添う鼓動、歓喜と憂愁を包み込んだ躍動が奇跡的なバランスをもって鳴らされている。
 
 本国カナダでは既に2010年2月にiTunesでリリースされており、2010年度の新人賞を総なめ。"カナダのデス・キャブ・フォー・キューティー"という異名すら獲得している。
 
 しかし、僕は彼らを、「カナダのデス・キャブ・フォー・キューティー」という枠組みだけで見るのは、あまりに矮小すぎるように感じるというのが本音だ。もちろん、言うまでもなく、デス・キャブ・フォー・キューティーは素晴らしいバンドであるし、彼らのフォロワーとして捉えられることも、もちろん光栄なことだろう。それでも、このアルバムは、例えば、ミューのもつメランコリックながら包み込まれるような耽美さ、エリオット・スミスのもっていたフラジャイルながら突き刺さるような切実さ、ムームやシーベアーといったアイスランディック・アーティストのもつ素朴な温かみ、そういったものも多くみられる。そして、それらのテイストを取り入れながら、独自のポップ・センスを磨き上げたサウンド、それがミシューというバンドであるのだ。
 
 この端麗なメロディ、儚くも強かなボーカルが見せてくれる世界は僕たちの日常そのものでありながら、それを更に切なく、優しく、キラキラした世界に変えてくれる。2011年早くも素晴らしいインディ・ロック・アルバムが登場してしまった。

(青野圭祐)

*日本盤は3月9日リリース予定です。【編集部追記】

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gil_scott_heron_xx.jpg 昨年の大きかったトピックの一つといえば、13年振りのギル・スコット・ヘロンのカムバック作『I'm New Here』だろう。71年の名曲「The Revolution Would Not Be Televised」がいまだに標語としても警句としても、メディアに流れ続け、クラブ・シーンでは彼の70年代のアルバムが再評価されている、現代が誇る詩人の一人であり、プロテスト・シンガー(一部では"黒いディラン"とも言われる)。しかし、彼はレジェンドにもアクチュアルな存在のどちらでもない「狭間」の中をドラッグ禍や監獄に縛られながらも、50年ものキャリアを重ね、ロバート・ジョンソンが契約を交わしたかもしれないクロスロードを渡り歩き、60歳を越えて、「私は新しく此処に居る(I'm New Here)」と表明した。その姿勢に力を貰った人は多かったことと思う。

 それにしても、『I'm New Here』とは何だったのか、今でも考える。巷間で冠詞のように捧げられた、ラップの始祖としての本懐を奪取し、ヒップホップのモダナイゼーションを担ったともいえる核たる言葉の強さを備え、ブリアル以降のダブステップのようなサウンド・ディメンションを持ち合わせた現在進行形のシリアスな作品として捉えられることよりも、要所に挟まれるスポークン・ワーズとして数十秒で「語られる」行間にこそ、僕は、現代のブルーズとしての彼のソウルを感じたのは事実だ。今の彼にとっては、音楽の縁枠、形式美をなぞるよりも、「発語」された途端に意味を越えて、一気に空気を変えるような言葉の輪郭の鋭度に感応するべきだという気がする。だから、アルバムとしては「今」を射抜くようなものでも、タイムレスなものでもなく、オルタナティヴなひしゃげ方をしていた奇妙なフォルムを保っていた。そのひしゃげ方に、アーバン・ブルーズとしての萌芽も確実に見ることができた。

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 かのザ・ストリーツのマイク・スキナーがフィンとなる今回のアルバムで『Computer And Blues』というネーミングを付けて"しまった"ように、今やエジプトでの事もそうだろう、革命は「Be Televised」される時代になってしまった中で、ギル・スコット・ヘロンの《例え、どれだけ間違った道を進んでいようと いつでも後戻りしてみればいい 振り返ってみればこそ 全力で走ることができるかもしれない もう一度 新しい場所に辿り着くかもしれない》(「I'm New Here」)というフレーズは決して退歩ではない。コンピューターやネットワークが高度化し、管理の網が投げられる中を掻い潜り、より"一歩先"に実存が蒸発するまでの微かな希望的な予感に目を凝らせてみようと「I(個)」の意志が反射する光が現実という水面に撥ね返るのを捉えるために、「We(我々)」の想像力が何より必要だったということを示していた、とすると、彼の声が届くには我々がまだ「遠くに居過ぎた」気もしてくる。

 今回の『We're New Here』では、その「距離を埋める」かのように、『I'm New Here』をTHE XXのトラックメイカ―であり、DJであるロンドンの気鋭、JAMIE XXが大胆にアップデイト/リミックスしている(なお、ここでは素材は「歌」のトラックしか用いていないという)。サウンドもかなり刺激的なものになっており、重いベースが響くダブステップから、ブレイクビーツ、変拍子のリズム、ドープなミニマルまで、先鋭的なエレクトロニック・ミュージックの要素が強烈に迸りながら、そこに彼のしわがれた声がまるで亡霊のように行き交う。作品としてはフロアーに対応したという部分もあるが、彼の声を素材にした上で、「新しい声」を手に入れようとした結果の意味概念への志向性の矢印が見える。

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 意味概念への志向性―。

 フッサールの『論理学研究』での、意味概念の志向性理論への導入こそがブレイクスルーする「先」を示唆したかもしれないという点がある。対象自体から区別された「意味」と呼ばれる内容概念を導入し、「志向性」の本質的な特徴付けを付与したフレームワークの中で、彼の意味概念は、対象に対する作用の持つ独特な関係性としての志向性に対して不合理に陥らせず、適切な理解を可能にするものとしての「振り幅」を見せる。
「振り幅」内では、結果として「意味」と呼ぶものは、対象から区別され、イディアールな性格を持ち、作用に例化されることで対象的関係を作用に与え、等々の形で特徴付けられることとなる。例えば、作用の持つ対象的関係を、それが例化することによって対象的関係を与えるような《存在者》の導入によって説明するというのは、立場の明確化という意義はあれども、そのままでは無内容に近くなる。したがって、『論理学研究』における意味概念が思弁的な理論構成から要請される特徴付けを超えた、積極的な内実を持つならば、その解析面で鋭い視座を我々(We)が可視化しないといけない。特徴付けされた意味概念に対して。

 だからこそ、アルバム・タイトルは『We're New Here』なのかもしれない。その「We」はギル・スコット・ヘロン、JAMIE XX「以外」を視程に収めてくるとしたら、昨年から続くドキュメンタリーのような、シーンに再帰した彼の道程が今作にして帰着するという感動的な一面もある。JAMIE XXの手腕によるエレクトロニクスの端々が「語る」言葉とギル・スコット・ヘロン自身の「リアルな言葉」が混ざり合った美しい作品だ。我々(We)が感じるべき熱がここにはある。

(松浦達) 

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slack.jpg 正直この作品、彼にとっての3rdアルバムである『我時想う愛』は2ndアルバム『Whalabout』でスラックのファンになった人々にとっては賛否両論ではないかと思う。2ndにおけるスラックに顕著な奇妙に歪んだビートや、エクスペリメンタルなプロダクションは、スムーズでかつメロウなものに取って代わっている。つまり、非常に「聴きやすく」「キャッチー」になっている。あえて乱暴に言うなら、1stアルバム『My Space』収録の「I Know About Shit」「Deep Kiss」におけるジャジ―でソウルフルな路線をアルバム一枚に拡張したと捉えても良いだろう。しかし、そのトラック・メイクのクオリティは格段に上がっていて、「日常において零れ落ちたロマンティシズム」を非常に美しく表現している。

「そういうねじれた感じの曲もちゃんと入ってると思うんですけど、過去の作品はそれを大げさにやってたところがあったというか、もっと自然に出せると思うし、自分で聴いても、まだまだ甘いっすね。」

「もともと自分のなかには色んな面があるというか、別にユルいのだけが売りというわけでもないし、今回に関しては、キャッチーなものが出来たので、みんなも 聴きやすいんじゃないかと思いますね。元々の発想として、俺が聴きたいネタをみんなに聴かせたかったりもするし、自分の音楽センスを見せたいということもあるのかもしれないし、ラップもちょっと変わりましたね。」(*以上の発言は<CLUSTER>2月14日の記事より引用)

 己の変化を自覚しつつも、そこに対しての意識はいつも通り―これは彼の音楽の一つの本質でもあるのだが―「ゆるい」=slack。

 2008年に100枚限定で自主制作で発表した『I'm Serious(好きにやってみた)』によって、その存在が認知され、その翌年2月に1st『My Space』を上梓し、その音楽性はストーンズ・スロウ周辺のアクト(マッドリブやジェイディラなど)と比較された。また、非常にハイスキルでありかつ、日本語と英語の境界が曖昧な発音に満ちた彼のラップは独特のオリジナリティに溢れている。このアルバムには先ほども述べたように今作の音楽性の萌芽となるものがある。しかし、新譜におけるアダルトなムードに満ちたロマンティシズムというよりは、「ダラダラとした日常のワンシーン」と言ったようなダイアリーな意味合いが強く、非常にのんびりとした空気が漂っている。そしてなんと同年11月に2nd『Whalabout』を上梓している。このアルバムは前作における「ダラダラとした日常」の路線を踏襲しながらもメロウでスムーズな前作とは打って変わり、リズムは歪み、メロウネスよりもエクスペリメンタルなプロダクションが目立つようになった。また、リリックにおいても、《俺は自分の足でクラブに行き 自分でフレンズを選び 自分で曲を作る シーンのルールには興味もない Musicのみ Musicのみ》(「That's Me」)など、己のアティテュードを明確に打ち出すようなものが見られるようになった。無論、このようなリリックよりも「適当」などに象徴とされるスラックにおいて一貫しているワードのほうが断然多く使われていることは言っておかなければならないが。
このようなソロ活動の他にも彼は実兄のPUNPEE(彼は昨年、『MIXED BIZNESS』という素晴らしいMIX-CDをリリースした。そこにはヒップホップは勿論、椎名林檎、ゆらゆら帝国、トッド・ラングレンなどの曲が収録されていて、極めて雑食的な彼の音楽性を垣間見ることができる。スラックと並んで最も有望な若手である。)や高校の友人であるGAPPERとともに結成されたPSG(3人のメンバーの頭文字をとって名付けられた)というクル―のメンバーの一人でもあり、『DAVID』というアルバムをリリースしている(こちらも必聴!)。

 彼の過去をざっと俯瞰したところで、彼のよく使うワードであり、同時に彼のオリジナリティの根幹である「適当」というワードについて考えてみよう。

 このワードはある対象への必要以上のコミットメントを避けるアクションを示す。これによって、過剰なコミットメントから生み出されるストレスを回避することができるわけだ。「適当に敬意を 考え込むな」と彼が言うのはそのためである。彼のこの部分を読みとることができないと「メジャーの応援歌系ラップ」や「ヤンキー風味の歌詞」などと彼の表現が矮小化され、揶揄されてしまう(「解釈しようによって」はこれらの表現が該当する部分があるのは事実ではあるが...)。

 批評家の宇野常寛は彼の著書『ゼロ年代の想像力』において、国内における90年代はいわゆる「大きな物語」が失効したため、それが個人の人生を「意味づけ」することが無くなり、そこで生きる人間は「~する/~した」という行為を評価されることではなく「~である/~ではない」というキャラクター的実存において承認を得ようとし、東浩紀の言葉で言えば「動物化」し、その膨大に増幅されてゆく承認欲求が母性(それは自分が「~である」というだけで承認してくれるものである)のディストピア(「セカイ系」もその一端を担う)に陥ったと分析している。そこではさらに無数の「小さな物語」が乱立し、各々が「あえてベタに」己の帰属している「物語」を信じているために、そこはバトルロワイヤル状況に陥ってしまう。

 スラックの「適当」は己が「小さな物語」に属しているのを承知していながらも(《最低限で暮らしたい 意味はない別に やりたいからやってるだけ》「Sin Son(In)」)、その「小さな物語」にすらあまりこだわらないという彼のアティテュードを示している。己の「小さな物語」に寄りかかり過ぎると、それが何らかの形でバトルロワイヤル的な状況に関わってしまう時にストレスになってしまう。だから、彼はその「小さな物語」すらも非常に流動的なものとして捉え、固執することは無い。無論ヒップホップは彼の重要な「物語」で、それを捨てるわけにはいかないだろう。しかし、このレヴューの最初にも示したように、彼は自分自身の行っているヒップホップに対する認識もダラダラと「ゆるい」。つまり彼は、その都度対象に対してこだわりを見せるが結局、それもすぐにどこかに流れていってしまうのだ。スラックの表現における独自性とはこの「流動的な小さな物語」に見出すことができる。

 これが僕のスラックに対しての見方である。しかし、このロマンティシズムに満ちた新譜を聴いて少し疑問に思ったことがある。

《人は常にネガティヴ忘れないよ》(「But Love」)

《いつも思う死ぬ前にきっと もっと行けたなんて想うんじゃないか》(「いつも想う」)

《ふと思う時がある自分の足跡 時々思い描く先の世界を》(「Come inside Pro」)

 これらのリリックを聴いて、このアルバムにあるロマンティシズムと言うのはスラックが本当に「適当」であれば流すことのできた「内省」ではないだろうか。そう、「東京23時」などを聴いて「ロマンティシズム」だと思ったそれは実は「メランコリー」だったのではないだろうか。彼はこのアルバムの冒頭で「テキトー」と自嘲気味に言っているが、その「自嘲」は本当は彼の「適当」が上手くいっていないことへの意識から出たものではないのだろうか。今作を聴いて唯一心残りだったのがその一点である。そして、この答えは彼の次の作品を聴くことによって確かめたいと思う。これはスラック個人の問題ではなく、人間がはたして「流動的な小さな物語」を受け入れることができるかどうかの問題なのだから。

(八木皓平)

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echo_lake.jpg シューゲイザーを鳴らすバンドは今までも数多く出てきた。「マイブラを連想させる」「初期ライドのようだ」。こういう枕詞もうんざりするほど見てきた。このロンドン出身の新進バンド、エコー・レイクの音もマイブラであり、初期ライドそのままだ。ネオ・サイケの影響が出ているし、ひたすら甘く憂鬱なメロディを奏でている。

 前述したように、エコー・レイクはシューゲイズ・サウンドを鳴らしている。何を歌っているのか分からないヴォーカル。力強いとはいえない全体のグルーヴ。そして甘美なサイケデリック・サウンド。どれをとってもシューゲイザーそのものだし、はっきり言って革新的なサウンドとは言い難い。でも、『Young Silence』にはしっかりエコー・レイクとしての音が鳴っている。それは、エコー・レイクが吟味を重ねたうえで、こうしたサウンドを選んだからだろう。過去に登場したマイブラ・フォロワーバンドの多くが、メディアの比較論(もちろん、その比較対象はマイブラだ)から逃れるため無理やり差別化を図ろうとした結果、どっちつかずの凡庸なアルバムを残してフェードアウトしていった。しかし、エコー・レイクの音からはそうした差別化を図る無理な努力は感じられないし、寧ろ諦念に近い「これが好きなんです」が感じられる。

 僕にとってジーザス・アンド・メリーチェインは、カッコよくヴェルヴェット・アンダーグラウンドを出来た唯一の存在だ。実際ヴェルヴェッツからの影響を公言していたし、『Psychocandy』リリース時のジム・リードはこう語っている。

「"Cut Dead"は、とてもとてもヴェルヴェッツっぽい。だけど、それがどうしたっていうんだい? なぜそれがいけないんだい?」

 まあ、エコー・レイクの面々がこうしたことを実際に言うかは分からないけれど(アーティスト写真を見るかぎり、そんなことを言うような人達じゃないと思う)、マイブラっぽい音であることは全然悪いことじゃないと思う。僕から言わせれば、エコー・レイクはカッコよくマイ・ブラッディ・ヴァレンタインを出来たバンドだし、そうした影響元を隠さずに、それらの要素を上手く自分達のサウンドとして転化させている。

 ここで、先程引用したジム・リードの発言の続きを書いておこう。

「じゃあ"In A Hole"の場合はどんな風に聴こえる? あのサウンドは僕の考えうるいかなるバンドとも似ていないよ」

 この「In A Hole」にあたるのが、『Young Silence』においては「Buried At Sea」であり「Sunday Evening」だ。そして「Cut Dead」にあたるのが、「Everything Is Real」や 「Memory Lapses」といったところか。この2曲は『Loveless』の影響が色濃く出ている。エコー・レイクの未来はこれからだが、まずは『Young Silence』という魔法にかかってみてほしい。それはそれは素晴らしい桃源郷が待っている。少し俗っぽいところもある桃源郷だが、それがまた最高なのだ。

(近藤真弥)

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adhitia_sofyan.jpg インドネシアで音楽といえば、条件反射的にガムランが思い浮かぶ。神秘的な音色。ガムランといえばYMOの『テクノデリック』。70年代のインドネシア・サイケは結構熱い。オリエンタルでエキゾチックで...。

 こういう偏狭すぎるかの国への固定概念(すいませんでした)を取り払ってくれそうなのが、ジャカルタ出身のアディティア・ソフィアン(Adhitia Sofyan)による『Quiet Down』だ。みずからを"コーヒー・ミュージックを歌うシンガー・ソングライター"と呼ぶ純朴な見た目をした青年の奏でる音楽は、そのアルバム名のとおりに聴く人の心を穏やかにさせる。慌ただしい仕事からも街の喧騒からも離れた、手持ぶさたでアンニュイなひとりきりの時間をすごす人々へ彼の歌は捧げられている。

 普段はオンライン・マーケティングの仕事に携わっているという彼は、あるときからアコースティック・ギターを携えベッドルームで録音を開始する。そしてラジオ局のプッシュから火がつき、インドネシア国内の音楽フェスを回り、映画(『Kambing Jantan』という、ブログを原作にした作品。ブログ執筆者ご本人が扮する主人公の顔が激しくナードなところも込みで『電車男』を思わせる)にも曲が起用され大ヒット。まるでインドネシアにおけるエリオット・スミス(『グッド・ウィル・ハンティング』)ともいうべきサクセス・ストーリーを歩む彼だが、どれもこれも素晴らしい曲があってこその話だ。

 やさしく頬を撫でるゆるやかな風を思わせるギターの調べに乗せて、そっと語りかけられるように歌われる冒頭の「Adelaide Sky」。過ぎ去る時間や別離といったモチーフが、人肌や夕暮れどきの日差しがもつ温かみとともに押し寄せてくる。控えめなストリングスもさりげなく華を添え、郷愁が胸を静かに通り過ぎていく。唯一インドネシア語で歌われる「Memlihmu」では歌声はさまざまな表情を遠慮ぎみに見せ、"チキチキバンバン~"と癖になるフレーズが挟み込まれる。まるで自分の目の前で演奏されているかのようなアットホームな音色は終始リラックス・ムードに包まれ、ときにセンチメンタルなトーンや言葉が飛び出すものの、メロドラマ的に押しつけがましくなることなく、静かに寄り添ってくれる。流れていく景色を肘をついて車窓からぼんやり眺めているような、カップに入った飲み物の温度を取っ手ごしにじんわり確かめるような、そんな音楽だ。

 品のいい奥ゆかしさをもったミニマムな弾き語りは、一時期のニック・ドレイクやサイモン&ガーファンクルを想起させる。どんな想像や妄想をも許してくれそうな包容力に満ちた作品だ。背中を向けたジャケットのイラストもいい。そっぽを向いた彼はシャイながらも面倒見のいい音楽の気質を、コーヒー豆を思わせる背景の淡い茶色は「Sound Of Silence」とも「Quiet Is The New Loud」とも違う、彼にしか出せないのどかで芳しい香りを、それぞれ地味ながらもうまく表しているように思う。

(小熊俊哉)

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helll.jpg 日本発のMinamo、Asuna、The Medium Necksとポートランド発のHochenkeit、Irving Krow Trio等のメンバーから形成された日米混合スーパー・ミラクル5人組バンド、Helll(ヘル)。来日公演でステージを共にしたジャッキー・O・マザーファッカーのトム・グリーンウッドのレーベルであるU-Sound Archiveから出る出ると噂され続けること数年間...。正に待望となった彼らの初音源が、遂にリリースされました!

 バンド結成初期のライヴ音源やスタジオでのレコーディング素材を元にAsunaが編集したという今作は、もう首を長くして待っていた分以上の期待に相応する、充実のアヴァン・ドローン・サイケ・フォークな逸品。音の隙間に意識を持っていかれる構築的でミニマルなサウンドから白昼夢のようにぼやけた音像ながら心地良く持続するドローン・サウンドまで、儚く可憐で優しく美しいヴォーカリゼーションと叙情的なギターやエレクトロニクスと共に紡がれていく唄の数々にもううっとり。時おり摩訶不思議な音があちこちに散らばってはいるものの、それが散らかることなく、体温的に近い一定のトーンと情感あるサウンドスケープを描き切っている様は、目を見張るものがあります。

「ミニマリスト・サイケデリック・エレクトロ・フォーク・フロム・ジャパン」。これは2010年の彼らの初のUSツアーのフライヤーで書かれていたというジャンル詰め込み系の紹介文(笑)。この作品には確かにそのような様々な音が感じられるものの、その楽曲の構成っぷりはそれらを昇華しきっていることを証明しているし、何より様々な音の配置や押し引きのサジ加減っぷりは流石の一言です。メンバーのAsuna主宰のカセット・テープ専門レーベルのWaiting For The Tapesから出た「Circle Around」と同じく、要必聴作品です。

(星野真人)

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brandt_brauer_frick.jpg 最近でも、NICOLA CONTEの04年の名盤『Other Directions』のデラックス・エディションがリリースされるなど、ミラノの〈SCHEMA RECORDS〉を中心にしながら、ヨーロピアン・クラブ・ジャズ・シーンを巡る熱は相変わらず高いものがある。思えば、05年のTHE FIVE CORNERS QUINTETのフル・アルバム『Chasin' The Jazz Gone By』(過ぎ去りしジャズを求めて)というタイトル名と内容が象徴していたように、「記号としての優等生的なモダン・ジャズ」をスタイリッシュに見立ての良い衣装(意匠)で纏い、引用レベルのアフロ・ビートとパーカッションが入った流麗な音はカオティックな音楽が溢れる中で、まるで壁一枚隔てた無菌室、エレガントなダンスホールで「鳴っている」ような幻想をもたらせてくれたのは確かだ。ジェラルド・フリジーナ、ザ・インヴィジブル・セッションなどもクラブを通過したジャズとして、ファッショナブルでヒップな多くの人に求められ、結果、そのような破綻なきスムースさが直接のフロアーも含め、カフェにも「居場所」を見つけてしまったのは周知のことかもしれない。兎に角、個人的に、00年代の後半は行く国々のカフェで、"打ち込みが入った如何にもなジャズ"が流れる場面に出会うことが多かった。

 また、その流れと並行して、無名に近かったイタリアのピアノ・トリオであったMAYAFRA COMBOの77年の良作『Mayafra』やGIL CUPPINI QUINTET、ROB AGERBEEK QUINTET等が再発見・再開拓され、過去に埋もれていたヨーロピアン・ジャズまでも「今」に取り込まれて、クラブでスピンされているのは良いものだな、と自然と昂揚したが、ハウス・メイカーのSTEFAN GOLDMANの『Le Sacre Du Printemps』が09年にドロップされて以降とも言えるだろうか、いわゆるクラブ・ジャズはミニマル・テクノと微妙に拮抗するようになっていったような気がする。当該作品における、ストラヴィンスキーの『春の祭典』のスコアを146もの断片にエディットした所作はポスト・クラシカルとしても鮮やかであり、クラブ・ジャズ・シーンが進めたモダンネスを対象化するものがあった。10年代に入ってから、個人的に京都のクラブ・ジャズ・イヴェントに訪れたとき、かかっていたのは、大半が05年から増えだした「名の通った」冒頭から挙げたようなヨーロピアン・クラブ・ジャズだったものの、STEFAN GOLDMAN、COBBLESTONE JAZZ、THE MOLEやWAREIKAといった、ジャズというよりもミニマル・テクノに近い音も混ざりだしていたのには驚いた。取り分け、COBBLESTONE JAZZの存在には魅かれた。生音を取り入れたジャズの即興性とラップ・トップ、リズムマシンを組み合わせた上で緻密な音を生みだすのに長けており、ライヴで見せるクールネスから含めて、ディープ・ミニマル・シーンの胎動を強く感じさせるバンドだと思ったのと同時に、シーンの「これから」に強い関心を持った。

 そのシーンの「これから」を担っていくことになるだろうBRANDT BRAUER FRICKの持つ懐の深さと知性には期待をしている。ダニエル・ブラント(DANIEL"BRANDT")、ヤン・バラウアー(JAN"BRAUER")、ポール・フリック(PAUL "FRICK")の三人からなるベルリンを拠点にした多彩なアイデアを持ったバンド(察しの通り、バンド名は彼らの名前の繋ぎ合わせである)。何より先に、多くの人が彼らの存在に注目を持つようになったのは09年のPV「Bop」だろう。映像作家としての肩書も持つメンバーのダニエルのディレクションの下、旧き良き時代の歌謡ショー"ミニマル・パレード"(司会者の言葉に対応して、なぜか、日本語字幕が流れる)のショーケースに参加する彼らがピアノ、ヴィブラフォン、ドラム、パーカッション、金管楽器を扱いながら、10人以上に増えていったり(その内、扱う楽器は、半分くらいは壊れたようなものである)、途中にはバレリーナが現れて可憐な舞いを見せるなどシュールな内容に終始しており、かのカニエ・ウエストも自身のブログで紹介していた。

 都度の音源が12インチのヴァイナルとしてカットされる度に、DJやアーティスト、早耳のリスナーによって売り切れを起こすなど、密かに彼らを囲む状況は盛り上がる中、ファースト・フル・アルバム『You Make Me Real』が届けられた。日本盤のリリースは昨年の末になるが、この作品が持つ熱量は今も着実に世界中に伝播していっており、2011年はスタジオ・ワークスを越えてライヴでの真価もより試されるだろう一年になると思う。このアルバムは「9曲で1曲」のような感じさえ受ける、シームレスでひんやりとした温度とピアノを基調としたトーンに多様な楽器と微妙に反復を逸れる電子音と共に、ミニマルに紡がれる音像が特徴的である。その生音とエレクトロニクスの絶妙な混合は、緻密な設計図さえあるのではないか、というほど精度が高い。加えて、ミニマル・テクノ、ミニマル・ミュージックの造形美を保ちながら、静謐に体を揺らせてくれるという意味ではテックハウスの様な享楽性もある。目立った曲としては、3曲目の「Paparazzi」でのピアノの連弾にビートが刻まれていき、じわじわと熱が帯びてゆく気配は美しく、ダウンビートとサウンド・エフェクトの妙が心地良い9曲目の「Teufelsleiter」も面白い。その中でも、5曲目の「Mi Corazon」がハイライトと言えるかもしれない。パーカッションとプログラミングされた電子音にピアノや金管楽器などが静かに絡む硬質なテクノで、非常に素晴らしい。

 ちなみに、このアルバムで聴こえる音をして、ある雑誌ではセオ・パリッシュの名を彼らに賛辞として寄せていた。それも分からないでもないが、もっと彼らの場合は「現代音楽」寄りなところがあり、スティーヴ・ライヒの『Drumming』を思わせるようなアフロ・リズムが伺える曲もあったり、ポスト・クラシカルと言われるアーティストたちに繋がる要素の方が強い気がする。ライヴも映像で見る分には音が想起させるような締まった印象よりも、もっとラフで肉感的な雰囲気が先立っていた。こういった音はライヴでのダイナミクスこそ「体感」してみたい。

(松浦達)

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autumnleaf.jpg オータムリーフ(Autumnleaf)は、福岡出身の4人組バンド。これまでにリリースしたアルバムは、いずれも陽の光と木々が美しく輝くジャケットであり、彼らがバンドを通してそういった風景を表現したい、という心模様が想像できる。スロウで大きなグルーヴを生みだすリズム隊の上で、二本のギターによる木漏れ日のようにウォームなアルペジオが重なり合う。そしてエンジニアを務めるのはtoeの美濃隆章という、あまりにも分かりやすいポスト・ロック的な作品。
 
 乱暴に言えば、ウィスパー・ボイスなヴォーカルを迎え入れた百景が、スロウコアをやってみたような音楽かもしれない。スリリングな曲はなく、だらだらとして、一貫してラウンジーな曲が緩慢に続く。アルバム内におけるダイナミクスはない。しかしながら、「こういう音楽をやりたい」という意欲は強く伝わる。頑固な姿勢が潔くて好きだ。強いて前作と比べるのなら、ギターの音が丸みを帯び、柔らかくなった印象。よりメロウになっている。

(楓屋)

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negoto_k.jpg 結論から言うと、2011年の飛躍を確信させるには十分過ぎるシングルとなっている。まず「カロン」は、ねごとがグルーヴと確かな音楽的力量で勝負ができるバンドであることを証明している曲だ。当初4つ打ちだったこの曲はしかし、音楽的野心と遊び心溢れる面白い曲になっている。それは「初めて人に聴いてもらう、聴いてもらいたいという思いで制作とりかかった曲」だからかも知れない。確かに聴いていても試行錯誤の跡が窺えるし、この曲の完成に至るまでの道のりがドキュメントとしてしっかり曲になって表現されている。未だに、ノリがある曲を作るときは安易な4つ打ちに頼るバンドが多いなか、音楽的進化を目指しながらもポップ・ソングとしてリスナーを意識した曲を作り上げる才能は凄いとしか言いようがないし、メンバーはソニック・ユースやフィッシュマンズなどが好きらしいけど、実際はもっといろんな音楽を幅広く聴いていて、それらを上手く咀嚼する能力にも長けている。そこにロック的なヒリヒリとした不協和音や脱線も隠されているし、この要素がねごとの個性としてしっかりアピールされている。

 それとやはり歌詞も重要だ。音楽評論家のなかには、極論として「音楽は音を楽しむものだから歌詞なんて必要ない」という方もいるが、声も楽器として捉えている僕からすれば、歌詞は重要な要素のひとつだ(もちろんインストものも好きだが)。というのも、五十音ひとつひとつにしても違う音なわけで、それらを組み合わせて「歌詞」という形にするのも立派な「音楽的行為」のはずだ。つまり、音楽とは言葉であり、言葉はそれ自体にメロディというものを内包している。その「言葉という音」から聴く者が感じたことも、立派な言葉であり音だ。

 そういう意味では、「カロン」における蒼山幸子の歌詞も制作当時の空気や感情が上手く反映されていて素晴らしい。意識的なのか無意識なのかは分からないが、バンド全体のスキルと共に、蒼山幸子の言葉選びのセンスも一段上のレベルに達した印象だ。『Hello!"Z"』に収録されていた曲群よりも抽象度は下がってより具体的になってはいるが、「ここではないどこか」を描いたような世界観は変わっていない。分かりやすい方向性の変化や深化はないが、前述した「初めて人に聴いてもらう、聴いてもらいたい」ということを意識しての歌詞としては好感が持てる。それと「フレンズ」の「ぼくらは間違えない」という不敵な? 言葉も好きだ。蒼山幸子は、言葉で音楽を作ることができる才能があると思う。

 それにしても、ファーストシングルの時点でここまでバンドのグルーヴを完成させて披露してくるなんて思いもしなかった。しかも「カロン」は本来『Hello!"Z"』に収録されるはずだったことを考えると、「カロン」での進化は偶然ではなく元々持っていた素質による必然だということだ。間違いなく、ねごとは日本のロック・シーンのポールポジションの一角を占めている。

(近藤真弥)

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pillows.jpg 今年結成22周年を迎えるザ・ピロウズの、フル・アルバムとしては17枚目の作品となる『HORN AGAIN』。

 長年その活動を一人のファンとして追いかけているアーティストの新作を待つときの気持ちは、期待と不安が入り交じっていつも複雑であると僕は思う。それはデビュー・アルバムが最高だったときに感じるような、未来の次回作に対するまなざしに込めてしまう、非常に余計でちょっと失礼な気持ちに似ている。"待つ身が辛いかね、待たせる身が辛いかね"と言ったのは太宰治だけど、きっとアーティストもそういった気持ちを皆持っているのではないかな、と想像する。

 本題に入ろう。ピロウズのファンなら誰しもが知っていることだろうと思うが、ピロウズは一昨年の結成20年を迎えた時に初の武道館公演を成功させた。一般的に見れば、よくあるバンドの成長の過程の一部として映るだろう。しかし、これはもう少し前のピロウズを見ていた人からすれば信じられない事態だったのだ(もちろんいつか...とは信じていたけど)!

 ピロウズ魅力のうちの1つに、ソングライターである山中さわおのアイデンティティから伝わってくるメイン・ストリームに対する葛藤、そしてそれと背中合わせにある本流への羨望に近い感情を含みつつも、バンドの信念を貫き通すという姿勢があったと思う。そんなピロウズが武道館公演を行い、セールス的にも波にのってきた...。これはファンとしては嬉しいことこの上ないのだが、いったいこの先のピロウズはどう進んでいくだろうか...という気持ちが沸き上がったのも事実であったように思う。

 そんななか発売された、今作『Horn Again』である。少し昔のような葛藤や絶望をを躍進力にへと昇華するような、魅力的な危うさを持った雰囲気というよりも、シンプルなバンドの好調さからにじみ出てくるような勢いを感じるアルバムだ。ピロウズの十八番とも言える特徴あるビートとポップさとシニカルさを持ち合わせた楽曲に加え、もうひとつのピロウズの武器であるスローテンポなリズムに山中さわおの語りに近いメロディを乗せた「Brilliant Crown」のような重心の低い曲。アルバム全体を通して王道オルタナティブ! と呼べるシンプルに歪んだギターサウンドに、シンプルなビート。そこに乗せられるポップなメロディ。そして、そのポップさに酔っている所へ鋭く切り込んでくる山中さわおの暗くシニカルでセンチメンタルな歌詞。なんだ、間違いなくいつものピロウズじゃないか!! と,つい叫びたくなってしまう。

 アルバムの冒頭を飾る「Limp Tommorow」で山中さわおは《欠けたままでいたいのさ 満ち足りないまま》と歌っている。武道館を一定の成功の条件として見るというのはまた別の問題だと思うけど、少なくともピロウズは"売れていないけど良いバンド"を越えた次のステージに移ったと思う。ファンとしてはあんたすごいよ! と肩を叩きたくなってしまう。でもそんな中、堂々と新譜の一曲目でこの歌詞を歌ってしまうこの感じ! 絶望や葛藤、希望ってある意味とても入り込みやすい感情だと思う。だからこそ絶望や希望と戦ってきたピロウズを見ていると、すごい身近に感じ、勇気をもらったような気持ちになる。そんなピロウズの成功する姿を見て、ちょっとほっとしている自分がいる。でも、ふと気が付けばまたこうやって良い意味で突き放されている(笑)。

 このアルバムの姿勢を見ればピロウズはバンドとして武道館(つまりはセールス的な成功といった意味合いも含めて)を経ても、山中さわおがよく使う言葉を用いれば"ロッカー"としていつまでも、何が起ころうと健在であるんだなということを確信できた。よくあるセールスに対するファンの杞憂を、何事も無かったように流すのではなく、受け止め、そしてもう一度バンドの姿勢、メンタリティを提示してくれたアルバムだと思う。僕は疑ったことを反省した。

 先行シングル「Movement」が発売されたときのライブで山中さわおは、この新曲を演奏する前に、「この歳になっても、良い曲ができると自分でもとても嬉しい!」と笑顔で語っていた。そして「Biography」という曲は《誰にどんな事を言われてもいい キミ自身がどう在りたいかだ》という歌詞で締めくくられている。

 自分がどんなに変わってしまっても、ピロウズは変わらずにいてくれる。そして、聞き手としての在りかたを自分で決めさせてくれる。待つ身として、こんなに嬉しいことはない。

(陰山ちひろ)

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chrisisobematt.jpg
 毎日忙しい。慌しく朝起きて、駆けるように駅へ向かい、満員電車で仕事へ。この会社で私はどれほど貢献出来ているのだろうか、誰かに必要とされているのだろうか、なんてことを考える暇もなく、あれこれ雑務を片付けたらもう夜だ。そしてとぼとぼと帰路につく。これが昔思い描いていた「大人」なのかなぁなどと思いながら。そんな日々を過ごしているのは、きっと私だけではないでしょう。そしてそんな日々に必要なのは、きっとこんな音楽でしょう。じんわりと心があったまるような。急いで歩くスピードを少し緩めて、一緒に口ずさみたくなるような。

 日米3人のヴォーカリストによるこのアコースティック・スプリットは、名前だけではピンと来ない人も多いかもしれないけれど、よく知っている人からしたら「待ってました!」という組み合わせ。日本で共演したこともあったり何かと縁のある3人は、バンドで出している音はエモやパンクに分類されているけれど、以前からバンドとは別にアコースティックでのライブを行ったり、作品を作ったりといった活動を続けてきた。そんな共通点の多い彼らがひとつの作品を作ったというだけではなくて、お互いの曲をカバーしあっているっていうのがこのスプリットの素敵なところ。同じ時代に同じシーンで音を鳴らしてきたいわば同志のような3人が、お互いの曲をチョイスしアレンジし個性たっぷりに表現した楽曲はまるで友情の証のようで、しっかりとした繋がりや想いが温度を持ってちゃんとこちらに伝わってくるのが嬉しい。

 最初に歌い出すのはセイヴズ・ザ・デイのクリス・コンリー。1曲目の「Let It All Go」はツアーのみでリリースされているデジタルEP(彼らのショウでダウンロードカードを入手できるそう)にも収録されているセイヴズ・ザ・デイの新曲(myspaceで動画も見られます)。透き通るようなハイトーンは、優しくてすがすがしくて冬の晴れた空にとてもよく似合って、トップバッターの役割を見事に果たしている。セイヴズ・ザ・デイで聴かせてくれる真っ直ぐさそのままに、ひたむきでさわやかにこちらに届く彼の歌には、メンバーチェンジを繰り返しながらも止まることなく歌い続けるというクリスの意志が込められているようだ。聴く人を切なくさせるクリアな歌声の中にはそんな強さも垣間見える。彼がカヴァーしたのはゲット・アップ・キッズでもニュー・アムステルダムスでもなく、マットのソロアルバムからのタイトルトラック(何てニクい選曲!)。ハスキング・ビーからは初期の名曲「Sun Myself」を。どちらもクリスらしいストレートなカヴァーに仕上がっている。

 二番手はハスキング・ビー、マーズ・リトミックを経てソロとしての活動を始めたイッソンこと磯部正文。クリスとはうって変わってちょっとハスキーだけれど奥に熱さを秘めた声にグッとくる。作品中唯一の日本語で歌われる「Have A Nice Day」は、独特なイッソンワードが耳に残る新曲。彼の詞にはいつでもさりげない風景が織り込まれていて、空の色や雲の行方、風の声や花の色、そんな普段見過ごしている何気ないけれど美しい景色をふと思い出させてくれる。現在は磯辺正文BANDとして最強なメンツでのライブも行っているけれど、不定期的に行っている弾き語りライブがこれまた最高に楽しくて幸せで素晴らしいのだ。歌は言葉になるし、気持ちは伝わるし、嬉しくても楽しくても涙は流れるし、素敵な時間はずっと忘れないっていうことを、心から実感出来る濃密な時間。歌が共通言語となり、コミュニケーションツールとなり、そこにいる誰もが歌によって繋がっていく感覚を全身で感じることが出来る。自身の曲だけでなく奥田民生やイースタン・ユース、ビートルズやもちろんゲット・アップ・キッズも、好きな曲なら何でも(時にはお客さんからリクエストを募ったりしながら)歌ってしまう彼を見ていると、歌うことを心底楽しんでるのがたっぷり伝わって、それが聴く人を自然と笑顔にする。その楽しさはこの作品に収録された軽快な3曲からも溢れ出ている。

 トリを飾るのはゲット・アップ・キッズのマット・プライアー。第一声から吸い込まれてしまいそうなほど美しく、深く、生々しく、でもさりげない。ギターの音を極力抑え、マットのヴォーカルがより際立つようなバランスになっていて、まるで隣で自分に歌ってくれているのかと錯覚するほど。ギター1本あれば、そして彼の声があれば、それだけで私たちを深く深く包み込んで、彼の景色の中へと誘なってくれる。とてもプライヴェートな空間で奏でられているような、自分の傍に寄り添ってくれているような彼の音楽は、ずっと変わらずに家族や故郷を大切にしてきた彼の生き方そのもののようだ。虚構ではなく、いつでも手の届くところに存在している。長いこと彼の歌を聴き続けてきたけれど、この人は本当に凄い歌い手なのだとつくづく思わされる。彼の声にはきっと魔法がかかっているに違いない。マットがカヴァーしたのはセイヴズ・ザ・デイの「Freakish」とハスキング・ビーの大名曲「Walk」。どちらもマットの世界観で新しく生まれ変わって、また改めて原曲の素晴らしさに立ち返ることが出来る。ゲット・アップ・キッズとしては2009年に再始動、現在は新作ツアーの真っ最中。バンドとはまったく違う表現方法だけれど、もともとゲット・アップ・キッズ活動初期からアコースティックユニットのニュー・アムステルダムスを続けており、このスタイルはファンにもお馴染みであるし彼にとってもライフワークのひとつ。音楽活動のキャリアも長くなり、私生活では3人の子供の父親となって、彼自身の成熟した面(といってもまだ30代前半だけど!)が少しずつ音に滲み出ているのが感じられる素晴らしい3曲。
 
 メタルが好きでパンクが好きでハードコアが好きで、若い頃はウルさければウルさいほど、速ければ速いほど、重ければ重いほど良かった(もちろん今でも大好きです)。アコースティックなんてツマラナイって思っていた時期すらあったのに、今ではこの作品を繰り返し繰り返し聴くほどに、ウルさくて重いのとは対極にあるこのシンプルな音に魅了されている。これがもし、年を重ねたことによる変化なのだとしたら、「大人」になるってことも悪くないもんだ、と思える。素晴らしいアコースティックサウンドを聴かせてくれている彼らも、スタートはパンクだったというところもなんだか興味深い。

 忙しい毎日の中に、本当に心を預けられる何かがあるということ。それが恋人や家族でも、好きな音楽でも、何かひとつでもそういうものがあるなら、それはとても幸せなことだと日々思う。音楽を聴くために少し立ち止まったって、人生からおいていかれるわけじゃない。またひとつ生涯の友となるような作品と出会えた嬉しさは、大人になっても変わらない。だから明日もまた慌しく忙しい日常を駆けていくのだ、好きな歌を口ずさみながら。
 

*嬉しいことにこの3人によるアコースティックライブが東京で開催されることが決定しました! マットもクリスもソロでの来日は初となるうえ、とても距離感の近い会場で行われるので、彼らの歌をじっくり堪能できるはず。彼らの歌声が持つ力を一人でも多くの人に体感してほしいと思います。【筆者追記】

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3日連続でお送りするこのコーナー。今回の筆者はアーケイド・ファイア論に引き続き八木皓平さんで、タイトルは「ノ―・エイジの傲慢さ」。ご存じのとおり、ノー・エイジはつい数日前に来日公演を終えたばかり。なんてすばらしいタイミング(この原稿もずいぶん前に送られていたものなのでした)!

ノー・エイジというのは語りがいがある...というか、知らない人に良さを説明するのが難しいバンドという印象が個人的にある。何か決定的なリフやメロディが存在するわけでもない。だが、まちがいなくクール。07年渋谷o-nestでの初来日公演(そんなにお客さんは入ってなかった)を僕は観ているが、「ハードコアあがりの人が機材と瞬発力を駆使して面白いことをやっている」という印象で、面白いには面白いが、これならライトニング・ボルトやヘラあたりのほうが凄くね? と思った記憶がある。彼らはピッチフォークの絶賛で火がつき、次いで日本でも若い音楽ファンを中心に人気バンドのひとつとなり、チケット代も一気に高騰した。08年の『Nouns』はアートワークも含めて格別なアルバムだったと思う。昨今の音楽業界のいろいろな物事を象徴しているバンドだ。

もちろん魅力的なバンドには違いないが、八木さんはいろいろ思うところがあったようだ。こちらも文章の感想に限らず、ライブの感想でもバンド/作品論でも何でもドシドシご意見お送りいただけると幸いです。ツイッター上でもハッシュタグとか使って議論が巻き起こったりしたら嬉しいし、健全でいいなぁと個人的には思います。

では、どうぞ!

(小熊俊哉)

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アーケイド・ファイアにつづいて、今度はディアハンターに関する投稿をご紹介します。なんとも豪華な感じですな(笑)...とか言ってる場合じゃないか。実はこれも、昨年10月にいただいていたお便り/原稿です。非常に興味深いものではあるのですが、編集部ふたり(小熊&伊藤)ともドタバタゆえ、アップできずにいました。すみません...!

昨年5月にこのサイトの「ヴァージョン4」を公開して以来、こんな感じを「読者諸氏とのフィードバック」感覚の基準にしたいと思いつつ、昨年初夏「フライング」的にこのコーナー、The Kink Controversyを始めていたわけです(ただし、ここには、読者さんからの「とくに興味深い」お便りだけではなく、コントリビューターさんや我々編集者の原稿を掲載させていただくことも、あると思いますが)。

でもって、今回お便り/原稿ご紹介させていただく財津奈保子さんは、ここにも、ここにもご投稿いただいています。いや「八百長」...「出来レース」とかじゃないですよ。

おそらく彼女には、クッキーシーンみたいなしょぼい(笑)...少なくとも「メジャー」ではないメディアをとおしてでも「なにかをひとに伝えたい」という衝動が強くあるのでしょう。うれしい/ありがたいことです...。

では、どうぞ!

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ようやくPrivate Top 10s of 2010も第一弾を掲載完了し、編集部側としてもやれやれひと段落(「遅ぇよ!」って声も聞こえてきそうですが、そこはまぁ...)。

いろんな人たちの年間ベストがずらりと並んでいるのを見ると、本当にいろんな観方(聴き方)があって、数多くの作品がリリースされているのだなと思う。もちろん、知らない作品も正直多い。リスナーが横並びになって同じものを聴く時代はとっくの昔に終わったのだなと改めて実感させられた(まあ、20代中盤の僕にとってはそんなのとっくの昔から当たり前の感性ではあるのだが...)。

そんな時代に、各メディアやリスナーから圧倒的な支持を集めたのがアーケイド・ファイアの三枚目のアルバム『The Suburbs』である。あらゆる年間ベストのたぐいに顔を出し、CD不況のこのご時勢にインディとしては破格のセールスを記録。つい先日にはグラミーのなかでも最高賞にあたる最優秀アルバム賞まで受賞してしまった。2007年にモデスト・マウスが『We Were Dead Before The Ship Even Sank』でビルボード・チャートの1位に輝いたときも相当話題になったが、カナダのこの大所帯バンドが成し遂げたことはそれをさらに上回る歴史的快挙だ。

彼らのグラミー受賞が決まったとき、所属先であるマージ・レコーズ社長兼スーパーチャンクのリーダーであるマック・マッコーハンが日本でジブリの森を満喫していたエピソードにも顕著だが、(欧米の)インディー・ロックが基本スタンスを妥協することなく、名実ともに市民権を獲得したことについては今後大いに議論の余地があることだろう(残念ながら、日本国内では彼らの快挙はまるで話題になっていないし)。正直にいえば僕は彼らの熱心なファンではないけれど、テリー・ギリアムが監督を務めて世界中に中継された8月のライブには身振るいしたし、ここまで露骨に強い物語性と意志を有する音楽がポップ・ミュージックの世界で広く賞賛されるのは喜ばしいことだと思う。

今回お届けするのは、そのアルバムをテーマに書かれた八木皓平さんの原稿だ。現役の学生である彼は過去にもこのコーナーに登場し、ツイッター上でも日々熱い議論を交わしている。つい最近、クッキーシーンのコントリビューターをお願いすることになり、アーケイド・ファイアと同じカナダのこれまた素晴らしい才人、デストロイヤーの作品についてのレヴューで先ごろ無事デビューを果たしていただいた。

実は原稿自体は9月(だから、コントリビューターをお願いするずっと前)にいただいていたのだが、ドタバタしたまま宙ぶらりんとなってしまい、この時期の掲載となってしまった。本人にはごめんなさいとしか言いようがないが、アーケイド・ファイアのこのアルバムはレコード屋さんに並んだ時点ですでにクラシックとしての風格を讃えており、今後なんども繰り返し語られ、事あるごとに参照点となるべき作品である。ウェブ媒体にもっとも求められるのは情報の量とスピードなのかもしれないが、すぐれたポップ・ミュージックは発売日を過ぎても簡単には風化するものではなく、むしろ時間を置くことでより強い魅力を発するようになるものだ(そして奇しくも、この原稿も"時間"を切り口に書かれている!)。

アーケイド・ファイアについて(昨今のインディー・ロック全般でもいいけど)語る人々は総じて文学/哲学的でシリアスな論調に陥りがちであることの理由をむしろ僕は分析したくなったりもするが、文章の感想から作品論、こういった考えに対する意見まで、いろいろな反響があると嬉しいです(こちらからどうぞ)。そういった声も今後はもう少し早くサイトにアップできると思います。

というわけで、どうぞ。

(小熊俊哉)

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ミューフレーミング・リップスヨンシーアジアン・カンフー・ジェネレーションアートスクールのライヴ・レポートをアップしました(上の「LIVE REPORTS」ボタンから入っていただければ、もしくはここから飛んでいただければ、全部つづけて読めます)!

原稿はずいぶん前に入稿されていたのですが、なかなかアップすることができませんでした。申し訳ありません。

このコーナーの記事は、これまで基本的に(事情によりライヴ写真が入手できないもの以外は)写真入りで掲載してきました。

しかしながら、ライヴ写真を入手したり掲載許可を得たり...という作業をしている時間が、現状なかなかとれないというのっぴきならない事情がございます。場合によっては比較的簡単に入手できるもののありつつ、「簡単に入手できたものは写真を掲載、そうでないものは写真なし」というのは、どうも心苦しい(紙媒体であれば、そうであっても大丈夫なレイアウトをおこなうことが比較的容易にしても...)。

というわけで、今後このコーナー、申し訳ありませんが、基本的に今後は「文字のみ」で進もうと思っております。

なお、これまでも図らずも結果的にそうなっていたのですが、ここであらためてお伝えしておきますと、ここに載る記事は(編集部からの「発注」でなく)コントリビューター諸氏の自発的ご提案によるものとなっております。

では、どうかお楽しみください!

2011年2月16日

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2011年2月16日更新分レヴューです。

HERCULES & LOVE AFFAIR『Blue Songs』
2011年2月16日 更新
グリフ・リース『ホテル・シャンプー』
2011年2月16日 更新
リンゴ・デススター『カラー・トリップ』
2011年2月16日 更新
クラウド・ナッシングス『クラウド・ナッシングス』
2011年2月16日 更新
CUT COPY『Zonoscope』
2011年2月16日 更新
エスベン・アンド・ザ・ウィッチ『ヴァイオレット・クライズ』
2011年2月16日 更新
ジョニー『ジョニー』
2011年2月16日 更新
ャズ 『ランニング・ウィズ・ザ・ビースト』
2011年2月16日 更新
アイアン・アンド・ワイン『キス・イーチ・アザー・クリーン』
2011年2月16日 更新
シークレット・シャイン『ザ・ビギニング・アンド・ジ・エンド』
2011年2月16日 更新
GRAPEVINE『真昼のストレンジランド』
2011年2月16日 更新
THE VEILS「Troubles Of The Brain」EP
2011年2月16日 更新
徳永憲『ただ可憐なもの』
2011年2月16日 更新
青葉市子『かいぞくばん』
2011年2月16日 更新
ザ・キャプティヴ・ハーツ「ハミングバード」EP
2011年2月16日 更新
ブラック・レベル・モーターサイクル・クラブ『ビート・ザ・デヴィルズ・タトゥー』
2011年2月16日 更新
オルタナティヴとしてのアストル・ピアソラ―『Octeto Buenos Aires』を巡って
2011年2月16日 更新
THE STROKES「Under Cover Of Darkness」Teaser Single
2011年2月16日 更新

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大変遅くなってしまい申し訳ありません。「2010年のあなたのプライヴェート・ライフを最も彩ってくれた10枚のアルバム」特集「第1回アップ」のための最終作業、この連休中ずっとつづけておりましたが、ようやく完成しました(汗)!

題して...これが『最先端』音楽事情だ、なう!

...かどうかはよくわかりません。でも、すでに全部を読んだ拙記者からすると、図らずも「総体」としてそうなっているのかも? と思えます。

今これをご覧になっているページの右側からではなく、(「表紙」を除く)トップ・ページ右側最上段のバナー、もしくはこちらから、どうぞ!

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以前お伝えした〆切日(2月7日)をすぎていますので、読者のみなさんからのご投稿は受付は完了とさせていただきます。すみません...。なお、2月7日の夜、〆切ギリギリにお送りいただいた分に関しては、「第2回アップ」にまわさせていただきます! ご投稿いただいたみなさん、本当にありがとうございました!

「第2回アップ」は、遅くとも今月中には(なるべく早めに)おこなわさせていただきます(2月7日の夜にお送りくださった方々にメールでお伝えした予定より遅くなってしまいそうです...。どうかご了承ください...)。

以前お伝えしたご応募要項から大きくはずれた形でお送りいただいた数通(たとえば、ご自分のブログへのリンクのみをお送りいただいた方や、2009年リリースのものが大量にセレクトされているうえになんのコメントも書かれていなかったものなど...)に関しては、大変申し訳ありませんが掲載させていただくことができませんでした。こちらも、どうかご了承ください。

1)「正しい形でお送りいただいたはずなのに載っていない」という場合は、当方のミスということも考えられます。お手数ですが、FEEDBACKコーナーからご一報いただければ幸いです。

2)表記などは、できる限りクッキーシーンの書式にのっとって修正させていただいております。なるべく細かく校正したつもりですが、絶対に完璧ではないと思います。すみません。ご自分の原稿にアップ時のミスを発見された場合も、どうかご一報ください。

3)プレゼントにご当選された方には、2月10日までにメールをお送りするとお伝えしましたが、「第2回アップの直後にお送りします」と訂正させていただきます。すみません!

>>>>>>>>>>

返す返すも、申し訳ありませんでした。今後こういったことがないよう、精進していくつもりです。何卒ご容赦を...。

奇しくもヴァレンタインズ・デイのアップとなってしまいました。

チョコレートではありませんが、ぼくらから「愛」のこもったプレゼント。「♪It's my bloody valentine's day party, so cry if I want to...」とかおっしゃらず(正直「Me, too...」ですけどね:笑)、どうかお楽しみください!

なお、こちらのデザインは、今週中にちょっとモディファイさせていただきます。また、ロゴまわりのヴァージョン表記が、のちほど(今から48時間以内くらいには?)Version 4.5に変わります。

2011年2月14日14時18分(HI)

*「第2回アップ」のほう、2月中にはできませんでした...。もう少々お待ちください。申し訳ありません!【3月1日(土)追記】

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いやー、(いい意味で)あまりにすごいトーク・ショウでした(笑)。

くわしいレポートは、こちら

超満員の会場に来てくださったみなさん、ユーストリーム中継で見てくださったみなさん、ありがとうございます!

またやろうと思うんで、よろしく、です!

2011年2月10日6時31分(HI)

2011年2月3日

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このサイトが昨年5月にリニューアル・オープンしたころから、「音楽と関係ない広告」バナーをいつか設置したいな...と考えていたのですが、このたび、それを導入させていただくことになりました。

クッキーシーン現在のアクセス数からすると、それほどの収益にはならないのですが(笑)、まあ、まずは一歩づつ...ってな感じで。すみません!

「広告」のない形でご覧いただいていたみなさん、慣れるまでちょっとうっとうしいと感じられるかも? そうであれば、どうかご容赦を...。今後とも、クッキーシーン・サイトを、よろしくお願いいたします!

2011年2月2日3時52分(HI)

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今週のカヴァーは、モグワイです。彼らのニュー・アルバムに関するインタヴュー記事は、こちら

「DLすると横幅が1500pixel」となる画像がアップされています。しかし、今回は写真の形が異様に横長なので(笑)あなたのPCやiPadの壁紙に使うのは、むつかしいかも...ですね。すみません!

2011年1月31日13時45分 (HI)

Private Top 10s Of 2010

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「2010のあなたのプライヴェート・ライフを最も彩ってくれた10枚のアルバム」
(=「あなたにとって、2010年を代表すると思われる10枚のアルバム」)

Readers(50音順) 

mew
@uskuskuskusk
2011年2月12日 更新
mew
伊勢谷真臣
2011年6月8日 更新
mew
SS
2011年2月12日 更新
mew
掛川秀之
2011年2月12日 更新
mew
加藤巧
2011年2月12日 更新
mew
Kahei Kirima
2011年6月8日 更新
mew
川原広 a.k.a. K腹
2011年2月12日 更新
mew
韓奈侑
2011年2月12日 更新
mew
草野虹
2011年2月12日 更新
mew
くぼーでぃお
2011年2月12日 更新
mew
小出雄司
2011年2月12日 更新
mew
財津奈保子
2011年2月12日 更新
mew
佐藤雅哉
2011年6月8日 更新
mew
ジンボユウキ
2011年2月12日 更新
mew
taca-soccer
2011年6月8日 更新
mew
たびけん
2011年2月12日 更新
mew
田村聖司
2011年2月12日 更新
mew
tunagarimylife
2011年2月12日 更新
mew
TKD (sheherherhers,vo)
2011年2月12日 更新
mew
ドラム猫
2011年2月12日 更新
mew
七竃沙世子
2011年2月12日 更新
mew
ハラダトモヒデ
2011年2月12日 更新
mew
藤川毅
2011年2月12日 更新
mew
mirai
2011年2月12日 更新
mew
yo-suke
2011年2月12日 更新
mew
横井岳志
2011年2月12日 更新
mew
Ryoichi
2011年2月12日 更新

Contributors & Staffs(50音順)

mew
青野圭祐
2011年2月12日 更新
mew
碇本学
2011年2月12日 更新
mew
伊藤英嗣
2011年2月12日 更新
mew
犬飼一郎
2011年2月12日 更新
mew
小熊俊哉
2011年2月12日 更新
mew
楓屋
2011年2月12日 更新
mew
吉川裕里子
2011年2月12日 更新
mew
黒田隆憲
2011年6月8日 更新
mew
近藤真弥
2011年2月12日 更新
mew
サイノマコト
2011年2月12日 更新
mew
佐藤奨作
2011年2月12日 更新
mew
田中喬史
2011年2月12日 更新
mew
田山雄士
2011年6月8日 更新
mew
角田仁志
2011年2月12日 更新
mew
長畑宏明
2011年6月8日 更新
mew
藤田聡
2011年2月12日 更新
mew
星野真人
2011年2月12日 更新
mew
松浦達
2011年2月12日 更新
mew
八木皓平
2011年2月12日 更新
mew
安永和俊
2011年2月12日 更新
mew
矢野裕子
2011年6月8日 更新

安永和俊

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17_yasunaga_10.jpg
TEENAGE FANCLUB『Shadows』*画像
BELLE AND SEBASTIAN 『Write About Love』

THE VASELINES『Sex With An X』

EDWYN COLLINS 『Losing Sleep』

BRIAN WILSON『Reimagines George Gershwin』
FRAN HEALY『Wreckorder』
BILL WELLS & TAPE『Fugue』
ALASDAIR ROBERTS『Too Long In This Condition』
NORTHERN PORTRAIT 『Criminal Art Lovers』
トクマルシューゴ『Port Entropy』







 2010年もたくさんのグラスゴーからの素敵なアルバムに出会えました。中でも個人的にはティーンエイジ・ファンクラブの5年ぶりの新作『Shadows』が5月にリリースされたこととそれに続く来日ツアーが最大の出来事です。その待望の新作には、ノーマン・ブレイク、ジェラルド・ラヴ、レイモンド・マッギンリーの3人が、それぞれの人生経験とバンド結成20年以上のキャリアに裏打ちされたソング・ライティングのセンスと綿密なアレンジで制作した楽曲が詰まっていて、改めて彼らの持つ普遍的なメロディーとハーモニーの魅力に感動しました。また8年ぶりの単独公演となった10月の来日のライヴでも新旧とりまぜたベストなセットを披露してくれていてどの公演でも号泣してしまいました。メンバーもすでに40歳を超えていて90年代当時とは違いますし、もちろん自分も同じく年齢を重ねているのですが、こうして大好きなバンドの音楽と一緒に年月を重ねていける幸せを感じたアルバムと来日公演で、それだけでも2010年は素敵な一年だったと思います。

 他、アルバムではグラスゴーの伝説のアノラック・バンド、ヴァセリンズのなんと21年ぶりのセカンド『Sex With An X』、ベル&セバスチャンの愛の溢れた充実の新作 『Write About Love』、アズテック・カメラのロディ・フレイム、フランツ・フェルディナンドのアレックス&ニック、ザ・クリブスのジョニー・マーら豪華ゲストが参加したエドウィン・コリンズの感動の復活作『Losing Sleep』、トラヴィスのフラン・ヒーリィのソロ作『Wreckorder』、奇才ビル・ウェルズがスウェーデンの音響トリオ、テープとコラボしたアルバム『fugue』、スコティッシュ・フォーク界の吟遊詩人アラスデアー・ロバーツの『Too Long in this Condition』など、近年でも特にグラスゴー関連作が充実した年だったと思います。またグラスゴー以外では、ブライアン・ウィルソンがガーシュウィンを再構築した『Reimagines George Gershwin』を、1900年代初頭から受け継がれるアメリカン・ポップの地平を感じさせてくれた作品としてよく聞いたと思います。新人ではデンマークのノーザン・ポートレイトが新世代のネオアコ、ギタポを鳴らしてくれていて、これも素敵な作品でした。国内ではトクマルシューゴの新作を一番よく聞きました。

 毎年、年間ベストになると思いますが、こうした素敵な作品との出会いに感謝しつつ、次の2011年でもまた多くのいい作品を聴けることを期待したいと思います。
 

八木皓平

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CORINNE BAILEY RAE『The Sea』*画像
DE DE MOUSE『A Journey To Freedom』
YUKI『うれしくって抱きあうよ』
MYSTERY JETS『Serotonin』
LCD SOUNDSYSTEM『This Is Happening』
WILD NOTHING『Gemini』
MATTHEW HERBERT『One One』
OF MONTRIAL『False Priest』
SUFJAN STEVENS『The Age of Adz』
JONSI『Go』






「USインディーが猛威をふるい、UKギター・ロックが低迷していた」。どの音楽雑誌をめくってもこのような言葉で2010年のシーンが総括されるであろう。確かに、今年は僕もUSインディーを良く聴いた。ビーチ・ボーイズやフィル・スペクターへの憧憬が散見され、そのノスタルジアはアメリカ全土を覆っていた。彼らは己の好きなままに過去を模倣した。それは一つの制度と呼べるくらいに膨張し、コード化された。アリエル・ピンクのように暴力的なまでにあらゆる過去を切り取り、それらが歪なままに、強引に繋ぎ合せてゆくことによって奇妙な構造物を作り上げるアクトもいれば、過去を巧みに模倣することによってそこにフレッシュな驚き(古臭さとは時に新鮮である)を与えるマジック・キッズのようなアクトもいた。だが、次第にどうしようもなく退屈になってきた。どこかでこんな文章を見つけた。「USインディーはアーティストが楽しそうに、自由にやっていてとても羨ましい。日本のアクトはなんであんなに暗い雰囲気なんだ」。文章が解釈可能性に満ち満ちていて、僕の読解力では何を言いたかったのかさっぱり分からなかったのだが、僕はこれに対しては脊髄反射レベルで反感をもった。文脈をたどるとそこで語られている「自由」とはマーケットを意識せず、ということらしい。僕に言わせてみればそんなことは大きな間違いで、USインディーのアクトは彼らなりに、彼らが該当するマーケットを意識して曲を作っていることは間違いないだろう。日本には同様のマーケットが微小であるため、なかなかそれが難しいということであろう。そこを単純に比較して「自由」云々とクリティ―クするのは大きな間違いである。そんなこんなで僕はUSインディーをほとんど聴かなくなった。いや、聴いてはいたのだが、少なくとも2010年上半期のようなワクワクした心持ちで聴くようなことはほとんどなくなった。ノー・エイジやディアハンターなど非常に良質なアルバムを上梓してきたアクトもいて、かなり心を揺さぶられもしたが、振り返ってみるとUSインディーに拘泥した年、とは全く言えなかったし、「USインディーに希望しか感じない」(これも何かの雑誌で読んだ)とはお世辞にも言えない一年であった。そんな僕が何を好んで聴いていたかと言うと上に挙げた10枚である。

 ヨンシー(Jonsi)『Go』。シガー・ロス『残響』で垣間見せていた「音のポジティヴィティへの希求」が一気に花開き、躍動感に満ちたメロディ、トライバルで多彩なリズム、「成長」をテーマにした歌詞、それら全てが有機的に絡み合った傑作となった。ただ、このアルバムは「僕は君のことを知らないまま終わってしまうのさ 君は誰のことも本当には知らずに 終わってしまうのさ」という内省的な歌詞もひっそりと抱えている。ネガ・ポジのどちらにも振り切れること無いこのアルバムをポジティヴィティのみで語るのは片手落ちだろう。

 スフィアン・スティーヴンス(Sufjan Stevens)『The Age of Adz』。シンプルであることを基調とした「いわゆるUSインディー」を横目に見ることもせず、できるだけ大袈裟に、できるだけ過剰に、できるだけ派手に(全部似たような意味か)己のイマジネーションを爆発させた男が、スフィアン・スティーヴンスその人である。そこではお得意のチェンバー・ポップに無理やりエレクトロニカを縫い付け、ひたすら自分語りをし続けるという、最先端の承認欲求が音として鳴り響いていた。今年もっとも愛おしかったアルバムである。

 オブ・モントリオール『False Priest』。相変わらず、ド変態でファンシーで、ファンキーで、キュートな連中、オブ・モントリオールの新作はあまりに妄想過剰だった前作をスマートにまとめあげた傑作...というものでは全くない。今作も十分に好き放題やっていて、そこが彼らのファンにとってはたまらない。スマートに纏まってはいないが、前作よりもアルバム全体として聴きやすくなっていることは確かである。外部プロデューサーの導入が大きかったのだろう。「表現の深み」など一切必要としない彼らの音への快楽性のみを極めて表層的に追求するその強靭なメンタリティ(一応コンセプトはあるのだからこれは言い過ぎ?)には恐れ入るばかりだ。

 マシュー・ハーバート『One One』。この美しい傑作についてなのだが、ここまでスフィアン・スティーヴンス、オブ・モントリオールと書いていて、変態ばかり書いていることに気づく。彼は新聞紙を破った音、トースターの音、ゴミ箱に落ちた鼠が逃げようとする音を使ってレコード作るような人間である。そんな彼がソロ名義で出したコンセプトアルバム『one one』はいつものハーバートでした。内省へと向かった音像ではあるが、個人的にはそこはあまり気にならず、ハーバートが曲を作れば面白くなるというそれ以上でもそれ以下でもない、ただひたすらハーバートの個性が際立っていることを証明するアルバムだった。

 ワイルド・ナッシング『Gemini』。今年の新人の個人的な大プッシュがこれ。80sポップの要素もあれば、シューゲイズの要素もあり、はたまたチルウェイブのような要素もある、と言えば昨今のUSインディーのデフォルトだろうか。ただ、そこにザ・スミスを盛り込んでみてはどうだろう?「There is a light that never goes out」のどうしようもない内省と生と死の狭間を行くその浮遊感がこのアルバムには満ちている。これはジャック・テイタムという一人のナードのソロ・プロジェクトであり、彼のベッドルームの妄想絵巻であることを考えると、深い内省がこのアルバムに満ちた時に甘酸っぱく、時に穏やかに煌めくポップの根底にあることは想像に難くない。

 LCDサウンドシステム『This Is Happening』。どこまで本気だったのか。彼は一度、二度とアルバムを作らないという発言をした(これは後に訂正された)。そう言ってこのアルバムをシーンに投下した。彼はデビューした時からノスタルジアの帝王であった。「俺はそこにいたんだよ」という言葉に類いまれな無力感を付与しながら颯爽と重い足取りで彼は音楽シーンに現れた。現れた時にはすでにいいオッサンだった。No NYの不機嫌なディスコを基調としながら、それをエレクトロニカの意匠で飾り、彼は全世界を躍らせた。そんな彼の3rdアルバムはいつも通りどこまでもグズグズとしていた。しかも、その音と歌の説得力は相変わらず抜群だった。「君はヒットしたいんだろ。でも僕らにヒットは飛ばせやしない」「僕が欲しいのはただ、君の同情」こんな歌詞を40そこらのおっさんが必死に歌ってたらそれは泣けるでしょう。島宇宙化が進み、ビートルズが決して現れない世界でポップ・ミュージックがどう鳴らされるべきかを模索する男の怒りと涙と諦め、そして決意のアルバム。

 ミステリー・ジェッツ『Serotonin』。誰よりも早く80sにおけるMTV全盛の空気をその作品に盛り込み、至高のメロディセンスを惜しげもなく披露した前作をさらに華やかに、さらにメランコリックに飛躍させたこのアルバムは僕にとって、2010年音楽シーンにおけるハイライトであったと断言したい。この場で挙げる10枚の中でも最も聴いた一枚であることは確かだ。世間で盛り上がっていないのが非常に不思議であり、メディアにおける扱いの小ささはこれは何かの間違いではないかと呟きたくなるほどだ。歌詞の内容も最高だ。「もう遅すぎる」「彼女は行ってしまった」。こんなことばっかり。しかし、聴いていると何とも言えぬ最高の気分になってくる。我々がイギリスの音楽を愛するのはこの出口の無いグズグズした内省が語り手の絶妙なナルシズム(「こんなに内省してる僕...」)とともに、鼓膜を刺激するからに違いない。この高揚感以外は何も見当たらない僕の白痴な文章を読めば、どれほどこのアルバムに涙し、興奮させられたかがわかるであろう。

 YUKI『うれしくって抱きあうよ』。歌詞カードに付いている写真が素晴らしい。YUKIが見えない何かを抱擁している写真が載っている。そこでYUKIは張り裂けんばかりの笑顔、何かを取り逃がしたような顔、妖艶な顔、様々な表情を浮かべている。その中でも圧倒的に笑顔が多く、何かを抱きしめることの喜びが伝わってくる。しかし、その写真でも、歌詞の中にも、そこにいるのはYUKIだけである。彼女は何も抱きしめてはいない。いくら「僕」と歌っても相手はそこにはいない。「君」と「僕」のセカイ系作品ではない。もう一度言うがここにはYUKIしかいないのだ。それでも彼女はそこに何の疑問も無いようにしてを求め、「愛」を歌い続ける。この決意には心を打たれた。「幸せを持ちあわせ 1人より2人なら レコードは廻り出す うれしくって抱きあうよ」「動き出す2つの鼓動 辿りつく涙の岸辺 降り出した雨止まずに びしょ濡れならそのままもいいさ」。このまま、歌詞をひたすら載せ続けていきたい衝動に駆られるが、続きはアルバムを聴いてください。

 デ・デ・マウス『A Journey To Freedom』。自由への旅立ちとはよく言ったものだ。どこかノスタルジックで内省的だった前作とは少々趣が違う。旅立ちへのファンファーレのようだ。メロディは独特のオリエンタルなムードを持ちながらも非常に華やかに煌めいている。このアルバムは子供の声から幕を開ける。彼は「先の見えない真っ暗な未来へと飛び込まされる以前の、真っ直ぐさ」と子供について語っている。あまりに眩しい旅立ちだ。僕はそこに心底やられた。全編を駆け巡る強靭なビートが高揚感に拍車をかける。しかし、このアルバムには秘密がある。なにしろ9曲目は"goodbye parade"なのだ。何も知らずに、無邪気さと戯れることが自由なのではなく、全てを知って、それらを引き受けたうえで、踏み出す一歩こそが自由への旅立ちなのだ。子供は大人にならなくてはならない。子供のような無邪気さが迸るこのアルバムにはデ・デ・マウスの深遠な決意が漲っている。

 コリーヌ・ベイリー・レイ(Corinne Bailey Rae)『The Sea』。夫を亡くした彼女は活動を休止し、沈黙した。そして、彼女はまた、音楽を始めた。この2ndアルバムに収録されている楽曲のほとんどは彼女の亡き夫について歌われたものだ。 「あなたはここにいるの?あなたは今そばにいてくれるの?ここにいるのね?だって心に甦る何もかもが、鮮やかなままだから 何事もなかったかのように感じるの」人は過去の奴隷ではない。しかし、人は過去によって支えられているし、過去がまた未来で反復することもある。時は脳を侵し、肉体を否応なく変容させる。想い出という手に取ることのできない何かは、いつだって僕らの心に現れては消え、それを繰り返す。2010年の僕のミュージック・ライフで最も光り輝いたのは、己の過去と壮絶な争いをした、一人の女性の孤独な、そして計り知れないほどの愛に満ちたアルバムでした。

松浦達

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JAMES BLAKE「Cmyk」EP
MARGARET DYGAS『How Do You Do』
FLYING LOTUS『Cosmogramma』
HAUSCHKA『Foreign Landscapes』*画像
MATTHEW HERBERT『One Club』
SUFJAN STEVENS『The Age Of Adz』
THESE NEW PURITANS『Hidden』
KID CUDI『Man On The Moon Ⅱ:The Legend Of Mr.Rager』
ANTONY AND THE JOHNSONS『Swanlights』
RUFUS WAINWRIGHT『All Days Are Nights: Songs For Lulu』






 僕が2010年に夢想していた音楽風景の一つには「郊外のフロアー」がありました。それは島田雅彦氏の『忘れられた帝国』のようなイメージを帯びてきます。主観世界が、郊外という場を得て、ナラティヴとして成立している中に、切り詰まったグローバリズムの痕の景色が「内在化」されていると言えるでしょうか。そこには、希望も絶望的な何かもなく、ただ平坦で無機的な熱がぼんやりと浮かんでは消えているだけです。だからこそ、例えば、アーケイド・ファイアの提示した「郊外」はすぐそこの僕の生きている生活と密接に結びついていたがゆえに、そこには、普遍性よりも特殊性を見出すことが早いとも言えたかもしれないのです。

 マグネティック・マンが、フロアー及び日常のアンセムに結ばれるようなビッグネスを持った隣で、ロンドンの気鋭、ジェームズ・ブレイクのトラックでは引きの美学と、ネプチューンズやティンバランド以降のヒップホップ、R&Bのセンスとともに、メタメタに記名性が解体されていましたが、これでこそ、踊れる(これでないと踊れない)というユースの感性は頼もしかったと言えます。マーガレット・ディガスも然り、ドープながら、オーディエンス側を揺さぶったフル・アルバムが持つ低温火傷しそうな音像は、宙ぶらりんな時代の空気感に合致したという気がしますし、今年は兎に角、ビートが人を求めていた気がします。例えば、フライング・ロータスのあのスピリチュアルに内側に潜航していきながら、メビウスの輪のようにねじれ、一気に外に拓けてゆくというカタルシスは象徴性が高く、「外密(extimité)」、「現実界(Le réel)」という概念を静態的にしか語り得ていない作品が多い中、現場的な分節過程を表象していた一枚と言えるかもしれません。その音像から零れたビートを受け止めるようにハウシュカ、マックス・リヒター、フランチェスコ・トリスターノのようなポスト・クラシカルなアーティストたちの作品はこれまで以上に柔らかさと懐の深さを見せてきました。

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 シーンという意味では、ニューエキセントリック勢からはヴァンパイア・ウィークエンド、MGMT、フォールズといった面々がセカンド・フェイズに入り、ニューレイヴの代表格のクラクソンズも模索の中で新しいアルバムを作りました。どれもの作品のキーワード、参照点となるのは"80年代、ニューウェーヴ"であり、意図的にサウンドのレイヤーがその時代のような平板なものになっている代わりに、少しロマンティックでホープフルな、真摯な音になっていました。あのブルックリンのフリーキーだったバンド、イェーセイヤ―も、ティアーズ・フォー・フィアーズやピーター・ガブリエルの仕事で有名なジェリー・マロッタのホーム・スタジオを三ヶ月借り、録音を試みるなど、作品自体も洗練化されたものだったからして、90年代以降、続いたオルタナティヴ(代案)の趨勢の果てで、"まだポップ・ミュージックは、みんなのものだった時代(本案)"に、代案を出す側も巡り流れていたと言えるかもしれません。

 そこで、「代案」はグロファイ・チルウェイヴといった音楽潮流に回収されていったのかもしれませんが、その渦中に居ながら、ガレージにローファイに抜けたディアハンターは時代の要請と合っていたせいか、悲痛に重苦しく思える部分があり、どちらかというと、ブラッドフォード・コックスのアトラス・サウンドにおける『Bedroom Databank』のような音こそが、「大きな時代」への柔らかなカウンター、シーンへの批評行為にもなっていたような気がします。あくまで、グロファイ・チルウェイヴの一部としても、現実逃避型のドリーミーな音楽が求められるようになればなるほどに、個々の無意識が示唆する現実における閉塞はより峻厳に現前します。そこで、現前した声を掻き集めたマシュー・ハーバートの『One Club』はやはり美しかったと思います。

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 また、"都市の真ん中の郊外"ではパラノイアックな一大ポップ絵巻を作り上げたスフィアン・スティーヴンスが世界の不全を言及し、ジーズ・ニュー・ピューリタンズは「私は戦争が欲しい」と暗渠から不穏に呟いていたのは印象的でした。そう、都市の真ん中の郊外では憂鬱にならざるを得ないのです。その憂鬱は別に、都市が「在る」訳ではなく、自分たちの過大に膨れ上がったメガロマニアが指し示す幻像だからかもしれない、という要因に依拠します。そうなると、カニエ・ウェストがエゴをあそこまで肥大させたシステムの構造論よりもキッド・カディが何故に深甚なヒポコンデリーを抱え込まざるを得なかったのか、ということを考える方が意味はあるのかもしれません。

 最後に、個人的に2010年は「声の政治性」に自覚的にもなり、特に、アントニーやルーファスが発した"声の小ささ"には救われました。

星野真人

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GLASSER『Ring』 *画像
ARIEL PINK'S HAUNTED GRAFFITI『Before Today』
PANTHA DU PRINCE『Black Noise』
OWEN PALLETT『Heartland』
SEBASTIAN BLANCK『Alibi Coast』
EFFI BRIEST『Rhizomes』
FLYING LOTUS『Cosmogramma』
DEERHUNTER『Halcyon Digest』
TAMARYN『Waves』
POCAHAUNTED『Make It Real』






 2010年を振り返って印象深い10枚をピックアップしてみると、00年代に引き続き、この2010年もどうやらUSインディー三昧のようでした(笑)。その中で堂々の首位を飾ったのは、LA発の宅録女性ソロ・ユニット、グラッサーのデビュー・アルバム。様々な打楽器、弦楽器、シンセを駆使して描かれるトライバルでミニマルな浮遊感と力強くも癒し効果抜群のヴォーカリゼーションによる美しく神秘的な世界感とがマッチングした今作に、もうメロメロ。彼女の凛とした佇まい、アートワーク、PV等トータルではまりました。また彼女とはTrue Panther Soundsでレーベル・メイトであり、ウィスパー・ヴォイスとシューゲ的フィードバック・ノイズが眩し過ぎるタマリン、実験ドローン通過後、スペーシーで強烈なダブっぷりを見せたポカホーンテッドをはじめ、女性アーティストの目覚ましい活躍振りが、個人ランキングにもジワジワと食い込み始めています。ブルックリン発のエフィ・ブリーストなんてオール女性6人組(!)ですし。他に印象深かったと言えばアリエル・ピンクの4AD移籍後の華麗なる変貌っぷり。と言っても毎曲異なる方向性で相変わらず捉えどころがない印象は変わりませんが(笑)、より作品的になったことでより多くのリスナーにも受け入れられ、ようやく広く受けるべき評価を得たのではないかなと。あと12月の初来日ライヴが素晴らしかったファイナル・ファンタジー改めオーウェン・パレット。実は当初個人ランキングではギリギリ圏外だったのですが、ヴァイオリンとエレクトロニクスと美声と軽やかな指先を駆使してのライヴ・パフォーマンスでの楽曲の構築ぶりと、あんな音こんな音をヴァイオリンひとつで表現させるその完成度の高さに度肝を抜かれ、この度の再評価でめでたくランクイン致しました(笑)。聴けば聴くほどその創造性にワクワクさせられる逸品です。創造性繋がりでもうひとつ挙げればフライング・ロータス。大量の音の情報量を短い分数に斬新的なアイデアと目を見張るクリエイティヴティでリビルドしてブチ込んでいくその様は正に圧巻の一言でした。流石です。

 改めて振り返ってみると2010年は偶然なのかバンドというよりソロ・ユニット系のアーティストをよく聴いていたように思います。2011年ではバトルス、アクロン・ファミリーの新作も出るようですし、バンド系のアーティストがゾロゾロとランクインしていくのかなと早くも予想。あと2010年に引き続きジュリアナ・バーウィック(Julianna Barwick)をはじめとする女性アーティスト系も! とにかく2011年もいい音楽と出合えそうです。

藤田聡

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DEERHUNTER『Halcyon Digest』
SCHOOL OF SEVEN BELLS『Disconnect From Desire』
AS MEIAS 『As MeiasII』
GREGORY AND THE HAWK『Leche』
PREDAWN『手のなかの鳥』
SIMIAN GHOST『Infinite Traffic Everywhere』*画像
ANDYMORI『ファンファーレと熱狂』
BROKEN LITTLE SISTER『Memories,Violet&Demons』
EMPIRE!EMPIRE!(I WAS A LONELY ESTATE)『What It Takes To Move Forward』
L'ALTRA『TELEPATHIC』





 2010年、上記おそらくシーンの流れとはそれほど関連性がないですが、でも、現在ってそういうもんでしょうということで選んだ個人的10枚です。
 
 ディアハンターの前作にも勝る深い陶酔感は、ここ数年で彼らを中心としてサイケデリック・ミュージックが更新されていくのを確信させ、新しい刺激でした。来日公演では、ロックバンド然とした『Microcastle』の来日時に比べて明らかに芯の太くなった演奏に心地いい轟音フィードバックが覆い、音源が再解釈され、 それはそれでまた別の魅力がありました。ディアハンターと同じくシューゲイザー的文脈で語られていた(いる)スクール・オブ・セヴン・ベルズは近未来もしくは秘境を思わせるサウンドはクリアさが増して、全体のクオリティが底上げされていた傑作でした。また、90'sエモ好きの自分としては、アズ・メイアスの新譜が10年 振りにリリースされ、そしてその事実よりも、何よりそれぞれの楽器が計算され尽くされ奇跡的なバランスで鳴っている内容の素晴らしさにに、止まっていた時代が推し進められたかのように興奮し。グレゴリー・アンド・ザ・ホークやプリドーンなどの女性シンガーソングライターのクオリティの高い楽曲で感傷に浸り。前者の「Soulgazing」、後者の「What Does It Mean」という曲を何度聴いたか...。エアリアルのボーカル・ギターでもあるセバスチャンことシミアン・ゴーストは透明で空間的な音に暖かい彼のメロディが、いわゆる北欧エレクトロのなかでも豊かさを感じて美しかったです。アンディモリは彼らの俯瞰ていながらも生き急いでいて、脆さも同時に感じる『ファンファーレ と熱狂』を聴いたときは衝撃で、こんな日本のロックバンドなかなかいなかった。メンバーの脱退と加入を乗り越えて2011年の今年にリリースされる新譜が楽しみです。タイトルは『革命』だそうで。
 
 シーンが多様化したと言われてだいぶ経ってもいますが、未だに刺激的な音楽に出会ったときのどきどきが続いているということは、「新しい」音楽は生まれ続けているのだなと実感します。2011年もいい年でありますように。

角田仁志

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ARCADE FIRE『The Suburbs』
JANELLE MONAE『The Archandroid (Suites Ii And Iii) 』*画像
LAURA MARLING『I Speak Because I Can』
CEE-LO GREEN『The Lady Killer』
KANYE WEST『My Beautiful Dark Twisted Dreams』
WARPAINT『The Fool』
MAGIC KIDS『Memphis』
SLEIGH BELLS『Treats』
DEERHUNTER『Halcyon Digest』
DELOREAN『Subiza』





 2010年は、近年になく年間ベストの選出に頭を悩ませた年でした。反面、それはとてもうれしいことでもあったし、シーンが充実していたことの証明でしょう。

 また、面白い動きがいくつもありました。上記ランキングで挙げているものでいえば、ジャネル・モネイとオブ・モントリオール、カニエ・ウェストとボン・アイヴァーなど、アーバン・ミュージックとインディーのクロス・オーヴァー。その結果、世界のチャートからブログメディアにまで支持された作品が誕生しわけでう。ジャンルの垣根が取り壊されるなら、これからもっとユニークな楽曲が生まれてくることでしょう。

 それに、インターネット=フリーという概念が推し進められたことにより、ユニークな動きを見せたのはアーケイド・ファイア。Google Chromeを使い、オーディエンスが参加するPV(「We Used To Wait」)を作り上げてしまいました。これからスパイク・ジョーンズと短編映画を作るということ、そして映像や物語を想起させるコンセプテュアルなアルバムをリリースしたこともあり、アーケイド・ファイアは2010年最も映像的なバンドだったといえます。

 とはいえ、これらの動きはこれからの時代に向けての通過点、という気がします。2011年もワクワクできる曲にたくさん出会える年になるといいなあ。

田中喬史

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PERFUME GENIUS『Learning』*画像
BUFFALO DAUGHTER『The Weapons Of Math Destruction』
CARIBOU『Swim』
GIL SCOTT HERON『I'm New Here』
SUFJAN STEVENS『The Age Of Adz』
ROVO『Ravo』
THE BOOKS『The Way Out』
AUTECHRE『Oversteps』
THE LAST ELECTRO-ACOUSTIC SPACE JAZZ & PERCUSSION ENSEMBLE『Miles Away』
THE LIVING SISTERS『Love To Live』





 音楽という実体のない、人間が作りだした観念に笑い、涙し、時に安らぐというのは、いくら商業と切っても切れない関係になってしまったポップ・ミュージックであっても、僕に、そして誰もにロマンを、または成長させる何かを与えてくれる尊いものである。ひどく淡泊に考えれば、音楽とは観念でしかないが、その観念に、僕らは毎日こころ動かされている。音楽を聴いてきた体験の集積が人間を形成する強い要素と成りうることは珍しいことではなく、むしろ人間に何も与えない音楽があるとすれば、それは観念ですらない。僕はもし、良い音楽を定義するとしたら、人間を形成するとても強い要素に成りうる音楽のことを指して言う。

 近代の価値観で言えば、音楽には創作者の意思が宿っていて、創作者の想いや祈りにも似た願いが聴き手である僕ら聴衆を感動させるのだ、ということになってはいるが、たとえそうだとしても音楽という観念は漠然とした表現であり、創作者の意志を汲み取るのはとても困難であるし、漠然としているから面白いとも言え、創作者の意思が100パーセント表現されているとは限らない。というよりも、100パーセントの表現など成しえないと僕は思う。だからこそ僕らリスナーの想像力が表現というものに対して真摯に向き合った時、音楽という表現は完成する。鳴っている音が全てではなく、聴き手も含めて音楽なのである。そしてそれは聴き手の想像力を音と向き合わせることのみならず、音が聴き手の想像力を触発し、何かを生じさせ、つまりは人間の中にある感受性を音が引き出し、初めて音楽になるという場合が多い。音が音楽として聴こえるとき、創作者と聴き手の関係とは個別ではなく、対等でもなく、一体という言葉がふさわしい。もし音を聴いて、拒絶反応が起こったとしても、その拒絶という感覚もまた、聴き手と音の関係性の中で生まれた音楽の一部である。どんな感情にしろ、聴き手が音を聴いて何も感じないのならば、音が音楽という観念として働かないからだ。

 音を音楽として認知する、あるいは理解する術は時代背景や解説書を読むなど様々ではあるし、解説書から音楽が透けて見えることはあるが、それが音楽の全てではないことは当然で、ひとつの側面であることを自覚しないと解説書をなぞりながらしか音楽が聴こえなくなってしまう可能性がある。実際僕にはそういうことがあったのだった。それは良いか悪いかの問題ではなく、僕はときどき裸で音楽と向き合うことをおなざりにしてしまっていると自分で感じることがある。できることなら裸で音楽の前に立ちたいと思っているが、ほんとうの意味で先入観を抜きに音楽の前に立つことは不可能で、言ってしまえば音楽を音楽だと意識した時点で先入観を持っている。先入観を覆されることも音楽の醍醐味だということは分かっているつもりだが、僕としてはやはりというべきか、裸で聴きたい。そして言葉にしたい。でもそれは不可能だということにもやもやしてしまう。いっそのこと岡田暁生の『音楽の聴き方―聴く型と趣味を語る言葉』(中公新書)にあったように、音楽を語る言葉も含めて音楽だと考えれば腑に落ちるのだが。

 選んだ十枚はなるべく裸で聴きたいと思い、これからも聴き続けたいと思った盤であることと同時に僕を構成する強い要素になったのではないかと思える盤でもある。特にバッファロー・ドーター、ギル・スコット・ヘロン、パフューム・ジニアスは聴いていると知らない自分がどんどん胸の内から広がってきた。こんな気分は初めてだ、というやつだった。とんでもなく革新的な音楽ではないと思うが、それでも、音楽に身を乗っ取られる思いがした。不器用な僕はそんなふうにしか音楽を愛せないのである。旧譜なので十枚には入れていないが続々と出てくるマイルス・デイヴィスのライヴ盤を聴いたり、武満徹を聴いた一年でもあった。これまた十枚に入れていないがコーカスとヘラジカはライヴを観たら僕の中で印象がガラッと変わった。とても面白いことをやっているバンドだと思う。秋口に極度の不眠症になったが、やはり音楽はリアルに響いてくるのだなと実感した2010年。今年はさらにリアルに音楽と一体になりたい。音楽シーンに爆発的な何かが起こりそうな予感がする。

佐藤奨作

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KANYE WEST『My Beautiful Dark Twisted Fantasy』
MGMT『Congratulations』*画像
SLEIGH BELLS『Treats』
FLYING LOTUS『Cosmogramma』
DEERHUNTER『Halcyon Digest』
ARCADE FIRE『The Suburbs』
VANPIRE WEEKEND『Contra』
BEACH HOUSE『Teen Dream』
NO AGE『Everything Between』
BRIAN ENO『Small Craft on a Milk Sea』
SCHOOL OF SEVEN BELLS『Disconnect From Disire』






 今から10年程前、僕はリヴァイバル・ムーブメントに熱をあげていたのですが、とある友人と、CDを買う基準についての話しをしていたところ、その友達曰く「どうせ自分がお金を出して買うなら滅多に聴けない良い機材を使っているか、制作費がかかっているCDを買いたい」というなんとも夢のない基準に。リヴァイバル・ムーヴメントからマネーよりもアティチュードを感じとっていた僕は、真っ向からそれを否定しました。ところが、10年たった今、カニエ・ウェストを聴いてそれに気づかされてしまったわけです。直前まで「サーフ」や「ローファイ」「チルウェイヴ」といったキーワードから、どちらかと言えばあっさりとした音楽に触れてきた僕ですが、300万ドルの制作費をかけたカニエ・ウェストのこってりとした音にすっかり耳を奪われてしまったのです。あらためて、CDが売れない時代な昨今の事も考えながら、こういったアプローチから購買意欲を誘える(そういった事ができるアーティストも当然限られる)という意味でも2010年のベストです。

 と、いきなり金の話しからスタートしてほとんど内容に触れる事がなかった2010年の10枚ですが、次に選んだMGMTで語るのは皮肉です。2010年、僕が一番聴いたのはこのアルバムなのは間違いないのですが、先ほども少し触れた、「サーフ」という2010年初頭にでたこのキーワード。いったい今はどこの海を漂っているのでしょう。それこそ消費社会(または、2010年終わりにドロップされたカニエ・ウェスト)というビッグ・ウェーブにでもさらわれたかのごとく、随分と沖合いに流されてしまった気がしてなりません。ザ・ドラムスのギターが脱退したと聞いて、「そんなバンドもいたね」とか言ってるレベルではありませんか(それはちょっと言いすぎでしょうか)。そんな皮肉と、2010年の時系列をランキングで表現したい意味も含め、2位はMGMTです。

 3位のスレイ・ベルズは音がでかすぎるという点で3位です。何を言ってるのかと思われるかもしれませんが、実は1位のカニエ・ウェストを選んだ理由と根本は同じで、CDが売れない昨今を横目に見ながら、鼓膜の振動に酔いしれるような話しで(これでも何を言ってるかわかりませんね)、つまり、ライヴ会場に行けば鼓膜の振動に酔いしれる事はあろうとも、CDを聴いただけでそういった経験をするってあまりないかと思うのですが、これはそんな体験を視聴だけでさせてくれる貴重な一枚です。つまりCDで聴くからこそ意味がある。売れない時代へのカウンター・パンチ。まあ、とにかく音がでかすぎます。取り合わせの妙も相まって2010年屈指のインパクトではないでしょうか。

 こんな具合に、トップ3までは明確な理由がありますが、以下アーティストは前作からの延長で、期待通りの作品を作り、そしてそれがより世界に開かれたという印象でしょうか(ただ、その中でもフライング・ロータスのように踊らせる作品ではないと気付かされてから自分の中で評価が上がった作品もありますが)。いずれにしても、こんなにも年間の前半、後半を通してガラリと印象のかわる事もなかったと記憶しますが、それこそ、10年前のようなムーブメントは起こりにくいのでしょうか。今回僕はスレイ・ベルズ以外、デビュー・アルバムは選びませんでした。ここ最近の、CDが売れなかったり、そこから解散に至ったり、消費社会のスピードにいささかげんなりしたり、そういった諸々のネガティブな要素に抵抗するべく期待をこめて2作目、3作目をチョイスしたつもりです。まあ、ビートルズだってデビュー・アルバムが『Rubber Soul』だったわけではありませんでしたので。

 ほとんど、作品の内容に触れず、まわりくどい嘆き(CDが売れないだとか)をつぶやいてしまった感がありますが、これだけインフラが整うとわりと失敗する事もなく堅実な消費者になりますよね。そして、そこに付加価値を求めたり。打算的ですね。なんだか、アティチュードとか言っていた昔が懐かしいですが、僕が三十路になった分時代もかわったのでしょうね。

サイノマコト

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フォー・ボンジュールズ・パーティーズ『Okapi Horn』*画像
トクマルシューゴ『ポート・エントロピー』
コトリンゴ『picnic album 1』
前野健太『ライブテープ オリジナル・サウンドトラック』
山本精一『Playground』
見汐麻衣『ひきがたり』『ひきがたり2』
二階堂和美『solo』
MGMT『Congratulations』
LITTLE BARRIE『King of the Waves』
BELL AND SEBASTIAN『Write about Love』






 フォー・ボンジュールズ・パーティーズ『Okapi Horn』は、一筋縄ではいかない楽曲の構成も良いのだが、音のやりとり自体が味わい深い。笑いながら音でコミュニケートしているように感じ、それが何とも心地よい。トクマルシューゴは新作を出す度にポップミュージックの基準を上げているとしみじみ思う。同時代に新作を聴き続けられる幸せを感じる。コトリンゴの『Picnic Album 1』は、邦楽のカヴァー集。音楽を聴いて感じたことを音楽で表現できるミュージシャンに対して羨ましさを覚えた。

 個人的には、うたというものについて、ひらがなでの表記を含めて考える機会が多かった。

 二階堂和美の生命力の強さには相変わらず圧倒される。このアルバムは体力がある時でないと聴けない。山本精一と見汐麻衣(埋火)はライブも含めて印象深い。が、なんといっても前野健太。自身主演映画のサウンドトラックで、映画とその舞台となる吉祥寺の町に対する印象とは切り離せないのだが、前野健太の声の迫力と色気、演奏の力強さが圧巻。

 洋楽では、待ち望んでいた数年ぶりのリリースが印象深い。

 MGMTはファーストとは違うアプローチながら、カラフルさは変わらず。勝手に上げていた期待を軽く超えてきた。リトル・バーリーは3年ぶりの新作。どうにもこうにも格好良い。ベル・アンド・セバスチャンは4年ぶり。地に足が付いていつつ、相変わらずセンスの良さを感じた。

近藤真弥

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MAGNETIC MAN『Magnetic Man』*画像
ねごと『Hello! "Z"』
七尾旅人『Billion Voices』
石野卓球『Cruise』
KYLIE MINOGUE『Aphrodite』
SASCHA DIVE『Restless Nights』
SUPERPITCHER『Kilimanjaro』
HURTS『Happiness』
POLOCK『Getting Down From The Trees』
BLACK MILK『Album Of The Year』






 読者の皆様、新年明けましておめでとうございます。今年もクラブやライヴで見かけたら声を掛けてください。宜しくお願いします。さて、Private Top 10s of 2010だけど、選ぶのにすごい苦労した。だから僕なりに、印象的なエピソードがあるアルバムをピックアップしてみました。特に印象的なのは、「最高!」と言ったら周りの友人たちから失笑されたカイリー・ミノーグ『Aphrodite』。聴かず嫌いをせずに聴いてほしい。カイリーの力強い母性が宿った歌声は、マドンナを凌駕する。久々の来日公演が決まったときもそりゃあテンションが上がった。それと、2010年はどんなものでも「いい音楽」として音楽を聴いていた(まあ、普段からそうなんだけど、「より強く」という意味で)。リストにあるアルバムはもちろんのこと、神聖かまってちゃんでさえ「日本のロック」という感覚では聴いていなかった。でもそれは、決して「洋楽被れ」と言われるような音楽が増えてしまったというわけではない。岡本太郎の「自分らしくある必要はない。むしろ「人間らしく」生きる道を考えてほしい」じゃないけど、リスナーも変に「洋楽」「邦楽」と意識して聴かなくなり始めたということかも知れません。
 
 そして、個人的に2010年はダブステップの年でした。ダブステップはかなり順応性が高くて面白い音楽だし、それを決定的にしてくれたのが『Magnetic Man』(選ばなかったけど、スクリームのセカンドもそうです)。そして、バレアリックでもある。僕はバレアリックを「自由で順応性が高いもの」という意味合いで使うことが多い。まあ、一般的には「イビサ発祥の夕日が似合うロマンティックなダンス・ミュージック」ということかも知れない。でも、88年当時はアシッド・ハウスだって「バレアリック」だったし、ボム・ザ・ベース「Beat Dis」もバレアリックだった。90年代のビッグビートが本質的な意味でのバレアリックになる可能性はあったが、それも叶わず。つまり、ダブステップはバレアリックの復讐なんだと思う。良くも悪くもジャンルとしては曖昧なダブステップだけど、だからこそスクウィーなどに代表されるように様々な広がりを見せてくれた。9・11以降世界中が内向きになっていくなか、僕はダブステップの「自由さ」に惹かれていったのだ。デカイ音で低域を聴く。僕はこの行為のために、いろんなクラブやレイヴに出向いていった。

 最後は2011年音楽シーンの予想を簡単に。2011年はイギリスが面白くなるかも。特にマンチェスターは2010年も良盤がコンスタントにリリースされていたし、やっと爆発するはず(というかしてほしい)。そんなわけで、今年はイギリスに注目してください。

吉川裕里子

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APPARATJIK 『We Are Here』*画像
ARCADE FIRE『The Suburbs』
SWANS『My Father Will Guide Me Up A Rope To The Sky』
MEW『Eggs Are Funny』
LADY GAGA『The Fame Monster』
JAMIROQUAI『Rock Dust Light Star』
THE DRUMS『The Drums』
INTERPOL『Interpol』
DAFT PUNK『Tron: Lagacy』
MGMT『Congratulations』






 まず断とつトップを飾るのはアンサインドであるアパラチック。アーハ、コールドプレイ、ミューと一見何も接点のない、そして音楽性も異なる3組を代表して3人が集合。そこにエンジニアをプラスしてまさに革命と言えるデジタル・ミュージックの最高峰を作り上げた。ライヴはシークレット・ボックスの中でシルエットだけを映し出し、ボックスにはライトを駆使した覆面バンドならではのこれまた画期的なショウを幾つか行なっている。滅多にライヴを披露しない彼らだが、契約のないロンドンなどでもショウを行ない、各国からファンが押し寄せ大変話題となった。また独自のメディア『アイ・オン・コミュッテ』を通じ、顔を変形または覆面にして、英語でのプレスも展開している。こちらはポッドキャストから閲覧可能だ。声も加工しているため英語のサブタイトル付きとなっている。CDは拠点ノルウェーでのインターネット通販でしか取り扱わず、シングル「エレクトリック・アイズ」の7インチも含め非常に希少価値の高い一品だ。数人のヴォーカルを取り入れ、中でもミューのヴォーカリスト、ヨーナスの歌う1曲目「デッドビート」は究極のインパクト。アルバム全体としてもとにかく完成度が高く、1曲も隙のない大変素晴らしい一枚となっている。現在iTunesでの取り扱いが最も便利だが、通販のMP3も大きなスリーヴが付いてくるなど特典は満載。まだ未聴の方は是非ともお手に取るべきアルバムだ。現時点で私が主催するヘッジホッグ・レコーズでは日本での契約を申請中。もしかしたら日本で販売出来る機会が訪れるかもしれない。その点では国内盤を待つという手段もお薦め出来る。

 次のアーケイド・ファイアは実はアメリカからサンプルとして取り寄せたものである。CD好きには嬉しい紙ジャケに、今回主立って2種類のサウンドが盛り込まれている。一つには「ザ・サバーブス」に代表される古風なギター・サウンド。もう一つが2曲目以降に見られるインディー・サウンド。筆者は後者のバランスの多さに大変感動した。これがアーケイド・ファイアである、それをいつまでも聴かせてくれる。内容の充実さにも感銘を受けた。貫き通す勇気、彼らはどこまでもアーケイド・ファイヤーで居続ける。その姿勢を充分に感じさせる劇的な一枚となった。

 そしてスワンズ。9分以上に渡るオープニングから始まるインダストリアル/オルタナティヴの雄、渾身の最新作だ。全編通してダークで破壊的であり続け、現在も生き続けるその根性を十二分に見せつけるニュー・アルバムとなった。また、来日も控えておりこれを入門編としてスワンズ初体験をするのも良いだろう。過去『サウンドトラック・フォー・ザ・ブラインド』等大傑作を出してきたスワンズが、いかに今現役であるかを感じさせられる。もちろん過去の作品は非常に多いため、いわゆるゴスと呼ばれる比較的安値で売られている作品を全部聴けとは言わない。だが、ファンとしては今を感じ取ってほしい気持ちも大いにある。そしてリリースはもちろん彼らのレーベル、ヤング・ゴッド! 80年代、全盛期から少し落ち着いた印象はあるもののまだまだパワフルで、彼らの挑戦は終わっていない。列記とした破壊的名作と言えよう。
 
 次にミュー、『エッグス・アー・ファニー』。こちらは14年に渡る彼らの初のベスト盤となる。ここに至るには実は全米デビューが大きな鍵を握っているのだ。2006年、オリジナル・リリースの翌年4thアルバム『アンド・ザ・グラス・ハンデッド・カイツ』が徐々に脚光を浴び始め、遂にソニーUSAと契約。続いて前作の『フレンジャーズ』もリリースされたとあって、初めて聴く人たちへ向けて新たなツアーが始まった。それまで『アンド・ザ〜』を中心にプレイしてきた3人(全米デビュー直前に4人目のメンバー、ヨハンが子供が生まれたことを機に脱退する)は、3人になったことで一段と結束力が強まり、少しずつ『フレンジャーズ』の曲を入れながらプレイするように変化していく。その結晶が実を結んだ結果がこの一枚だ。2009年には『ノー・モア・ストーリーズ...』のリリースにより方向転換を迫られた彼らだが、その中からもヴォーカル、ギター、ドラムスが特に活かされた曲を収録。日本人の知っているミューから世界のミューへと羽ばたいた、その奇跡が存分に味わえる。ライヴに行ったことがある方はもちろん、ライヴ未体験の方にも是非是非一聴していただきたいと思う。

 そしてレイディ・ガガ。2009年の最高傑作『ザ・フェイム』からどれだけ成長したのかと言えば、まずビヨンセをフィーチャーした「テレフォン」において非常に完成度の高かった『ザ・フェイム』を上回る大名曲を新曲として収録したことだ。また、今度はいろんなコラボレートも実現させており、一人の場合でも昨年に負けない新曲を多数詰め込んできた。尚、限定ではあるがディスク2に『ザ・フェイム』が再録されているヴァージョンが最もポピュラーで、2010年のミリオン・ヒットを記録している。彼女の全てが実力、才能というものだろう。

 そしてお馴染みジャミロクワイの新譜がリリースされた。クオリティは群を抜いて素晴らしく、JKの一人芝居ではなくバッキング・ヴォーカル陣も演奏隊も上手くJKと絡み合って迫力のあるダンス&メジャー・サウンドを聴かせてくれる。流石だ。スペイシーでもあり、大ヒット作『トラヴェリング・ウィズアウト・ムーヴィング』の延長にありながらどんどん新しい面を出してくるその奇才ぶりは未だ健在。ファンク&ソウルをベースとしながら、JKによるヴォーカルがただのダンス・ソングでないことを裏付けるように多ジャンルに支持される包容力を持っており、だからこそ聴く者を大いに高揚させてくれるのだ。

 続いてザ・ドラムス。元エルクランドとして活動していた中心人物が新たに結成したニュー・ヨークの新人バンド、デビュー・アルバムとなる。エルクランドでのエレクトロ・アプローチから一転、ニュー・ウェイヴやネオアコを感じさせる統一感のある作品。全体に統一感があるということは逆に言えば嫌いな方は耐えられないかもしれないが、そのある種の退屈感が少しずつ色を付けたザ・ドラムスという存在を確立させたとも思う。特にデビュー盤として無駄のない一枚だと筆者は感じた。EPを買った方にとっては被る部分も見られたかもしれないが、一枚のアルバムとして出来ればアルバムの方をまずは手にしてほしい。これでザ・ドラムスがどんな存在であるかがわかるだろう。

 次にインターポールのセルフ・タイトルド・アルバム。インターポールがインターポールであり続け、その前提の上で進化し続ける方法、その回答がここにある。中にはゴッドスピード・ユー!・ブラック・エンペラーを思わせる、迫り来る恐怖と躍動感に溢れたコード進行も見られ、また新たなステージへ上っていったことを実感する。そして今でも失われない詩的な知性を合わせ持ち、インターポールという集団としての成長を遂げている。前作と比べるとベーシストのカルロスが脱退しパホがサポートしているが、今作においては特にギターのダニエルが今までにない単音ギターを披露し、より一層ギター・バンドであることを際立たせる一役を買って出ている。もちろんアルバムの完成度は完璧。インターポールは基本的にどのアルバムから入っても受け入れやすいバンドだと思っているが、唯一1stアルバムだけはジョイ・ディヴィジョンの生まれ変わりと言われるように、聴く者を偏らせてしまう難点がある。だが次々とアルバムをリリースするにつれ、独自の方向へと転換させていることから、偏見のある方でも新作を一聴するには相応しいのではないだろうか。これまでのファンをも驚かされる展開となっており、初心者にも熟練者にも両方お薦めできる完全なるインターポールが誕生したと思う。アメリカらしく、これまでのブリティッシュ・サウンドを一新させる一枚となっている。

 そしてサウンドトラックという大役を任されたダフト・パンクの2人だ。どちらかと言えば成功とは言えない一枚だが、その一因にオーケストラの多用起用にあるのではないだろうか。随所にエレクトロ・サウンドが聴かれるものの、一番聴いてみたいと思わさせたのはそのデモだ。エンド・タイトル曲こそ素晴らしいが、全体に漂うのは常に映画用のストリングス・サウンドとなってしまっている。映画『ソーシャル・ネットワーク』のトレント・レズナーがゴールデン・グローブ賞を受賞したのは非常に納得する。それに比べてダフト・パンクは負けたのかというと、実はそうでもない。彼らは今までハウス界の頂点に立ちながら、やったことのない新しい第一歩に踏み出したのだ。それだけでも快挙だろう。今回はウォルト・ディズニーによる3Dアクションということもあり、あまり多くの自由はなかったのだろう。有名作品になるほど映画への協調性が求められる中、彼らのおそらく90%は出し切ったように思われる。殆どが映画のスコアとも言っていい作品ではあるが、ダフト・パンクらしさもまだ残されている。映画と一緒に楽しんでみるのも良いのではないだろうか。

 最後はMGMT。これは2010年において最も世界を震撼させたアルバムの一つ。皆に好かれる音楽とはこのことだ。非常に爽やかでありながらロック系クラブ・ヒットにもうってつけの楽曲が名を連ねる。EPからの成長も目覚ましく、ポップであり、かと言ってギター・ポップの枠に収まらない緻密なアレンジが施されている。当然好みにはよるが、比較的暗かった2010年を明るく彩ってくれるのはこれしかない。王道ポップスの最新進化系だ。2009年のパッション・ピットの登場には正直劣ると思うのだが、それでも2010年におけるシーンの中にここまで爽快な音楽を打ち出すこと自体勝負に出ていると感じる。キラキラとしたギター・ポップ・ソングが低迷する昨今においてシーンに上手く入り込んだキラー・サウンドと言えるだろう。ただ一つ許せないのが「ブライアン・イーノ」という曲が入っていることだ。これをギター・ポップで明るく歌うというのは、イーノ・ファンにとっては個人的にだが一種の冒涜。あとはアルバム一枚通して聴いて気持ちよくなる作品になっていると思う。

 さてこの中でいただいたのはアーケイド・ファイア、ミュー、インターポールの3枚、あとは自分自身で購入したものから選出した。まだまだ購入出来ていない作品はごまんとある。皆さんが聴いた2010年を今はとても楽しみに待っている。

楓屋

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RYAN FRANCESCONI『Parables』*画像
RYAN FRANCESCONI & KANE MATHIS『Songs From The Cedar House』
ADMIRAL RADLEY『I Heart California』
BONNIE "PRINCE" BILLY『The Wonder Show of the World』
THE BOOKS『The Way Out』
D_RRADIO『Parts』
FLECKFUMIE『Young Life』
GOLDMUND『Famous Places』
THE MORNING BENDERS『Big Echo』
SUN KIL MOON『Admiral Fell Promises』





 2010年は、クッキーシーンのコントリビューターを務めさせていただいたこともあり、昨年までと比べて、実に多くのアルバムと出会った。吹けば飛ぶようなコントリビューターではあるが、「色々聴かねば...!」という意識も働いたのかもしれない。
 
 聴いてきたアルバムが多いと、トップ10を定めるのは難しいし、流動的だ。来週にはブロークン・ソーシャル・シーン辺りが食い込んでいるかもしれない。そのため上記の10枚は、楓屋にとっての暫定的なトップ10であると同時に、「これは凄く面白い!」という強烈なインパクトを与えてもらった10枚でもあるようにセレクトした。
 
 衝撃の強さで比較するなら、ライアン・フランチェスコーニは圧倒的に今年最高のアーティストであった。アコースティックギター一本で、彼は詩人にも劇作家にも画家にもなれる。クッキーシーン的なアーティストではないが(そうゆう括りもどうかと思うが)、戦々恐々しつつお勧めしたい。D_Rradioの『Parts』もまた、アルバム一つで物語を形作るという点では、同様に抜群のセンスを誇っていた。ドローン、アンビエント系ではD_Rradioが唯一無二だった印象。
 
 モーニング・ベンダーズは楽器群の輪郭がふわふわしているのにも関わらず、ギターのリフが一つ入るだけで、途端にタイトになり安定感を得てしまうところが面白い。サンシャイン・ポップの旨みが存分に詰まっている。若いのに恐れ入った。ブックスから受けたインパクトはモーニング・ベンダーズとは対照的で、「奇抜な方向へシフトしたなぁ」とかなり驚いたものである。小さな音が囁き合うような、フォークトロニカ系の音楽性から大きく逸れて、アブストラクトで強烈なビートとサンプリングが駆け巡っている。フォークトロニカの小さな箱から突き破ったような意欲作だろう。
 
 サン・キル・ムーン、ボニー"プリンス"ビリー、ゴールドムンドは、いずれもノスタルジーな音楽であるが、共通して美しいアルバムではないと思う。こういったアルバムに対して、アルペジオやピアノの音色を美しいと表現するのは、なにか変な感じがする。三者は美しいアルバムを作ろうとは、おそらく思っていない。むしろ荒廃した、スモーキーな印象すら漂う。アキラ・コセムラ、ハルカ・ナカムラ辺りの新作は、いわゆる美しいアルバムなのであろうが、彼らとゴールドムンドを同じ枠組みにカテゴライズするのは、違和感を抱く。
 
 批判で終わってしまうのもあれなので、最後に、12月にリリースされたフレックフミエの新作。年の瀬に素晴らしいアルバムと出会えたことに感謝。万人におすすめしたいアルバムとして、これを挙げようと思う。

小熊俊哉

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HANNE VATNOEY『Me And My Piano』*画像
THE LIKE『Release Me』
THE CHAP『Well Done Europe』
ROBYN『Body Talk』
OF MONTREAL『False Priest』
住所不定無職『ベイビー! キミのビートルズはボク!!!』
LUKE ABBOTT『Holkham Drones』
ARIEL PINK'S HAUNTED GRAFFITI『Before Today』
SALLY SELTMANN『Heart That's Pounding』
COMPUTER MAGIC「Hiding From Our Time」EP






 なんだかよくわからないうちにこんなところで書くようになり、気がつけば編集の仕事まで任されるように。おかげさまで時間もお金もまったく自由にならない日々はトホホ...だけども、いろいろな人と知り合えて最終的にはハッピハッピハッピーな一年でした。いつもお世話になっている皆さまに厚い抱擁とキスをかわしたい気分。それはさておき、2010年はたくさん新譜を聴いて、割とどんなジャンルでも楽しく聴けたのですが、基本の趣味はガーリー&ストレンジなまま。このまま一生似たようなのばっか聴くのかなーいやだなーと眠れない夜が続きました。

 では一枚ずつ。ハンネちゃんはこの年のぶっちぎり一位。天真爛漫なポップネス! Kato adlandによる巧みなプロデュースっぷりは去年のソンドレ・ラルケにつづき、二年連続で僕のハートをキャッチ鷲掴み。実はインタヴューもしているんですが、未だに掲載できておらず...。すいません! 麗しいご本人を目前にして、意外と太い二の腕にもビック(ry

 ザ・ライクは着せ替え人形チックな'60sガーリッシュっぷりが曲のよさもあってグッド。あと何回土下座すれば単独公演してくれるのだろう。ザ・チャップはストレンジ・ポップ・オブ・ザ・イヤー。爆風が熊! なジャケットにもシンパシーを抱かずにいられない。イギリス人らしい幾重にもひねくれたセンスと無駄なことしか唄ってない歌詞が中毒性バツグンで、年間を通して聴くごとに愛着が。全然知られてないけど傑作です! ロビンは1年で三枚EP出すと言ってたのに、結果的に最後の三枚目をフルアルバムにしたのが大成功! カイリー・ミノーグ的なゲイ・テイスト溢れる狂い咲き乱れ咲き(菊の花が)の最強エレポップ作品に。オブモンはジャネル・モネイとの奇跡の邂逅という事実だけでも歴史的な作品。今回のはちょっと過小評価されすぎではないかと。関係ないけど、ジャネル・モネイは髪型オブ・ザ・イヤー。

 住所不定無職は何度もライブ観ました。オケレケレペプー! いま最も狂ったガールズバンドを輩出したのが日本であるという事実は誇らしい...、と思ったら2011年の新譜はストレートなカッコよさが満載! 底知れず!ダブステップだのなんだの、バカには覚えきれないよくわからん固有名詞が飛び交うダンス・ミュージック界で、ルーク・アボットの生みだす"揺らぎ"が自分には一番しっくりきた感じ。せっかく日本にも来てくれたのにプレイを見逃したのは不覚。アリエル・ピンクはこの一年で世間の扱いがすっかり変わって、ハンカチ王子みたいだと思った。こないだライブも観てきたけど、衣裳が...。もはや何もいうまい。サリー・セルトマンは淡いテイスト全開でとにかくイイ曲がいっぱい! さすがファイストの「1234」を書いた才人あって、リピートするたびに恍惚。読書with紅茶(=モテ)のお伴に最適です。コンピューター・マジックはナードすぎて萌え! 萌えって書いとけばとりあえず許される風潮が一生続いてほしい。今年もネット発のフリー音源漁りはライフワークとして続行していく所存です。

 そんなわけで誠実さのカケラもない箇条書きになってしまいすいませんが、どれも大好きなすばらしいアルバムです。心から愛着があるから冗談も言い合える間柄になれたんだと思います。未聴の方はぜひお試しあれ。次点は神聖かまってちゃん『つまんね』『みんな死ね』(この音像が2011年のスタンダードになってほしいと切に願う。驚異の爆音と音の分離、不器用なのに自由な打ち込み感覚)。以下、エヴリシング・エヴリシング、シー&ヒム、ホット・チップ、キッシーズ(Kisses)、アドミラル・ラドリー、blue marble、ヴァイオレンス、CEO、フォル・チェン(Fol Chen)、パラエル・ストライプス、そしてBuono!(ボーノ)を。DVDもアリならBuono!のライブDVDがベストなんですが。ロッタラロッタラ。

 2011年がどんな年になるかはわかりませんが、個人的には最近の傾向として"純粋にいい曲を書く人たち"が過小評価され気味に映っているので、そういう人たちをもっとクローズアップしていければなぁと考えています。あとは悪意をみなぎらせていけるといいですよね。クソみたいなものが流行ればいい。技巧面とか洗練ぐあいとかそういう偏差値の高さより、ズタボロでも自分らしい音楽を断固支持していきたい。好きなものをもっと好きになりたい。もっと世の中、ドロ臭くていいんじゃないでしょうか。

 ベスト・ライブはクスリと酒で酩酊しすぎてドヤ街のオッサン化していたダン・トレイシーが怖すぎたテレヴィジョン・パーソナリティーズ(アルバムもよかった)、ハゲのくせにキレのあるダンスもCoolだった日本大好きマックス・ツンドラ、可憐な想像力を爆発的にアピールしていたレジーナ・スペクターを挙げておきます。フジでのロキシー・ミュージックとホット・チップも超最高だったし。ここまで読んでくれてるあなたも超最高! (こういうのやりたかった)みんな大好き! それではまた来年...。

犬飼一郎

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ARCADE FIRE『The Suburbs』
DANGER MOUSE & SPARKLEHORSE『Dark Night Of The Soul』
THE BLACK KEYS『Brothers』*画像
VAMPIRE WEEKEND『Contra』
MI AMI『Steal Your Face』
GORILLAZ『Plastic Beach』
KONONO No.1『Assume Crash Position』
KINGS OF LEON『Come Around Sundown』
THE DEAD WEATHER『Sea Of Cowards』
NEIL YOUNG『Le Noise』






 やっぱりディアハンターとMGMTは外せないでしょ。22-20sの復活もうれしかったし、働き者デンジャー・マウスとシンズのジェームズ・マーサーがコラボしたブロークン・ベルズも最高だった! マニックスやポール・ウェラー、エドウィン・コリンズとかベテラン勢も頑張ってた。LCDサウンドシステムは、これが本当にラスト・アルバムなのかな?...などなど。考え始めたらキリがない! でも、順位が違うだけで他と同じようなアルバムが並ぶのもつまらないと思う。そんなふうに楽しく悩んで決めた10枚。

 デンジャー・マウス&スパークルホース『Dark Night Of The Soul』は、僕にとって忘れられない1枚。残念なことにスパークルホースことマーク・リンカスの遺作となってしまった。フレーミング・リップスやストロークスのジュリアンが参加したこの素敵なコラボレーションは、もっと注目されるべき。マークが紡ぐイノセントなメロディ、それに寄り添うようなデンジャー・マウスのトラック・メイキングが本当に美しい。これからも多くの音楽ファンに耳を傾けてもらいたいと思う。ミ・アミ『Steal Your Face』は、(たぶん勝手に?)ボブ・マーリーをジャケットに採用。知的なパンク・スピリットを感じさせるコンセプトは最高にクールで、鳴っている音楽は最高に熱い!ハードコア/ポストパンクで最良の進化型。いま、ライヴを見たいバンドのひとつ。

 2010年の心残りは、ブラック・キーズ『Brothers』をクッキーシーンで紹介するのを忘れていたこと。何でかな? たぶん、僕が寝ぼけていたからだと思う。寝る間も惜しんで、このアルバムを聞き続けていたから! バンド名のとおりブラック・ミュージックを思う存分に吸収してきた彼らが、ついにその表現方法からビジュアル・デザインまでを黒く染め上げた最高傑作。デンジャー・マウスのプロデュースによる前作『Attack & Release』で商業的にも大ブレイク。そして09年にはBLAKROC(ブラックロック)として、モス・デフやRZA、Qティップなどのヒップホップを代表するアーティストとのコラボレーションを実現。そのプロセスで深めた自信とブラック・ミュージックへの洞察は、僕たちの想像を軽く飛び越えてゆく。ブルースを基調とした音楽性、同じバンド・フォーマット、そして白/黒というバンド名から、何かとホワイト・ストライプスと比較されてきたけれど、もうそんな説明も不要だろう。最高にカッコいいブルース&ソウルをありがとう、ブラザーズ!

 2010年は、素晴らしいアルバムが多かった。そんな年に僕自身がクッキーシーンに参加できたこと、そしてムックが完成したことは本当にうれしかった。最高の1年に感謝!2011年はブライト・アイズ、ジャック&メグ・ホワイト、デンジャー・マウスに注目しよう。今年もたくさんの素敵な音楽と、たくさんの素敵な仲間に出会えますように!

伊藤英嗣

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THE DRUMS『The Drums』*画像
EDWYN COLLINS『Losing Sleep』
MGMT『Congratulations』
LIGHTSPEED CHAMPION『Life Is Sweet! Nice To Meet You』
MOTION CITY SOUNDTRACK『My Dinasour Life』
LCD SOUNDSYSTEM『This Is Happening』
DEVO『Something For Everybody』
DANGER MOUSE & SPARKLEHORSE『Dark Night Of The Soul』
MONOBRIGHT『Adventure』
ASIAN KUNG-FU GENERATION『マジックディスク』






 純粋に愛聴度/愛着度で選んだら、意外とあっさり10枚選べた。キモノズ、アーケイド・ファイア、ディアハンター、ザ・コーラル、ザ・ソフト・パック、ベスト・コースト、ベル・アンド・セバスチャン、ティーンエイジ・ファンクラブ、マニック・ストリート・プリーチャーズなど、泣く泣くはずしたものもたくさんありますが...。

 最後まで悩んだのは、モノブライトのサードにするか、デルフィック(Delphic)のファーストにするか。ポップ&オルタナティヴという観点からみて、より音楽的にオルタナティヴ度の高い前者をつい選んでしまいました。

 あと、トップ10レベルで興味深かったのは、放課後ティータイムとマルチネ・レコーズのアルバム。一部を視聴/試聴した範囲では、どっちも確実に「好き!」と言えるはずなのに残念ながら未購入...(ちなみに、ぼくにとって2010年は、過去10年間で最も「お金に困った」一年でした。いま、まあ「その分楽しかった」とも言えるし、98~99年の「デンジャラス」さに比べれば全然ましだったんで、まあいいんですが。←なかばヤケクソ? いや、本気!:笑)。

 ミニ・アルバムははずした。それゆえ、キーン、イルリメ、オウガ・ユー・アスホール、パラエル・ストライプス、コーカスなどが入れられなくて、これまた残念(この並び、キーン以外すべて日本ものだな)。

 この企画の校正&アップ作業(まずは小熊くんがある程度進め、伊藤が仕上げをやった)、予想以上に大変だったけれど、とりあえず伊藤分も第1回アップに間に合わせたかった。それで概説(?)が、こんな簡単になってしまったー(汗)。ただ(なぜか、とりあげるタイミングをはずしまくっていた)モノブライト以外、このサイトに過去一度は載ったことがあるものが多い(右上のコーナーから検索してみてください)。自分が編集長を務めるメディアなので、どうしてもそうなりがち。すみませんというか、なんというか...。クッキーシーンは、できる限り幅広く、いろんな人のセンスでいろんなものを(もちろん、いいものだけを)幅広くとりあげていきたい、というのが(実は)創刊時からの基本精神。少しでもその理想に近づけるよう、がんばります。よろしくお願いします!

碇本学

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LETTING UP DESPITE GREAT FAULTS『Letting Up Despite Great Faults』*画像
PEOPLE IN THE BOX『Family Record』
RHYMESTER『マニフェスト』
DRAGON ASH『Mixture』
ASIAN KUNG-FU GENERATION『マジックディスク』
DEERHUNTER『Halcyon Digest』
TWO DOOR CINEMA CLUB『Tourist History 』
JONSI『Go』
TANGO IN THE ATTIC『Bank Place Locomotive Society』
THE MIRRAZ『TOP OF THE FUCK'N WORLD』





 ジャケ買いして大成功だったのはレッティング・アップ・デスパイト・グレート・フォールツ『Letting Up Despite Great Faults』です。音も好きですがこのジャケの物語性ほどワクワクしたものは他のCDとかではなかったです。2010年で一番好きなのはピープル・イン・ザ・ボックス『Family Record』なのですが歌詞の世界観や色彩等は非常に共感できるというか好きなラインで一年でベストを選ぶならその作品ですが、画像を出すとなるとこの『Letting Up Despite Great Faults』を使いたい。
 
 このメキシカン? レスラー的な覆面は松本人志監督二作目『しんぼる』を思い出しますが、2011年になって伊達直人のタイガーマスクの寄付行為を思い浮かべる事も強引にできます。マスクを外せない理由を知りたいものです。
 
 ライムスター『マニフェスト』はアルバムとしても非常にバランスもよくていいのですが特に『ラストヴァース』の素晴らしさがラップが好きとか嫌いとか言ってないで聴いた方がいいと。これで響かないなら何にも創造的な事はするな、ボケっ! と言いたくなるようなリリックです。ミイラズ(THE MIRRAZ)はあいかわらずに過剰な感じもいいですがクラブイベントでライブを観た時のどことなく破綻してしまいそうな儚さを感じて余計に一気に突っ走って欲しいと思った。
 
 ドラゴン・アッシュはずっと聴いているし一番好きなバンドの新譜なのだけど三人で始まった彼らが、彼らと一緒に活動していたミクスチャーバンドがどんどん減っていく中でそれでも続けてきた。彼らは螺旋階段を上がるように初期衝動を持ち続けて尚かつそこにスキルと経験が増したアルバムになっていて嬉しかった。もっと彼らは評価されるべきじゃないかと思う。日本のロックシーンに音楽シーンに大きな影響を善くも悪くも与えたのは間違いない。
 
 アジアン・カンフー・ジェネレーション『マジックディスク』についてはロストジェネレーションという同世代的な記憶というのが非常に厄介なまでに表現されていて僕らが過ごしたゼロ年代を振り返りながら次を見据えていくという想いが温かく辛い。
 
 ディアハンター『Halcyon Digest』は読書の時のサウンドトラックとしてよかったなあ、という感じでタンゴ・イン・ジ・アティック『Bank Place Locomotive Society』はヴァンパイアの影響下にあると思うんだけど彼らのボーカルの方が僕は好きだなあっていうだけですね。ヨンシー(Jónsi)『Go』は結局ライブを観れなかった悔しさで何度も聴き直してました。トゥー・ドア・シネマ・クラブ『Tourist History 』は何回か聴いてる内にハマって見事に持っていかれた。軽快なというか軽いというか親しみやすい感じとか2011年に最初の海外バンドのライブで観ようと思っているので非常に楽しみです。

 2010年は何度アジカンの『ソラニン』のイントロで泣いた事か。ピープル・イン・ザ・ボックス『Family Record』は良すぎるという感じで僕はやはり歌詞に非常に影響されるなあと実感する一年だった。

青野圭祐

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ASIAN KUNG-FU GENERATION『マジックディスク』*画像
SUPERCHUNK『Majesty Shredding』
スピッツ『とげまる』
KLAXONS『Surfing The Void』
VAMPIRE WEEKEND『Contra』
MGMT『Congratulations』
THE POSIES『Blood/Candy』
EXLOVERS『Exlovers』
MOTION CITY SOUNDTRACK『My Dinosaur Life』
TWO DOOR CINEMA CLUB『Tourist History』





 既に2月になってしまいましたが、皆様、明けましておめでとうございます。今年も何卒よろしくお願い致します。

 さて、2010年のプライヴェート・ベスト企画。僕はサウンドと個人や時代へのハマり具合、そして「2010年にその盤が出る意義」を基準に、この10枚を選盤しました。ジャケット掲載の1枚は迷う事無く、アジアン・カンフー・ジェネレーション『マジックディスク』を。このアルバムのレヴューにも書かせて頂きましたが、2010年はそれまでの'00sという内省の自室から抜け出て、社会に、世界にコミットしていく動きが目立った時代でした。その時代の空気を誰よりも明確に鳴らし、喚起と歓喜を呼び起こした彼らの歌はこの年の1枚にふさわしいと僕は思います。

 では、そんな僕たちが向かった先はどこだったのでしょうか。その一つの答えは、海、もう少し言うなれば、「波のある場所」でしょう。クラクソンズは(日本語に直訳すると)『虚無を波乗り』というアルバムをリリースし、MGMT『Congratulations』のジャケットもサーフィン。この10枚には選出しませんでしたが、ザ・ドラムス、ウェーヴス、ベスト・コーストといった期待の新人たちもサーフィン、あるいは海、浜辺を想起させるイメージを感じさせてくれました。ここでの海や波とは、言うまでもなく、混沌たる社会あるいは世界であり、サーフィンとは、僕たちがそんな秩序の見えない波に乗っていくこと、社会にコミットしていくことを指しています。自室を飛び出し、「波のある場所」でもまれながらも、その波に乗ること。これこそ2010年の大きなテーマの一つと言えるでしょう。

 最後に、触れていなかったアルバムについて、少しずつ紹介致します。スーパーチャンクは、約10年の長い沈黙があったことなど全く感じさせないほどの、文句無しに「彼ららしい」大傑作を作り上げてしまいました。このアルバムもジャケットをよく見ると浜辺ですね。スピッツ『とげまる』もまた、『ハヤブサ』以降の新しい空気と『ハチミツ』や『フェイクファー』といった中期を思わせるテイストに最上の背徳の香りを加え、これを待っていた! と言わせんばかりの「彼ららしい」傑作でした。ヴァンパイア・ウィークエンドは言うまでもなく、2010年に入ってまもなくの僕たちの指針として、様々な方法を提示してくれましたし、ポウジーズやモーション・シティ・サウンドトラックもブランクや衰えなど一切感じさせない躍動する音で僕たちを魅了しました。エクラヴァーズ(直訳すると元恋人たち)は「君はそんなに簡単に忘れるんだ」というリード・トラックとともに洗練されたPVを見せてくれました。バンド名や曲名など含め、新人でここまでの完成度の高い世界観を提示してくれるバンドもそういないでしょう。ツー・ドア・シネマ・クラブは、注目される機会がそれほど多くない北アイルランドからの新たな使者。どのバンドも注目し続けないと、ですね。

 僕たちの波乗りは続きます。さて、2011年の波は僕たちをどこに連れて行ってくれるのでしょう。不安と共に確かな期待を抱きつつ。

Ryoichi

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キリンジ『Buoyancy』*画像
RHYMESTER『マニフェスト』
稲葉浩志『Hadou』
BOOM BOOM SATELLITES『To The Loveless』
TOKYO NO.1 SOUL SET『Bestset』
THEATLE BROOK『Intention』
QUASIMODE『Daybreak』
FREETEMPO『Life』
JAMIROQUAI『Rock Dust Light Star』
UNDERWORLD『Barking』







 洋楽も邦楽も、前から聴いていたものの延長でだけ聴いていたそんな1年だったように思います。最近のヒットチャートとはあまり関係なく、聴きたいものだけ聴いていた1年というか。すべてかっちりとした仕上がりのものばかりを選んでいるような、そんな10枚です。

 キリンジ、ライムスター、稲葉、ブンブンサテライツはその中でも手堅く今アーティスト本人ができることの最高点を出してきているかな、という印象。何度聴いても飽きず、新たな発見が見つかるというそんなアルバムたちです。

 ソウルセットは新録1曲のみのベストですが、彼らの世界をざっとさらえるのには的確な1枚ではないかと思いセレクト。シアターブルックは久々の活動再開というだけでうれしい(これは後述するジャミロクワイにも同様に言えることですが)。

 クオシモード(Quasimode)は日本のクラブジャズというまだまだ面白くなりそうなジャンルを引っ張って欲しいという期待をこめてセレクト。そしてFreeTEMPOのラストアルバムはいわゆるおしゃれハウスから脱皮し、次のステップに進んでくれそうだと確信した1枚でした。

洋楽も指名買いに近いセレクトですが、やはりジャミロクワイの新作というのは心躍るものでしたしアンダーワールドも新しい側面をしっかりと見せてくれた1枚でした。

2011年もベテランにがんばってほしいと思う一方で、琴線にふれるような新しい音楽に出会えるようにアンテナを磨かないとな、と。そう思いながらのセレクトでした。

(Ryoichi)
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横井岳志

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IAIN MATTHEWS『Afterwords』
LAURA MARLING『I Speak Because I Can』
JOSH ROUSE『El Turista』*画像
JAKOB DYLAN『Women And Country』
BRIAN WILSON『Reimagines Gershwin』
MARY CHAPIN CARPENTER『The Age Of Miracles』
HAYLEY SALES『When The Bird Became A Book』
THE INNOCENCE MISSION『My Room In The Trees』
ELTON JOHN & LEON RUSSELL『The Union』
THE LIVING SISTERS『Love To Live』






 ベテラン・アーティストの中で特に印象に残ったのがイアン・マシューズ(Iain Matthews)の充実振り。『Afterwords』はオランダのジャズ・ピアニスト、エグバート・デリックス(Egbert Derix)との共演によるライブ・アルバム。1曲目「Joy Mining」を聴いただけで一気に引き込まれてしまった。マイナー調の魅力的なメロディの曲でIainは情感たっぷりに歌い上げている。こんな傑作アルバムがオランダ国内のみのリリースというのは本当に残念(イアン・マシューズのオフィシャルサイト経由で購入可能)。イアンはマシューズ・サザン・コンフォート名義での新作も発表しておりこちらも素晴らしい。ブライアン・ウィルソンも元気に充実した作品を発表、ガーシュインの未発表曲に手を加えて完成させた「The Like In I Love You」、そして「'S Wonderful」のアレンジに抜群のセンスを感じる。エルトン・ジョン&レオン・ラッセルも良かった。二人の稀代のミュージシャンの個性の融合、それを演出するTボーン・バーネットのプロデュースの見事さに感心。

 若手アーティストで最も注目しているのが英国の女性シンガー・ソングライター、ローラ・マーリング。1枚目はレコード会社の意向を反映したのかちょっとポップな曲作りだったが、この2作目では自分がやりたいことを思いっきりやり切った感じ。アンドリュー・バードほかコラボしているミュージシャンも魅力的だし、なにより歌の力に圧倒される。この他の女性シンガーでは、安定感ある充実した作品を発表したメアリー・チェイピン・カーペンター、透明感溢れるイノセンス・ミッション、レトロな装いのコーラスを聴かせてくれたザ・リヴィング・シスターズ、そしてヘイリー・セールズ(Hayley Sales)にも抜群の才能を感じた。

 ジョシュ・ロウズ(Josh Rouse)は日本での知名度は低いがとても魅力的なアーティストだ。しなやかな感性の持ち主で、米国から欧州へと旅をしながら様々な音楽を吸収しアルバムごとに進化している。今回の『El Turista』はブラジル音楽にインスパイアされた作品。ジェイコブ・ディランもやはりただ者ではない。リック・ルービン・プロデュースによるソロ1作目も良かったけど、このTボーン・バーネットによる温かみのある南部系のサウンドは皆が待ち望んでいたものではないだろうか。バンド形式のウォールフラワーズも良かったけど、並外れた個性を持っている人なので、やはりソロで活躍してほしい人だ。

(横井岳志)

yo-suke

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ARIEL PINK'S HAUNTED GRAFFITI『Before Today』*画像
OVALL『Don't Care Who Knows That』
D.W.ニコルズ『Onelbum』
INCARNATIONS『With All Due Respect』
TAMAS WELLS『Thirty People Away』
RAY LAMONTAGNE & PARIAH DOGS『God Willin & The Creek Don't Rise』
BRIAN WILSON『Brian Wilson Reimagines Gershwin』
LINDSTROM & CHRISTABELLE『Real Life Is No Cool』
THE ROOTS『How I Got Over』
MATTSON 2『Feeling Hands』





 グッド・ミュージックは何気ない普段の生活の中でスパイスを効かせてくれる。2010年もそんなスパイスを効かせてくれるアルバムにたくさん出会った。2010年にリリースされた新作アルバムの中から10枚だけ選ぶというシンプルかつなかなか酷な企画。今回は2010年を自分の中で振り返るためにもよく聴いたアルバムという基準で選んでみた。

 今回選んだ10枚のうち5枚はCD、5枚はLPで購入した。色々な音楽ソフトが出てきている中で、DL(ダウンロード)パス付属LPが増えてきているのは、個人的に嬉しい流れである。

 ささっと振り返ると、日本人離れしたセンスを持ち、邦楽・洋楽の垣根を感じさせないオーバル(Ovall)。ジャック・ジョンソンやドノヴァン・フランケンレイターなどに代表されるオーガニックなサウンドから影響も受けつつも、老若男女に好かれる最高にポップな楽曲に洋楽好きも唸るアレンジを展開している、わたなべだいすけ(D.W.)率いるD.W.二コルズ。ビン・ジ・リン、バート・ダヴェンポートとダニエル・コールという奇跡のトリオが、スペインでまったりと作り上げたAOR / ブルー・アイド・ソウルファン必聴のインカーネーションズ。更にポップ度が増した天使の歌声と称されるタマス・ウェルズ。個人的には現代版ヴァン・モリソンといっても過言ではない劇渋SSWのレイ・ラモンタ―ニュ。完璧な音楽家と称されるガーシュウィンの楽曲を、完璧なまでに自分色に染めたブライアン・ウィルソン。ゆるくて美しすぎるダンス・ミュージックをノルウェーから届けてくれたリンドストローム。最高のヒップホップ・バンドによる過去最高にバランスの取れた1枚となったザ・ルーツ。ジャズにロックの要素を取り入れて化けたカリフォルニアの双子マットソン2。

 そして、僕の好きな音楽を全て詰め込んだ宝箱のようなアルバムを届けてくれたアリエル・ピンク・ホーンテッド・グラフィティ。ファンク、ソウル、パンク、ニューウェーブそしてAOR。この混沌とした世の中で、色んな音楽スパイスを程よく吸収して、最高にポップでひねくれている。まさに2010年を代表する1枚だと思います。

(yo-suke)
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mirai

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SOULKIDS『Endless Summer』
スピッツ『とげまる』*画像
くるり『言葉にならない、笑顔を見せてくれよ』
モーモールルギャバン『クロなら結構です』
トクマルシューゴ『Port Entropy』
サカナクション『Kikuuiki』
JONSI『Go』
VAMPIRE WEEKEND『Contra』
TWO DOOR CINEMA CLUB『Tourist History』
THE DRUMS『Summertime!』






 去年は受験や1人暮らしを始めたりと、なんだかゴタゴタしていて新しい音楽をあまり発掘できなかったが、こうして2010年の個人的ベストアルバム10枚を書いてみると10枚中7枚が今年から聞き出したアーティストのものとなった。特にスピッツ。音楽にハマってからというもの、なんとなく有名どころを避けて聞いてきたためにスピッツをまともに聞いたことが実はなかったのだ。三日月ロックを友達に貸してもらってからというもの、もうスピッツが好きで好きでたまらなくなり、そんな時に『とげまる』がリリースされた。モーモールルギャバンは去年出会ったバンドの中で最も衝撃的であった。思わず笑ってしまうような曲もあれば涙を誘う切ない曲もある。このミニ・アルバムはあまりに濃すぎた。トクマルシューゴは以前から気になっていたが、これもまた去年初めてまともに聞いたアーティストである。このアルバムでは彼の日本人離れしたセンスが光っている。ヨンシー(Jonsi)、トゥー・ドア・シネマ・クラブ、ザ・ドラムス、ヴァンパイア・ウィークエンドは去年友人に勧められて知ったバンドだ。ミューが好きな自分にとってヨンシーはまさにツボであった。本当に美しい音楽だ。

 くるり、サカナクション、ソウルキッズだけが前からずっと聞いてきたバンドなのだが、彼らの去年リリースしたアルバム、期待以上であった。好きなバンドとなるとニューアルバムと聞いて期待感を高めないわけがない。そんな高い期待すら上回ってしまうほどの素晴らしいアルバムであった。特にくるりに関してはスピッツの『とげまる』と1,2位を争う2010年のベストアルバムだ。これからもずっと聞き続けたいアルバムに出会えた、そんな1年だった。

(mirai)

藤川毅

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ZAZ『Zaz』*画像
SUFJAN STEVENS『The Age Of Adz』
JAMALADEEN TACUMA『For The Love Of Ornette』
MYRA MELFORD'S BE BREAD『The Whole Tree Gone』
KANYE WEST『My Beautiful Twisted Fantasy』
AMAZIGH『Marchez Noir』
BALOJI『Kinshasa Succursale』
CHAROTTE GAINSBOURG『IRM』
KID CUDI『Man On The Moon II : The Legend of Mr. Roger』
SEXTET IRREAL『Jogging』






 悩みに悩んだあげく、このような結果に。モーズ・アリソンやオーヴァー・ザ・ラインといったジョー・ヘンリーのプロデュースものや、ジョン・レジェンドとルーツ、ナズとダミアン・マーリーなどなどよく聴いたアルバムも漏れてしまった。

 本職はジャマイカ音楽評論家だというのに、その手のものが入っていないのはあえて外したのではない。アルバム単位で聴かせるものは2010年本当に少なかった。そして僕自身は、ジャマイカのダンスホール音楽に危機感を感じている。スティーヴン・マグレガーなどクリエイティヴな才能はいるものの、全般的にはコミュニティ音楽化し、コミュニティ外と大きな断絶があるような気がするのだ。そもそもそれこそ魅力の源泉だったはずの「レゲエという音楽の雑食性」が、全世界的なジャンルレス化の中で埋もれ、そして逆に内に向いてしまっている気がするのだ。だからこそレゲエからの影響を血肉化したアマジーグ(Amazigh)のアルバムや、選外だがOKI Dub Ainu Bandの『サハリン・ロック』のような越境するレゲエに引かれてしまう。それはUSヒップホップも同様の感触だ。だからこそコミュニティ音楽から抜け出しているカニエの新作や在英のキッド・カディ、ベルギー在住のコンゴ人ラッパー、バロジの作品が、僕には魅力的だ。そんなこといいつつ、フランス人シンガー、ザーズ(Zaz)のアルバムは、理屈抜きで大好きだ。マヌーシュ・ジャズ風やスインギン、エディット・ピアフのカヴァーまで彼女の愛すべきキャラクターとともに楽しみました。

(藤川毅)
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ハラダトモヒデ

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VAMPIRE WEEKEND『Contra』
七尾旅人『Billion Voices』
THE APPLES IN STEREO『Travellers In Space And Time』
PUPA『Dreaming Pupa』
ELVIS COSTELLO『National Ransom』
トクマルシューゴ『Port Emtropy』
TEENAGE FANCLUB『Shadows』
安藤裕子『Japanese Pop』
THE NEW PORNOGRAPHERS『Together』
BRIAN WILSON『Reimagines Gershwin』*画像







 とても楽しい時間を過ごすことができました。2010年に聴いたものを片っ端からCDプレイヤーで聴きなおして、アレもコレもと足したり引いたりの繰り返し。ようやくカタチになってきたかなと思ったところで、うっかりほかの年間ベストみたいな記事を見てしまい、また迷宮入りに(泣)。最終的に自分が最も多くリピートしていたものしかないということでこのようなリストとなりました。こうしてみると2010年を象徴しているようには見えませんが、自分の基準がメロディにあるということを再認識しました。それぞれについてのコメントは...みんないい曲がつまったアルバムですっ! (もう思考力が...)

(ハラダトモヒデ)
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七竃沙世子

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THE SUZAN『Golden Week For The Poco Poco Beat』*画像
TOMMY GUERRERO『Living Dirt』
DE DE MOUSE『A Journey To Freedom』
BLOODTHIRSTY BUTCHERS『No Album 無題』
QUENTIN HARRIS『Sacrifice』
THE DUO(鬼怒無月+鈴木大介)『Seasons』
CHARLOTTE GAINSBOURG『Irm』
VARIOUS ARTISTS『The Digital Cumbia Explosion』
F『Energy Distortion』
踊ってばかりの国『グッバイ、ガールフレンド』






 生きていくことは苦しいことまるけですが、そんな渦中に「本当に楽しかった」と思える日々を過ごした一年でした。挙げさせていただいた10枚は、そんな「生活の光と影」をより色濃く写し出した作品です。

 春から夏にかけては、クウェンティン・ハリス(Quentin Harris)を中心としたNYハウスをはじめとする現代のブラック・ミュージックに心身を奪われ、汗を流しました。その反面、「一年のうちで最も佳い音楽に出会える季節」である筈の10月以降は心躍らせてくれる「アルバム」は少なかったです。そんな中で大健闘だったのが、ザ・スーザンでした。彼女たちのファースト・アルバムとなる本作は、メロディも演奏もアレンジも録音もマスタリングもジャケット・デザインもアーティスト写真も、全てが素晴らしく、わたしを明るい気持ちにさせてくれました。

 2011年は、中村一義の本歌取りに因り「SIN」の一年にしたい所存です。

(七竃沙世子)
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ドラム猫

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山田稔明『Home Sweet Home』*画像
THE SONNETS『Western Harbour Blue』
CASIO KIDS『Ttop Stemning Pa Lokal Bar』
DELOREAN『Subiza』
!!!『Strange Weather, Isn't It?』
THE CAVALCADE『Many Moons』
明香音『Fruits』
THE RIGHT ONS『Look Inside,Now』
THE SOFT PACK『The Soft Pack』
PAUL HEATON『Acid Country』






 10代の時に出会ったフリッパーズ・ギターに強い影響を受けて「ネオアコ発のポップス行き」そんな感じで日々、素敵な音楽を捜していますッ!
 
 そんなボクの年間ベストの判断基準はもちろんソングライティングです。でもダンス系も意外に入っているのは『ダンス系もポップ化してメロディー重視が増えてきた』から、すなわちポピュラー・ミュージック化してきたからだと思います。

 1位はゴメス・ザ・ヒットマンの山田さんのソロ・アルバム。「hanalee」を筆頭に日本屈指のソングライターがその力を存分にみせつける新しい世代によるフォーク/カントリーなポップス。
 
 ソネッツは「僕の中のハックルベリー・フィンは遥か昔にアーサー・シートンに殺害されてしまったけれど、パリの5月の陽光とネオアコ。冬のブライトンの風とまだ10代の頃の言葉にならない感情。それらがまだ、たしかにボクの中で生きているのが確認できて嬉しかった」と、そんな感じ。

 カシオ・キッズの放つ不思議なナードな感覚にハマってしまいました。このダンスとメロディーのバランスこそが今のポップスって感じですなっ!
 
 デロリアンと!!!には僕の中のマンチェ魂が震えた。これだけビートがカッコよく、ポジティブなヴァイブに溢れた作品もそうはなかろうぜッ!

 キャバルケイドは去年、一番ビビった作品。まさかこのご時世にフェルトの完成形が放たれるとは...(笑)。TWEE系とは一線をきす真性ギターポップ/ネオアコ・スタイルを高く評価したいものですなッ!

 明香音(あかね)は神戸のピアノ弾き語りによる若手ミュージシャン。ポップスにカリスマ性なんて余計なものは必要ないッ! そう思わせるメロディー・フリークなリスナーをもねじ伏せる捨て曲なしの全5曲。aikoに次ぐ関西からの逸材のはずです。

 ライツ・オンとソフト・パックは説明不要のロックンロール。ポール・ヒートンはここに来てソロとしての最高傑作を放ちましたなッ! ビューティフル・サウスから連なるヒートン節炸裂! SSW系が好きな方は必聴の名曲だらけです。

 こんな感じで「広義のポップス」を今年も捜していきたいです。ちなみに近年のアイドルやアニメ系をも含んだ日本のポップスの新しい波がそろそろ来るような予感がします。とにかく「ネオアコ発のポップス行き」の精神で今年も良い音楽に出会いたいものです。

(ドラム猫)
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TKD (sheherherhers,vo)

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JONSI『Go』*画像
ROVO『Ravo』
七尾旅人『Billion Voices』
CLAMMBON『2010』
THE CHEMICAL BROTHERS『Further』
MICE PARADE『What It Means To Be Left-Handed』
DELOREAN『Subiza』
SUFJAN STEVENS『The Age Of Adz』
トクマルシューゴ『Port Entropy』
MASSIVE ATTACK『Heligoland』







 上記の10枚は去年よーーく聞きました。プログレのような複雑なものか、底抜けに明るいものばかり聞いていた一年でした。

 ちなみにベスト・ライヴは、1.オマー・ロドリゲス・グループ、2.マグマ、3フレーミング・リップスです。

(TKD: sheherherhers,vo)

tunagarimylife

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FLYING LOTUS『Cosmogramma』
ENVY『Recitation』*画像
LETTING UP DESPITE GREAT FAULTS『Letting Up Despite Great Faults』
FEEDER『Renegades』
SUPERCHUNK『Majesty shredding』
OVAL『O』
TWO DOOR CINEMA CLUB『Tourist History』
YEASAYER『Odd Blood』
SCUBA『Triangulation』
KYTE『Dead Waves』





 振り返ると2010年に出たアルバムは、この10枚だけしか買っていなかった(Mix CDを入れれば11枚になりますが)ということに気付きました。それでもここに挙げた10枚はどれも素晴らしいと思いますし、おそらく自分自身の中でいつまでも聴いていくアルバムだろうな、と思います。ツィッターとかやり始めて、いろいろな人の情報を聞けて、今まで聴くことがなかった、素晴らしい作品に出会うことが出来たことも大きかったです。そんな今でも、もっともっといい音楽が僕の耳の届かない所で、鳴っている。ただ耳を傾けるだけではダメだ。こっちから逢いに行かないと。そう、愛する人に会いに行くような、高揚感を持って。そうすれば、いい音楽はきっと待っていてくれている。そう思っています。

(tunagarimylife)
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田村聖司

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アイドリング!!!『サンライズ』*画像
DOP『Greatest Hits』
ANBB ALVA NOTO『Mimickry』
THE ROOTS『How I Got Over 』
UNDERWORLD『Barking』
CARIBOU『Swim』
STEREOLAB『Not Music』
DEERHUNTER『Halcyon Digest』
OMAR RODRIGUEZ LOPEZ & JOHN FRUSCIANTE『Omar Rodriguez Lopez & John Fruciante』
OVAL『O』





 2010年のプライヴェート・ライフを彩ったアルバムを音であらわすとすれば...
ぴゅあんよlhhっひゅゴゴゴゴゴ!!!yぐ!!! !!!let's go now!!
っていう感じでした。

 なんか色々あるけども、もっとハテナだらけで行こう!! もっとハテナ探しに行こう!!

 Keep On Rockin'

(田村聖司)

たびけん

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VAMPIRE WEEKEND『CONTRA』
VIOLENS『Amoral』
THE RADIO DEPT.『Clinging To A Scheme』
LETTING UP DESPITE GREAT FAULTS『Letting Up Despite Great Faults』
TWO DOOR CINEMA CLUB『Tourist History』
THE NOVEMBERS『Misstopia』
BLOODTHIRSTY BUTCHERS『NO ALBAM 無題』
SUPERCHUNK『MAJESTY SHREDDING』*画像
ASIAN KUNG-FU GENERATION『マジックディスク』
ANDYMORI『ファンファーレと熱狂』





 2010年は自分にとっては音楽をよく聴いた年であり、多くの素晴らしい音楽に出会えた年でした。

 まず、ブルックリンを中心としたUSインディー・シーンの盛り上がりは、新しい音楽に触れる切っ掛けとなりました。アニマル・コレクティヴ、ヴァンパイア・ウィークエンドらに続き、新世紀のサイケデリアを鳴らすもの、音楽の楽しさをポップ・ソングとして自然体で届けてくれるもの、アフロビートやトロピカルなサウンドを聴かせるもの、60s的サーフ・ポップに回帰するものなど多様な音楽が現れました。すべてを追えているわけではなく、聴いたのはごくわずかですが、80sの音楽を解釈したポップ・ミュージックを届けてくれたヴァイオレンズやマット&キムには非常に好感を覚えました。

 そして、数年前には「死んだジャンル」として揶揄すらされていた「シューゲイザー」を自らの音楽的要素として、また武器として参照しているバンドも活発な動きを見せてくれています。ディアハンターやノー・エイジが新作をドロップしましたが、個人的にはザ・レディオ・デプトとレッティング・アップ・デスパイト・グレート・フォールツのサウンドが本当に心地よく感じ、よく聴きました。

 このブルックリン発の音楽や、シューゲイザー・リバイバル的な音は、結局は何年後かには流行り・一時の潮流として片付けられるかもしれませんし、どうなるかまだまだ未知数です。しかし、00年代の海外ロック・シーンに上手く乗りきれなかった自分としては、非常に「当たり」が多い新鮮で刺激的なシーンだと感じているので、この辺りのインディー・ロックを2011年も追っていきたいと思っています。

 しかしですが、この爆発的なインディー・ロック隆盛の中で散見される音楽として、古き良きロック/ポップスへ回帰しただただ過去の音楽世界に逃避してしまう音、チルアウト的な音、ある意味享楽的で、だらだらと気持ち良さに浸るだけの音楽も見受けられたかと思います(そういうのも好きですが)。一時期、そんなサウンドに飽き気味だった頃、90sのオルタナティヴ・ロックの血を残し、しっかりとした骨格のあるサウンドで感傷を振り切りながらかき鳴らすギター・ロック・バンドが良作を次々と出したことに、ロック・ファンの血がたぎったことも事実であります。

 ノーベンバーズ(The Novembers)は若いながらもニルヴァーナやスマパン、マイブラやライドなどの音を飲み込んだ傑作を上梓し、ブラッドサースティー・ブッチャーズはベテランらしい貫禄っぷりと、ある意味ベテランらしからぬ衝動性に満ちたオルタナ・サウンドを見せてくれたし、スーパーチャンクも、オルタナテイブでキャリアの長いバンドだからこそできる切なくキレのある演奏で、爽快なパワーポップアルバムを届けてくれました。あとはリストには挙げていませんがヴァセリンズも見事な21年ぶりの2NDアルバム(!)を作ってくれました。2010年は自分が(最早意味をなさなくなった言葉だとしても)「オルタナティヴ・ロック」が好きで、骨格のある「ギター・ロック」(そしてそこにメランコリアが内包されていればなお良い)が好きなのだと改めて認識させられた年でもありました。

 あと特筆にすべきことは、この繰り返しの生活、ただ同じことの繰り返しであるクソみたいな日常に、ほんの少しだけ光を垂らしてくれる、生活に寄り添った音楽を自分は求めているのだなと感じたことです。

 マクロの視点で言えば「社会」や「世界」、ミクロの視点で言えば「生活」「日常」。両者とも迷路のように絡まり、先は見えず、新鮮な予見も展望もない。そんな今現在から目をそむけず、それでもこの腐りきった場所で生きていく。何もない日常の繰り返しを、ささやかな喜びや美しさに思い馳せることでちょっぴり肯定する。そんな音楽の代表格はアジアン・カンフー・ジェネレーションの『マジックディスク』とandymoriの『ファンファーレと熱狂』だったかなと思います。僕らの生活の中には、常に音楽が在った。だから今も此処に居るし、これからもたぶんそう。そんなことを教えてくれた作品でした。

 テン年代のスタートとしては、平凡ないちロックリスナーとして(ツイッターでの情報交換などもあり)かなり良いスタートを切った、音楽にたくさん触れた一年でした。これがいつまで続くかはわかりませんけど、生活に寄り添う音楽をこれからも見つけていきたいなと。

(たびけん)
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ジンボユウキ

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まつきあゆむ『1億年レコード』*画像
放課後ティータイム『放課後ティータイムⅡ』
KIMONOS『Kimonos』
七尾旅人『Billion Voices』
トクマルシューゴ『ポート・エントロピー』
THE NOVEMBERS『Misstopia』
WASHED OUT『Life Of Leisure』
レミ街『MusicaMusica』
TEASI『Sando』
雅 -MIYAVI-『What's My Name?』






 私的なベストアルバム10選を、と書かれていたので「きっとみなさんこんなアルバムを選ぶだろうな」というあれこれを考えずに選んだら9枚が邦楽になってしまった。ライヴに関してはペイヴメント、ウィルコ、フレーミング・リップス、ルーファス・ウェインライトにヴァン・ダイク・パークスといったUSものばっかり行ってました。

 思い返せば、2009年は『Remix』や『Studio Voice』の休刊に代表されるような、終わりのムードが色濃く覆っていたような気がする。それぞれの活動の、なんらかの事情による終焉(の連続)を、まるで世界の終わりのように感じてしまうこと。あるいは、そう感じたくなってしまうこと。むりやり社会情勢にこじつけていえば、「失われた10年」がいつの間にか「失われた20年」に更新されてしまったような、国全体の無意識が終わりをゆるやかに志向し続ける、ある種の破滅願望のようなものを抱いているからかもしれない。

 とはいえ"終わりの終わり"なんてそう簡単にやってきてくれるはずもなく、打って変わって2010年は覚えているだけでも
・まつきあゆむが『1億年レコード』のリリースを直接配信のみというスタンスで行い成功を収める
・dommune開局
・ネットレーベルのマルチネレコーズがコンピレーションCD『MP3 Killed The CD Star』をリリース
・『nau』や『DIY Stars』といったアーティスト寄りの配信サイトが開設
といった"何かのはじまり"を予感させるトピックが多かった。上で挙げたアルバムの半分ぐらいは関係ない状況論をこれから少し長く続けるけれど、例えばこれまで多くて数百人規模の会場でライヴを行っていた七尾旅人がdommuneに出演すると、2000人以上の観客がそれを観ている。今となっては常識レベルの話ではあるけれど、それが日常になるなんて去年までは思いもよらなかったし、重要なトピックかつ希望として受け入れられていたことは記録として記しておきたいのである。

 これらはすべてインターネットを媒介とした活動であり、インディ音楽シーンでも(であるからこそ?)利用可能なあらゆるリソースを駆使して活動を行う、総力戦のような状況に移行したのではないだろうか。相変わらず既存メディアでは、テレビをつければAKB48やK-Popグループが映り、雑誌を開けば神聖かまってちゃんのインタビューが載っているような、いつもの焼き畑農業のような光景があった。けれどひとたびインターネットに接続すれば、今日もどこかでTwitter上の討論やUstream・ニコニコ生放送の配信が飛び交い、リアル現場でもおもしろいトークイベントやライヴも開催されている。それは多様性の増幅というより情報過多な傾向がますますヒートアップしたといえなくもない。あるいは小さなタコツボが増えただけだよ、とあなたは捉えているかもしれない。というかみなさんは一体どうやってこの状況と日常生活の折り合いをつけているんだろうか。365日朝から晩までおもしろイベント尽くしで心身共にへとへとになってませんか?ぼくは行けない・見られないのが悔しすぎるので、自分に入ってくる情報を少しシャットダウンするきらいもありました。どうせ後で誰かがtsudaりをtogetterに載せておいてくれてるでしょ? みたいな。うーむ。実際に雑誌を読む、リアル現場に行くといった機会が激減した1年だったような気もする。

 多様性の増幅といえば、2010年はアニメ『けいおん!!』の劇中歌アルバムとしてスーパーカー『スリーアウトチェンジ』以来と言っても過言ではないほどみずみずしいギター・ポップ作品をリリースした放課後ティータイムや、54-71のドラマーであるBOBOをサポートに招き、ブランキー・ジェット・シティを彷彿とさせるロックアルバムを作り上げた雅-MIYAVI-がとてもよかった。アニメソングとビジュアル系。未だに音楽雑誌、あるいは"音楽ファン"の半分ぐらいから無視され続けるこの2ジャンルにおいて、既存のポップス・ロックと売上だけでなく内容でも十二分に渡りあえる作品が出現した、そして今後も出現するであろうことは、もっと意識されてもいいんじゃないか。歓迎すべき変革ないしはじまりは、既に知らない場所で起こっているのかもしれない。これは2010年に限った話ではないけど、少なくとも「レディ・ガガに勝てない日本のロック」(『Snoozer』2010年6月号)だなんてグチをこぼしている場合ではない。ぼくらがその気になれば、いつだって・どこだってそれにアクセスできる。

 また、ZEPP東京の巨大スクリーンに投影された、初音ミクによるライヴが3000人を熱狂させた「Project DIVA presents 初音ミク・ソロコンサート~こんばんは、初音ミクです。~」や、渋谷のライヴハウス「WWW」のこけら落とし公演であり、スペースシャワーTV、dommune、ニコニコ生放送で同時中継された神聖かまってちゃんのライヴなど、リアルとネットの空間差がより曖昧になるパフォーマンス手法が確立してきたのもこの年のできごとだ。移り気なリスナーの注目を集め続けるために、彼(女)らはあらゆるメディア上に登場し、その痕跡を残していく。正直なところ、追いかけるぼくらもたいへんである。けれど、やっぱりそれは喜ぶべきことだ。

 2010年を振り返ってみると、この文章がそうであったように、特定のコンテンツ=作品よりも、文脈=状況であるコンテキストについて語る・語られることが多かったようにおもう。めまぐるしく移り変わる文脈・状況を押さえるのは大事だけれど、それをつくりだす個々の作品論がより重要になる(状況を読み解くのではなく、文脈をつくる側に立つということ)のではないか。すでに色々な人が指摘していることではあるけれど、それができなかった自分への課題設定として。

 というわけで最後に、上で触れられなかったアルバム評を。dip、ブラッドサースティブッチャーズの流れを組む正統派オルタナ・ギター・バンド、ノーベンバーズ(THE NOVEMBERS)はUK/USオルタナ要素の個性的なミックスぶりがさらに進化を遂げてディアハンターに対抗できる国内バンドは彼らだけでしょとおもうし、トクマルシューゴは次回作で一体なにするんすかと余計な心配をしたくなるほどのキャリア最高傑作を生み出し、空気公団 meets ハー・スペース・ホリデイとでもいうべきレミ街や、時間軸を自在にあやつりますます無音の比率が増える魔術師集団、TEASIといった地方インディ勢も目が離せない。キモノズはニューウェーブの硬質ビートと日本語・英語のちゃんぽん歌詞が織りなす無国籍感がすばらしかったし、七尾旅人のポップスへの帰還とポップアイコンたらんとする姿勢を自ら背負いこもうとする覚悟は感動的だったし、年末によく聴いたGlo-Fi系から選んだウォッシュト・アウトは、音楽という芸術表現はほとんど"半径5メートルのセカイ"からの想像力でしか強度を持ち得ないという個人的な諦めというか「それは音楽でなくてはいけないのだろうか?」という疑問もあり、退行と言われようが引きこもりと言われようが「あえて抵抗しない」(ゆらゆら帝国)戦術で踊らせてくれること、またその場所を提供してくれることが第一の役割だとぼくは考えているので肯定したい。表現手法は音楽だけではないし、膨大な選択肢からアーティストたちが何を放つのか。"総力戦時代"の幕開けが2010年だったとすれば、今年はそのリアクション、つまり個別の(作品)論が問われる年になるとおもう。

 そんなこんなで、今年も良い音楽にたくさん出会えますように!

(ジンボユウキ)
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財津奈保子

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JONSI『Go』
RUFUS WAINWRIGHT『All Days Are Nights: Songs For Lulu』
PASCAL PINON『Pascal Pinon』
DEERHUNTER『Halcyon Digest』
FANFARLO『Reservoir』
JEFRE CANTU-LEDESMA『Love Is A Stream』*画像
GHOST SOCIETY『The Back Of His Hands,Then The Palms』
OF MONTREAL『False Priest』
SEA BEAR「While The Fire Die」EP
THE CORAL『Butterfly House』






 11年前2000年問題で世間が騒いでいた当時、私はバイトで生計を建てながら高校に通う貧乏な17歳でした。10代前半からMTVを毎日チェックし、CDショップに通い詰め、盛んだった90年代ミュージック・シーンをリアルに体感したと思います。その記憶が強すぎるのと、10代後半からはバイト仕事三昧、20歳に結婚そのまま出産、私生活が慌ただしく過ぎゆく中でずっと好きな90年代の音楽を聞いていました。この私の止まった時間を進めてくれたのは、2008年2月のビョーク12年ぶり単独来日公演だと思います。1人目の離乳が少しづつ始まり、少しだけなら離れられる事と、会場がわりかし近隣だった為、私は背中を押されるように足を運んだのですが、生で聞くビョークの歌声は圧巻で、今まで何度も聞いてるのに、初めて聞いた歌の様な感覚に陥って、今この瞬間にしかない歌声なんだ、と思い、アーティストと同じ時を生きてる事にすごく感銘を受けました。一生でどれだけこんな体験ができるのだろう? と思い改り、その後細々と音楽雑誌とCDショップを頼りに、止まった時間の回収作業に入り始めました。インターネットには、若干アンチテーゼな気分だったのですが、ベックの『Record Club』が聞きたかったので去年からパソコンにも挑戦しています。

 パソコンを始めると共にTwitterなんかも意味も分からないまま、始めてみたけど、私の世界は確実に広がったなぁ、と恩恵を感じます。90年代に自分が読んでた記事のライターさんとやりとりなんて当時の私からすると夢の様な事だし、US、UK以外の国や民族音楽の発掘は、まだまだこれからも素晴らしい音楽に出会える喜びを示唆している、と思っています。インターネットに恩恵を受け可能性も信じつつ、ショップに足を運び、ジャケ買いしたりする作業がCDを買う時の楽しみの一つでもある私は、ネットで音楽を買うのは最小限にして、リストアップしてからショップで買います。一曲だけで購入する事も可能ですが、アルバムの曲順や流れも大事だと思うので、CDという媒体もこれからも重要であって欲しいなぁ、と願います。

 そして事象もなにも関係なしで、CDで購入した中から選んだ完全に個人的ベストな10枚です。ヨンシー(Jonsi)とルーファスについては一生追っていきたいアクトです。シガー・ロスというバンドも胎児が育っていくように成長しているのかなぁ、と感じていましたが、このソロアルバムでは生きる事の哀しみも感じつつ、それ以上に生きる事の歓びを感じます。聞いてるととても元気になります。ドレスを纏って歌うルーファスの公演一部はちょっとしんどいなぁ...と正直思ったものの、二部ではぺちゃくちゃおしゃべりしながら軽やかに歌いあげるルーファスに、やっぱりこの人のしなやかな強さやソングライティングの美しさは好きだなぁ、と思いました。そしてTwitterから知ったパスカル・ピノン(Pascal Pinon)。私が知る限りでは国内盤は出てないと思うのですが、とにかくメロディが素晴らしいです。アレンジも素朴ですが、温かみがあって生活のBGMとしても寄り添ってくれる音楽です。賛否両論あったと思うディアハンターの今作ですが、確かに暗い、でも向いている方向は前だと思うのです。私は昨年体調を崩す事が多く、その時にこのアルバムを聞いて救われていました。諦観した気分になれるからかも知れません。今は4ADのライブが楽しみです!

 ファンファーロ(Fanfarlo)はずっと気になっていてサマソニで初見しました。シンフォニックかと思いきや、エレポップっぽかったり、メンバーが曲ごとにマルチに楽器を使いこなしていくのも新鮮でこのバンドの世界観が出来ていたと思います。うっとりしながら身体を揺らしている人がいたのが印象的です。ジャンルで一括りにするのが難しいとは思いますが、雑多な雰囲気ではありません。国内盤はメンバーによる曲ごとの解説なんかも載っていて、歌詞もミステリアスで面白いのでお薦めです。ジェフリー・キャントゥ=レデスマ(Jefre Cantu-Ledesma)『Love Is Stream』は実は昨日ショップで試聴して心奪われたアルバムです。Twitterで年末に呟いた中には当然入ってなかったのですが、これからどんどん聞くであろうと思いますし、クレジットが2010だったので割り込ませてここに入れました。ジャケットやタイトルからレジェント的アルバム『Loveless』を連想して聞いてみたら、やっぱり全体的にシューゲイザーでした。オマージュなんでしょうか? ショップではニューミュージック他、の棚にあって確かにシガー・ロスにも通じるアンビエントでもあると思います。ドローンというジャンルにも分けられてるようですが、とにかく私は大好きです。詳しく知っている方がいれば教えて欲しいです。ゴースト・ソサエティも全体的に軽やかなシューゲイズサウンドですが、曲の転調加減が大好きなミューを彷彿します。派手さはないですが、寒い日に歩きながら聞くのが好きです。

 オブ・モントリオールのこのアルバムはまずアートワークに惹かれました。聞いてみたらアートワーク同様すごく楽しいアルバムで、これ以前のアルバムも集めていきたいと思っています。PVもうちの子供はなぜか嫌がるんですがすごく秀逸でこのまま突き進んでいてほしいです。こちらのベストではEPも可、との事でまた年末のTwitterのベストとは順位が変わってしまったのですがシー・ベアー『We Built A fire』の限定盤に付いてるEP「While The Fire Dies」を入れました。エキゾチックで陽気な民族音楽が好きな人は気に入ると思います。こちらのバンドもパスカル・ピノン同様、アイスランド出身です。国内盤は残念ながら出ていないようですが、もし購入を考えているなら絶対EP付きがお薦めです。そして多様になって広がって行ったミュージックシーンを逆回転で追いかけて行った私にとってザ・コーラルの男臭くて無骨なようなこのアルバムはすごくホッと出来るアルバムでした。特に「Walking In The Winter」は哀愁的だけど、ギターラインが美しくて、昨年自嘲的になってしまう時によく聞いて助けられたと思います。

 そして2011年一リスナーとしての自分ですが、ずっと素晴らしい音楽が排出し続ける事を願っています。無料で聞けてしまう環境も勿論悪いですし、私も正直YouTubeで聞いてしまって購入に至っていない音源もあります。しかし、素晴らしい音楽が自分の生活を豊かにしていてくれてるのは確実ですし、素晴らしい音楽が聞けなくなってしまう事がとても怖いです。作り手であるミュージシャン達(それに携わる方々)にも当たり前ですが生活があります。不況下に課題は山積みだと思いますが、それにしても対価はきっちり支払われるべきだと考えますし、リスナーがその気持ちを忘れたら終わりだと私は思います。2010年はネットを始めた事や、様々な人との出逢いがあり、私にとってはとっても重要で濃密な一年でした。全体的に自分語りになってしまい申し訳なく思いますが、自分の力量ではどれも省けなくてこうなりました。ネットでなければ出会えなかったアルバムもたくさんあります。只、ジェフリー・キャントゥの様に店頭で思わず出会った時の快感も忘れ難いものです。なので、今年はiTSに挑戦したいなぁ、と思っているのですが、ショップにも引き続き通って行きたいです。ミュージシャンや教えて下さった方々にこれからも感謝しつつ広がっていけたらいいなぁ、と思います。

(財津奈保子)
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小出雄司

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NO AGE『Everything In Between』*画像
DEERHUNTER『Halcyon Digest』
THE TAMBORINES『Camera & Tremor』
SAD DAY FOR PUPPETS『Pale Silver & Shiny Gold』
CROCODILES『Sleep Forever』
MICHAEL JACKSON『Michael』
BUBBLEGUM LEMONADE「Caroline's Radio」EP
The VASELINES『Sex With An X』
エレファントカシマシ『悪魔のささやき〜そして、心に火を灯す旅〜』
フラワーカンパニーズ『チェスト!チェスト!チェスト!』





 大学を卒業して、2年間勤めていた会社を一身上の都合で退社。僕の2010年の幕開けはこのようにして始まった。一度、何もかもを失ってしまったとも言える状況で、立ち寄った本屋で目に飛び込んできたのは「さようなら2000年代」という言葉。自分が唯一リアルタイムで通過し、様々な思想や経験を得たひとつの時代(One Decade)が終わりを告げていた。その見出しに衝撃を受けると共に、新しい時代の訪れに期待に胸が膨らんでいたのもまた事実。僕はその雑誌を手に取り、しばらく与えられた余暇を2000年代の遺産を再度学習することに費やした。

 そんな中、「これぞ2010年代を牽引するサウンドだ!」と感じるものが耳に飛び込んできた。「Glitter」である。ノー・エイジがホームページ上で、無料ダウンロードで提供していたこの曲。重ためのビートに被さるように、幾重にも重なるノイズギター。言葉にすると単なる2000年代後半以降の常套手段なのかもしれない。ただこの曲には色彩を感じる。単純に景色が鮮明に浮かぶというだけではなく、新しい夜明けを華やかに色付けている。胸騒ぎにも似てる印象的なドラムビートに、未知なる可能性を感じた。

 ベテランの底力を改めて感じる機会も多かった。まずはマイケル・ジャクソンの『Michael』には心底驚かされた。亡くなった後の、ある種未発表曲の寄せ集め的なアルバムと言っていい今作には「マイケルが本当に歌っているのか」という疑惑の声が上がったらしいが、一聴すれば僕にとってそれは蛇足なものに思えた。マイケルが歌っているのかどうかの事実は僕にはわからないが、残された人々のマイケルに対する愛を充分に感じることができる。亡くなっても未だ影響力を放つことのできるマイケルの存在に感動すら覚えた。

 日本のアーティストも負けてはいない。エレファントカシマシ、フラワーカンパニーズ、次点にはなるが、斉藤和義、the pillows等、40代を迎えているアーティストの活躍から目が離せない。一度は不遇とも言える時期を乗り越え(しかもマイペースに)、独自のポジションを確立していく彼等。まさに「継続は力なり」という言葉を体現しているだけに、言葉ひとつひとつに説得力があって、ストレートに勇気づけられることも非常に多い。これからも彼等の活躍の場が増えることを祈るばかりだ。

 個人的に2010年で密かに再結成ブームは終焉を迎えるんじゃないかと思っている。音楽史は20年周期で巡っているという自論を基に考察すれば、90年代に活躍したアーティストの再結成は、2010年代の音楽基盤の構築に過ぎないとすら思える。ここからまたどんな音が鳴らされて、どんな場所で響くことになるのか。新しい歴史の目撃者に、僕はなりたい。

(小出雄司)
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くぼーでぃお

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ASIAN KUNG-FU GENERATION『マジックディスク』*画像
FACT『In The Blink Of An Eye』
ねごと「Hello! ''Z"」EP
HiGE『サンシャイン』
QUATTRO『Where Is The Coconut? ...Ha? 』
VELTPUNCH『Black Album』
LINKIN PARK『A Thousand Suns』
THE COURTEENERS『Falcon』
TWO DOOR CINEMA CLUB『Tourist History』
LOSTPROPHETS『The Betrayed』





 ジャンルも精神性もまったく異なる10枚。この10枚に共通するのは、「過小評価」されているというところ。アジカンやリンキンに今さら過小評価も何も...と思う人もいるだろうが、音楽メディア(特にSnoozer、Rocking Onなど)においてそれを感じるので、少しアンチな精神も込めてこの10枚にした。

 アジカンは間違いなく今までで最高傑作のアルバムを作ったし、FACTは日本で数少ない世界水準に達しているバンドだ。ねごとは2010年最大のルーキー(かまってちゃん、世界の終わりなどは昨年から台頭していたので)だし、HiGEの変化、Quattroの進化は目を見張るものがある。Veltpunchは多分この中で一番で過小評価されているが、こんなに毒と愛が満ち溢れたギター・ロックはなかなかいない。リンキン・パークはこの音楽不況自体に喧嘩を売るようなアーティスト魂のある傑作を作ったし、コーティナーズをもっと評価しないとUKロックは衰退すると思う。ツードアもそこそこの新人扱いで終えるバンドじゃないし、ロストプロフェッツなんてジャンル的に評価されにくい立場にいる。

 メディアが評価しないと、リスナーの耳には届かない。玄人ぶってモーニング・ベンダーズとかディアハンター、ノー・エイジにナショナルズやキングス・オブ・レオンを聴いてる業界人。もっとミーハーに、伝わりやすい、でも本当に素晴らしい音楽を届けてよ、な10枚です。

(くぼーでぃお)
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草野虹

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THE ARCADE FIRE『The Suburbs』
VAMPIRE WEEKEND『Contra』
SLEIGH BELLS『Treats』
FOALS『Total Life Forever』
MYSTERY JETS『Serotonin』
9MM PARABELLUM BULLET『The Revolutonary』
ANDYMORI『ファンファーレと熱狂』
SCHOOL FOOD PUNISHMENT『Amp-reflection』
THE BACK HORN『アサイラム』
GIRLS DEAD MONSTER『Keep The Beats』*画像






 批評的な側面もある程度加味しつつ、自分がよく聴いた・心震えた・考えさせられたアルバムを、洋邦含め10枚選んだ。

 こうやって2010年のベスト10枚を決めてみると、この年が僕にとって大きなタームを含んだ年だったと感じる。洋楽に関してはそれまであまりアメリカのインディー・バンドに興味を示さない、UKロックが好きな人間だったのだが、2010年はアメリカのインディー・ロック勢が熱い! という宣伝に惹かれ、色々と聴いてみるとすっかりその虜になってしまった。その結果USインディーから3枚選ぶことにした。

 ヴァンパイア・ウィークエンドは「California English」、スレイ・ベルズは「Tell'em」、アーケイド・ファイアは「The Suburbs」がお気に入りの一曲。ヴァンパイア・ウィークエンドの『Contra』は、この時代のインディー・バンドとして優雅にアフロ・ポップとワールド・ミュージックを奏で、インディー精神やDIY精神の大元になった80'sニューウェーヴ的な「自由な発想」が市民権を得た姿だ、と大げさに書きたくなるほどに聴いた。アーケイド・ファイア『The Suburbs』の彼ららしいノスタルジアやあの喪失感は、歌詞をよく読んでもいない郊外に住む僕の心を鮮やかに捉えたアルバムだった。多種にのぼる楽器であのノスタルジアを突き詰めんとする音像が、あまりにも僕に響いて仕方なかった。

 ディアハンターやザ・ドラムスのような、暗鬱さや喪失感が蠢く内省的世界観に逃避・夢想・耽美さ・甘美さといった要素を詰め込んだのが2010年のUSインディー・バンドの特徴的な点だろう。だが、スレイ・ベルズのアッパーかつ図々しいサウンドはそういった奴らに対して「メソメソしてんじゃねーぞ!」と言ってるように思えて仕方がないし、たった一歩で胸倉を掴んでくるようなヒリヒリしている、この緊張感と爆発力こそロックだ! と思った。
 
 UKからは2組、フォールズとミステリー・ジェッツのアルバムを選んだ。某巨大CD店の視聴機で聴いた新人UKバンドが僕の胸にあまり響かず、「ジャケットが良かったから聴いてみた」この2枚がかなり良かった。

 ミステリー・ジェッツのアルバム、しっかりとしたバンド演奏に、チープなシンセの音が煌びやかさを感じさせ、肩の力が抜けた気楽さが加わり、ちょっとセンチメンタルなメロディーが高らかに響く。こう書くと80年代っぽいサウンドと思われるけど、どの曲もバンド・サウンドを意識していてキッチュというほどじゃないし。あくまでメロディーに重きを置かれたアルバム。そんなソングライティングの良さからか、ちょっとだけオアシスっぽさを感じた。フォールズはアルバム・ジャケット通り、海に浮かんでたゆたうようなボーカルとメロディー・ラインがすごく印象的で、それを掴みにかかるようなバンド・アンサンブルと楽器の音色も心地よい。ミステリー・ジェッツとフォールズ、UKバンドらしくメロディーの良さを売りにしたバンドが心に残った。

 日本のバンドからは4枚を選んだ。9mm Parabellum Bullet、andymori、School Food Punishment、The Back Horn、文字通り2010年によく聴いた邦楽ロックだ。

 9mm Parabellum Bulletのアルバム『Revolutionary』は今までの彼ららしく、パンクやメタルがハードコアになったサウンドと歌謡曲的なメロディーが組み合わさったアルバムだ。しかし今までとは違い、おそろしく音が整理されていてしっかりと各パート(特にボーカル)が聴けるアルバムだ。そして自分達が「ロック」を奏でる人間だと言わんばかりに、テレビによく出演しているし、この国の人間の心に革命を起こさんとしている。School Food Punishmentはこのアルバムでメジャー・デビューしたとは思えないほどの完成度で、ダウナーな失望感から抜け出してキラキラとした希望へと走り出す、その瞬間を瑞々しくも鮮やかに描いたアルバムだ。The Back Hornのアルバムは、長い作曲期間で作られたこともあってサウンド・アプローチが多彩で、生死を深く見つめ肯定的なメッセージを放つ彼らの歌詞を、より深淵さを感じさせてくれる。andymoriはフォークのような軽快さをサウンドにもボーカルにも感じたし、何より1曲目の「1984」がアーケイド・ファイアの「The Suburbs」とダブって聴こえたときは、日本にも郊外に住む人間の哀愁を感じさせるバンドが出てきたのかとすごく感動してしまった。

 そして最後の1枚には、ある種のカウンターとしてGirl Dead Monsterのアルバムを選んだ。知っている人もいるだろうが、このバンドは地上波アニメ番組『Angel Beats』の中に登場するロック・バンドだ。アニメの内容は「箱庭世界からの脱却」というテーゼが内包されたものなのだが、このアルバムも「脱却」や「希望」を根幹にしたメッセージ性があり、J-Pop的な初々しくも分かりやすいロック・ソングが多い。同時期に「けいおん!!」の楽曲が人気も博し、そちらはアニメらしい「楽天性」や「非現実性」を売りにしていたのが人気の理由なのだが、それとは真反対に近いテーゼを持ったGirls Dead Monsterのアルバムが同じように売れたのは、逆説的に「希望」や「脱却」といったものが求められているという答えじゃないだろうか。

 この邦楽から選んだ5枚のアルバムは、実のところ「現実との戦い」を下地にしたアルバムだと思う。USインディー勢であるディアハンターやザ・ドラムスやベスト・コーストなどは、自分にとって新しく感じて心地よく聴いていたが、彼らのおかげで自分が好きなのは「力強さ」や「希望」を見失わずに奏でてくれる音楽だと再認識させてくれた、そんな2010年だった。

(草野虹)
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韓奈侑

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THE NEW PORNOGRAPHERS『Together』*画像
SHE & HIM『Volume Two』
PREDAWN『手の中の鳥』
STARS『Five Ghosts』
BEST COAST『Best Coast』
DEERHUNTER『Halcyon  Digest』
ARIEL PINK'S HAUNTED GRAFFITI『Before Today』
SERENA MANEESH『No 2: Abyss in B Minor』
THE ALBUM LEAF『Chorus of Storytellers』
MARCHING BAND 『Pop Cycle』





 2010年における私の音楽生活は正直なところ充実とは程遠いもので、年の明けた現在でもMGMT『Congratulations』やザ・ナショナル『High Violet』等は未だ聴きたいのに聴けていない為、ランキングにも未練が残りますが、ひとまず、上記の様に緩やか/穏やかなものを好んで聴いていました。

 なかでもザ・ニュー・ポルノグラファーズ『Together』はお気に入りで、疲れた帰路で私を励ましてくれる「ご褒美」盤となっています。『Together』は、例えば大好きなファウンテインズ・オブ・ウェインの『Welcome Interstate Managers』の様にトップの3〜4曲が特にキラー・チューンで、自分がポップ・ソング好きという好み的にも魅かれることは必然の作品でした。シー・アンド・ヒム『Volume Two』は今後暫く飽きずに聴ける、またふと聴きたくなる作品だと思います。また、2010年に観ることのできたライブの数も実に少なかったのですが、唯一よく見に行けたのはプリドーン。どんなに憂いでいる日でも、凛とした彼女の生演奏には一瞬で心奪われてしまい、雑念が全て取り祓われるくらい、聴き入っていました。2011年も見に行く予定ですし、次のアルバムが待ち遠しいです。

 朝起きてから通勤までの間にはシー・アンド・ヒムやベスト・コースト等で、ちょっぴり気だるいナチュラル・ハイを気取りながら、お昼の小休止時にスターズやアリエル・ピンクズ・ホーンテッド・グラフィティを聴き、夕暮れ時にはザ・ニュー・ポルノグラファーズやセレナ・マニッシュ、晩ご飯と共にディアハンター、布団に入りながらプリドーンやザ・アルバム・リーフ、という毎日でした。勿論、そのなかにお気に入りの旧譜も挟みつつではありましたが、テレビのないマイ・ルームで日々を飽きずに過ごせたのは、これらの新譜のお陰です。

 また、パッション・ピットやエヴリシング・エヴリシング等のエレクトロ勢が流行した年だったようにも感じます。個人的にはインディー・ロックを流すDJイベントにもよく遊びに行ったので、これらのキラー・チューンにはすっかり虜でした。

 ちなみに、私の「Private Top News Of 2010」が「ぺイヴメント再結成」だったのですが、折角の再結成ライブには都合上止むを得ず行けなかったので、一生悔やみそうです...。どうか、2020年くらいに再結成&来日してくれませんでしょうか。

(韓奈侑)
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川原広 a.k.a. K腹

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UNDERWORLD『Barking』
THE CHARLATANS『Who We Touch』
DELPHIC『Acolyte』
MGMT『Congratulations』
VAMPIRE WEEKEND『Contra』
MY WAY MY LOVE『New Mars』
KING BROTHERS『The First Rays Of The New Rising Sun』
KIMONOS『Kimonos』
日本マドンナ『卒業制作』*画像
FAM × EVERYDAY NEW DARE『心弦』






 どうも暗くなりがちな世間にあって、振り返ってみると、ベテラン勢については、本当にフレッシュな気持ちで取り組んでいることが伝わってくるもの、新しい世代については、瑞々しい自分たちの力を見せつけるようなアルバムをよく聴いたと思う。

 ベテラン勢については、何といってもアンダーワールド。どうも一般の評価はイマイチだが、カール・ハイドが本当に楽しそうに歌っていた来日公演に見られたように、本当に彼らが楽しみながら作ったことがうかがえる。ベテラン日本勢では、My Way My Loveはこれぞオルタナ、と言いたくなる、"次"を目指したものを作ってくれた。そこに倦怠感は一切ない。ベース加入後初アルバムとなったKing Brothersの好調さも嬉しい発見であった。

 新世代としては日本マドンナに注目したい。勢いで作ったような印象がありながらも、しっかりと彼女たちの心が込められていると思う。今年、さらに羽ばたいてほしい。

 最後に、私の地元千葉からfam × Everyday New Dareのスプリット盤を。3曲ずつのシングルとも言え、ここでは対象外なのかもしれないが、ベースが両バンド掛け持ちしており、また、famのボーカルがEveryday New Dareの曲に参加していたりと、fam × Everyday New Dareとしての6曲入りミニアルバムとして、ここにあることをお許し願いたい。エモバンドであるfamが日本語で、そしてしっとりと歌を聴かせた新機軸、と思いきや、今春で解散を発表した。最後の光だったのか、苦悩の徴だったのか、いずれにせよ、2010年の印象に残った作品であった。

(川原広 a.k.a. K腹)
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加藤巧

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ANIKA『Anika』
CHARLOTTE GAINSBOURG『IRM』
DEMONTRÉ『Masculin / Féminin』
DER VENTILATOR「White」EP
DUM DUM GIRLS『I Will Be』
FACTORY FLOOR『Untitled』
RED DRAPES『Ep.1』
SALEM『King Night』
SERENA MANEESH『No 2: Abyss In B Minor』
THESE NEW PURITANS『Hidden』*画像






 少し申し訳無いような話なのですが、クッキーシーンにほぼ毎号書かせていただいていた10年くらい? の間よりも、最近は自分の中の音楽熱が高いような気がします。こういうの選ぶのも楽しいですし。なお、順番はアルファベット順です。

 今回選んでみた中で特筆すべきは、デモントレイ(Demontré)とヴェンティラトール(Der Ventilator)の録音とミックスを手がけたディスク・エラー主宰のジェームス(James Aparicio)のウォール・オブ・ノイズ・ギター音響構築のセンス、パッケージまで完全手作りのCDRなのに大物感のあるレッド・ドレイプスの80年代ネオ・サイケ的翳りの美意識だったり、セーラム(Salem)と、彼らに触発されたウィッチ・ハウス(Witch House)と呼ばれる人たち‥oOoOO、ホワイト・リングの登場とかでしょうか。
 
 ダブをベースにした音作りがヴィヴィアン・ゴールドマンなどポスト・パンク期を彷彿させるアニカ、60sポップ解釈の感覚がラモーンズ〜ジーザス・アンド・メリーチェイン直系と思えるダム・ダム・ガールズ。ファクトリー・フロアはリミックス盤も含めて孤高の存在感がありました。

 シャルロットとピューリタンズは本当によく聴いたし、何よりライヴが素晴らしかった。その2組以外にもホラーズ、The XXを観られてライヴは充実していました。ただ、どれも名古屋には来なかったのですが‥。あとはセレーナ・マニーシュが観たかった。映像で観るかぎり、60年代のストーンズとヴェルヴェッツを混ぜたみたいで、ロック・バンドとはこうあるべき、と思います。

 最後に、レーベル(Knew Noise)でもお店(File-Under)でも刺激的な音楽を紹介してくださっている山田さんと、バー(Absentee)を始めた新川くんのおいしいカレーにリスペクトを。

(加藤巧)
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掛川秀之

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MGMT『Congratulations』
THE NATIONAL『High Violet』
THE FALL『Your Future Our Clutter』
ARCADE FIRE『The Suburbs』
VAMPIRE WEEKEND『Contra』
WINTERSLEEP『New Inheritors』*画像
ORIGINAL SOUNDTRACK『Rubber』
SWANS『My Father Will Guide Me Up A Rope To The Sky』
BRANDON FLOWERS『Flamingo』
BEACH HOUSE『Teen Dream』
 





 明けましておめでとうございます。2010年は色々目まぐるしく動いた割には、最終的には残っているモノが少なかった年でした...。志半ばにして断念せざるを得なかった物事、インターネットの怖さ、匿名性故の心無い行為に悩まされたりもしたりして...。

 口を酸っぱくして警鐘を鳴らし続けた、YouTubeやマイスペの台頭が著しくて自分と時代のズレを感じることも多かったですね。両者共に非常に便利だけど、試聴を超えた使い方=見た・聴いただけでまるで手に入れたかのように錯覚してる人々が多くて...。

「僕:そうそう、アレえりゃー良かったよね?」
「彼:うん、スゲー良かったね!大好き。」
「僕:7〜8曲目の流れとかサイコーだった」
「彼:え?」
「僕:アルバムの」
「彼:あ、マイスペとYoutubeで聴いたんだよ。ブログに貼ってたから。めちゃ好き!」
「僕:ふうん...」

 こんなやり取りが多く発生中なのは音楽業界の危険要素...。試聴して良かったら買えよ! もっとアルバム聴けよ! ジャケットとか手にして、歌詞も書いてあったら読めよ! がんばって聴き取りしてアーティストからのメッセージを理解しようと努力しようよ...。これじゃ益々CD買う人は減るよなあ...。これが時代ってもんですか? でも僕はパッケージ・ソフトを買い続けるのです。最低10回は聴いて良し悪し(てか好き嫌い)を判断するという信念(スルメアルバムとか1回で聴いて判断出来るの? マイスペで分かるの?)も一笑に付されて否定されたりして。一般世間と自身の音楽観のズレを痛感して、そういったものが蔓延する音楽界自体に対して不信状態な時期もありましたね、実際。

 ですが、こうやって10枚を選んでみると、色々と収穫&嬉しい出会いがあったと実感できるから不思議ですね。やっぱり、好きな音楽にだけは心を開いていきたいものです。こんな小さな幸せを音楽から得ながら、少しずつ前進していきたいものです。Sometimes Soon She Said!
 
 MGMTは、デジタル・ポップからロック・バンドへと格段に進化を見せましたね。あの2008年サマーソニック、拙いバンド編成でのステージングの意味が分かった気がする。フリッドマン・マジックも凄かったけど、ソニック・ブーム・マジックもやはり凄し。若手が成長する一方で、苦節10年の齢40近くのオッサン集団が遂に大きく開花した! と言えばやはり、美しくドラマティックでダウナーで緻密なサウンド、切なくも温かくメロディと渋みを増した男っぽいヴォイスの具合が堪らなく愛しかったザ・ナショナル! こんな世知辛い世の中ですが、セールス的にも成功した様で嬉しい驚きでした! 結構USやUKはモノホンが受け入れられる良い方向に進んできた気がします。でも日本はやはりイマイチ(残念)。自分内にあるであろう「Little Faith」を糧にしながら生きていこうと再確認した重要作でしたね。更に長い長い30年以上のキャリア、通算28枚目のオリジナル・アルバムをぶちまけたのはザ・フォール。細かい事を気にして落ち込んだりした時、そんな事は意に介さずにひたすら俺道を突き進むマーク・Eの姿は、は素晴らしくヨレてヒネていながらも堪らなく前向きで、パーソナルな助けになりました。"関係ねぇだよ、俺は俺"的なスタンスが共感の嵐!『Bend Sinister』 〜『The Frenz Experiment』〜『I Am Kurious Oranj 』期の粗さとストイックなクールネスとニヒルな毒を吐き出しつつ、バンドの"イマ"を感じさせる奇跡のアルバムでした。本当にスゲーんだけど...絶対過少評価されてるって!

 説明不要のアーケイド・ファイアは、バンドを取り巻く状況が変わっても自然体なスタンスは変えずに、常に疑問符の皆無な100%共感の嵐的なサウンドを作り続けてます。彼らのアメリカでの躍進は、地味なれど独自の道を行く後輩(いや、先輩もかなり...)バンド達の道標となっていくのでしょう。彼らの支持率は変わりませんしね。ギャング・オブ・フォーあたりのポスト・パンクからの影響をはじめて表出した瞬間は感動モノでした! 同じくヴァンパイア・ウィークエンドも共感の嵐! 2010年のベスト・ライヴ・アクト(フジロックの方)はこの人たち! ライヴの楽しさをそのまま詰め込んだかのようなアルバムは前作とは比較にならないくらい良い! アフロとかトロピカリズムな部分が取り沙汰されますが、バンド・サウンドの根っこにある天然なロックでポップでパンクな部分が好き! 祝全米大ヒット!
 
 もっともっと注目して欲しいのが、カナダの5人組ウィンタースリープだ! だ! だ! 通算4作目なんだけど過小評価されすぎ。オルタナ世代の残響音? 1990年代アメリカン・オルタナティヴを彷彿とさせるダークでザラっとしたサウンドとヴォーカル(マイケル・スタイプやエド・コワルチック似!?)がダウン・トゥ・デイトなのか、不遇な扱いを受けているバンドですが、大傑作だった前作を超えるドラマチックな展開と深みを持った壮大なサウンドが痛切なまでに胸を打つ大傑作! USオルタナとUKニュー・ウェイヴの影響を咀嚼したオリジナルなネオ・ネオ・ポスト・パンク〜ネオ・オルタナティヴ・サウンドが素晴らしいのです。えらく感動しちゃったので。続いて最高の嬉しい驚き&拾いモノは、全盛期に比べるとかなり落ち着いた感のあるフレンチ・エレクトロからの痛恨の1撃が。タイヤが人を襲うという内容(らしい)のネオ・カルト映画『Rubber』のサウンドトラックは、ミスター・オワゾ&ジャスティスのギャスパールによるものですが、お約束&お邪魔になりそなジャスティス系サウンドは1曲に抑え、チープな鍵盤楽器と不穏なサンプリングによるクールでキッチュな音響作品集! 1970年代カルトっぽい雰囲気もイイですが、架空のサントラとしても機能する位に映像的な雰囲気を持った傑作でした。

 一方、実に14年ぶりにSwans Are Not Deadとばかりに雄々しく復活したNYアンダーグラウンド暗黒大魔王=スワンズが再降臨! 暗黒で重厚な世界観は活かしつつ、時折顔を出す咆哮の如きエモーションが深い。ジャーボーの不参加は残念至極! 彼女のコーラスがあったら...(それは言わないお約束?)。来日公演をすっぽかしまくるザ・キラーズのブランドンのソロは、あらゆるところで無視されていますが、バンドと同様のベクトルを感じる、バンドの活動がしたくても出来ない事情のジレンマと、溢れ出る彼の才能の受け皿として機能するであろう作品で、これ重要。オクラ入りにしないで、世に出た事を喜ぼうじゃないか! 未来はここにあるのだから。今度は本当に来日してね! んで、イマイチピンと来なかったドリーム・ポップって言葉がはじめて完結したのがビーチ・ハウス。繊細で幻想的、映像的で夢見心地な、正にドリミーィなサイデリック・ポップが味わい深し。快作ですね!
 
 次点は新鮮な驚きを与えてくれたクロコダイルズとベスト・コースト、フリッドマン・マジックと良曲が驚きの味わいだったブランドン・ボイドのソロ、貫禄のスプーン、開花間近? のレ・サヴィ・ファヴ、ウォーペイント、ソフト・パック、ヴァイオレンズあたりでした。長くなっちゃいましたかね?

(掛川秀之)

SS

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FLYING LOTUS『Cosmogramma』
DEERHUNTER『Halcyon Digest』
TERROR DANJAH『Undeniable』*画像
EMERALDS『Does It Look Like I'M Here』
WARPAINT『The fool』
MASSIVE ATTACK『Heligoland』
BLONDE REDHEAD『Sparkles』
FOUR TET『There Is Love In You』
やけのはら『This Night Is Still Young』
NEIL YOUNG『Le Noise』






 去年は年始は就活でバタバタしたり、年末は修論に追い込まれていたりと個人的に慌ただしい一年だった。しかし、音楽面では既に巷で言われているように大変充実した年であった。例年以上にCDに金をつぎ込んだが、貧乏学生という身の上、聞き逃したり手を出せなかった力作・傑作も数多い(スフィアン、ビーチ・ハウスごめん...)。しかしながら、一応自分がしっかり聞き込んだものから上記の10枚を選出した。

 ベスト1位は、既存の様々な音楽を切り貼りして自分だけの音楽を創作する、という今私達が取らなければならない方法ですばらしい作品を生み出したフライング・ロータスに送りたい。ジャズ、エレクトロニカ、ヒップホップ、トム・ヨークの声、卓球のボールが弾む音...等、様々な音という音をつなぎ合わせた異形のアルバムだ。2位であるディアハンターの新作はシューゲイズ的なギターサウンドは随分後退したが、そのおかげで彼らの持つポップ・センスの高さがくっきりと表れたと思う。「Helicopter」のまどろみつつ優しく包まれるような感覚が好きだったが、先日の4AD Nightで演奏された同曲はまるでヘリコプターのローターが突っ込んでくるような鬼気迫る凄味を帯びていて心底圧倒されてしまった。今後が本当に楽しみなバンドである。

 テラー・デンジャは自分に改めてグライムとダブ・ステップの面白さを教えてくれた。挑発的なサウンドが多いが、その中にメランコリックな10曲目があったりと聞いていてもなかなか飽きない構成になっている。ウォーペイントは耽美的で漆黒なバンドサウンドの中、ヴォーカルの高く透き通った声が響くのがとても希望を感じさせてくれる。今一番ライブが見たいバンドだ。

 ブロンド・レッドヘッドをきちんと聞き始めたのは実は本作からであるが、その深淵な雰囲気からジ・エックスエックスを想像させられた。ウォーペイントを聞いた今だと、その両バンドの中間に位置する音を出していると思う。こちらも4AD Nightで見たが、CDよりもライブ映えするように手を加えられており、ステージの照明やヴォーカルの妖艶さもあってか演劇を見ているかのような心地であった。

 そのほかニール・ヤングやマッシヴ・アタックも力作を出してくれたし、やけのはらのデビュー・アルバムは、あの暑苦しい夏を快適に乗り切る大きな手助けになった。今年もディアフーフ、アクロン・ファミリー、ジェイムス・ブレイクの新作となかなか好調な出だしを切っているので、リスナーとして充実な1年になることを期待したい。

(SS)

@uskuskuskusk

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JONSI『Go』
MICE PARADE『What It Means to Be Left-Handed』
THE INNOCENCE MISSION『My Room In The Trees』
FREELANCE WHALES『Weathervanes』*画像
JANELLE MONAE『The ArchAndroid』
WARPAINT『The Fool』
LOCAL NATIVES『Gorilla Manor』
ADMIRAL FALLOW『Boots Met My Face』
ALLO DARLIN'『Allo Darlin'』
オウガ・ユー・アスホール「浮かれている人」EP






 2010年は、フリーDLはフルストリーミング試聴がぐっと増えたこともあって、例年より、かなり多くのアルバムを聴いた気がする。

 その中でも、ティーンエイジ・ファンクラブ、ジャミロクワイ、ベン・フォールズ&ニック・ホーンズビィ、ジョン・レジェンド&ザ・ルーツ、ジョン・バトラー・トリオ、スティング、ジェフ・ベック、キャスリン・ウィリアムズ、ケミカル・ブラザーズ、ベル・アンド・セバスチャン、アーケイド・ファイヤーなどの、中堅・ベテラン勢がたくさんの充実作を聴かせてくれた。聴いた量が例年に比べ多かったからか、個人的には、豊作の年となった。

 で、今回は、そのたくさんの収穫の中から、是非、クッキーシーンを読んでいる方々にだけは、どうしてももれなくチェックしていただきたい新人を中心に10枚をチョイス。

 騒がれてるものから、全く騒がれてないものまで、これから騒がれるのかもしれないものも含め、ちゃんと聴いて、良いものだけ選びました。

 個人的趣向の中心にある寒い土地系/ほっこり系を中心に、節操のないチョイスをしましたので、是非、マイスペなどで聴いてみてください。

 みんなの共通話題になるような大ヒットが生まれにくくなった分、なんでもすぐに試聴ができるようになった分、掘り返したものをみんなで共有することの楽しみが膨らんだ気がしています。

(@uskuskuskusk)
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「artワンマンはパンクバンドばりに曲数が多い」。開演前にギターの戸高はTwitterにて、こうツイートしていた。確かに、そうだ。ART-SCHOOLのワンマンでは、20曲を超えることはほとんどで、時には30曲以上演奏することすらある。しかも、この時は10周年記念ライヴのセミ・ファイナルであり、フロントマンの木下のホームタウンでもある大阪公演だ。下記にセットリストを掲載したが、結果的には新旧織り交ぜた27曲がプレイされる長丁場となった。しかし、最終曲「ロリータキルズミー」まで確かな熱量を伴ったライヴだった。

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 新年1週目の週末の外気はとても寒い。梅田シャングリラ前の歩道を、何人ものファンがART-SCHOOLの一つの節目となるであろうツアーのファイナル・イヴを見届けようと長い列を形作っていた。

 開演時間の19時ちょうどくらいに、客席が暗転し、彼らのお決まりのSEが流れ出す。エイフェックス・ツイン「Girl/Boy Song」だ。メンバー4人がステージに現れると歓声があがる。が、いつもは曲の中程で止まるSEがほぼ全て流される。少し遅れて演奏された幕開けを飾る曲は、意外にも、新譜『Anesthesia』のタイトルトラックだ。鈴木の淡々した機械的なドラムから始まり、サビで一気に加速する。オープニング早々、戸高の鋭利なギターが心地良いが、本人は至って自然体でプレイしているようだ。MCを挟まずに「水の中のナイフ」「アイリス」と第1期の曲が続き、新譜からの「Siva」がプレイされる。しかし、どうやら、この時点では木下のボーカルがどこか不安定だ。この曲が終わった後に、MCからその真相が明かされる。「レッドブルを飲み過ぎて正直、気持ち悪いんですよ」と戸高が言うと、「俺さっき3杯飲んじゃったからね...」と木下。レッドブルの効用が仇に出たのか、少しスロースターター気味になってしまっていたようだ。

「久し振りに演る曲です」との戸高の言葉と共にプレイされたのは、「ガラスの墓標」。続けて「Diva」「サッドマシーン」がプレイされると、木下の声も温まり出し、どんどん勢いを増す。それに呼応するように、「Black Sunshine」「Outsider」などでは、前列のオーディエンスたちも腕を振り上げる。
 木下が「新年早々、こんな暗いバンド観に来ちゃっていいんですか...本当、暗い新年になっちゃいますよ...」と皮肉交じりのMCを炸裂すると会場も和やかに。相変わらず、10周年でもこういうところは変わらないバンドである。また、「ここ大阪は、あんまりイメージ無いと思うけど俺の地元で、住んでいた高校生の時までは一刻も早く抜け出したかった。鬱屈した生活を送っていて、東京に出て来れてせいせいしたけど、最近は丸くなってきて...。悪いところばっかでもないかなって...」とホームタウン公演特有の心境が吐露される。個人的な話で恐縮だが、僕も木下氏と同じく、大阪生まれの人間で、大阪や生まれ育った京都が苦手で、出て行きたい節が常にあったので、特に共感してしまった。「そんな過去の自分を想いつつ、ここからは憂鬱な曲が4曲続きますが...楽しんでください...」という言葉の後に演奏されたのは「僕が君だったら」「Lost Again」「into the void」「Loved」。特に「Loved」は、その静端な曲調が相まって、この日の陰のクライマックスと呼べるような雰囲気を醸し出していた。

 陰鬱メドレーの後に「爆笑MC何かしてよ」とふられても、リアクションに困る宇野を横目に「めっちゃおもんないやん!このシューゲイザー野郎!」と、宇野の着ている(シューゲイザーの文字と靴がプリントされた)オフィシャル・グッズをネタにしながら、地元だけあって関西弁を披露する場面も。本編クライマックスでは「ecole」でディアーハンター譲りといったようなニューゲイザー勢を彷彿させる甘美な轟音に酔ったと思いきや、「スカーレット」での鋭利なギターに切り裂かれ、「Under My Skin」の衝動が襲った。特に「あと10秒で」は、ラスト定番の曲ではあるが、今まで以上に確かな熱量に覆われており、この日の陽のクライマックスと呼べるような雰囲気を醸し出していた。

「Fade To Black」を終え、ステージを去ったメンバーをアンコールの拍手が追う。数分おいて、再び現れたメンバーは、戸高がビーズの物まねをしたり、それに対抗した木下が、適当にフジファブリック「バームクーヘン」を歌ったりと本編では出さなかった茶目っ気を披露したかと思うと、木下が忽然に「この会場で今、睡眠薬を持っている人はいないかな」とオーディエンスに問いかけ、所持しているファンを挙手させる。「眠れなくて...こういった部分も今年は全面に押し出そうと思ってて。。医者に予約した時が一番心が休まるんですよね...」と赤裸裸に吐露し、戸高も「『錠剤をくれよ』って歌詞あるもんね」と間の手を入れる。僕もマイスリーという入眠剤などを携帯していたが、ハルシオン(ディアーハンターの新譜、『ハルシオン・ダイジェスト』をもちろん想起するだろう)などを所持するファンに焦点が向いた。一連のMCの後にプレイされたのは、第1期からの選曲では珍しい「I hate myself」。かの流れの後だけあって、なんて皮肉なんだろう。「車輪の下」でメンバーがステージを後にしても、まだアンコールを求める声は止まない。

 ダブルアンコールにして最後の1曲として演奏されたのは、「ロリータキルズミー」。たどたどしいイントロで始まりはしたものの、この日一番の喚起と熱をもって演奏された。

 10周年を迎えたART-SCHOOL。彼らは自他ともに認めるライヴ・バンドであるが、この熱の収まるところはまだ訪れはしないだろう。


セットリスト

1. Anesthesia
2. 水の中のナイフ
3. アイリス
4. Siva
5. ガラスの墓標
6. Diva
7. サッドマシーン
8. Black Sunshine
9. Outsider
10. ウィノナライダーアンドロイド
11. イディオット
12. 欲望の翼
13. 羽根
14. Butterfly Kiss
15. 僕が君だったら
16. Lost Again
17. into the void
18. Loved
19. ecole
20. スカーレット
21. あと10秒で
22. Under My Skin
23. Fade To Black

Encore.1
1. I hate myself
2. Boy Meets Girl
3. 車輪の下

Encore.2
1. ロリータキルズミー

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《悲しみよ、此処に集まれ
/君だけに罪はないみたい
/踊るしかないや、夜明けまで》

(「ラストダンスは悲しみを乗せて」より)

 10年代に入ってからの彼らは「地上」と「地下」、「電子上」と「現実」を行き来するオルタナティヴな実験と大胆な提案を同時に進めた。先ずは、メジャー・レーベルに属している関係上、制約もされるだろう中でのボーカルとギター担当の後藤氏の積極的なツイッターの利用。それによって、すぐに神話的な要素を孕んでしまうアーティストという偶像性から「個」へ降りてゆき、内面や日々の他愛ない感情を吐露する所作は例えば、長尺の自らの来し方を話すインタビューなどで解析される自意識の尖りの先に別に音楽がそのままで設定されている訳ではない、という一部の潮流に対して明確なカウンターを示した。また、USTREAMを使ってツアーの一公演をリアルタイムで提供するという試みも有機的に働いたのも記憶に新しいところだろう。

 思えば、今年の新作『マジックディスク』というアルバムは、これまでのパワーポップを主体に置いた形式から、多様性に富んだ内容になっていた。独特のラップ的なラインが印象的な「新世紀のラブソング」、ホーンを入れたユーフォリックな高揚感がある「迷子犬と雨のビート」、ポスト・パンク的な意匠を持ったダンス・チューン「ラストダンスは悲しみを乗せて」、独白的な歌詞の意味が深く刺さる「さよならロストジェネレイション」など新機軸に軽快に歩みを進めた要素が増え、新しいアジアン・カンフー・ジェネレーション像の輻射を企図した。そこにはこれまでの作品群に必然的に孕んだ「みんなのため」に「絶望的な何か」を見つめる姿勢や「悲しみを背負う」というスタンスよりは、「自分はこう思っているけど、みんなはどう?」という投げ掛けのスタイルへの変化があったように思えた。集合的無意識が彼らを定義した窓枠から外れて、主客転倒を試みるように、逆説的にアーティスト側がファンやオーディエンスの個の一人ひとりに向き合ったと言えるのかもしれない。だから、それぞれのマジックディスクを募集したり、と、兎に角、「個」が持つ感情や想いのフックアップにも意識的であった。

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 彼らはメジャー・バンドとして大きいフェスを主催してしまうレベルでもあり、ホール・サイズでもフルハウスにしてしまうファンの信望も厚いバンドだが、今年は、敢えて意図的に「帝国概念の解剖」を試みようとしていたのはでないか、と個人的に思ってしまう。「帝国」を、恒常システムのパターンに含めて再定義し、分析概念として脱イデオロギー化を図ろうとする所作と換言できるだろうか。また、「例外としての帝国」から「常態としての帝国」へのパラダイム・シフトの背後にあるのは、世界の脱相対主義化である。相対主義は、他者への干渉を抑制する自己懐疑の規範であるが、「自由」などの価値の普遍性が疑われ得ない世界では、その機能は低下してしまうことになる。そこで、「帝国」の必然性が浮上する。だがしかし、その帝国について考えるための概念の嶮しさは必然ではない。では、アメリカ同時多発テロの際、当時のアメリカ大統領ジョージ・ブッシュが「新しい戦争」と言ったようなコンテクストで、非対称的な戦時下で音楽は何に向き合うべきなのか、を考えなければならないとしたならば、今、ライヴで繰り返し演奏される「新世紀のラブソング」はもはやポスト・セカイ、帝国概念の解剖の射程を睨んでいるとも言える部分はある。

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 今回のTour 2010-2011「VIBRATION OF THE MUSIC」の中でも小さいサイズに入るのだろうか、キャパ400人規模の酒蔵を改造した京都の老舗のライヴハウス磔磔(たくたく)で、彼らはまだ出たてのインディーバンドのような瑞瑞しさで愉しそうに演奏していた。実際、後藤氏(ライヴ後、"磔磔、最高だな。"とツイートしていた。)含め他のメンバーも楽しそうな表情が現場で見て取れた。フジファブリックの金澤氏もサポート・キーボードとして入っての5人体制でのライヴだったが、音響のバランスも良い訳ではない分、それが音自体のロウ(生)でラフな質感をダイレクトに示していて、曲の骨組みだけが鮮明に見える中で、既存の曲でも新発見があるものも少なくなかった。『マジックディスク』からの曲を主にしながらも、「Re:Re:」から「リライト」へ繋ぎ、「君という花」のイントロに雪崩れる磐石な後半パートもあり、終始、高い熱量が保持されていた。要所に挟まれたMCでもフレンドリーに皆に話しかけるように、自分のサラリーマン時代を振り返り、バンドと平行してやっていた時期に、直行でスタジオ練習しに行っていたこと、京都の三十三間堂には驚いたこと、仏像や土偶の話など、徒然に喋っていて、ここ(ステージ)とそこ(フロアー)の差もないかのような穏やかな空気があってまた良かった。

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 ライヴという場所は「生モノ」として部分もあるが、グレン・グールド独自の用語に「ノン・テイク・ツーネス(Non-Take-Twoness)」というものがあり、それを援用することもできる。「ノン・テイク・ツーネス」とはその字面通り、コンサートという場では演奏を「やり直す」こと、即ちテイク2を行うことができないことを表す言葉で、コンサートにおける演奏の一回性とほぼ同義であると考えてもいいかもしれない。しかし、この用語には一回性という用語よりも、「より否定的な意味合い」が込められている。より良い演奏を目指すためには幾つものテイクを重ねるということが不可欠であると考えていたグールドは、「テイク・ツーネス」をステージでも求めようとしていた。ライヴでふと表出する「通常の解釈」や「レコード録音されたもの」からは大きく外れているようなアレンジや一聴では間違いかも、と取られ易いインプロヴィゼーション。ここでの「誤解」を巡っての細かい機微はグールドとジョン・マックルーアとの対話『コンサート・ドロップアウト』に見ることができる。

 彼らの場合はロック・バンドだからという矜持もあるのだろう、「一回性」の音楽として「ノン・テイク・ツーネス」を恐れない。だから、ステージ上で臨機応変にアレンジを加え、自由に曲を繋ぐようにその瞬間の熱を大事にするという様は非常に刺激的だった。その様をアドルノがシェーンベルグに寄せた言葉を嚥下した上で定義してみるならば、同時進行の多重性に対する最も鋭い注意、次に何が来るかいつも既に分かっている聴き方という凡庸な補助物の断念、一回的な、特殊なものを捉える張り詰めた知覚、そして時折、ごく僅かの間に入れ替わる様々な「性格」と二度と繰り返されないそれらの「歴史」を正確に掴む能力などを、それ(ステージ)は要求していた、と言えた箇所があったのは紛うことない。

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 今回、まだ僕自身が彼らに根深く持っていた「断層」が少し埋まったように思うことができた一夜になった。その「断層」とは説明するに、ニーチェのルサンチマンという概念の「周縁」を廻っていたものだった。社会的弱者が抱く恨みや劣等感のような屈折した感情が社会への攻撃に向かうときに、運動や宗教という形ではなく、「人生に意味はない」というニヒリズムに行き着きがちな瀬に彼らの「弱者たちのための歌」の数々が僕にはどうにも面映かったのだ。しかし、《何もないです、それならそうで、拗ねていないで、この檻を出よう》(「さよならロストジェネレイション」)と歌う彼らはやはり、生真面目過ぎるロック・バンドであり、それ以上でも以下でもなかった。それが何故か個人的に、嬉しく思えた。

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 とにかく圧巻だった。まず驚いたのがメンバーの衣装。シガー・ロスでは見られない派手な格好は非常に目を惹き、スクリーンの映像にない赤を基調とした民族衣装に近いものをまとい、それをヨンシー以外にもパートナーのアレックスを含む全員が着ているという大変おしゃれなステージ。そして何よりもドラム。アルバム内の「ゴー・ドー」のドラムよりもっと激しいドラミングが終始観客をとらえ、ライヴならではの魅力を大いにみせてくれた。ステージでヨンシーとアレックスが絡むことはなく、ヨンシーはとにかくヴォーカリストに徹し、他のメンバーは全員がジョニー・グリーンウッドかのようにたくさんの機材を操り、特にドラマーが弓で木琴を弾くところは印象的。次にこのアーティストの最大の魅力、それがスクリーンによる演出。衣装と相反するダーク・トーンを基調とし、花や生物などを多く取り入れた夢のような世界を、最初から最後まで多く長くみせてくれたのだ。彼らの衣装もいっそう映えつつ、どちらも消さず強調される美しさ。そこに彼らの骨頂を感じる。ヨンシーはソロ・プロジェクトにおいて"アーティスト"であることを前面に出したかったのではないだろうか。シガー・ロスにおいてヨンシーはギター&ヴォーカルのフロントマンだけであって、彼個人のアーティスト性が見えるわけではない。楽曲、演出、背景、衣装、そのパフォーマンス全てにおいて完璧にアーティストである彼個人を、見せたかったのではないだろうか。そんな気がした至福の時間だった。

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 日本にハロウィンがやってきた。オレンジ色に染められたフレーミング・リップスのステージは、なんとスクリーンの女性器から出てくるという変態なパフォーマンスを見せ、更に彼ら特有の大量の紙吹雪と巨大バルーンの数々で、最初から最後まで大いに盛り上げてくれた。ステージにはメンバー4人のほか黒子ならず全身オレンジ子のスタッフが通り、一般から選ばれた全身オレンジ色のコスチュームを着たフレーミング・リップス・ダンサーズ(筆者含む...)が踊り、時にVo. のウェイン・コリンはメガフォンを使い、シンバルを叩き、ドラを鳴らし、飛び跳ねていた。G. のスティーヴン・ドローズも可愛い日本語でオーディエンスを沸かせた。

 前半の曲は日によって変わり、「ヨシミ・バトルズ・ザ・ピンク・ロボッツ」や「イェー・イェー・イェー・ソング」などを披露。終盤ではライヴのハイライトとなる「レース・フォー・ザ・プライズ」をプレイ。「ヨシミ...」同様、ウェインがマイクをオフにして歌ったことによるオーディエンスの合唱が印象的だった。そして最後には「ドゥ・ユー・リアライズ?」。こちらも英語圏でないにも関わらずオーディエンスに歌わせたウェイン。実力派の彼らの大成功のライヴだったと言えよう。

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 この3日間のショウはフレーミング・リップスとのカップリング・ツアーで、前座のような形での出演となった。その為か、最終日はアンコールなしでの「コンフォーティング・サウンズ」での締めといういつもと少し違った演出ぶり。大阪では4thアルバムの曲を本編に持って来ずアンコールに2曲「スペシャル」~「ズーキーパーズ・ボーイ」と続けて披露したが、ベスト盤を意識してか若干バランスが良くなかったように思え、物足りなさを感じざるを得ない。東京では初日、いつものファンの為に過去一度もなかった「コンフォーティング・サウンズ」も「ルイーズ・ルイーザ」もやらないというイレギュラーなパフォーマンスで大いにオーディエンスを沸かせた。最終日にはお決まりのスタイルで、東京両日ともにプレイした4thアルバムからの曲を本編に持ってきて、エンディング曲を定番にすることで初めてのオーディエンスにも満足できる内容に仕上げていた。一番良かったのは個人的に17日。最終日に新曲を最後の曲の直前に持ってきたのに対し、自然に馴染むよう初めのほうに持ってきたことで全体の雰囲気やテンションも上がって途絶えることなく全編を披露してくれたことが嬉しい。ただ欲を言えばもう少し映像があっても良かったのではないか、前回より映像を減らしすぎたのではないかという点ぐらいだろうか。だが2月のツアーとは違いフレーミング・リップスを観に来たオーディエンスが多かった中、ミューという存在をきっちりと見せてくれていたと思う。

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あけましておめでとうございます。ついに2011年が始まりました! 2010年は、音楽業界だけを見渡しても「新世紀最初の10年」にふさわしい、激動の一年でした。

暗いニュースも多かったですが、CD不況といわれつつポジティヴな気持ちにさせられるトピックにも恵まれていたように思います(クッキーシーンのウェブ移行やムックの発売もそのなかに入りますかね?:笑)。

新しい年のスタートに向けて、そんな2010年を総括(笑)すべく、「2010年のあなたのプライヴェート・ライフを最も彩ってくれた10枚のアルバム」を募集します!

既に各メディアでも年間ベストが発表されていますが、読者のみなさんの"お気に入り"をぜひ私たちに教えてください!

音楽ファンなら誰もが悩みつつワクワクしてしまうこの作業、熱い投稿をお待ちしておりますー!

《募集要項》

1)投稿はサイトのトップページ左上[FEEDBACK]欄からお願いします。

2)送信欄の[タイトル]には「Private Top 10s of 2010」と入れていただけると助かります。

3)【アーティスト名『アルバム名』】の表記で、お手数ですが、2010年にリリースされた新譜(再発盤はのぞく)から、必ず10枚選んで記入してください。

10枚挙げていただいたリストのうち、「画像を掲載したいアルバム」1点の横に、*(米印)をつけておいてください。こちらのほうで画像を探して掲載させていただきます(もし*が抜けてしまっていた場合は、恐縮ですがリスト一番上の作品の画像を掲載させていただきます)。

4)英語表記の場合、アーティスト名はすべて大文字、アルバム名はそれぞれの単語の頭の文字だけを大文字、いずれも半角でお願いします。

<例> KANYE WEST『My Beautiful Dark Twisted Fantasy』

5)もちろん邦楽でも大丈夫です! その場合、アーティスト名は英語表記、日本語表記、どちらでもかまいません(より一般的と思われるほうにしていただけると、ありがたいです。また、日本人アーティストにありがちな「英語の大文字小文字指定」に関しては、編集の都合上無視してください。あくまで「アーティスト名はすべて大文字、アルバム名はそれぞれの単語の頭の文字だけを大文字に」ということで!)。

6)アルバムおよびミニ・アルバム(EP)のみを対象とします。シングルやPV、ライヴやイヴェントなど、さらに音楽以外のもの(映画やDVD、本や雑誌など)は対象となりませんので、ご注意ください。

7)さらに、その10枚のリストに対するコメントをお願いします。コメントの内容はどんなものでもかまいませんが、掲載される形式としては「10枚全部で、ひとまとまりの文章」となります(「10枚のアルバムそれぞれに対するコメントでが箇条書き的に掲載される」わけではありません。「10枚のリスト」と「コメント」がどんな感じで掲載されるのか? という件に関しては、前企画【Private Top 10s of Last Decade: 2000-2009】のそれぞれの記事をご参照ください!)。文字数は自由です(といっても、長すぎても書くのも読むのも大変なので、400文字以上、2000〜3000字くらいまででお願いできれば幸いです)。

8)お名前は本名でもニックネーム/ペンネームでも大丈夫です。ツイッターやブログなどウェブ・ページへのリンクを貼らせていただくこともできます。編集部サイドとしては、そのリンクは「できれば貼りたい」と思っています。

そして、前回の企画【Private Top 10s of Last Decade: 2000-2009】と少し掲載方式が変わり、投稿者のみなさんのツイッターの最新投稿がガツンと表示されるような形になります(【Private Top 10s of Last Decade: 2000-2009】の掲載方式も、今回の【Private Top 10s of 2010】が掲載されるのと同時に変更する予定です)。それゆえ、できればツイッターのアカウントをお持ちであれば、是非とも原稿と同時にお送りください!

9)また、クッキーシーンweb上では表記の統一を図っておりますので、コメントを書かれる前に、こちらのページをご参照ください(もちろん、堅苦しく考えていただかなくて大丈夫です!)。

10)〆切は2月7日(月)、掲載は1月末近くから随時おこなっていく予定です。

なお、ご投稿いただいた方の中から抽選で(ちょっと古いもので申し訳ありませんが)2008年6月、11月、2009年1月におこなわれたクッキーシーンのイベント、クッキーシーン・ナイトのご来場プレゼントとして配布した伊藤英嗣選曲のミックスCD-R3種類の中から1点を、5名様にお送りします。

〆切後、厳正な抽選のうえ、3種類のうちどれか1点をお送りします。当選された方には、2月10日までにメールをお送りしますので、おりかえし住所を教えてください(過去クッキーシーン・ナイトにご来場された方で「これは持ってるので、これ以外のものがいい!」というご指定があれば、その際におうかがいします)。

というわけで、どしどしご投稿をお待ちしております!

2011年1月4日19時00分(TO)

*第3項および第7項の説明を追加/修正しました。【1月8日(土)追記】

*みなさま、すでにたくさんのご応募、ありがとうございます! ただ、編集長伊藤の体調不良(気管支炎)のため、アップ作業が少し遅れてしまいそうです...。最初のアップがおこなわれてから、すぐ〆切になってしまいそうなため(それは本意ではないため)、〆切を1週間のばして2月7日(月)としました。【1月18日(火)追記】

*結局ドタバタしているうち「最初のアップがおこなわれてから、すぐ〆切」になってしまいそうです(「最初のアップ」は2月4日くらいで、〆切が7日...)。すみません(汗)!【2月2日(水)追記】

*最初にアップが2月4日(今日)くらい...というのは無理かも...。本当に、すみません!【2月4日(金)追記】

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hercules&love_affair.jpg 「ダンシング・ゾーン・コンセプト」
 
 これは、ヘラクレス・アンド・ラヴ・アフェアの中心人物であるアンディ・バトラーが唱えたものだ。以降の引用は、彼等彼女達がガーディアンの取材に応じた際に発言したもの。最初にこのコンセプトの一端を語るのは、メンバーのひとりであるキム・アン。

「私達の政治的企みは、否応なしに踊らせること」
 
 そしてこれは、アンディ・バトラーの発言。

「僕は人々の踊ることができる公共の場を作りたい。人々がいる場所で踊ることが重要なんだ」
 
 これは妄想でもなんでもなく、ヘラクレス・アンド・ラヴ・アフェアは本気で全人類を踊らせることを目指している。
 
 前作『Hercules & Love Affair』は各方面で絶賛された(特にピッチフォークの興奮度は半端なかったと記憶している)。アントニー・ヘガティが言うところの「世界最高のクラブには、最高のセックスとドラッグがあった」ということだ。『Hercules & Love Affair』にもこのふたつがあったし、だからこそ玄人ハウス・リスナーからも評価されたんだと思う。発売されているクッキーシーンのムックでも書いたけど、『Hercules & Love Affair』にはディスコの歴史が詰まっている。具体的に言えば80年代の、「パラダイス・ガラージ」や「セイント」がもっとも隆盛だった時代だ。もちろんヘラクレス・アンド・ラヴ・アフェアは「今」の存在だから、単なるノスタルジーでディスコを鳴らしたわけじゃない。でなければ、ディスコであれだけの強度を持った政治性と音楽性をできるはずもない。ディスコというのはハッピーな煌びやかさ(というイメージ)とは裏腹に、歴史的にはナイーヴなものを内在していて傷つきやすいものだ。ヘラクレス・アンド・ラヴ・アフェアの凄いところは、美しいが脆さと儚さもあるディスコという音楽で、あれだけの政治的強度を持った音を鳴らすという矛盾によって評価されたところ。そして、そうした矛盾を孕んだまま評価されたことが、ヘラクレス・アンド・ラヴ・アフェアを「今」という存在にしている大きな要因のひとつであるのは間違いない。

『Blue Songs』では、前作の作風に90年代前半のNYハウスシーンを混ぜた曲が多い。特に「Falling」以降は「It's Alright」以外ジュニア・ヴァスケスのようなハード・ハウスの要素が見え隠れする(少なくとも「Get Your Hands Off My Man」が聴きたくなるくらいには)。ストリングスがハイなグルーヴを生み出す「Painted Eyes」や、前作に入っていてもおかしくない「My House」「Answers Come in Dreams」「Leonora」にはアクが強い卑猥な部分も残っているが、KLF『Chill Out』を思わせる「Blue Songs」などに代表されるように、いままで以上にダンス・ミュージックのアーカイヴを掘り下げつつも、新たな音楽性を開拓しようと果敢に挑戦しているし、ヘラクレス・アンド・ラヴ・アフェア流アコースティック・ソングな「Boy Blue」もあり、ムードに統一感がないぶんバラエティ豊かな内容となっている。一番印象的なのは、すごく流れを意識した曲順になっていることだ。「Painted Eyes」「My House」「Answers Come in Dreams」「Leonora」は前作の延長線上にあり、「Boy Blue」「Blue Songs」がブリッジになって、「Falling」以降でまたアゲる。そして最後は、ロマンティックに「It's Alright」で『Blue Songs』は幕を閉じる。それはまるで、クラブでの一夜を再現しているようだ。おそらく、エロティシズムの次は、非日常の馬鹿騒ぎを取り戻すということなのだろう。

 ゼロ年代に入ると、ダンス・ミュージックは生活のBGMとして機能させることを目指し始める。つまり、日常に寄り添ったものが求められていた。ダフトパンクを筆頭に、アンダーワールドやケミカルブラザーズはポップ・ソングとしての強度を持たせることで。レモンジェリーやロイクソップなどの所謂「ラウンジ」と呼ばれていたものは、アンビエントの思想を参照にしてダンス・ミュージックを鳴らしていた。それぞれ方法論は異なるが、日常にダンス・ミュージックを根付かせようという共通点の元にシーンは動いていた。だがもちろん、ダンス・ミュージックに非日常を求める人が居なくなったわけではない。こうした人々は(アーティストやリスナー全部含めて)、アンダーグラウンドに潜伏していった(蛇足だが、モービー『Hotel』は当時のダンス・ミュージック・シーンの状況を知るサンプルのひとつとしては面白いアルバムだ)。そこでの熱狂が表立って出てきたのが、ニュー・ディスコでありダブステップなんだと思う。

『Hercules & Love Affair』が革命前夜に鳴らされた秘密の乱交パーティーだとしたら、『Blue Songs』とはヘラクレス・アンド・ラヴ・アフェアにとっての始まりである。前述したアクが強い卑猥な部分が薄まった代わりに、より幅広くリスナーを獲得しようとする冒険心が窺える。アンダーグラウンドのエッジを保ったまま広い場所へ出て行くということを、音楽が「趣味」へと向かっている時代にやろうとしているのだ。そう、初期のニュー・オーダーがそうであったように。ヘラクレス・アンド・ラヴ・アフェアは、アンダーグラウンドの熱狂を携えながら、政治的な主張と思想でもって大衆を踊らせようとする確信犯であり、ただの愉快犯ではないことを力強く証明しているのが『Blue Songs』というアルバムだ。
 
 ちなみに、「It's Alright」はスターリング・ヴォイドというアーティストが生み出したハウス・クラシックで、ペット・ショップ ・ボーイズがカヴァーしたことでも知られている。そして、この曲の歌詞にはこんな一節がある。

《Cause The Music Plays Forever》

 こうした一節を持つ曲をカヴァーするところに、ヘラクレス・アンド・ラヴ・アフェアの明確な志の高さが垣間見れる。

(近藤真弥)

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gruff_rhys.jpg 例えば、レディオヘッドは「移動」に伴って喪われてしまう感情や"人間的な、外枠"を「Let Down」という曲で表象したが、アーティストが全世界を対象にしたツアーや取材で疲弊して摩耗してしまうケースは少なくない。また、それがローリング・ストーンズやレッド・ツェッペリンなどの場合だと行く先々のホテルでの乱痴気騒ぎが「ロック・バンドの神話」として増幅してしまうことになったりしたものだが、ウェールズが誇るオルタナティヴ・バンドのスーパー・ファーリー・アニマルズ(以下SFA)のフロントマンであるグリフ・リーズは疲弊にも乱痴気騒ぎにも振れず、15年以上に渡るツアー生活が「日常」と化した中で、訪れる場所でのホテルのアメニティ・グッズ(主に、シャンプーの小瓶)を収集することを楽しみにし、そのコレクションされたグッズと記憶をモティーフにして、ソロ・アルバムを作ることになったという経緯が興味深い。

 彼によると、ツアーを続けられることは"ラッキー"であると言っているから、元来のノマド体質なのだろうし、その体質がいつも音楽面でも良い波及効果を齎せているのは周知のことと思う。母体であるSFAにおけるサイケデリア、アシッド・フォーク、ソフト・ロック、トロピカリア時期のサウンド、カンタベリー・サウンド、バート・バカラックの手掛けた60年代の大文字のアメリカン・ポップスまでを渡り歩くスマートさと、常に「確信的なステイトメント」を作品の中に潜ませてきたそのセンスはこれまでも高い評価を得てきた。近年では、ブーム・ビップと組んだサイド・プロジェクトであるネオン・ネオンでのシンセ・ポップへのアプローチ、ゴリラズ『プラスティック・ビーチ』の客演でも存在感を示すなど多岐に渡った活動も目立っていたが、四年振りとなるソロ・ワーク三作目『Hotel Shampoo』では、彼の持つ音楽的な語彙の多さが如何なく発揮された懐の深いカラフルな作品になっている。ときに、サイケデリックに傾ぎ過ぎてしまうSFAでの"角"を矯め、トン・ゼーやフランク・ザッパが持っていたようなフットワークの軽さと絶妙なバランス感覚を活かしながら、肩の力の抜けたカジュアルな雰囲気が、心地良い。個人的には、SFA名義でのウェールズ語で作られた00年の『Mwng』辺りの柔らかな温度の人懐っこさを彷彿させるところもあり、過度にシリアスな表現や現実逃避としての音楽がシーンに溢れる中、マジカルな音楽そのものの底力を再定義するようなものになっているのが嬉しい。
 
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 ソロとしての前作『Candylion』の、リラックスした箱庭ポップも良かったが、今作はより拓かれた形でコンセプチュアルに焦点が絞られた構成になっており、FLOOR1(1~7曲目)、FLOOR2(8~13曲目)と分かれているように、"シャンプー・ホテル"のための架空のラウンジ・ミュージック的な側面がある。

 カモメの鳴き声とチューニングを合わせるラジオからザ・サークルの名曲「It Doesn't Matter Anymore」が聞こえて始まる冒頭の「Shark Ridden Waters」は美しいハーモニーと旧き良き時代の大文字のポップスが現代に再帰したかのような佳曲で、「最近のぼくは本当に空中に浮遊しているような気分なんだ」という歌詞とシンクする不思議な柔らかさがある。4曲目の「Vitamin K」、12曲目の「If We Were Words(We Would Rhyme)」でのとろけそうな甘美さにはアソシエーション、ハーパーズ・ビザール、サジタリアス、ミレニアム、フリー・デザイン辺りのソフト・ロックの遺伝子と往年のA&Mの作品の影響も垣間見えるし、それらを含めて、全体を通底するサウンド・メイキングにはエンニオ・モリコーネの映画音楽を想起させるメロウネスがあり、ときに微かな潮風と共にザ・ビーチ・ボーイズの香りもする。また、人によっては、ストリングスの挟み方にはヴァン・ダイク・パークスの影が見えるかもしれないし、ステレオラヴ、ハイ・ラマズ、オブ・モントリオール「以降」の如何にも現代的な音響工作が緻密に練られた作品群と近似する温度も感じられるかもしれない。

 そして、彼の人柄そのものが表れた優しい閃きに満ちたメロディーも今回は冴え渡っており、麗しい。勿論、従来通りのサイケなセンスや、隠喩と風刺に満ちた歌詞も耳に残るが、あくまで核たる部分は、オーケストラル・ポップの幻想的なサウンドスケープと、かつての共通言語だった時代のロック/ポップスの魔法を取り戻そうとするグリフの音楽愛への敬虔さだろう。派手さは決してないが、多くの人たちに届いてほしい芯の通った力作だと思う。

《ひとつの文を取り上げて それを繰り返してほしい 人魚のうたが聞こえるまで》(「Take A Sentence」)

(松浦達)

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ringo_deathstarr.jpg
 マイブラ、ジザメリ...夥しいほど引き合いに出されてきた単語を目にして、何度も聞いた文句だと思いつつも、やっぱりその謳い文句に惹かれて音源をチェックしてしまう。例えそれが先人達の焼き直しであったとしても...。きっといるはず。僕もそんなひとりです。そしてそんな僕等の誰よりもど真ん中を射ち抜く 、更にシューゲイザーの文脈に興味がない人にも1つの良質なポップ・アルバムとして薦めたいアルバムをリンゴ・デススターが作り上げた。2009年に発表された『Sparkler』に続くファースト・フル・アルバム。
 
 ギター、ヴォーカルを務めるエリオット・フレーザーの声は間違いなくジザメリを想起させるし、ベースの紅一点、アレックスはビリンダだろうか?基本的な音もまさにシューゲイザーのイメージそのものである。ちなみに12曲目「Tilt-A-Whirl」はまさにマイブラの「(When You Wake)You're Still In A Dream」で、思わず2つを聴き比べたほど。14曲目の「Candy Paint」にブラインド・ミスター・ジョーンズの「Lonesome Boatman」を想い出させて悦に入ってしまったのは勘繰り過ぎの産物だろうか...? 勿論それだけではなく、3曲目「So High」のメロディにはネオアコや、ヘヴンリィなどのツイー・ポップバンドと共通するものを感じることができるなど、随所に様々な音楽性を見せつつ、一辺倒に聴こえないのもまた魅力である。
 
 しかし何と言っても、曲が良い。1曲それぞれ、単独で成立できるクオリティの高さがあるため、単純に、通して聴いて飽きない。何度も聴けてしまう。ザ・ペインズ・オブ・ビーイング・ピュア・アット・ハートにも近い感想を抱くが、ミックスの妙か、リンゴ・デススターの今作は彼らよりも全体を取り巻く音がカラっと乾いていて、音抜けがよくとてもクリアに聴こえる。ジャケットよろしく、太陽の下でノイズを浴びているような感覚に陥る。それがたまらなく心地いい。「Two Girls」「Chloe」なんかまさにそうだと思う。
 
 ここまで陽性なノイズを撒き散らしておきながら、しかもその1つ1つが強い光を放っている。数多いこのシーンで、マイブラ、ジザメリを引き継ぐ正統派と呼ばれながらも、実はこんなバンド、ありそうでほとんどいないと言っていいのでは。そんなバンドだけに、音楽的文脈を知らない、興味がない人にこそ聴いて欲し いと思ってしまう。このくだり、2度目ですが。2011年早々にして傑作。
 

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cloud_nothings.jpg いやあ、痛快! バズコックスやザ・ゲット・アップ・キッズ、アッシュにティーンエイジ・ファンクラブ、はたまたブリンク182なんかを思わせるようなメロディ――それがあまりにキャッチーでポップなのだから。パワー・ポップでローファイで、パンク。何より、キッズが盛り上がれる音楽を、19歳の少年が作っているということが何より、いい。

 クリーヴランドに住む大学生ディラン・バルディ。サックスを専攻する彼が、自己満足のため家の地下室で始めたレコーディング・プロジェクトがこのクラウド・ナッシングスだ。現在は3人のメンバーを率いるディラン少年が、ネットに楽曲をアップするとまたたたく間に注目が集まり、その後カセットや7インチ、CD-Rなどで音源を大量にリリース。それらのシングルやEPはコンパイルされ、昨年アルバム『Turning On』として発表され多くのインディ・ファンを熱狂させ続けている。結果、ピッチフォークの読者投票による2011年の注目新人(「Best Hope For 2011」)の4位にランクインするほど期待を集めてきた。

 そして、『Turning On』から1年もおかずに届けられたこの作品が、彼ら初となるオリジナル・アルバムだ。とはいえ、ローファイぶりは一切変わらない。地下室からバルチモアのスタジオへ、完全な我流からプロデューサー(ダン・ディーコンを手がけたチェスター・グウェッズダ)の監修を受け、という変化はあったものの、演奏は驚くほどラフ。まるで

 音から若い勢いが透けて見えるようだ。だが、何よりメロディがいい。3分にも満たない楽曲のなかでジェットコースターのように急上昇と急降下を繰り返すスリル。そこにコーラスやギターのフレーズでこれでもか、というほどフックを作り出している。19歳の若さを最大限に活かした勢いと瑞々しさ、一切計算のない無垢さがリスナーをとりこにし、この28分にも満たないアルバムをリピートされる。

 幼いころにはビートルズやコステロを聞きあさったというディランくん、彼のソングライティング能力と速さはしばらく落ちることは無いだろう。はやくも次のアルバムへの計画も進めているようだし、今後も大量に楽曲をリリースすることは間違いない。ネイサン・ウィリアムスやブラッドフォード・コックスのように、常に新曲を届けてくれる存在になってくれるよう見守ろうじゃないか。

(角田仁志)

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cut_copy.jpg いまやインターナショナル規模のダンス・アクトとなった彼らの待ち望まれた新譜が、どうしてこんな肌寒い季節にリリースされるんだろう...とちょっとだけ不思議だったが、そういえばこの人たちはオーストラリアのバンドだった。この原稿を書いている一日の、彼らが拠点としているメルボルンの最高気温は19度。土地によっては30度を超えている。本当にそういった事情がリリース・タイミングに関係あるのかは正直よくわからないが、南半球は温かさそうだな。羨ましい...あはは。

 08年に発表された二作目『In Ghost Colours』で彼らは一躍その名を世界中に轟かすところとなった。シンセサイザーを駆使した煌びやかで光の渦のようなサウンド・スケープと、メランコリックで郷愁あふれるメロディ、80年代エレポップの影響を根幹に据えながらも、フレンチ・エレクトロやエレクトロ・シューゲイザーなどの流れも汲んだ、極めてモダンな疾走感。「ニュー・オーダーのアルバム再発(これも08年)はカット・コピーが促した」なんて評まで見かけたが、オーストラリア産らしいセンスの微妙な"ズレ"も含めて、バンド名どおりに情報の取捨選択センスも存分に発揮された快作はセールス的にも大成功を収めている。

 思い切り乱暴に仕分けすれば、この『Zonoscope』は『In Ghost Colours』の続編、あるいは焼き直し...みたいな位置付けもできると思う。相変わらず歌声を聴けば胸を掻きむしらずにいられないし、フェアライトCMIのような旧式の電子楽器や、それらを駆使した古のミュージシャンたちに対する研究の跡もうかがえる。カット・コピー印のキラキラしたエレポップは健在だ。しかし、アルバムを聴くと長めのインターバルが空いただけの工夫と苦労も見え隠れしてきて、そこがリスナーによって評価を二分させるであろう要因になっていると思う。

 マンハッタンの摩天楼を浸食するナイアガラの滝。意味深なジャケットは日本のデザイナー、故・木村恒久氏による有名なフォト・モンタージュ作品が用いられている。人工的な建築物を大自然がなぎ倒していく...。このモチーフは彼らが本作で企図したサウンドと一致したようだ。メルボルンにあった廃墟を改築し、長期に渡るジャム・セッションのすえにこのアルバムは完成した(そのときのようすはMySpaceでも現在公開されている)。そのエピソードを聞いて予感させるとおりの、デジタルとオーガニックの融合を目指した冒険の成果がここには記録されている。

 先行シングルである「Take Me Over」は、ねちっこい唸るベースラインとファンキーなギター・カッティングを基調としたトム・トム・クラブを思わせる緩いグルーヴに、チープな電子音が絡まるバレアリックなディスコ・ナンバー。かつてのタフ・アライアンスあたりにも通じるトロピカルな空気は、つづく「Where I'm Going」でも継続している。いやらしい見方をすれば昨今の流行を押さえた作りになっているが、もともとファンク・ミュージックや90年代のアシッド・ハウスもルーツにもつ彼らが籠もってジャムり続ければ当然の帰結というか、単に地の部分があからさまに出ただけな気もする。一方、「Blink And You'll Miss A Revolution」や「Hanging Onto Every Heartbeat」のような楽曲はAOR的と形容できるほどポップスとして洗練され、2分弱のインスト曲「Strange Nostalgia For The Future」での穏やかな響きは、その曲名と合間って『Zonoscope』の世界観を読み解くヒントのように機能している。ヘラクレス・アンド・ラヴ・アフェアの新作同様に80年代後半あたりのハウスからの影響が見え隠れする曲もあるが、そこから汲み取れるのもエロスではなくてやはりノスタルジアだ。

 前作よりやや丸くなって落ち着いた作風になっているぶんアルバム全体としてはやや間延びしている感も否めないが、曲のひとつひとつを取り出せば聴きどころも多く、ネタの種類も豊富になっている。なんとも悩ましいレコードだ。収録時間の4分の1を占めるラストの長尺曲「Sun God」が、トリッピーなアシッド感覚が全開ですばらしい内容になっているのもまた悩ましい...。強引に喩えれば前作がニュー・オーダーの『Technique』で、こちらはトーキング・ヘッズの『Speaking In Tongues』。どちらが好みかは人それぞれ...、というところでしょうか。ちなみに、彼らはトーキング・ヘッズ的(『Stop Making Sense』的)なシアトリカル路線のライブ・ステージの構想を練っていたりもするらしい。それはぜひお目にかかりたいぞ。正しい姿勢として断固支持したい。

(小熊俊哉)

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esben_and_the_witch.jpg 08年にイギリスのブライトンで結成されたエスベン・アンド・ザ・ウィッチ(Esben And The Witch)。よくもこんな素晴らしいファースト・アルバムを作り上げたものだ。ブライトンだからといって、ファットボーイ・スリムのような陽気でハッピーな音ではない。「ナイトメア・ポップ」なる新語で呼ばれているだけあって、どこまでも深い闇に引きずり込まれそうな音だ。レイチェルの呪術的なヴォーカル、シューゲイザーを思わせる轟音、ミニマルかつ鋭利なビート。人によってはダーク・エレ・ポップと形容したくなるようなところもある。だが、『Violet Cries』においては「ギターの音」といったものを超越していて、すべては『Violet Cries』というひとつの巨大な世界のための音となっている。つまり、すべての音が「楽器」という体から幽体離脱し、『Violet Cries』の匂いや風景として機能しているのだ。はっきり言って、『Violet Cries』に収録されている音を「音」という言葉で表現することにすら、僕は抵抗を感じる。それくらい『Violet Cries』は世界として強く存在しており、ユートピア的ですらある。

「インダストリアルは空にキスする代わりに、宇宙の裂け目を覗き込んだということだった。インダストリアルはさかさまになったサイケデリア、ひとつの長く不快なトリップなのだ」

 これはサイモン・レイノルズ(『ポストパンク・ジェネレーション 1978-1984』の著者)の言葉だが、「インダストリアル」の箇所を『Violet Cries』に置き換えれば、まさしくその通りだ。『Violet Cries』は聴いていて気持ち良くなる音楽ではない。徐々にフェードインしてくる「Argyria」から始まり、MVのメンバー同様聴く者もボロボロになっていく「Marching Song」。そして、3曲目の「Marine Fields Glow」以降になると、周りの景色はがらりと変わっている。そこは暗く雑音だらけの美しい世界。まるでそれは、この世において負とされるものだけで構成されているような世界だ。しかし、僕にとってその世界は清々しく痛快ですらある。それはなぜか?

「吐き気をもよおす非道......いまここで公的資金が、われわれの社会の倫理性を破壊するために浪費されている。この者たちは文明の破壊者だ!」

 また引用になってしまうが、これは76年10月、ロンドンのインスティテュート・オブ・コンテンポラリー・アート(ICA)にて行われた展覧会「プロスティテューション」を糾弾した際に、保守党議員二コラス・フェアバーンが吐いた言葉だ。『Violet Cries』はこの世に存在する倫理が及ばない場所で鳴っているし、だからこそ普段我々が生きているこの世界の景色を変え、常識や価値観を混乱させる力が宿っている。僕はこうした価値観が更新される瞬間の痛快さとスピードが大好きだし、たくさんの音楽を聴ける(「たくさんの音楽を聴いている」ではダメだし、それは嘘になる)ようになったのもだからだと思う。

 エスベン・アンド・ザ・ウィッチを語る際に引用されるバンドはスージー・アンド・ザ・バンシーズやザ・キュアーが多いみたいだけど、僕はスロッビング・グリッスルの精神を感じた。

 僕がこの世に生まれて初めて聴いた音楽はポストパンクだった。特に祖母に教わったスロッビング・グリッスルが大好きで、というのも、よく幼稚園の送り迎えの車内で曲が流れていたし、『20 Jazz Funk Greats』が家で流れた日は、決まって親父とお袋がセックスをしていたからだ。そのせいもあって、スロッビング・グリッスルを多く聴いていた。もちろんそれだけがスロッビング・グリッスルを好きな理由じゃない。一番の理由は、スロッビング・グリッスルの音楽は本能に訴えかけてくる究極のボディ・ミュージックだからだ。メロディやコードなどのありとあらゆる音楽性を排除し、トランス状態の恍惚へと誘ってくれる。これは現在のダンス・ミュージックと似ている方法論だが、スロッビング・グリッスルの精神を「チル・アウト」という形で表現したのがThe KLFであり、現在の音楽シーンにも「言葉とアイディアがたくさん詰まっているもの」という意味において、スロッビング・グリッスルやThe KLFの影響下にあるバンドやアーティストが多いと言える(たとえ意識していなくとも)。
 
 エスベン・アンド・ザ・ウィッチもそうした影響下にあるバンドだと思う。ただ、『Violet Cries』がスロッビング・グリッスルをまんまやっただけなら、僕もこうしてレビューを書きたいとは思わない。エスベン・アンド・ザ・ウィッチは、スロッビング・グリッスルの精神と音楽性(技術や音楽的教養という意味)の折衷に挑んでいるし、『Violet Cries』でもそれは成功していると思う。特に「Eumenides」は最高の成功例だ。数年前にあったポストパンク・リヴァイバルなるものは、結局ポストパンクのスタイルだけを真似たもので、音楽的には張子の虎だった。しかし、エスベン・アンド・ザ・ウィッチは「ポップとしてのポストパンク」の魅力に気付き、それを人々が共有できるアンセムとしても機能する形で表現できた数少ないバンドではないだろうか。ちなみに、僕は「数少ないバンド」のなかにハーツも含んでいるんだけど、エスベン・アンド・ザ・ウィッチとハーツ共にカイリー・ミノーグ「Confide In Me」をよくライヴで披露する。これも面白い偶然だと思う。

(近藤真弥)

*日本盤は2月23日リリース予定です。【編集部追記】

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jonny.jpg ジョニーってなに? バンド名? このアルバム・ジャケットもどういうこと?? 上半身をはだけたむさくるしい男5人(誰だよ、おまえら)が自分の腹に「J・O・N・N・Y」って一文字ずつ書いて満面の笑みを浮かべて並んでいるポラロイド写真。ジャケ買いとか絶対無理。ぜんぜんいけてない。いや、むしろださい...と思ったみなさん(僕もそう!)は、ぜひこの彼らのデビュー・アルバム『Jonny』を聴いてみてほしい。そんなことどうでもよくなるくらいに、ポップで楽しさにあふれた作品だから。

 スコットランドはグラスゴー出身で、ここ日本でも人気の永遠のギター・ポップバンド、ティーンエイジ・ファンクラブ(以下TFC)のノーマン・ブレイクと、英ウェールズ出身のサイケデリック・フォークバンド、ゴーキーズ・ザイゴティック・マンキ(以下ゴーキーズ)の中心メンバーでバンド解散後はソロとして活動していたユーロス・チャイルズ。共にイギリスの音楽シーンにおいてメロディ・センスが光るソング・ライティングで有名な2人がデュオでなにやら作品を作っていると聞いたのは2006年頃の話だった。両者ともにかねてから相手のファンであることを公言し、90年代から互いのバンドで共演するなど友人関係にあった2人なので、その時は特に驚かなかったが、たぶんシングル1枚でも作るのだろうくらいに思っていた(本人たちもそう思っていたようだ。このバンド結成の経緯や上記ジャケット写真の詳細などは別に掲載されているノーマン・ブレイクのインタヴューに詳しいのでそちらをぜひ)。が、その2人がそこから数年経ちアルバムをリリースしてしまうと聞いたときにはさすがに驚いた。互いに忙しい身であったし、そこまで本格的なプロジェクトだと思わなかったから。でも2人は忙しい合間を縫い長年に及ぶ断続的なセッションを経てついにセルフ・タイトルのデビュー・アルバム『Jonny』を届けてくれた。

 アルバムで聴けるのは、前述のようにとにかくポップなサウンドだ。1曲目の70'sあたりのオールド・スタイルなロック・チューン「Wich is Wich」から、ファースト・シングルとなった「Candyfloss」(このPVは2人がCandyfloss=綿あめを食べるおかしなものなのでファンの方はぜひ見てみてほしい)、ユーロスのハモンド・オルガンが疾走する「Goldmine」、同じくゴーキーズ時代を思わせるユーロスVoのピアノ・バラード「English Lady」、パンについてユーモアたっぷりに歌われる「Bread」に、アルバムのハイライトのひとつとも言えそうな10分強もあるスペイシーなサイケデリック・シンフォニー「Cave Dance」、ノーマンVoのフォーキー・ポップ「I Want To Be Around You」、そしてラストの2人のコーラス・ワークが息をのむような美しさの牧歌的なクロージング・チューン「Never Alone」まで(国内盤にはアルバムに先行してフリー・ダウンロード配信されていた、その名も「Free EP」の4曲がボーナス・トラックとして収録)、その「Cave Dance」を除けばすべて3分前後の楽曲で多彩なサウンドが展開されていて、2人がそれぞれの楽器を手におもちゃ箱をひっくり返したような楽しさを味わうことができるアルバムに仕上がっている。中でも個人的に、6曲目のノーマンのメインVoによる、シンプルなコード進行に、これぞノーマン節と言える美メロとパパパ・コーラス、そして切ない歌詞が乗った「Circling The Sun」は、TFCの名曲「Did I Say」や新作『Shadows』での「Dark Clouds」あたりを思わせる1曲となっていて、うれしくなってしまう。

 そうしたようにもちろん曲は、TFCとゴーキーズという人気バンドで活動してきた彼らの経験から生まれているわけで、ポップ・ソングであるということにおいては、このジョニーもそう大きな違いはない。たからどちらのバンドのファンにもすんなり受け入れられる作品だろう。が、最小限のグループ単位でより個性が際立つデュオという構成で作曲をしたことにより(ほとんどの曲は2人の共作になっている)、そのポップ・センスの中でもノーマンのグラスゴー産のエヴァー・グリーンさと、ユーロスのウェールズ産のひねくれたユーモアが、それぞれのバンドやソロでの活動よりダイレクトに響いていることも間違いない。また2人のハーモニーや時にユニゾンでのヴォーカルの相性がとてもよく、それは今までの作品ではあまり聞けなかった、このアルバムならではの新しい発見となっている。そして、なによりこのジョニーで大きな違いを感じられるのは、彼らがそうした自身の音楽キャリアで培ってきたメロディーやサウンドを、影響を受けてきたバーズ、ステイタス・クォー、13th フロア・エレヴェイターズ(シングルのB面では、バンドのメンバーだったロッキー・エリクソンの「I Love the Living You」のカヴァーが収録されていた)、そしてビートルズなど過去のバンドへの愛情たっぷりに、なんのギミックもなく素直に自然体で出しているという点だ。そしてその自然体ということが、このジョニーの音をとても新鮮なものにしている。前述のインタヴューでもノーマンが「自分たちが楽しむためにやっているプロジェクトだ」と語ってくれたように、プレッシャーがない環境で、自分たちのやりたい音楽をやりたいようにやったのがジョニーであり、このデビュー作で彼らが形作ったサウンドになっているのだろう。そして、その楽しさは、アルバムを聴く僕らファンの耳にダイレクトに届いている。
 
 古くはサイモン&ガーファンクルからダリル・ホール&ジョン・オーツ、ファンタスティック・サムシングやキングス・オブ・コンビニエンスまで、男性ポップ・デュオはたくさんいるけれど、このジョニーもそこに加わえていいはずだ。サイド・プロジェクトとしては充実しすぎているこの2人のコラボレーション。ぜひこの1枚だけではなく継続的なものとしてこれからも、自由で、楽しめる、そして変なジャケットのアルバムを作り続けてほしい。

 でもやっぱりジャケ買いはしないけどね!

(安永和俊)

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zzz.jpg zZzって...。オランダのアムステルダム出身のこの2人組は、その名もzZz。日本語にすると、イビキでもトリプル・ゼットでもズズズでもなく、「ャズ」という。国内盤の帯にはご丁寧にも※印付きで、"日本語表記の「ャズ」は、「Jazz(ジャズ)」の「Ja」を抜かした発音です。"って書いてある。でも、うまく発音できない...。意地悪なユーモアなのか?月並みなコミュニケーションに中指を立てるパンク・スピリットなのか? それとも、本当に眠いだけなのか? とにかく一筋縄では行かない感じが、バンド名からも伝わってくる。そんな彼らが2008年に発表した2ndアルバム『ランニング・ウィズ・ザ・ビースト』が、ようやく国内盤としてリリースされた。

 ブックレットをペラペラめくってみると、そこには思いがけない発見が! アルバムのコンセプトをビジュアルで表現するのは当たり前だけど、このブックレットではその制作過程も見ることができる。なんて愉快なアクション・ペインティング! ストーン・ローゼス(ジョン・スクワイア画伯)に丸パクリされたジャクソン・ポロックも、これなら天国で微笑んでるに違いない。親切な連続写真も笑える。このアルバムはデータじゃなくって、絶対にCDかアナログで手に入れるべき。最後のページで完成作を手に(ドヤ顔で!)仁王立ちする2人も頼もしい。ャズの正体は、ミニマムなアートを愛するロック・バカだってことが判明。最高でしょ。

 ドラム&ヴォーカルのBjörn Ottenheimが叩き出すビートは、タイトでシンプル。リヴァーブ深めで翳りのある歌声もカッコいい。Daan Schinkelが奏でるシンセサウンドは、極彩色のサイケデリックと薄暗い蛍光灯が揺れるガレージを行ったり来たり。時折聞こえるオルガンはモッズっぽいし、サウンドの奥底ではブルースも鳴っている。JSBXやスーサイドと比較されることが多いらしいけれど、このアルバムはまるでブラック・キーズがジョイ・ディヴィジョンをトリビュートしているみたい。ブルースやソウルに対する自由な解釈とニュー・ウェーヴにも通じるダンサブルなアプローチ。ギター&ベースレスとは思えない多彩なアイデアとアレンジが、僕の耳を奪う。

 すでに海外では、このアルバムに収録されている「Grip」のPVが大きな話題に。彼らと同じくアムステルダムを拠点に活動する映像作家 Roel Woutersによる斬新なアイデアは、一見の価値あり。"欽ちゃんの仮装大賞"どころか、ヨーロッパではいくつものビデオ・アウォードを受賞し、挙げ句の果てにフィアットのTVCMに担ぎ出される騒ぎにまで発展。これにはYouTubeの覇者 OK GOもビックリしたとか、しないとか。その後もフランツ・フェルディナンドやゴシップとツアーを巡り、人気も評価も急上昇中だ。2〜3年周期でのリリース・タイミングを考えると、今年は新作が期待できるかな。このアルバムがみんなの耳に届けば、次作はもっと早く国内盤が出るかもしれない。そして一日も早く、人力グルーヴが渦巻くサウンドをライヴで体験できますように。では、おやすみなさい。zZz...zZz...。

(犬飼一郎)

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iron_and_wine.jpg まさか、全米2位とは・・・。古巣サブ・ポップからワーナーへの移籍による大幅なバックアップの獲得は大きいのかもしれないし、、『アグリー・ベティ』を始めとするUSドラマに楽曲使用されたことも影響しているのだろう。加えて、ディセンバリスツ『The King Is Dead』の全米No.1という直前の追い風もあった、とはいえ、やはりこれは驚くべき快挙だ。

 もちろん、アイアン・アンド・ワインことサム・ビームの4枚目となるこのアルバムがすごいのはチャートでの成功だけじゃない。柔らかにレイヤーを重ねたコーラスと、心に染み入るフォーキーなメロディは健在、音のテクスチュアはほんのりと陽性で、郷愁を呼び起こす。

 また、トム・ウェイツ『Swordfishtrombones』の影響を受け、ダブやレゲエ、アフロ・ビートが取り入れた前作『The Shepherd's Dog』の路線を継承、更にジャズや電子音まで加えてしまった。結果、フリートウッド・マックの華やかさと実験性、ジェイムス・テイラーのラジオ・フレンドリーさを獲得してしまった。それを思うと、いつも通り肩の力が抜けた、ビタースウィートなサムの歌声にたただた恐れ入るばかりだ。

 だが、僕はアイアン・アンド・ワインは今後まだまだ面白いことになると信じている。というのも、最近のライヴがこれまでのサムのイメージにとどまらない内容だからだ。2部構成のステージは前半がアコースティック・セット。バンジョーやマンドリン、キーボードのプレイヤーを従え、メランコリックで美しいサウンドスケープにオーディエンスをいざなう。だが後半では、エレクトリック・ギターに持ち替えフォーキーな楽曲が表情を一変させるそうだ。

 この構成・・・そう、ボブ・ディランを思わずにはいられない。セルフ・イメージに囚われないプレイを続けるなら、このアルバムすら通過点なのではないか、そう思えてならない。

(角田仁志)

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Secret_Shine.jpg いまや必携の名著、シューゲイザー・ディスク・ガイドを片手に、シークレット・シャインの最初のアルバム『Untouched』を聴いている。1993年の作品で、廃盤なのかアマゾンのマーケット・プレイスでは目が痛くなる値段が付いているが、iTunesではきちんと適正価格で購入することができる。便利な時代だな...と思う。「常にナイーヴなポップ・センスを内包しマニアックな人気を誇っていた」「MBV(マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン)からの影響が強く~」と先述の本で紹介されているが、シューゲ門外漢の僕でもクスっとなってしまうほど、男女混成ヴォーカルもハーモニー具合も浮遊感も、たしかにそのままMBVや初期スロウダイヴを思わせる。ときおり疾走感もみせるバンド演奏は、シューゲイズした音の氾濫する今のインディー・シーンに馴染んでいる音楽ファンにも求心力をもっているはずだ。

 ヘヴンリーやザ・ヒット・パレード(どちらも大好きなバンドだ...。ヘヴンリーのアメリア・フレッチャーは今でもTender Trapというバンドの一員としてがんばっている)らを輩出したかつてのネオアコ・ファンにとってのマスト・レーベル、サラ・レコードからデビューしたブリストル出身の彼らは、活動休止やメンバーの死などを経て、コンピレーション作を挟み、06年に2枚目の『ALL OF THE STARTS』を発表している。そして2011年、結成20年ということを考えるとますます意味深なタイトルを冠した本作『The Beginning And The End』をリリースした。

 一聴して驚かされるのは、いい意味でキャリアの長さを感じさせないサウンドの瑞々しさ。美しく重なる電子音のレイヤーと、プリファブ・スプラウトのウェンディ・スミスをも思わせる神々しく舌足らずな女声コーラスがタイトなアンサンブルを牽引する冒頭の「In Between」一曲で打ちのめされる。全体的にシンセ・サウンドが有効的に活用されており、最近のレディオ・デプト辺りを彷彿とさせる音づくりはキャリア20年と思えぬ同時代性を発揮している。一方で、80年代~90年代に登場したある種のギター・バンドたちと通じる繊細なメロディは、長く現役を張ってきた人間にしか出せない重みと説得力を持っている。

 ストリングスの起用など短絡的なシューゲイザーの文法にこだわらない一面も見せ、「Run Around」や「Harry」といった曲の穏やかさに身を任せていると意識がどんどん遠のいていきそうになる。「Windmill Hill」あたりに顕著なやや古めかしい音色はノスタルジーを喚起させるし、かつて披露した熱っぽいバンド・サウンドも随所に用意されている。懐の深さと抜群のオリジナリティーを誇り、アルバムのどこを切っても芳香なメロディが流れ出てくる。マニアックと呼ばれることを拒否するかのような堂々とした佇まいでありながら、触れたら崩れそうな脆さを孕んだ気高い音楽だ。成熟したところを存分にアピールしながら、今も変わらず儚い青臭さも感じさせるのが何よりいい。

(小熊俊哉)

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grapevine.jpg ようこそ、ストレンジランドへ。

 この約1年半振りに届けられた彼らの通算11枚目のオリジナル・アルバムは、これまで彼らが『Sing』以降、追究してきた実験性と彼らが本来持っていたポップ・センスを兼ね備えた素晴らしいサウンドであるだけでなく、最早、一つの長編小説と呼んでも一切差し支えない豊満な文学性に満ちている。ロックやポップ・ミュージックを語る際に「文学」という言葉を使うことは、今となってはネガティヴなイメージを持たれることも少なくないが、ここでは、絶対的な賞賛と敬意をもって「文学」という言葉を使っていこうと思う。なぜなら、日本のロック・シーンにおいて、「文学的な」バンドというのは、本来、彼らグレイプバインを指すような肯定的な意味合いをもっていたはずであるからだ。
 
 架空の都市『真昼のストレンジランド』を舞台にした、このフル・アルバムにして長編小説は、例えばアメリカ由来の文学を米文学、イギリス由来の文学を英文学と呼ぶのが通例であるように、ストレンジランドの文学、すなわち「異郷文学」と言える作品だ。かつて、彼らはアルバム『Here』において「南行き」という曲を歌ったり、『Circulator』に収録されている「B.D.S.」をライヴで披露する際には「南部の男になってくれ!」のシャウトと共に演奏を始めたり、前作『Twangs』リリース前後にはテキサスのショーケース・ライヴ・イベント、SXSWに出演するために現地に飛んだりと、アメリカ南部ルーツのカラーを押し出してきたが、このストレンジランドもまさにアメリカ西海岸沿いのどこか南部地方をイメージさせる。でも、そんなことは実はこのアルバムに入って行く、ストレンジランドを旅する上では大した問題ではないのだ。実際に、アルバムを飾る「Silverado」がカリフォルニアの小さな街だと知っていても、曲中に出てくるアルバカーキが、今ではポートランドを拠点に活動しているザ・シンズの本当の故郷としての街であることを知っていても、だ。だって、思い返してもみてほしい。彼らの7枚目のフルアルバムが『deracine』という、フランス語で「根無し草」を意味する言葉であったことを。そして、そこには「放浪フリーク」なんて曲すら収録されていたことを。ここでは、乾いた文学性をもった一人のピカロによるストレンジランドの放浪記が記されているといったところで十分だろう。
 
 デビュー当時から様々な文学作品からの引用、影響を公言しており、実際に不条理文学を思わせる『Everyman Everywhere』というミニ・アルバムをリリースし、モーパッサンをユーモラスに取り上げつつファンキーな女性を歌った「マダカレークッテナイデショー」をリリースするなど、挙げだすとキリがないほどの文学的素養に満ちた数々の作品を歌ってきた田中和将であるが、今作も「ヘミングウェイ」や「ピカレスク(文学)」といった言葉を用い、「This town」においては何と作中作を表す{}という記号すら使っている。小手先だけの器用さで、そういった手法を用いることはできたとしても、恐るべきことに、歌詞全体を見渡しても情景的かつ叙情的な「詩」が成立してしまっていることは、最早、彼らのファンにとっては、自明の理でもあるが、もう一度、それを思い返させてくれる完成度を保っている。アルバム最終曲であり、先行シングルである「風の歌」、現時点での彼らの到達した珠玉の一曲は、そんな文学性と彼ら従来の王道的なサウンドが渾然一体となった新たな名曲である。

 サウンド面についても見てみよう。冒頭でも紹介した通り、今作は近年の彼らの実験性と初期の彼らが持っていたメロディの良さが混ざり合った上で、田中の圧倒的に表情豊かなボーカルがのった、「歌」のアルバムである。元々はルーツ・ロックに根ざしていた彼らではあるが、『From A Smalltown』リリース以降から、田中をはじめとしたメンバー全員がバトルズやウィルコからの影響を公言するようになり、『Sing』から『Twangs』にかけては、グリズリー・ベアやダーティ・プロジェクターズをフェイバリットに挙げたりもしていたこともあって、『Twangs』はブルックリンの雰囲気を彼らなりに消化した作品だった。そこには、彼らの昔からのファンを困惑させるようなきらいもあったことは否めないのだが、今作はそんな従来のファンをも掬い上げながらも、実験性も併せ持った堂々たる一枚と言えるだろう。アルバムのリード・トラックであり、フレーミング・リップスを意識したという「真昼の子供たち」は、そんな彼らの実験精神とポップネスが見事に融合した曲であるし、ベック『Modern Guilt』から影響を受けたという「ミランダ(Miranda warning)」などは、静寂と躍動による臨場感に溢れた曲であるし、タイトルからして陰美な響きをもつ「Sanctuary」は80'sゴスっぽい妖艶さを現代のエクスペリメンタル感をもってうまく表しているし、「夏の逆襲(morning light)」などはインストかと思いきや、たった2行の歌詞とどんどん広がっていくサウンドでいつまでもリスナーの心を掴んで話さない曲となっている。非常に触れ幅が広いにも関わらず、どれもポップで聴き辛い曲がないのだ。
 
 さて、アルバムを聴いてみよう。ストレンジランドを旅してみよう。そこで気付くはずだ。このストレンジランドこそ、自分自身の内面世界であることを。そう、これは、ストレンジランドの放浪記であり、あなた自身の放浪記であるのだ。しかも、もちろん、それは「自分探し」なんてものじゃなく、あくまで異郷探訪である。つまり、自分自身の内面と不条理な世界、あるいは認識していなかった自分自身とが混ざり合う地点で書かれたあなたの探索レポートなのである。あなたは、その道中で一つ一つの場所や出来事や人に出会い、そしてそこからまた進みだして行く。その出来事の奥へと足を進めるかも知れない、あるいは全く違う別の場所へと向かうかも知れない。それでも、「悲しいほど道を描いて」ゆきながら、「散らばってくそれぞれに理屈を抱えて、ただ元の場所にさよならを言うんだ」。

 この異郷文学は、彼らのお得意の手法であるこんな寸止めで終わる。《風に吹かれて、たった一つの》。「たった一つの」何だろう?それは、このストレンジランドを歩んできたあなた自身の放浪記に既に記されているはずだ。

 長く書きすぎましたね。とにかく、あなたのすぐ目の前にストレンジランドは広がっている。そして、あなた自身の「たった一つの」は、そこにある。さあ、行ってらっしゃい。

(青野圭祐)

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the_veils.jpg いまも活躍しているバンドでいうと、丁度ディレイズとデビューの時期が同じだったヴェイルズ。ディレイズはとろけそうになる美メロと少ししゃがれたハイトーン・ヴォイスが魅力として語られていて、日本の音楽誌も大々的に取り上げた。一方、ヴェイルズはスウェードのブレット・アンダーソンとバーナード・バトラーを合わせたような(ちなみにファーストのうちの何曲かはバーナードがプロデュースしている)、妖艶なオーラを放つヴォーカルのフィン・アンドリューの存在感がとにかく強烈だった。「Lavinia」というファーストに収録された一際スロウでムーディーな曲のビデオで彼がカメラをじっと見つめながら「舐める」ように歌い上げる姿は、まさに偏狭なナルシストを連想させた。ラフ・トレードの創立者であるジェフ・トラヴィスは彼を指して「現代のニック・ケイヴか、デヴィット・ボウイだ」と絶賛し(私は後者の引用に大賛成である)、ファーストはヨーロッパを中心にヒットした。サウンドの話をすると、ディレイズがパーッと草原に太陽の光が降り注ぐ「陽」の美メロだとしたら、ヴェイルズは深く長いトンネルの先からかすかな光が差し込んでくる「陰」の美メロ。

 だがやはり圧倒的なカリスマ性を持つ者の宿命というべきか、他のメンバーはファーストをリリースしてすぐにフィンの元を離れていった。フィンは仕方なくソロでツアーを続け、起死回生のセカンドをリリース。ファーストよりも希望の光がすこし多めに配分された同作はなかなかの良作だったが、そのころには日本でヴェイルズの名前を見聞きすることもほとんどなくなっていた。相変わらずヨーロッパでは根強い人気があるようだけれども。サードもよかったな。やっぱりこの人はメロディに残酷っぽい綺麗さがあって、スウェード好きなら絶対に次を託したくなるし、毎作聴かないではいられないタイプのアーティストだと思う。細身のスーツでハット被って一人舞台に立つ姿は、けっこう物悲しいよ。まあ、いまはバンド・メンバーもいるんだけどね。でもやっぱりこの人は一人だよ、ずっと。

 新作EPの内容だが、「The Stars Came Out~」でスプーンのような男前なイントロが聴こえてきた瞬間には「大胆な変化作」を想像したが、Aメロのあとすぐにオーロラのようなアルペジオが流れ込んできたので、「ああ、やっぱり」と安心してしまった。やはり彼は彼のままでいてほしい。ほかのアーティストには「冒険したら?」とか偉そうなことを思ったりもするが(ホワイト・ライズの新作とか)、ヴェイルズの核は変わらないでいてもらいたい。「リスナーとアーティストの依存関係」と書くといまのJ-Rockみたいでものすごく嫌だが、彼のメロディに寄り添いたいと願う瞬間はたしかに何度もある。ヴェイルズは僕のためにずっと音楽をやっていてくれ。

 今回はT-Rexを彷彿とさせるヴィンテージ趣向で色気たっぷりなナンバーもある。全曲ほんとうに良い曲ばかりで、かといって金太郎飴でもない。iTunes storeなら900円で買えるので、「せっかくこんなに長い文章を読んだんだから」と思って聴いてみてください。

(長畑宏明)

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toku_ken.jpg 故・大里俊晴氏が言及していたように、そもそも、ポップ・ミュージックは芸術音楽のコンテクスト内でアヴァン・ギャルドの死や前史の繰り返しをしてはならないというオブセッションなど無かった。元来、膨大な引用と編集で成り立っていた"ポップ"には前衛性を気取った閉じた実験室での大衆性に背を向けた行為性とは疎遠であるべき筈で、今さら、紋切り型のクリシェで原典を差し当てること自体に意味がない。それよりも、その周囲を巡りながら、ポップ・ミュージックの擬態の先を可視化する行為が肝要だと思う。行為としては、反動の場所からではなく、よりマージナルに立脚する必然が要る。前衛と普遍のマージナルな場所からこそ浮かぶ音楽がある筈であり、"それ"を規定するコードを読み解くには膨大な音楽のバック・カタログが生み出してきた誤差を鑑みる必要性が出てくる。「誤差」とはドゥルーズ=ガタリが言うところの「あまりにも意味作用的な連鎖の束縛から脱するための、断絶状態の音響性」も孕んでくるとしたならば、昨今の日本でのフォーク・リヴァイヴァルを担う七尾旅人や前野健太のような形式は、非属領化されない「声と言語」を持っているという文脈で繋がってくる。一回性が持つ美しくも儚い「個として」の人間の想いが今、ポップに普遍に拓かれるためには「詩の音楽」へと還らないといけないのかもしれないからだ。「詩の音楽」とは、単純な私小説のような音楽をすり抜け、彼岸の聴き手を望む。徳永憲の新作『ただ可憐なもの』に宿るものもまさに「詩の音楽」である。

 彼の98年のデビューアルバムである『アイヴィー』はブレイクこそしなかったが、確実に一定の層には傷痕を残した。98年といえば、最近、デラックス・エディションとして再リリースされたパラダイス・ガラージ『実験の夜、発見の朝』を筆頭に、田辺マモルの『田辺マモルのヤング・アメリカン』、高橋徹也『夜に生きるもの』、小島麻由美『さよならセシル』など良質なシンガーソングライターの作品が多く、彼の『アイヴィー』も不機嫌そうに並んでいた。アシッド・フォークを思わせる曲の中に立ち込めるリリシズムはシド・バレット、ニック・ドレイク、エリオット・スミスのような危うい儚さがあり、同時にまた、フォーク・インプロージョン『ワン・パート・ララバイ』やヘイデン『エブリシング・アイ・ロング・フォー』にあったようなザラッとしたローファイなサウンド・メイクからはオルタナティヴなシンガーソングライターとしての一面をリプレゼントしていた。歌詞は、寓話性と詩的なフレーズに溢れているが、《君のことを台無しにしてやりたい》(「優しいマペット」)、《ジャイアントパンダは早く子供を作れ》(「オートマチック・ラブラブマシーン」)のようなシニシズムとサーカズムに満ちたフック・ラインがふと浮上するという捩れた世界観が呈示される。その詩世界は今も一貫しており、詩自体への巷間の評価も高い。『アイヴィー』の「低温の好戦性」は世間には大きく受容されたという訳ではなかったが、一定のファンと確たる評価を得た。その後も堅実に音楽活動は続き、前作にあたる08年の『裸のステラ』ではホーンの取り入れ方など音空間にもグッと奥行きと色彩が出てくるとともに、箱庭的且つ神経症気味な世界観が確立された力作になっていたのは記憶に新しい。
 
 7作目となる『ただ可憐なもの』は一聴、シンプルで、原点回帰のようなところもありながら、これまでとは違う奥深さとたおやかさがある。また、ソロ活動と並行して01年から組んでいたバンド、チェルシーボロ(09年に解散)の曲も幾つか入っていることから、インストゥルメンタル、バンド・サウンド、内省的なフォーキーなサウンドが併存するという形で、絶妙にソロ・キャリアを総括しているともいえる。そこに、折れそうな彼の繊細な声とシュールな歌詞が乗り、仄かに《1万台の大砲がこっちを向き/君の何たるかを狙う》(「ウサギの国」)、《誕生日がきて子供は思った/自ら祝うほどのことではない》(「ハッピーバースデイ」)という特有のセンスに満ちたシニカルな視線が浮き上がるのも面白い。しかし、そういった作為性よりも、過去に《いつまでも生きていたい》と歌っていたように、早く「この場所」を抜け出したいという欲動が今作では先立っている。"このボートじゃ何処へも辿り着けない"という意識を持ちながらも、「どこか」を目指そうとする、その焦燥感が最後には小文字の「君」に捻じれながらも収斂してゆく流れが美しい。その「君」を通り越す訳ではなく、向かい合うために「この町を出ないといけない」という構造は彼自身が描いた「ただ可憐なもの」へのリゾーム的な思考を照射する。

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 鈴木慶一、直枝政広、青山陽一といった錚々たるアーティストが彼のホームページで称賛を寄せているように、ミュージシャンズ・ミュージシャンとしても常々評価が高かったが、今作でのフォーキーなサウンドを基底にした前衛性とポップネスの巧みな均整は、近年のフォーク・リヴァイヴァルの趨勢の流れとのシンクロする部分も感じさせる。ただ、「ボート」のような7分を越える重厚なロック・チューンやトクマルシューゴにも繋がるトイポップなど多様な曲が入っており、既存のリスナーやファン以外にも十二分にアピールをするポップな底強さを持っているのも印象深い。そのバラエティーの富み方をして、色彩豊かというよりはモノクロ画が持つ深みに近く感じるのは如何にも彼らしいが、キャリアを重ねてきてもぶれることのない軸がここにはあり、今こそ正当な評価軸を敷くべきだという気もする、凛然とした彼の反骨精神に貫かれた秀作である。

(松浦達)

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ichikoaoba.jpg どんなシチュエーションで聴いても、自分の耳に真っ直ぐ届く声というのは間違いなく存在する。僕自身何かの片手間に音楽を聴くということもあるのだが、その片手間の作業を止めて聴き入ってしまう声。五島良子や七尾旅人、それから石橋英子などが僕にとって聴き入ってしまう声の持ち主だ(もちろん他にもたくさん居るけど)。そして、『かいぞくばん』と名付けられた素晴らしいライヴ・アルバムをリリースした青葉市子という女性も、僕にとって聴き入ってしまう声の持ち主のようだ。

  僕が青葉市子の音楽に出会ったのは、彼女のファーストアルバムである『剃刀乙女』だ。すべてを出し尽くしたかのような音楽が詰まっていて、現実と幻想が入り混じってできたような世界観にすごく興味がそそられた。一番驚愕させられたのは「重たい睫毛」という曲だ。「僕らは嘘で庇い合い許し合い」「人は誰かをナイフで突き刺しながら歩んでゆく。それが命の定め」なんて言葉が出てくるんだもの。しかしそんな毒色が強い言葉を、青葉市子はユーモアと優しさでもって歌い上げる(まあ、僕にとっては呻き声に聞こえるときもある。だがそれは、美しく力強さすら感じる呻き声だ)。だからなのか、不思議と暗かったりしないし、殺伐とした空気もない。寧ろ胎内にいるような温もりを感じる。

『剃刀乙女』からの曲である「不和リン」から始まる『かいぞくばん』。「出会い系サイトで女の子を引っ掛けては、遊んで暮らしておりましたとさ」という語り口が日常の風景を鮮明に想起させる「光蜥蜴」。『檻髪』のなかでも屈指の名曲である「灰色の日」「繙く風」が続き、「ポシェットのおうた」である。これは『剃刀乙女』に収録されている曲の中でも、特に好きな曲。なぜか僕の恥ずかしい青春時代がフラッシュバックされ、久しぶりに初恋の人に会ってみたい気持ちになってしまった(実際電話して会いました)。「ココロノセカイ」は、青葉市子が初めて作曲した曲であり、僕にとってのベストソングでもある。この1曲しか演奏しないとしても、この1曲をやるんならお金を払いたくなる。ありきたりな感想だが、「ココロノセカイ」を聴くと必ず風向きが良い方向に変わる。ほんの少しだけ時間が止まったような感覚に襲われ、それと同時に心をくすぐられ余裕を与えてくれる。

「イソフラ区ボンソワール物語」は、今のところリリースされている音源のなかでは『かいぞくばん』でしか聴けない。これは笑える。最高に笑える。簡単に言うと、「巨乳にだけはなりたくない」と歌っている歌だ。しかも結構的を得たことを歌っていて、巨乳好きじゃない僕にとってはすごく頷ける歌。しかも曲が良いのだから、素晴らしいとしか言いようがない。そして最後は「日時計」で『かいぞくばん』は幕を閉じる。僕は何度か青葉市子のライブに足を運んだことがあるけれど、お客さんを楽しませることを忘れないプロ意識とサービス精神を持ったアーティストだ。MCもすごく面白いし(僕はさだまさしのMCよりも好きだ)、青葉市子の曲を聴いたことがない人も楽しめるエンターテイメントとして機能している。声とギターだけで壮大な空間と世界観を作り上げることができるし、それを支える確かなソングライティング能力と演奏力があり、ユーモアやサービス精神もある。青葉市子は、七尾旅人と一緒に語られるべき才能を持ったエンターテイナーだ。

 そして僕は、『かいぞくばん』を聴き終わったときこの一節が頭に浮かんだ。

「太鼓に対する君の指の一触があらゆる音をおびき出す、そして新しいハーモニーを始める」(アルテュール・ランボー「或る理性に」より)

 青葉市子の場合は太鼓ではなくギターだが、彼女の指がギターの弦に触れるとき、あるいは歌を歌い始めたとき。音数は少ないはずなのに、その少ない音によって作られる隙間からはとてつもない量の情報が流れ込んでくる。風景や匂い、言葉、他にもたくさん。ライヴを観る度に感じるのは、他の観客と乖離していくような感覚だ。隙間だらけな青葉市子の言葉と音、そこに僕が今まで体験したり見てきたものがシンクロして、ある種の「君と僕」みたいな空間が生まれ、その空間で青葉市子と語り合っているような錯覚に陥るのだ。しかしそれは圧倒的な力で支配されるような類ではなく、魂が体という器から離れ浄化されてゆくような心地良ささえ感じる。つまり、青葉市子というアーティストは「僕」や「私」が居ないと成立しない存在であり、それは本来の意味での(受け手と送り手が同時に存在しないと成立しない、受けての経験によって送り手の「オリジナル」に新たな情報が付随され別の作品となりえるという意味での)「芸術」そのものではないだろうか。

 青葉市子とはあなたの中にだけ存在するアーティストであり、そのあなたの中にだけ存在する青葉市子は無数に存在する。

(近藤真弥)

*本作はototoyのみで配信販売されている。【筆者追記】

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the_captive_hearts.jpg イギリスはグライムやダブステップなどダンス・シーンが面白い。ロック・バンドには元気がない。現在の4AD(もちろんイギリスのレーベルだ)を取り仕切る社長、サイモン・ハリデーをしてそのような趣旨の発言を残すなど、今ではこういった論調が多くの音楽ファンのあいだでも共通認識となっている。そんななかでも、いやいや若干の古臭さに目をつぶれば、聴くべきバンドは今のイギリスにも結構いるぞ...と改めて思わせてくれたのがこのEPだ。もっとも、彼らはフレッシュな新人とは言い切れない、なかなかの苦労人でもあるのだが...。

 ザ・キャプティヴ・ハーツ(The Captive Hearts)を語るには、ヴォーカル/ソングライターにして中心人物であるマーク・フリスがかつて所属したザ・トルバドールズの話題を避けて通れない。「吟遊詩人」という純朴なバンド名どおりの、ブリティッシュな気骨と味わいを併せ持ったバンドだ。イントロの甘酸っぱいギター・カッティングにつづき、軽快なビートとアンサンブルに合わせて高揚感溢れるメロディがどこまでも広がっていくデビュー・シングル「Gimme Love」で、プロデュースを手掛けたあのジョン・レッキー(80~90年代のUKロック最重要人物のひとりですね)をも虜にさせ、イギリスのメディアも注目した。しかし、一番食いついてきたのは美しいメロディに目のない日本の音楽ファンで、08年サマソニ出演、単独来日ツアー、本国ではついに陽の目をみることのなかったフル・アルバムまでリリースと圧倒的な支持を獲得。その後は相次ぐメンバーチェンジのすえに活動停止、ついに解散...と実力に反した寂しい末路を辿ってしまったが、抜群の作曲能力を誇るマークはこうして4人組の新バンドを引っ提げ、再びその天賦の才をアピールしている。

 先述した「Gimme Love」の流れも少し汲んだ、瑞々しくキャッチーなコーラスの掛け合いも印象的なオープニングの「Hummingbird」一曲を聴いても、ザ・トルバドールズ時代と変わらず、奇をてらうことないメロディ一本勝負を継続しているのがわかる。誰もが比較対象として思い浮かべるのはラーズだろう。バンドのホームページからもDLできるミドル・チューン「Set My Soul On Fire」は、イントロのフレーズから、多少のサイケデリック感も備わった淡い音像と哀愁漂う歌メロまで、ラーズの「There She Goes」と同じ匂いがする。ハーモニカの響きも印象的だ。年齢と経験を積み重ねたことを実感させる渋みと旨みが滲んだ「Je Vous Aime」や「Something's Coming Over Me」といったアコースティック・ナンバーも心地よく聴けるし、6分近くの尺で高らかに歌い上げる「Hallowed Heartbreaker」は徹頭徹尾ドラマチック。とにかくいい曲が揃っている。

 アメリカ勢に圧されぎみなイギリスのロック・シーンでも、かの国の伝統であるノスタルジックでエバーグリーンなメロディへの渇望はきっと高まってくるはず。もう20年くらい早くデビューできればマーク・フリスは才能に見合った賞賛をより集めることができたかもしれないが、2011年の今でも得がたい存在として、このバンドの価値を声高に主張したい。

(小熊俊哉)

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brmc.jpg 2010年を総括するにあたって非常に重要な一枚がここにある。BRMC待望の新作、メジャーEMIから離れてのリリースだ。こんなに力強くロックである作品は他にない。ボロボロに使い込んだようなジャケやアートワークが手に取るものを喜ばせるこの一枚は、ロバート・レヴォン・ビーン(Vo. / B.)が読んだ短編集のタイトルの一つである"ビート・ザ・デヴィルズ・タトゥー"という名前が付けられ、同タイトルの曲が冒頭を飾っている。大変勢いの良い曲だ。

 中には「EVOL」という曲もある。これは間違いなく"LOVE"の逆さ綴りだろう。かつてソニック・ユースが同名アルバムを作ったことがある。そこにはどんな思いがあっただろうか? ソニック・ユースはラヴ・ソングを歌わない。だが否定は一切していない。ラヴ・ソングを歌わない彼らなりのラヴ・ソング(アルバム)を書くとしたらどうなるか? その最初の答えが"EVOL"だったのではないかと推測する。ではBRMCはどうだろう? 筆者が"愛の三部作"と呼んでいる3つのシングル「ラヴ・バーンズ」「スプレッド・ユア・ラヴ」「ウィーア・オール・イン・ラヴ」をはじめ数々のラヴ・ソングを歌ってきたBRMC。そんな彼らが何故、今「EVOL」という曲を歌うのだろう? そこにどんな愛の裏返しがあるというのだ? 今回ロバートの曲が目立つ中、これはピーター・ヘイズ(G. / Vo.)なりの何らかの主張なのだろうか。

 また中盤の「ママ・トート・ミー・ベター」は実際に日本でのライヴでも披露したが大合唱間違いなしの耳に残るフレーズが特にキャッチーなロックをかましており、とにかく最高。ピーターのギターも高音で煽りながら唸らせる。熱いロック、ここに在り。

(吉川裕里子)

*インタヴューはこちらに掲載されています。【編集部追記】

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astor_piazzolla.jpg 晩年期の"アメリカン・クラーヴェ"に残した作品が高音質で再発されるなど、俄かにアストル・ピアソラの界隈が賑やかしい。それは、ピアソラ自身が遺した音が今でも耐久度を持っている、とか、今こそ新しい解釈を迫るものである、といった理由ではなく、「現代音楽内でのピアソラ」をポストモダンの瀬で切取り線を敷こうという些か野蛮な試みの一環である気がしてならない。『タンゴ・ゼロ・アワー』以降なのか、『12モンキーズ』以降なのか、菊地成孔とペペ・トルメント・アスカラール以降なのか、その境界の「線」は分からない。それでも、その「境界線」の上では無数の言葉が行き交い、多くの人が改めてタンゴをイメージしてみたのは確かだろう。

 多くの人がイメージする「タンゴ」が帯びる表層的なエレガンスの裏には歴史の暗みと深みが広がっており、その「暗み」の背景では、ダンス文化とローカリティーが鬩ぎ合っており、19世紀末頃のアルゼンチンのブエノス・アイレスという港町でヨーロッパからの移民たちや少し世間の道を外れた人たちがキューバ伝来のアバネーラにアフリカ系の祭祀性とアルコールを入れて、野放図なダンスする度に零れ落ちる切なさが気化していた。その気化するまでの切なさを少しでも紛らわせるように、バンドネオンのダイナミクスが必要だった訳であり、最初はフルートやヴァイオリンといったものが基調になっていたが、アコーディオンでないとダンスに「間に合わなかった」とも言え、そして、ヨーロッパからの移民たちの故郷喪失者ゆえの切実な想いがタンゴへ仮託(マップ)されることとなり、よりタンゴという音楽は哀愁とヘビーな情感を孕むことになった。その情感が今でもタンゴをときに、悲痛な音楽形式へと引っ張る。

 しかし、こういう側面もある。第一次世界大戦がもたらせた好況なども合わさり、20世紀に入った頃にはブエノス・アイレスは急激に発展し、タンゴを取り巻く環境も変わっていき、人口が増え、ダンスホールなどを中心に盛んに踊られるようになり、人々の娯楽としてブエノス・アイレスの代表する音楽となってゆき、それを見たヨーロッパの人たちが、ヨーロッパ大陸へと運んだ。ヨーロッパに渡ったタンゴは、「コンチネンタル・タンゴ」として編成のスケールが大きく、いわゆる社交ダンス用にモダナイズされることになったということ。このタンゴがエキゾチシズムとして現代に希釈されて、幅広く流通しているのは紛うことない。また、タンゴという音楽自体の「人気」に関して言うならば、40年代から陰りは見えてきていたものの、フリオ・デ=カロからオスバルド・プグリエーセ楽団に至る流れが、アルゼンチン・タンゴの暗みとセンチメントをより「正統」に引き継いでいた。となると、既にそれなりの歴史があったアルゼンチン・タンゴを担い、ときに実験の材料にしたアストル・ピアソラという存在は、タンゴの歴史下での異端者として捉えるべき存在になるのだろうか。僕はそうは思わない。「純正なる冒険者」であり、モダニストという側面から見るのが正しいのかもしれない、と思っている。彼は貪欲にタンゴという音楽を向かい合い、その結果、モダンネスの中でタンゴを「再発見」したとも言える可能性もあるからだ。

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 少しバイオグラフィーに触れよう。アストル・ピアソラは1921年の3月11日にブエノス・アイレス州マル・デル・プラタで生まれているが、幼少の頃はニューヨークで過ごしているのもあり、タンゴ自体への距離感さえ持っていた。8歳の頃に父親からバンドネオンを買い与えられて、少しずつフォルクローレやクラシックを練習し、腕を上げていった。タンゴの持つ可能性に気付いたのはラジオで聴いたエルビーノ・バルダーロ楽団の演奏だったという。

 そして、アニバル・トロイロ楽団への参加、アルゼンチン・クラシック界のアルベルト・ヒナステーラへの師事、フィオレンティーノの伴奏楽団の指揮者、その楽団を発展させたオルケスタ・ティピカを経て、その解散後の50年代に入ってからは他の楽団への作曲、編曲などの過程で、「パラ・ルシルセ(輝くばかり)」、「タングアンゴ」、「トリウンファル(勝利)」、など幾つもの意欲的な曲を残した。印象的なのは、その時点で既に管弦楽からのアプローチが為されるなど、クラシカルな因子が見えるということだ。例えば、それは女性歌手のマリア・デ・ラ・フエンテの伴奏楽団の編曲指揮を手掛けていた時期に作曲した「手の中の天国」、「同罪」、「フヒティーバ」の三曲にも含まれている。1954年に彼は奨学金を得て、パリに留学し、ナディア・ブーランジェに師事し、「クラシック作曲家としての道」を進もうとするものの、彼女から「タンゴを極めた方が良い」との助言を受け、この年、16曲(自作曲含め)をパリ・オペラ座の楽団員たちと録音している。1955年の『シンフォニア・デ・タンゴ』でその一部を聴くことができるが、粗さの中にも彼のタンゴへの情熱の原点となるものが含まれている好盤である。
 
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 パリからアルゼンチンに帰国した1955年といえば、タンゴはもはや大衆文化と密接に結びついている音楽ではなく、チャック・ベリー、リトル・リチャード辺りのR&B~ロックンロールという様式がユース・カルチャーを中心に芽吹きだしている中で、旧来的なタンゴという音楽が持つダンス・ミュージックとしての有効性は低くなってもいた。そんな時代を背に、ピアソラはブエノス・アイレス八重楽団(オクテート・ブエノス・アイレス)と弦楽オーケストラの二つを結成する。前者はすべてインストゥルメンタルであり、ジャズ界から参加したオラシオ・マルビチーノのエレキ・ギターも入った前衛性を持ったものであり、後者はほぼ既成曲をホルヘ・ソブラルが歌うというもので、この二つの活動に関しては巷間の「真っ当な評価」が殆ど伴わなかった。その傷心を受けてか、ニューヨークに居を移し、再び1960年に帰国して組んだバンドネオン、ヴァイオリン、ピアノ、エレキ・ギター、コントラバスからなる、キンテート(五重奏団)を結成し、愈よ活動が軌道に乗ることになってゆくが、以降の作品群は比較的、手に取り易く、録音も良いものも多く、評価軸も定まっているような部分も強い。

 だからこそ、僕自身としては、オルタナティヴとしての突端であった初代オクテート・ブエノス・アイレス時期の『Octeto Buenos Aires』の孕む艶やかさと荒さの共存した独特の音を推したい。今の耳で聴いても、面白く、発見があると思う。ピアソラのバンドネオン演奏自体の豪放さ、「Marron Y Azul(栗色と青色)」といった名曲含め、過度な前衛性に傾ぐ寸前でハンドルを切り返す様な危ういバランスも楽しむことができる。マテイ・カルネスクの言に沿うならば、モダニズムとは美を決して変わることのない永遠の価値とするのではなく、不断の変化、「新しさ」を追求して常に前進し続ける運動の形態と捉えることが出来る。ピアソラのオクテート・ブエノス・アイレスには、「新しさ」があるからこそ、多少の無愛想さと厚顔、加え、青さも見受けられる。しかし、芸術において起こりうる唯一の過ちが模倣であるとしたならば、ここでは模倣としての芸術が陥りがちな不遜さを周到に回避しながら、凡庸なラジカリズムへの忠信よりももっと性急な「前進」への欲動がおさめられている。

 晩年の高評価、また、再更新されてゆく彼を巡るイメージを出来る限り迂回するように、1955年前後の彼の活動及び作品の持っていたパトスを主題に置いて、「それまで」を書いたのは、どうしても、作品としては80年代の五重奏団によるものが薦められやすく、『タンゴ・ゼロ・アワー』など形態を変え、何度も再発されることもあり、それ以前の「音源」自体がどうにも正当に評価枠に入りきれない気が個人的にしているからだ。80年代以前でも、60年代での五重奏団での形式でようやく彼が掴んだ手応えやその熱が収められている1965年の『ニューヨークのアストル・ピアソラ』であったり、70年代に入ってからの、1970年の『レジーナ劇場のアストル・ピアソラ』での「ブエノス・アイレスの四季」への対峙の仕方、1974年のイタリア期の『リベルタンゴ』など十二分に美しさと強度を兼ね揃えた傑出した作品も多い。それらの作品群が示唆するのは、トラディショナルなタンゴを内破していった革新者としての側面や現代音楽からのアプローチで彼の音楽を捉えるにはあまりに御座なりになってしまうということだ。例えば、バンドネオン奏者として活躍する小松亮太氏の09年のピアソラのベストの選曲などは潔く、円熟期の彼ではなく、野心を持っていた時期の作品をメインに纏め上げていて、僕は好感が持てたが、タンゴとは、やはり額縁で眺める歴史資料ではなく、その音自体が放つ猥雑で官能的で、それでいて、ダイナミック且つ繊細な要素にこそ、魅惑を感じるべきだという気がするとともに、現在進行形で新しく発見されてゆくような「活きた」音楽なのだとも思う。

 確かに、ピアソラは大衆のための音楽としてのタンゴを藝術の領域まで高めた偉大なる功労者かもしれず、音楽そのものを「眺める」だけでも十二分に感じるものがあるが、彼のステージングを映像を通してでも観たことがある人なら、張り詰めたテンションに鳴動させられたと同時にそのクラシックな佇まいに思うところもあったと察する。ピアソラを巡る解釈や想いは聴取者の数だけ何通りでもある分だけ、様々なコンテクストを踏まえた上で余計なバイアスやイメージを除いて、挑むべきなのだろう。

『Octeto Buenos Aires』の持つ尖りは今なお喪われていなく、ここでのピアソラはポストモダニズムの手の平の上でスポイルされてしまうような匿名性の強い音を見事に回避している。

(松浦達)

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 60年代前半における英米シーンでのブルーズ/フォークというルーツ・ミュージックの再発見の過程で、ビートニク、パンク、プロテスト精神の切れ端が散らばっていた。その切れ端を掻き集め、《ファクトリー》の中でアート・ロック方面に拡張したのがルー・リードであり、商業主義として昇華させたのがアンディ・ウォーホールだったとしたならば、ヴェルヴェット・アンダーグラウンド(・アンド・ニコ)のバナナ・ジャケットのアルバムに詰められた音の設計図を担っていたキーマンはジョン・ケイルだという気がする。あの作品が示す全能的且つ前衛性に詰め込まれた熱の中には、ビートニクからヒッピーイズムへのパラダイムの変化における軋みとアンダーグラウンド・シーンで呻いていた名もなきアーティストたちの声が拾い上げられていたからこそ、尽きない魅惑を今でも持つ。同時に、耳が馴れてきても、明らかに歪みとバランスがおかしい音像を持つあのサウンド・メイキングに加担した「彼」は、クセナキスに師事をし、ドローンへの興味を持ちながら、ラ・モンテ・ヤングの"The Theatre Of Eternal Music(永久音楽劇場)"にも参加し、トニー・コンラッド、アンガス・マクリース、マリアン・ザジーラといった面々と共に、即興演奏を行なったりもしていた。そして、ヴェルヴェッツの骨組みのサウンドの中でケイルのヴィオラやベースが空気を切り裂くとき、そこの亀裂から向こうにニコの倦怠感に溢れた声もルー・リードの闇の詩情も立体的に浮かび上がった。 

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 10年代において"ジョン・ケイルとしてのザ・ストロークス"を想起してみると、繋がる線がある。今回のシングル「Under Cover Of Darkness」でも、過去の代表曲である「Hard To Explain」や「Last Nite」を思わせるという"バック・トゥ・ベーシック"の要素に言及するよりも明らかに奇妙なサウンド・テクスチュアに耳を向けることに意味がある気がするのも事実だ。ミニマルなリズムのドラム、淡々としたベース、予定調和を破るようなギターのフレーズ、低温を保ち続けるボーカル、静かに「熱が籠る」ムード。この出口が埋め立てられた構図は、ロックンロールというフォーマット下で判断すると、「味気のなさ」にも換言できるだろう。それでも、聴いていると、静かに皮膚の裏側から込み上げる何かがある。

 確信犯のようなローファイ、美学にも近いニヒリズムでNYパンクを再写したザ・ストロークスが現れたとき、僕はすぐには乗れなかった。何故ならば、99年頃から、ダンス・ミュージック、先鋭的なR&B、ヒップホップが世界を席巻し、ロックというジャンルでは線の細いギターロックやモダン・へヴィネス、ポスト・ロックといった音が地味に存命していた、その中で、カウンターだったのかも分からないくらい、情報量を最小限に絞った音で01年に、『Is This It』(これはそれ?)とシーンに向けて憮然とロウに問いかけた様は、スタイリッシュでクールであったが、メディアが作り上げた出来すぎたハイプ(幻像)なのかもしれない、とも思ってしまったからだ。加え、ニューヨークから出てきたというのもあり、ヴェルヴェッツ・チルドレンとしての枠内やテレヴィジョンとの近似性で語られ、囲い込まれてしまうことが多かったのに引いてしまっていたのもあった。

 そこから、フォトジェニックなヴィジュアルやイメージ先行な様を覆すようにライヴでの良質なパフォーマンスも確実に浸透していき、色眼鏡やバイアス、世間の声も捌かれて、「オルタナティヴ・シーンの中心」に駆け上がるまではあっという間だった。個人的にも、03年のセカンドの『Room On Fire』に見える不安定な危うさを孕んだバランスには掴まれた(冒頭の「What Ever Happened?」からして《I want to be forgotten》と始まるのには痺れた。)。ジュリアン・カサブランカスの気怠いボーカル、ファブリツィオ・モレッティのストイックながら激しいドラム、ニック・ヴァレンシとアルバート・ハモンドJr.のツイン・ギターのオリジナリティ溢れるフレーズ、ニューウェーヴのようなニコライ・フレイチュアのベースとが組み合わされた結果、化学反応としてローファイなサウンドに"なっていた"が、細部を聴き込むと、楽器の鳴り方から位相まで考えつくされているのが分かる。そのレトロフューチャーなサウンド・フォーマットがどこまでも「新しかった」のだと思う。実際にライヴでも幾度か観る機会があったが、音源以上に淡々とアンチ・クライマックスな展開であっさり終わってしまうのが興味深かった。いえども、別に演奏技量や演出がどうとかではなく、各々のパートにおけるPAバランスも奇妙ながら、見せ方が真摯なのだ。ミニマルな音世界が反復/差異を示しながらも、ふと気になるフレーズが入り込み、聴き手の意識を散逸させつつも、シンプルな8ビートが身体を軽快にスイングさせる。ライヴ後はいつも、ガレージ・ロックというにはモダン・フォーマットの中で再構成されたポスト・パンクと言うべきバンドという認識が正しいような気もしたものだった。
 
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 思うに、ロックンロールという様式美に到達できないということがあらかじめ定まっていると考えるとき、類推と非・リアリスティックな熱情が「非在」としてのサウンドを目指すとしたならば、ザ・ストロークスのビートルズやストーンズといった親殺しを「果たせなかった」ところにこそ意味があり、「未到達」が故の8ビートがアナロジックな模写として本物を「追い越した」のが面白いのだと思う。しかし、音楽というものは、表現への「現象」が創りだす非現実への意識への反転でもある訳で、精確に言うと「未到達」であればこそ、「意識」で考えられるものならば、「作者の死」が岸に打ち上げられる。「非在としてのバンド」は不変たるナラティヴの切断をそのまま機能と修辞効果へと接続させる。そのダイナミクスがザ・ストロークスにはあったような気がする。 

 そういったダイナミクスを背景に、ザ・ストロークスというバンドのチャームは居丈高にクールを気取らない然り気なさも大きかった。しかし、「然り気なさ」の背景で、アルバムを重ねるにつれ、明らかにサウンドが重層的にサイケにさえなっていき、並行して活発に行なわれたメンバーのソロ活動ではそれぞれに、打ち込みを取り入れてみたり、柔らかなポップネスを追求してみたり、各々が持っているルーツや音楽的嗜好が鮮明に見えるなど難渋な複層性を帯びてきた流れがあった。その過程で、R&B~ロックンロールという歴史を換骨奪胎するのではなく、「更新」するためのラボとしての意味を追求しているようにさえ感じられ、バンド・フォーマットを保った上でのこれからがどう見えてくるのか、霞む部分も常に帯びていた。だからこそ、"有機組織体としての"バンドは、"手段としてのサウンド・メイク"が目的化しつつあるのを「引き戻す」作業をする間に、5年という歳月が要ったのかもしれず、つまり、今回の新しい4枚目となる『Angles』までの「5年間」とは、メンバーたち相互の意思疎通がはかれなかったというより、それぞれのアイデアや音楽的背景が堅固でバラバラな分だけ、幾度も試行してみた上で、共通のOKとするラインを見出すことが容易ではなかったという証左だったのかもしれない。
 
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 もはやモダン・クラシックとなった01年の『Is This It』でのラフでファストなロックンロール、03年の『Room On Fire』におけるニューウェーヴ的な"プラスティカルな熱さ"を持った音、実験性とサウンド・バリエーションの多彩さでコーティングされた06年の『First Impressions Of Earth』でのサイケデリア、と作品毎に確実に新しいフェイズに入っていった彼らだが、では、次はどうなのか。今回のシングル「Under Cover Of Darkness」で慮る分には、セカンド~サードの間を埋めるような奥行きのある「音響空間」が活かされつつ、ミニマリズムの中を駆け抜けてゆくソリッドなシェイプと、デビュー当時から彼らが持っていた不遜な余裕が感じられるのには鼓舞させられるものがあり、十二分にアルバムへの期待を抱くことができると言える。また、昨今のクラウド・ナッシングス(CLOUD NOTHINGS)やスミス・ウエスタンズ(SMITH WESTERNS)辺りの音ともリンクしてくるものもあり、ローファイ/シット・ゲイズといったジャンルへも波及する影響があるような気もする。この曲の持つ飛距離は2011年において、より意義深いものがあるだろう。3月に控える『Angles』も楽しみに待ちたい。

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