February 2011アーカイブ

SS

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FLYING LOTUS『Cosmogramma』
DEERHUNTER『Halcyon Digest』
TERROR DANJAH『Undeniable』*画像
EMERALDS『Does It Look Like I'M Here』
WARPAINT『The fool』
MASSIVE ATTACK『Heligoland』
BLONDE REDHEAD『Sparkles』
FOUR TET『There Is Love In You』
やけのはら『This Night Is Still Young』
NEIL YOUNG『Le Noise』






 去年は年始は就活でバタバタしたり、年末は修論に追い込まれていたりと個人的に慌ただしい一年だった。しかし、音楽面では既に巷で言われているように大変充実した年であった。例年以上にCDに金をつぎ込んだが、貧乏学生という身の上、聞き逃したり手を出せなかった力作・傑作も数多い(スフィアン、ビーチ・ハウスごめん...)。しかしながら、一応自分がしっかり聞き込んだものから上記の10枚を選出した。

 ベスト1位は、既存の様々な音楽を切り貼りして自分だけの音楽を創作する、という今私達が取らなければならない方法ですばらしい作品を生み出したフライング・ロータスに送りたい。ジャズ、エレクトロニカ、ヒップホップ、トム・ヨークの声、卓球のボールが弾む音...等、様々な音という音をつなぎ合わせた異形のアルバムだ。2位であるディアハンターの新作はシューゲイズ的なギターサウンドは随分後退したが、そのおかげで彼らの持つポップ・センスの高さがくっきりと表れたと思う。「Helicopter」のまどろみつつ優しく包まれるような感覚が好きだったが、先日の4AD Nightで演奏された同曲はまるでヘリコプターのローターが突っ込んでくるような鬼気迫る凄味を帯びていて心底圧倒されてしまった。今後が本当に楽しみなバンドである。

 テラー・デンジャは自分に改めてグライムとダブ・ステップの面白さを教えてくれた。挑発的なサウンドが多いが、その中にメランコリックな10曲目があったりと聞いていてもなかなか飽きない構成になっている。ウォーペイントは耽美的で漆黒なバンドサウンドの中、ヴォーカルの高く透き通った声が響くのがとても希望を感じさせてくれる。今一番ライブが見たいバンドだ。

 ブロンド・レッドヘッドをきちんと聞き始めたのは実は本作からであるが、その深淵な雰囲気からジ・エックスエックスを想像させられた。ウォーペイントを聞いた今だと、その両バンドの中間に位置する音を出していると思う。こちらも4AD Nightで見たが、CDよりもライブ映えするように手を加えられており、ステージの照明やヴォーカルの妖艶さもあってか演劇を見ているかのような心地であった。

 そのほかニール・ヤングやマッシヴ・アタックも力作を出してくれたし、やけのはらのデビュー・アルバムは、あの暑苦しい夏を快適に乗り切る大きな手助けになった。今年もディアフーフ、アクロン・ファミリー、ジェイムス・ブレイクの新作となかなか好調な出だしを切っているので、リスナーとして充実な1年になることを期待したい。

(SS)

@uskuskuskusk

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JONSI『Go』
MICE PARADE『What It Means to Be Left-Handed』
THE INNOCENCE MISSION『My Room In The Trees』
FREELANCE WHALES『Weathervanes』*画像
JANELLE MONAE『The ArchAndroid』
WARPAINT『The Fool』
LOCAL NATIVES『Gorilla Manor』
ADMIRAL FALLOW『Boots Met My Face』
ALLO DARLIN'『Allo Darlin'』
オウガ・ユー・アスホール「浮かれている人」EP






 2010年は、フリーDLはフルストリーミング試聴がぐっと増えたこともあって、例年より、かなり多くのアルバムを聴いた気がする。

 その中でも、ティーンエイジ・ファンクラブ、ジャミロクワイ、ベン・フォールズ&ニック・ホーンズビィ、ジョン・レジェンド&ザ・ルーツ、ジョン・バトラー・トリオ、スティング、ジェフ・ベック、キャスリン・ウィリアムズ、ケミカル・ブラザーズ、ベル・アンド・セバスチャン、アーケイド・ファイヤーなどの、中堅・ベテラン勢がたくさんの充実作を聴かせてくれた。聴いた量が例年に比べ多かったからか、個人的には、豊作の年となった。

 で、今回は、そのたくさんの収穫の中から、是非、クッキーシーンを読んでいる方々にだけは、どうしてももれなくチェックしていただきたい新人を中心に10枚をチョイス。

 騒がれてるものから、全く騒がれてないものまで、これから騒がれるのかもしれないものも含め、ちゃんと聴いて、良いものだけ選びました。

 個人的趣向の中心にある寒い土地系/ほっこり系を中心に、節操のないチョイスをしましたので、是非、マイスペなどで聴いてみてください。

 みんなの共通話題になるような大ヒットが生まれにくくなった分、なんでもすぐに試聴ができるようになった分、掘り返したものをみんなで共有することの楽しみが膨らんだ気がしています。

(@uskuskuskusk)
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「artワンマンはパンクバンドばりに曲数が多い」。開演前にギターの戸高はTwitterにて、こうツイートしていた。確かに、そうだ。ART-SCHOOLのワンマンでは、20曲を超えることはほとんどで、時には30曲以上演奏することすらある。しかも、この時は10周年記念ライヴのセミ・ファイナルであり、フロントマンの木下のホームタウンでもある大阪公演だ。下記にセットリストを掲載したが、結果的には新旧織り交ぜた27曲がプレイされる長丁場となった。しかし、最終曲「ロリータキルズミー」まで確かな熱量を伴ったライヴだった。

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 新年1週目の週末の外気はとても寒い。梅田シャングリラ前の歩道を、何人ものファンがART-SCHOOLの一つの節目となるであろうツアーのファイナル・イヴを見届けようと長い列を形作っていた。

 開演時間の19時ちょうどくらいに、客席が暗転し、彼らのお決まりのSEが流れ出す。エイフェックス・ツイン「Girl/Boy Song」だ。メンバー4人がステージに現れると歓声があがる。が、いつもは曲の中程で止まるSEがほぼ全て流される。少し遅れて演奏された幕開けを飾る曲は、意外にも、新譜『Anesthesia』のタイトルトラックだ。鈴木の淡々した機械的なドラムから始まり、サビで一気に加速する。オープニング早々、戸高の鋭利なギターが心地良いが、本人は至って自然体でプレイしているようだ。MCを挟まずに「水の中のナイフ」「アイリス」と第1期の曲が続き、新譜からの「Siva」がプレイされる。しかし、どうやら、この時点では木下のボーカルがどこか不安定だ。この曲が終わった後に、MCからその真相が明かされる。「レッドブルを飲み過ぎて正直、気持ち悪いんですよ」と戸高が言うと、「俺さっき3杯飲んじゃったからね...」と木下。レッドブルの効用が仇に出たのか、少しスロースターター気味になってしまっていたようだ。

「久し振りに演る曲です」との戸高の言葉と共にプレイされたのは、「ガラスの墓標」。続けて「Diva」「サッドマシーン」がプレイされると、木下の声も温まり出し、どんどん勢いを増す。それに呼応するように、「Black Sunshine」「Outsider」などでは、前列のオーディエンスたちも腕を振り上げる。
 木下が「新年早々、こんな暗いバンド観に来ちゃっていいんですか...本当、暗い新年になっちゃいますよ...」と皮肉交じりのMCを炸裂すると会場も和やかに。相変わらず、10周年でもこういうところは変わらないバンドである。また、「ここ大阪は、あんまりイメージ無いと思うけど俺の地元で、住んでいた高校生の時までは一刻も早く抜け出したかった。鬱屈した生活を送っていて、東京に出て来れてせいせいしたけど、最近は丸くなってきて...。悪いところばっかでもないかなって...」とホームタウン公演特有の心境が吐露される。個人的な話で恐縮だが、僕も木下氏と同じく、大阪生まれの人間で、大阪や生まれ育った京都が苦手で、出て行きたい節が常にあったので、特に共感してしまった。「そんな過去の自分を想いつつ、ここからは憂鬱な曲が4曲続きますが...楽しんでください...」という言葉の後に演奏されたのは「僕が君だったら」「Lost Again」「into the void」「Loved」。特に「Loved」は、その静端な曲調が相まって、この日の陰のクライマックスと呼べるような雰囲気を醸し出していた。

 陰鬱メドレーの後に「爆笑MC何かしてよ」とふられても、リアクションに困る宇野を横目に「めっちゃおもんないやん!このシューゲイザー野郎!」と、宇野の着ている(シューゲイザーの文字と靴がプリントされた)オフィシャル・グッズをネタにしながら、地元だけあって関西弁を披露する場面も。本編クライマックスでは「ecole」でディアーハンター譲りといったようなニューゲイザー勢を彷彿させる甘美な轟音に酔ったと思いきや、「スカーレット」での鋭利なギターに切り裂かれ、「Under My Skin」の衝動が襲った。特に「あと10秒で」は、ラスト定番の曲ではあるが、今まで以上に確かな熱量に覆われており、この日の陽のクライマックスと呼べるような雰囲気を醸し出していた。

「Fade To Black」を終え、ステージを去ったメンバーをアンコールの拍手が追う。数分おいて、再び現れたメンバーは、戸高がビーズの物まねをしたり、それに対抗した木下が、適当にフジファブリック「バームクーヘン」を歌ったりと本編では出さなかった茶目っ気を披露したかと思うと、木下が忽然に「この会場で今、睡眠薬を持っている人はいないかな」とオーディエンスに問いかけ、所持しているファンを挙手させる。「眠れなくて...こういった部分も今年は全面に押し出そうと思ってて。。医者に予約した時が一番心が休まるんですよね...」と赤裸裸に吐露し、戸高も「『錠剤をくれよ』って歌詞あるもんね」と間の手を入れる。僕もマイスリーという入眠剤などを携帯していたが、ハルシオン(ディアーハンターの新譜、『ハルシオン・ダイジェスト』をもちろん想起するだろう)などを所持するファンに焦点が向いた。一連のMCの後にプレイされたのは、第1期からの選曲では珍しい「I hate myself」。かの流れの後だけあって、なんて皮肉なんだろう。「車輪の下」でメンバーがステージを後にしても、まだアンコールを求める声は止まない。

 ダブルアンコールにして最後の1曲として演奏されたのは、「ロリータキルズミー」。たどたどしいイントロで始まりはしたものの、この日一番の喚起と熱をもって演奏された。

 10周年を迎えたART-SCHOOL。彼らは自他ともに認めるライヴ・バンドであるが、この熱の収まるところはまだ訪れはしないだろう。


セットリスト

1. Anesthesia
2. 水の中のナイフ
3. アイリス
4. Siva
5. ガラスの墓標
6. Diva
7. サッドマシーン
8. Black Sunshine
9. Outsider
10. ウィノナライダーアンドロイド
11. イディオット
12. 欲望の翼
13. 羽根
14. Butterfly Kiss
15. 僕が君だったら
16. Lost Again
17. into the void
18. Loved
19. ecole
20. スカーレット
21. あと10秒で
22. Under My Skin
23. Fade To Black

Encore.1
1. I hate myself
2. Boy Meets Girl
3. 車輪の下

Encore.2
1. ロリータキルズミー

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《悲しみよ、此処に集まれ
/君だけに罪はないみたい
/踊るしかないや、夜明けまで》

(「ラストダンスは悲しみを乗せて」より)

 10年代に入ってからの彼らは「地上」と「地下」、「電子上」と「現実」を行き来するオルタナティヴな実験と大胆な提案を同時に進めた。先ずは、メジャー・レーベルに属している関係上、制約もされるだろう中でのボーカルとギター担当の後藤氏の積極的なツイッターの利用。それによって、すぐに神話的な要素を孕んでしまうアーティストという偶像性から「個」へ降りてゆき、内面や日々の他愛ない感情を吐露する所作は例えば、長尺の自らの来し方を話すインタビューなどで解析される自意識の尖りの先に別に音楽がそのままで設定されている訳ではない、という一部の潮流に対して明確なカウンターを示した。また、USTREAMを使ってツアーの一公演をリアルタイムで提供するという試みも有機的に働いたのも記憶に新しいところだろう。

 思えば、今年の新作『マジックディスク』というアルバムは、これまでのパワーポップを主体に置いた形式から、多様性に富んだ内容になっていた。独特のラップ的なラインが印象的な「新世紀のラブソング」、ホーンを入れたユーフォリックな高揚感がある「迷子犬と雨のビート」、ポスト・パンク的な意匠を持ったダンス・チューン「ラストダンスは悲しみを乗せて」、独白的な歌詞の意味が深く刺さる「さよならロストジェネレイション」など新機軸に軽快に歩みを進めた要素が増え、新しいアジアン・カンフー・ジェネレーション像の輻射を企図した。そこにはこれまでの作品群に必然的に孕んだ「みんなのため」に「絶望的な何か」を見つめる姿勢や「悲しみを背負う」というスタンスよりは、「自分はこう思っているけど、みんなはどう?」という投げ掛けのスタイルへの変化があったように思えた。集合的無意識が彼らを定義した窓枠から外れて、主客転倒を試みるように、逆説的にアーティスト側がファンやオーディエンスの個の一人ひとりに向き合ったと言えるのかもしれない。だから、それぞれのマジックディスクを募集したり、と、兎に角、「個」が持つ感情や想いのフックアップにも意識的であった。

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 彼らはメジャー・バンドとして大きいフェスを主催してしまうレベルでもあり、ホール・サイズでもフルハウスにしてしまうファンの信望も厚いバンドだが、今年は、敢えて意図的に「帝国概念の解剖」を試みようとしていたのはでないか、と個人的に思ってしまう。「帝国」を、恒常システムのパターンに含めて再定義し、分析概念として脱イデオロギー化を図ろうとする所作と換言できるだろうか。また、「例外としての帝国」から「常態としての帝国」へのパラダイム・シフトの背後にあるのは、世界の脱相対主義化である。相対主義は、他者への干渉を抑制する自己懐疑の規範であるが、「自由」などの価値の普遍性が疑われ得ない世界では、その機能は低下してしまうことになる。そこで、「帝国」の必然性が浮上する。だがしかし、その帝国について考えるための概念の嶮しさは必然ではない。では、アメリカ同時多発テロの際、当時のアメリカ大統領ジョージ・ブッシュが「新しい戦争」と言ったようなコンテクストで、非対称的な戦時下で音楽は何に向き合うべきなのか、を考えなければならないとしたならば、今、ライヴで繰り返し演奏される「新世紀のラブソング」はもはやポスト・セカイ、帝国概念の解剖の射程を睨んでいるとも言える部分はある。

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 今回のTour 2010-2011「VIBRATION OF THE MUSIC」の中でも小さいサイズに入るのだろうか、キャパ400人規模の酒蔵を改造した京都の老舗のライヴハウス磔磔(たくたく)で、彼らはまだ出たてのインディーバンドのような瑞瑞しさで愉しそうに演奏していた。実際、後藤氏(ライヴ後、"磔磔、最高だな。"とツイートしていた。)含め他のメンバーも楽しそうな表情が現場で見て取れた。フジファブリックの金澤氏もサポート・キーボードとして入っての5人体制でのライヴだったが、音響のバランスも良い訳ではない分、それが音自体のロウ(生)でラフな質感をダイレクトに示していて、曲の骨組みだけが鮮明に見える中で、既存の曲でも新発見があるものも少なくなかった。『マジックディスク』からの曲を主にしながらも、「Re:Re:」から「リライト」へ繋ぎ、「君という花」のイントロに雪崩れる磐石な後半パートもあり、終始、高い熱量が保持されていた。要所に挟まれたMCでもフレンドリーに皆に話しかけるように、自分のサラリーマン時代を振り返り、バンドと平行してやっていた時期に、直行でスタジオ練習しに行っていたこと、京都の三十三間堂には驚いたこと、仏像や土偶の話など、徒然に喋っていて、ここ(ステージ)とそこ(フロアー)の差もないかのような穏やかな空気があってまた良かった。

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 ライヴという場所は「生モノ」として部分もあるが、グレン・グールド独自の用語に「ノン・テイク・ツーネス(Non-Take-Twoness)」というものがあり、それを援用することもできる。「ノン・テイク・ツーネス」とはその字面通り、コンサートという場では演奏を「やり直す」こと、即ちテイク2を行うことができないことを表す言葉で、コンサートにおける演奏の一回性とほぼ同義であると考えてもいいかもしれない。しかし、この用語には一回性という用語よりも、「より否定的な意味合い」が込められている。より良い演奏を目指すためには幾つものテイクを重ねるということが不可欠であると考えていたグールドは、「テイク・ツーネス」をステージでも求めようとしていた。ライヴでふと表出する「通常の解釈」や「レコード録音されたもの」からは大きく外れているようなアレンジや一聴では間違いかも、と取られ易いインプロヴィゼーション。ここでの「誤解」を巡っての細かい機微はグールドとジョン・マックルーアとの対話『コンサート・ドロップアウト』に見ることができる。

 彼らの場合はロック・バンドだからという矜持もあるのだろう、「一回性」の音楽として「ノン・テイク・ツーネス」を恐れない。だから、ステージ上で臨機応変にアレンジを加え、自由に曲を繋ぐようにその瞬間の熱を大事にするという様は非常に刺激的だった。その様をアドルノがシェーンベルグに寄せた言葉を嚥下した上で定義してみるならば、同時進行の多重性に対する最も鋭い注意、次に何が来るかいつも既に分かっている聴き方という凡庸な補助物の断念、一回的な、特殊なものを捉える張り詰めた知覚、そして時折、ごく僅かの間に入れ替わる様々な「性格」と二度と繰り返されないそれらの「歴史」を正確に掴む能力などを、それ(ステージ)は要求していた、と言えた箇所があったのは紛うことない。

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 今回、まだ僕自身が彼らに根深く持っていた「断層」が少し埋まったように思うことができた一夜になった。その「断層」とは説明するに、ニーチェのルサンチマンという概念の「周縁」を廻っていたものだった。社会的弱者が抱く恨みや劣等感のような屈折した感情が社会への攻撃に向かうときに、運動や宗教という形ではなく、「人生に意味はない」というニヒリズムに行き着きがちな瀬に彼らの「弱者たちのための歌」の数々が僕にはどうにも面映かったのだ。しかし、《何もないです、それならそうで、拗ねていないで、この檻を出よう》(「さよならロストジェネレイション」)と歌う彼らはやはり、生真面目過ぎるロック・バンドであり、それ以上でも以下でもなかった。それが何故か個人的に、嬉しく思えた。

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 とにかく圧巻だった。まず驚いたのがメンバーの衣装。シガー・ロスでは見られない派手な格好は非常に目を惹き、スクリーンの映像にない赤を基調とした民族衣装に近いものをまとい、それをヨンシー以外にもパートナーのアレックスを含む全員が着ているという大変おしゃれなステージ。そして何よりもドラム。アルバム内の「ゴー・ドー」のドラムよりもっと激しいドラミングが終始観客をとらえ、ライヴならではの魅力を大いにみせてくれた。ステージでヨンシーとアレックスが絡むことはなく、ヨンシーはとにかくヴォーカリストに徹し、他のメンバーは全員がジョニー・グリーンウッドかのようにたくさんの機材を操り、特にドラマーが弓で木琴を弾くところは印象的。次にこのアーティストの最大の魅力、それがスクリーンによる演出。衣装と相反するダーク・トーンを基調とし、花や生物などを多く取り入れた夢のような世界を、最初から最後まで多く長くみせてくれたのだ。彼らの衣装もいっそう映えつつ、どちらも消さず強調される美しさ。そこに彼らの骨頂を感じる。ヨンシーはソロ・プロジェクトにおいて"アーティスト"であることを前面に出したかったのではないだろうか。シガー・ロスにおいてヨンシーはギター&ヴォーカルのフロントマンだけであって、彼個人のアーティスト性が見えるわけではない。楽曲、演出、背景、衣装、そのパフォーマンス全てにおいて完璧にアーティストである彼個人を、見せたかったのではないだろうか。そんな気がした至福の時間だった。

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 日本にハロウィンがやってきた。オレンジ色に染められたフレーミング・リップスのステージは、なんとスクリーンの女性器から出てくるという変態なパフォーマンスを見せ、更に彼ら特有の大量の紙吹雪と巨大バルーンの数々で、最初から最後まで大いに盛り上げてくれた。ステージにはメンバー4人のほか黒子ならず全身オレンジ子のスタッフが通り、一般から選ばれた全身オレンジ色のコスチュームを着たフレーミング・リップス・ダンサーズ(筆者含む...)が踊り、時にVo. のウェイン・コリンはメガフォンを使い、シンバルを叩き、ドラを鳴らし、飛び跳ねていた。G. のスティーヴン・ドローズも可愛い日本語でオーディエンスを沸かせた。

 前半の曲は日によって変わり、「ヨシミ・バトルズ・ザ・ピンク・ロボッツ」や「イェー・イェー・イェー・ソング」などを披露。終盤ではライヴのハイライトとなる「レース・フォー・ザ・プライズ」をプレイ。「ヨシミ...」同様、ウェインがマイクをオフにして歌ったことによるオーディエンスの合唱が印象的だった。そして最後には「ドゥ・ユー・リアライズ?」。こちらも英語圏でないにも関わらずオーディエンスに歌わせたウェイン。実力派の彼らの大成功のライヴだったと言えよう。

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 この3日間のショウはフレーミング・リップスとのカップリング・ツアーで、前座のような形での出演となった。その為か、最終日はアンコールなしでの「コンフォーティング・サウンズ」での締めといういつもと少し違った演出ぶり。大阪では4thアルバムの曲を本編に持って来ずアンコールに2曲「スペシャル」~「ズーキーパーズ・ボーイ」と続けて披露したが、ベスト盤を意識してか若干バランスが良くなかったように思え、物足りなさを感じざるを得ない。東京では初日、いつものファンの為に過去一度もなかった「コンフォーティング・サウンズ」も「ルイーズ・ルイーザ」もやらないというイレギュラーなパフォーマンスで大いにオーディエンスを沸かせた。最終日にはお決まりのスタイルで、東京両日ともにプレイした4thアルバムからの曲を本編に持ってきて、エンディング曲を定番にすることで初めてのオーディエンスにも満足できる内容に仕上げていた。一番良かったのは個人的に17日。最終日に新曲を最後の曲の直前に持ってきたのに対し、自然に馴染むよう初めのほうに持ってきたことで全体の雰囲気やテンションも上がって途絶えることなく全編を披露してくれたことが嬉しい。ただ欲を言えばもう少し映像があっても良かったのではないか、前回より映像を減らしすぎたのではないかという点ぐらいだろうか。だが2月のツアーとは違いフレーミング・リップスを観に来たオーディエンスが多かった中、ミューという存在をきっちりと見せてくれていたと思う。

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あけましておめでとうございます。ついに2011年が始まりました! 2010年は、音楽業界だけを見渡しても「新世紀最初の10年」にふさわしい、激動の一年でした。

暗いニュースも多かったですが、CD不況といわれつつポジティヴな気持ちにさせられるトピックにも恵まれていたように思います(クッキーシーンのウェブ移行やムックの発売もそのなかに入りますかね?:笑)。

新しい年のスタートに向けて、そんな2010年を総括(笑)すべく、「2010年のあなたのプライヴェート・ライフを最も彩ってくれた10枚のアルバム」を募集します!

既に各メディアでも年間ベストが発表されていますが、読者のみなさんの"お気に入り"をぜひ私たちに教えてください!

音楽ファンなら誰もが悩みつつワクワクしてしまうこの作業、熱い投稿をお待ちしておりますー!

《募集要項》

1)投稿はサイトのトップページ左上[FEEDBACK]欄からお願いします。

2)送信欄の[タイトル]には「Private Top 10s of 2010」と入れていただけると助かります。

3)【アーティスト名『アルバム名』】の表記で、お手数ですが、2010年にリリースされた新譜(再発盤はのぞく)から、必ず10枚選んで記入してください。

10枚挙げていただいたリストのうち、「画像を掲載したいアルバム」1点の横に、*(米印)をつけておいてください。こちらのほうで画像を探して掲載させていただきます(もし*が抜けてしまっていた場合は、恐縮ですがリスト一番上の作品の画像を掲載させていただきます)。

4)英語表記の場合、アーティスト名はすべて大文字、アルバム名はそれぞれの単語の頭の文字だけを大文字、いずれも半角でお願いします。

<例> KANYE WEST『My Beautiful Dark Twisted Fantasy』

5)もちろん邦楽でも大丈夫です! その場合、アーティスト名は英語表記、日本語表記、どちらでもかまいません(より一般的と思われるほうにしていただけると、ありがたいです。また、日本人アーティストにありがちな「英語の大文字小文字指定」に関しては、編集の都合上無視してください。あくまで「アーティスト名はすべて大文字、アルバム名はそれぞれの単語の頭の文字だけを大文字に」ということで!)。

6)アルバムおよびミニ・アルバム(EP)のみを対象とします。シングルやPV、ライヴやイヴェントなど、さらに音楽以外のもの(映画やDVD、本や雑誌など)は対象となりませんので、ご注意ください。

7)さらに、その10枚のリストに対するコメントをお願いします。コメントの内容はどんなものでもかまいませんが、掲載される形式としては「10枚全部で、ひとまとまりの文章」となります(「10枚のアルバムそれぞれに対するコメントでが箇条書き的に掲載される」わけではありません。「10枚のリスト」と「コメント」がどんな感じで掲載されるのか? という件に関しては、前企画【Private Top 10s of Last Decade: 2000-2009】のそれぞれの記事をご参照ください!)。文字数は自由です(といっても、長すぎても書くのも読むのも大変なので、400文字以上、2000〜3000字くらいまででお願いできれば幸いです)。

8)お名前は本名でもニックネーム/ペンネームでも大丈夫です。ツイッターやブログなどウェブ・ページへのリンクを貼らせていただくこともできます。編集部サイドとしては、そのリンクは「できれば貼りたい」と思っています。

そして、前回の企画【Private Top 10s of Last Decade: 2000-2009】と少し掲載方式が変わり、投稿者のみなさんのツイッターの最新投稿がガツンと表示されるような形になります(【Private Top 10s of Last Decade: 2000-2009】の掲載方式も、今回の【Private Top 10s of 2010】が掲載されるのと同時に変更する予定です)。それゆえ、できればツイッターのアカウントをお持ちであれば、是非とも原稿と同時にお送りください!

9)また、クッキーシーンweb上では表記の統一を図っておりますので、コメントを書かれる前に、こちらのページをご参照ください(もちろん、堅苦しく考えていただかなくて大丈夫です!)。

10)〆切は2月7日(月)、掲載は1月末近くから随時おこなっていく予定です。

なお、ご投稿いただいた方の中から抽選で(ちょっと古いもので申し訳ありませんが)2008年6月、11月、2009年1月におこなわれたクッキーシーンのイベント、クッキーシーン・ナイトのご来場プレゼントとして配布した伊藤英嗣選曲のミックスCD-R3種類の中から1点を、5名様にお送りします。

〆切後、厳正な抽選のうえ、3種類のうちどれか1点をお送りします。当選された方には、2月10日までにメールをお送りしますので、おりかえし住所を教えてください(過去クッキーシーン・ナイトにご来場された方で「これは持ってるので、これ以外のものがいい!」というご指定があれば、その際におうかがいします)。

というわけで、どしどしご投稿をお待ちしております!

2011年1月4日19時00分(TO)

*第3項および第7項の説明を追加/修正しました。【1月8日(土)追記】

*みなさま、すでにたくさんのご応募、ありがとうございます! ただ、編集長伊藤の体調不良(気管支炎)のため、アップ作業が少し遅れてしまいそうです...。最初のアップがおこなわれてから、すぐ〆切になってしまいそうなため(それは本意ではないため)、〆切を1週間のばして2月7日(月)としました。【1月18日(火)追記】

*結局ドタバタしているうち「最初のアップがおこなわれてから、すぐ〆切」になってしまいそうです(「最初のアップ」は2月4日くらいで、〆切が7日...)。すみません(汗)!【2月2日(水)追記】

*最初にアップが2月4日(今日)くらい...というのは無理かも...。本当に、すみません!【2月4日(金)追記】

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hercules&love_affair.jpg 「ダンシング・ゾーン・コンセプト」
 
 これは、ヘラクレス・アンド・ラヴ・アフェアの中心人物であるアンディ・バトラーが唱えたものだ。以降の引用は、彼等彼女達がガーディアンの取材に応じた際に発言したもの。最初にこのコンセプトの一端を語るのは、メンバーのひとりであるキム・アン。

「私達の政治的企みは、否応なしに踊らせること」
 
 そしてこれは、アンディ・バトラーの発言。

「僕は人々の踊ることができる公共の場を作りたい。人々がいる場所で踊ることが重要なんだ」
 
 これは妄想でもなんでもなく、ヘラクレス・アンド・ラヴ・アフェアは本気で全人類を踊らせることを目指している。
 
 前作『Hercules & Love Affair』は各方面で絶賛された(特にピッチフォークの興奮度は半端なかったと記憶している)。アントニー・ヘガティが言うところの「世界最高のクラブには、最高のセックスとドラッグがあった」ということだ。『Hercules & Love Affair』にもこのふたつがあったし、だからこそ玄人ハウス・リスナーからも評価されたんだと思う。発売されているクッキーシーンのムックでも書いたけど、『Hercules & Love Affair』にはディスコの歴史が詰まっている。具体的に言えば80年代の、「パラダイス・ガラージ」や「セイント」がもっとも隆盛だった時代だ。もちろんヘラクレス・アンド・ラヴ・アフェアは「今」の存在だから、単なるノスタルジーでディスコを鳴らしたわけじゃない。でなければ、ディスコであれだけの強度を持った政治性と音楽性をできるはずもない。ディスコというのはハッピーな煌びやかさ(というイメージ)とは裏腹に、歴史的にはナイーヴなものを内在していて傷つきやすいものだ。ヘラクレス・アンド・ラヴ・アフェアの凄いところは、美しいが脆さと儚さもあるディスコという音楽で、あれだけの政治的強度を持った音を鳴らすという矛盾によって評価されたところ。そして、そうした矛盾を孕んだまま評価されたことが、ヘラクレス・アンド・ラヴ・アフェアを「今」という存在にしている大きな要因のひとつであるのは間違いない。

『Blue Songs』では、前作の作風に90年代前半のNYハウスシーンを混ぜた曲が多い。特に「Falling」以降は「It's Alright」以外ジュニア・ヴァスケスのようなハード・ハウスの要素が見え隠れする(少なくとも「Get Your Hands Off My Man」が聴きたくなるくらいには)。ストリングスがハイなグルーヴを生み出す「Painted Eyes」や、前作に入っていてもおかしくない「My House」「Answers Come in Dreams」「Leonora」にはアクが強い卑猥な部分も残っているが、KLF『Chill Out』を思わせる「Blue Songs」などに代表されるように、いままで以上にダンス・ミュージックのアーカイヴを掘り下げつつも、新たな音楽性を開拓しようと果敢に挑戦しているし、ヘラクレス・アンド・ラヴ・アフェア流アコースティック・ソングな「Boy Blue」もあり、ムードに統一感がないぶんバラエティ豊かな内容となっている。一番印象的なのは、すごく流れを意識した曲順になっていることだ。「Painted Eyes」「My House」「Answers Come in Dreams」「Leonora」は前作の延長線上にあり、「Boy Blue」「Blue Songs」がブリッジになって、「Falling」以降でまたアゲる。そして最後は、ロマンティックに「It's Alright」で『Blue Songs』は幕を閉じる。それはまるで、クラブでの一夜を再現しているようだ。おそらく、エロティシズムの次は、非日常の馬鹿騒ぎを取り戻すということなのだろう。

 ゼロ年代に入ると、ダンス・ミュージックは生活のBGMとして機能させることを目指し始める。つまり、日常に寄り添ったものが求められていた。ダフトパンクを筆頭に、アンダーワールドやケミカルブラザーズはポップ・ソングとしての強度を持たせることで。レモンジェリーやロイクソップなどの所謂「ラウンジ」と呼ばれていたものは、アンビエントの思想を参照にしてダンス・ミュージックを鳴らしていた。それぞれ方法論は異なるが、日常にダンス・ミュージックを根付かせようという共通点の元にシーンは動いていた。だがもちろん、ダンス・ミュージックに非日常を求める人が居なくなったわけではない。こうした人々は(アーティストやリスナー全部含めて)、アンダーグラウンドに潜伏していった(蛇足だが、モービー『Hotel』は当時のダンス・ミュージック・シーンの状況を知るサンプルのひとつとしては面白いアルバムだ)。そこでの熱狂が表立って出てきたのが、ニュー・ディスコでありダブステップなんだと思う。

『Hercules & Love Affair』が革命前夜に鳴らされた秘密の乱交パーティーだとしたら、『Blue Songs』とはヘラクレス・アンド・ラヴ・アフェアにとっての始まりである。前述したアクが強い卑猥な部分が薄まった代わりに、より幅広くリスナーを獲得しようとする冒険心が窺える。アンダーグラウンドのエッジを保ったまま広い場所へ出て行くということを、音楽が「趣味」へと向かっている時代にやろうとしているのだ。そう、初期のニュー・オーダーがそうであったように。ヘラクレス・アンド・ラヴ・アフェアは、アンダーグラウンドの熱狂を携えながら、政治的な主張と思想でもって大衆を踊らせようとする確信犯であり、ただの愉快犯ではないことを力強く証明しているのが『Blue Songs』というアルバムだ。
 
 ちなみに、「It's Alright」はスターリング・ヴォイドというアーティストが生み出したハウス・クラシックで、ペット・ショップ ・ボーイズがカヴァーしたことでも知られている。そして、この曲の歌詞にはこんな一節がある。

《Cause The Music Plays Forever》

 こうした一節を持つ曲をカヴァーするところに、ヘラクレス・アンド・ラヴ・アフェアの明確な志の高さが垣間見れる。

(近藤真弥)

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gruff_rhys.jpg 例えば、レディオヘッドは「移動」に伴って喪われてしまう感情や"人間的な、外枠"を「Let Down」という曲で表象したが、アーティストが全世界を対象にしたツアーや取材で疲弊して摩耗してしまうケースは少なくない。また、それがローリング・ストーンズやレッド・ツェッペリンなどの場合だと行く先々のホテルでの乱痴気騒ぎが「ロック・バンドの神話」として増幅してしまうことになったりしたものだが、ウェールズが誇るオルタナティヴ・バンドのスーパー・ファーリー・アニマルズ(以下SFA)のフロントマンであるグリフ・リーズは疲弊にも乱痴気騒ぎにも振れず、15年以上に渡るツアー生活が「日常」と化した中で、訪れる場所でのホテルのアメニティ・グッズ(主に、シャンプーの小瓶)を収集することを楽しみにし、そのコレクションされたグッズと記憶をモティーフにして、ソロ・アルバムを作ることになったという経緯が興味深い。

 彼によると、ツアーを続けられることは"ラッキー"であると言っているから、元来のノマド体質なのだろうし、その体質がいつも音楽面でも良い波及効果を齎せているのは周知のことと思う。母体であるSFAにおけるサイケデリア、アシッド・フォーク、ソフト・ロック、トロピカリア時期のサウンド、カンタベリー・サウンド、バート・バカラックの手掛けた60年代の大文字のアメリカン・ポップスまでを渡り歩くスマートさと、常に「確信的なステイトメント」を作品の中に潜ませてきたそのセンスはこれまでも高い評価を得てきた。近年では、ブーム・ビップと組んだサイド・プロジェクトであるネオン・ネオンでのシンセ・ポップへのアプローチ、ゴリラズ『プラスティック・ビーチ』の客演でも存在感を示すなど多岐に渡った活動も目立っていたが、四年振りとなるソロ・ワーク三作目『Hotel Shampoo』では、彼の持つ音楽的な語彙の多さが如何なく発揮された懐の深いカラフルな作品になっている。ときに、サイケデリックに傾ぎ過ぎてしまうSFAでの"角"を矯め、トン・ゼーやフランク・ザッパが持っていたようなフットワークの軽さと絶妙なバランス感覚を活かしながら、肩の力の抜けたカジュアルな雰囲気が、心地良い。個人的には、SFA名義でのウェールズ語で作られた00年の『Mwng』辺りの柔らかな温度の人懐っこさを彷彿させるところもあり、過度にシリアスな表現や現実逃避としての音楽がシーンに溢れる中、マジカルな音楽そのものの底力を再定義するようなものになっているのが嬉しい。
 
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 ソロとしての前作『Candylion』の、リラックスした箱庭ポップも良かったが、今作はより拓かれた形でコンセプチュアルに焦点が絞られた構成になっており、FLOOR1(1~7曲目)、FLOOR2(8~13曲目)と分かれているように、"シャンプー・ホテル"のための架空のラウンジ・ミュージック的な側面がある。

 カモメの鳴き声とチューニングを合わせるラジオからザ・サークルの名曲「It Doesn't Matter Anymore」が聞こえて始まる冒頭の「Shark Ridden Waters」は美しいハーモニーと旧き良き時代の大文字のポップスが現代に再帰したかのような佳曲で、「最近のぼくは本当に空中に浮遊しているような気分なんだ」という歌詞とシンクする不思議な柔らかさがある。4曲目の「Vitamin K」、12曲目の「If We Were Words(We Would Rhyme)」でのとろけそうな甘美さにはアソシエーション、ハーパーズ・ビザール、サジタリアス、ミレニアム、フリー・デザイン辺りのソフト・ロックの遺伝子と往年のA&Mの作品の影響も垣間見えるし、それらを含めて、全体を通底するサウンド・メイキングにはエンニオ・モリコーネの映画音楽を想起させるメロウネスがあり、ときに微かな潮風と共にザ・ビーチ・ボーイズの香りもする。また、人によっては、ストリングスの挟み方にはヴァン・ダイク・パークスの影が見えるかもしれないし、ステレオラヴ、ハイ・ラマズ、オブ・モントリオール「以降」の如何にも現代的な音響工作が緻密に練られた作品群と近似する温度も感じられるかもしれない。

 そして、彼の人柄そのものが表れた優しい閃きに満ちたメロディーも今回は冴え渡っており、麗しい。勿論、従来通りのサイケなセンスや、隠喩と風刺に満ちた歌詞も耳に残るが、あくまで核たる部分は、オーケストラル・ポップの幻想的なサウンドスケープと、かつての共通言語だった時代のロック/ポップスの魔法を取り戻そうとするグリフの音楽愛への敬虔さだろう。派手さは決してないが、多くの人たちに届いてほしい芯の通った力作だと思う。

《ひとつの文を取り上げて それを繰り返してほしい 人魚のうたが聞こえるまで》(「Take A Sentence」)

(松浦達)

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