February 2011アーカイブ

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今週のカヴァーは、モグワイです。彼らのニュー・アルバムに関するインタヴュー記事は、こちら

「DLすると横幅が1500pixel」となる画像がアップされています。しかし、今回は写真の形が異様に横長なので(笑)あなたのPCやiPadの壁紙に使うのは、むつかしいかも...ですね。すみません!

2011年1月31日13時45分 (HI)

Private Top 10s Of 2010

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「2010のあなたのプライヴェート・ライフを最も彩ってくれた10枚のアルバム」
(=「あなたにとって、2010年を代表すると思われる10枚のアルバム」)

Readers(50音順) 

mew
@uskuskuskusk
2011年2月12日 更新
mew
伊勢谷真臣
2011年6月8日 更新
mew
SS
2011年2月12日 更新
mew
掛川秀之
2011年2月12日 更新
mew
加藤巧
2011年2月12日 更新
mew
Kahei Kirima
2011年6月8日 更新
mew
川原広 a.k.a. K腹
2011年2月12日 更新
mew
韓奈侑
2011年2月12日 更新
mew
草野虹
2011年2月12日 更新
mew
くぼーでぃお
2011年2月12日 更新
mew
小出雄司
2011年2月12日 更新
mew
財津奈保子
2011年2月12日 更新
mew
佐藤雅哉
2011年6月8日 更新
mew
ジンボユウキ
2011年2月12日 更新
mew
taca-soccer
2011年6月8日 更新
mew
たびけん
2011年2月12日 更新
mew
田村聖司
2011年2月12日 更新
mew
tunagarimylife
2011年2月12日 更新
mew
TKD (sheherherhers,vo)
2011年2月12日 更新
mew
ドラム猫
2011年2月12日 更新
mew
七竃沙世子
2011年2月12日 更新
mew
ハラダトモヒデ
2011年2月12日 更新
mew
藤川毅
2011年2月12日 更新
mew
mirai
2011年2月12日 更新
mew
yo-suke
2011年2月12日 更新
mew
横井岳志
2011年2月12日 更新
mew
Ryoichi
2011年2月12日 更新

Contributors & Staffs(50音順)

mew
青野圭祐
2011年2月12日 更新
mew
碇本学
2011年2月12日 更新
mew
伊藤英嗣
2011年2月12日 更新
mew
犬飼一郎
2011年2月12日 更新
mew
小熊俊哉
2011年2月12日 更新
mew
楓屋
2011年2月12日 更新
mew
吉川裕里子
2011年2月12日 更新
mew
黒田隆憲
2011年6月8日 更新
mew
近藤真弥
2011年2月12日 更新
mew
サイノマコト
2011年2月12日 更新
mew
佐藤奨作
2011年2月12日 更新
mew
田中喬史
2011年2月12日 更新
mew
田山雄士
2011年6月8日 更新
mew
角田仁志
2011年2月12日 更新
mew
長畑宏明
2011年6月8日 更新
mew
藤田聡
2011年2月12日 更新
mew
星野真人
2011年2月12日 更新
mew
松浦達
2011年2月12日 更新
mew
八木皓平
2011年2月12日 更新
mew
安永和俊
2011年2月12日 更新
mew
矢野裕子
2011年6月8日 更新

安永和俊

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TEENAGE FANCLUB『Shadows』*画像
BELLE AND SEBASTIAN 『Write About Love』

THE VASELINES『Sex With An X』

EDWYN COLLINS 『Losing Sleep』

BRIAN WILSON『Reimagines George Gershwin』
FRAN HEALY『Wreckorder』
BILL WELLS & TAPE『Fugue』
ALASDAIR ROBERTS『Too Long In This Condition』
NORTHERN PORTRAIT 『Criminal Art Lovers』
トクマルシューゴ『Port Entropy』







 2010年もたくさんのグラスゴーからの素敵なアルバムに出会えました。中でも個人的にはティーンエイジ・ファンクラブの5年ぶりの新作『Shadows』が5月にリリースされたこととそれに続く来日ツアーが最大の出来事です。その待望の新作には、ノーマン・ブレイク、ジェラルド・ラヴ、レイモンド・マッギンリーの3人が、それぞれの人生経験とバンド結成20年以上のキャリアに裏打ちされたソング・ライティングのセンスと綿密なアレンジで制作した楽曲が詰まっていて、改めて彼らの持つ普遍的なメロディーとハーモニーの魅力に感動しました。また8年ぶりの単独公演となった10月の来日のライヴでも新旧とりまぜたベストなセットを披露してくれていてどの公演でも号泣してしまいました。メンバーもすでに40歳を超えていて90年代当時とは違いますし、もちろん自分も同じく年齢を重ねているのですが、こうして大好きなバンドの音楽と一緒に年月を重ねていける幸せを感じたアルバムと来日公演で、それだけでも2010年は素敵な一年だったと思います。

 他、アルバムではグラスゴーの伝説のアノラック・バンド、ヴァセリンズのなんと21年ぶりのセカンド『Sex With An X』、ベル&セバスチャンの愛の溢れた充実の新作 『Write About Love』、アズテック・カメラのロディ・フレイム、フランツ・フェルディナンドのアレックス&ニック、ザ・クリブスのジョニー・マーら豪華ゲストが参加したエドウィン・コリンズの感動の復活作『Losing Sleep』、トラヴィスのフラン・ヒーリィのソロ作『Wreckorder』、奇才ビル・ウェルズがスウェーデンの音響トリオ、テープとコラボしたアルバム『fugue』、スコティッシュ・フォーク界の吟遊詩人アラスデアー・ロバーツの『Too Long in this Condition』など、近年でも特にグラスゴー関連作が充実した年だったと思います。またグラスゴー以外では、ブライアン・ウィルソンがガーシュウィンを再構築した『Reimagines George Gershwin』を、1900年代初頭から受け継がれるアメリカン・ポップの地平を感じさせてくれた作品としてよく聞いたと思います。新人ではデンマークのノーザン・ポートレイトが新世代のネオアコ、ギタポを鳴らしてくれていて、これも素敵な作品でした。国内ではトクマルシューゴの新作を一番よく聞きました。

 毎年、年間ベストになると思いますが、こうした素敵な作品との出会いに感謝しつつ、次の2011年でもまた多くのいい作品を聴けることを期待したいと思います。
 

八木皓平

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CORINNE BAILEY RAE『The Sea』*画像
DE DE MOUSE『A Journey To Freedom』
YUKI『うれしくって抱きあうよ』
MYSTERY JETS『Serotonin』
LCD SOUNDSYSTEM『This Is Happening』
WILD NOTHING『Gemini』
MATTHEW HERBERT『One One』
OF MONTRIAL『False Priest』
SUFJAN STEVENS『The Age of Adz』
JONSI『Go』






「USインディーが猛威をふるい、UKギター・ロックが低迷していた」。どの音楽雑誌をめくってもこのような言葉で2010年のシーンが総括されるであろう。確かに、今年は僕もUSインディーを良く聴いた。ビーチ・ボーイズやフィル・スペクターへの憧憬が散見され、そのノスタルジアはアメリカ全土を覆っていた。彼らは己の好きなままに過去を模倣した。それは一つの制度と呼べるくらいに膨張し、コード化された。アリエル・ピンクのように暴力的なまでにあらゆる過去を切り取り、それらが歪なままに、強引に繋ぎ合せてゆくことによって奇妙な構造物を作り上げるアクトもいれば、過去を巧みに模倣することによってそこにフレッシュな驚き(古臭さとは時に新鮮である)を与えるマジック・キッズのようなアクトもいた。だが、次第にどうしようもなく退屈になってきた。どこかでこんな文章を見つけた。「USインディーはアーティストが楽しそうに、自由にやっていてとても羨ましい。日本のアクトはなんであんなに暗い雰囲気なんだ」。文章が解釈可能性に満ち満ちていて、僕の読解力では何を言いたかったのかさっぱり分からなかったのだが、僕はこれに対しては脊髄反射レベルで反感をもった。文脈をたどるとそこで語られている「自由」とはマーケットを意識せず、ということらしい。僕に言わせてみればそんなことは大きな間違いで、USインディーのアクトは彼らなりに、彼らが該当するマーケットを意識して曲を作っていることは間違いないだろう。日本には同様のマーケットが微小であるため、なかなかそれが難しいということであろう。そこを単純に比較して「自由」云々とクリティ―クするのは大きな間違いである。そんなこんなで僕はUSインディーをほとんど聴かなくなった。いや、聴いてはいたのだが、少なくとも2010年上半期のようなワクワクした心持ちで聴くようなことはほとんどなくなった。ノー・エイジやディアハンターなど非常に良質なアルバムを上梓してきたアクトもいて、かなり心を揺さぶられもしたが、振り返ってみるとUSインディーに拘泥した年、とは全く言えなかったし、「USインディーに希望しか感じない」(これも何かの雑誌で読んだ)とはお世辞にも言えない一年であった。そんな僕が何を好んで聴いていたかと言うと上に挙げた10枚である。

 ヨンシー(Jonsi)『Go』。シガー・ロス『残響』で垣間見せていた「音のポジティヴィティへの希求」が一気に花開き、躍動感に満ちたメロディ、トライバルで多彩なリズム、「成長」をテーマにした歌詞、それら全てが有機的に絡み合った傑作となった。ただ、このアルバムは「僕は君のことを知らないまま終わってしまうのさ 君は誰のことも本当には知らずに 終わってしまうのさ」という内省的な歌詞もひっそりと抱えている。ネガ・ポジのどちらにも振り切れること無いこのアルバムをポジティヴィティのみで語るのは片手落ちだろう。

 スフィアン・スティーヴンス(Sufjan Stevens)『The Age of Adz』。シンプルであることを基調とした「いわゆるUSインディー」を横目に見ることもせず、できるだけ大袈裟に、できるだけ過剰に、できるだけ派手に(全部似たような意味か)己のイマジネーションを爆発させた男が、スフィアン・スティーヴンスその人である。そこではお得意のチェンバー・ポップに無理やりエレクトロニカを縫い付け、ひたすら自分語りをし続けるという、最先端の承認欲求が音として鳴り響いていた。今年もっとも愛おしかったアルバムである。

 オブ・モントリオール『False Priest』。相変わらず、ド変態でファンシーで、ファンキーで、キュートな連中、オブ・モントリオールの新作はあまりに妄想過剰だった前作をスマートにまとめあげた傑作...というものでは全くない。今作も十分に好き放題やっていて、そこが彼らのファンにとってはたまらない。スマートに纏まってはいないが、前作よりもアルバム全体として聴きやすくなっていることは確かである。外部プロデューサーの導入が大きかったのだろう。「表現の深み」など一切必要としない彼らの音への快楽性のみを極めて表層的に追求するその強靭なメンタリティ(一応コンセプトはあるのだからこれは言い過ぎ?)には恐れ入るばかりだ。

 マシュー・ハーバート『One One』。この美しい傑作についてなのだが、ここまでスフィアン・スティーヴンス、オブ・モントリオールと書いていて、変態ばかり書いていることに気づく。彼は新聞紙を破った音、トースターの音、ゴミ箱に落ちた鼠が逃げようとする音を使ってレコード作るような人間である。そんな彼がソロ名義で出したコンセプトアルバム『one one』はいつものハーバートでした。内省へと向かった音像ではあるが、個人的にはそこはあまり気にならず、ハーバートが曲を作れば面白くなるというそれ以上でもそれ以下でもない、ただひたすらハーバートの個性が際立っていることを証明するアルバムだった。

 ワイルド・ナッシング『Gemini』。今年の新人の個人的な大プッシュがこれ。80sポップの要素もあれば、シューゲイズの要素もあり、はたまたチルウェイブのような要素もある、と言えば昨今のUSインディーのデフォルトだろうか。ただ、そこにザ・スミスを盛り込んでみてはどうだろう?「There is a light that never goes out」のどうしようもない内省と生と死の狭間を行くその浮遊感がこのアルバムには満ちている。これはジャック・テイタムという一人のナードのソロ・プロジェクトであり、彼のベッドルームの妄想絵巻であることを考えると、深い内省がこのアルバムに満ちた時に甘酸っぱく、時に穏やかに煌めくポップの根底にあることは想像に難くない。

 LCDサウンドシステム『This Is Happening』。どこまで本気だったのか。彼は一度、二度とアルバムを作らないという発言をした(これは後に訂正された)。そう言ってこのアルバムをシーンに投下した。彼はデビューした時からノスタルジアの帝王であった。「俺はそこにいたんだよ」という言葉に類いまれな無力感を付与しながら颯爽と重い足取りで彼は音楽シーンに現れた。現れた時にはすでにいいオッサンだった。No NYの不機嫌なディスコを基調としながら、それをエレクトロニカの意匠で飾り、彼は全世界を躍らせた。そんな彼の3rdアルバムはいつも通りどこまでもグズグズとしていた。しかも、その音と歌の説得力は相変わらず抜群だった。「君はヒットしたいんだろ。でも僕らにヒットは飛ばせやしない」「僕が欲しいのはただ、君の同情」こんな歌詞を40そこらのおっさんが必死に歌ってたらそれは泣けるでしょう。島宇宙化が進み、ビートルズが決して現れない世界でポップ・ミュージックがどう鳴らされるべきかを模索する男の怒りと涙と諦め、そして決意のアルバム。

 ミステリー・ジェッツ『Serotonin』。誰よりも早く80sにおけるMTV全盛の空気をその作品に盛り込み、至高のメロディセンスを惜しげもなく披露した前作をさらに華やかに、さらにメランコリックに飛躍させたこのアルバムは僕にとって、2010年音楽シーンにおけるハイライトであったと断言したい。この場で挙げる10枚の中でも最も聴いた一枚であることは確かだ。世間で盛り上がっていないのが非常に不思議であり、メディアにおける扱いの小ささはこれは何かの間違いではないかと呟きたくなるほどだ。歌詞の内容も最高だ。「もう遅すぎる」「彼女は行ってしまった」。こんなことばっかり。しかし、聴いていると何とも言えぬ最高の気分になってくる。我々がイギリスの音楽を愛するのはこの出口の無いグズグズした内省が語り手の絶妙なナルシズム(「こんなに内省してる僕...」)とともに、鼓膜を刺激するからに違いない。この高揚感以外は何も見当たらない僕の白痴な文章を読めば、どれほどこのアルバムに涙し、興奮させられたかがわかるであろう。

 YUKI『うれしくって抱きあうよ』。歌詞カードに付いている写真が素晴らしい。YUKIが見えない何かを抱擁している写真が載っている。そこでYUKIは張り裂けんばかりの笑顔、何かを取り逃がしたような顔、妖艶な顔、様々な表情を浮かべている。その中でも圧倒的に笑顔が多く、何かを抱きしめることの喜びが伝わってくる。しかし、その写真でも、歌詞の中にも、そこにいるのはYUKIだけである。彼女は何も抱きしめてはいない。いくら「僕」と歌っても相手はそこにはいない。「君」と「僕」のセカイ系作品ではない。もう一度言うがここにはYUKIしかいないのだ。それでも彼女はそこに何の疑問も無いようにしてを求め、「愛」を歌い続ける。この決意には心を打たれた。「幸せを持ちあわせ 1人より2人なら レコードは廻り出す うれしくって抱きあうよ」「動き出す2つの鼓動 辿りつく涙の岸辺 降り出した雨止まずに びしょ濡れならそのままもいいさ」。このまま、歌詞をひたすら載せ続けていきたい衝動に駆られるが、続きはアルバムを聴いてください。

 デ・デ・マウス『A Journey To Freedom』。自由への旅立ちとはよく言ったものだ。どこかノスタルジックで内省的だった前作とは少々趣が違う。旅立ちへのファンファーレのようだ。メロディは独特のオリエンタルなムードを持ちながらも非常に華やかに煌めいている。このアルバムは子供の声から幕を開ける。彼は「先の見えない真っ暗な未来へと飛び込まされる以前の、真っ直ぐさ」と子供について語っている。あまりに眩しい旅立ちだ。僕はそこに心底やられた。全編を駆け巡る強靭なビートが高揚感に拍車をかける。しかし、このアルバムには秘密がある。なにしろ9曲目は"goodbye parade"なのだ。何も知らずに、無邪気さと戯れることが自由なのではなく、全てを知って、それらを引き受けたうえで、踏み出す一歩こそが自由への旅立ちなのだ。子供は大人にならなくてはならない。子供のような無邪気さが迸るこのアルバムにはデ・デ・マウスの深遠な決意が漲っている。

 コリーヌ・ベイリー・レイ(Corinne Bailey Rae)『The Sea』。夫を亡くした彼女は活動を休止し、沈黙した。そして、彼女はまた、音楽を始めた。この2ndアルバムに収録されている楽曲のほとんどは彼女の亡き夫について歌われたものだ。 「あなたはここにいるの?あなたは今そばにいてくれるの?ここにいるのね?だって心に甦る何もかもが、鮮やかなままだから 何事もなかったかのように感じるの」人は過去の奴隷ではない。しかし、人は過去によって支えられているし、過去がまた未来で反復することもある。時は脳を侵し、肉体を否応なく変容させる。想い出という手に取ることのできない何かは、いつだって僕らの心に現れては消え、それを繰り返す。2010年の僕のミュージック・ライフで最も光り輝いたのは、己の過去と壮絶な争いをした、一人の女性の孤独な、そして計り知れないほどの愛に満ちたアルバムでした。

松浦達

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JAMES BLAKE「Cmyk」EP
MARGARET DYGAS『How Do You Do』
FLYING LOTUS『Cosmogramma』
HAUSCHKA『Foreign Landscapes』*画像
MATTHEW HERBERT『One Club』
SUFJAN STEVENS『The Age Of Adz』
THESE NEW PURITANS『Hidden』
KID CUDI『Man On The Moon Ⅱ:The Legend Of Mr.Rager』
ANTONY AND THE JOHNSONS『Swanlights』
RUFUS WAINWRIGHT『All Days Are Nights: Songs For Lulu』






 僕が2010年に夢想していた音楽風景の一つには「郊外のフロアー」がありました。それは島田雅彦氏の『忘れられた帝国』のようなイメージを帯びてきます。主観世界が、郊外という場を得て、ナラティヴとして成立している中に、切り詰まったグローバリズムの痕の景色が「内在化」されていると言えるでしょうか。そこには、希望も絶望的な何かもなく、ただ平坦で無機的な熱がぼんやりと浮かんでは消えているだけです。だからこそ、例えば、アーケイド・ファイアの提示した「郊外」はすぐそこの僕の生きている生活と密接に結びついていたがゆえに、そこには、普遍性よりも特殊性を見出すことが早いとも言えたかもしれないのです。

 マグネティック・マンが、フロアー及び日常のアンセムに結ばれるようなビッグネスを持った隣で、ロンドンの気鋭、ジェームズ・ブレイクのトラックでは引きの美学と、ネプチューンズやティンバランド以降のヒップホップ、R&Bのセンスとともに、メタメタに記名性が解体されていましたが、これでこそ、踊れる(これでないと踊れない)というユースの感性は頼もしかったと言えます。マーガレット・ディガスも然り、ドープながら、オーディエンス側を揺さぶったフル・アルバムが持つ低温火傷しそうな音像は、宙ぶらりんな時代の空気感に合致したという気がしますし、今年は兎に角、ビートが人を求めていた気がします。例えば、フライング・ロータスのあのスピリチュアルに内側に潜航していきながら、メビウスの輪のようにねじれ、一気に外に拓けてゆくというカタルシスは象徴性が高く、「外密(extimité)」、「現実界(Le réel)」という概念を静態的にしか語り得ていない作品が多い中、現場的な分節過程を表象していた一枚と言えるかもしれません。その音像から零れたビートを受け止めるようにハウシュカ、マックス・リヒター、フランチェスコ・トリスターノのようなポスト・クラシカルなアーティストたちの作品はこれまで以上に柔らかさと懐の深さを見せてきました。

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 シーンという意味では、ニューエキセントリック勢からはヴァンパイア・ウィークエンド、MGMT、フォールズといった面々がセカンド・フェイズに入り、ニューレイヴの代表格のクラクソンズも模索の中で新しいアルバムを作りました。どれもの作品のキーワード、参照点となるのは"80年代、ニューウェーヴ"であり、意図的にサウンドのレイヤーがその時代のような平板なものになっている代わりに、少しロマンティックでホープフルな、真摯な音になっていました。あのブルックリンのフリーキーだったバンド、イェーセイヤ―も、ティアーズ・フォー・フィアーズやピーター・ガブリエルの仕事で有名なジェリー・マロッタのホーム・スタジオを三ヶ月借り、録音を試みるなど、作品自体も洗練化されたものだったからして、90年代以降、続いたオルタナティヴ(代案)の趨勢の果てで、"まだポップ・ミュージックは、みんなのものだった時代(本案)"に、代案を出す側も巡り流れていたと言えるかもしれません。

 そこで、「代案」はグロファイ・チルウェイヴといった音楽潮流に回収されていったのかもしれませんが、その渦中に居ながら、ガレージにローファイに抜けたディアハンターは時代の要請と合っていたせいか、悲痛に重苦しく思える部分があり、どちらかというと、ブラッドフォード・コックスのアトラス・サウンドにおける『Bedroom Databank』のような音こそが、「大きな時代」への柔らかなカウンター、シーンへの批評行為にもなっていたような気がします。あくまで、グロファイ・チルウェイヴの一部としても、現実逃避型のドリーミーな音楽が求められるようになればなるほどに、個々の無意識が示唆する現実における閉塞はより峻厳に現前します。そこで、現前した声を掻き集めたマシュー・ハーバートの『One Club』はやはり美しかったと思います。

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 また、"都市の真ん中の郊外"ではパラノイアックな一大ポップ絵巻を作り上げたスフィアン・スティーヴンスが世界の不全を言及し、ジーズ・ニュー・ピューリタンズは「私は戦争が欲しい」と暗渠から不穏に呟いていたのは印象的でした。そう、都市の真ん中の郊外では憂鬱にならざるを得ないのです。その憂鬱は別に、都市が「在る」訳ではなく、自分たちの過大に膨れ上がったメガロマニアが指し示す幻像だからかもしれない、という要因に依拠します。そうなると、カニエ・ウェストがエゴをあそこまで肥大させたシステムの構造論よりもキッド・カディが何故に深甚なヒポコンデリーを抱え込まざるを得なかったのか、ということを考える方が意味はあるのかもしれません。

 最後に、個人的に2010年は「声の政治性」に自覚的にもなり、特に、アントニーやルーファスが発した"声の小ささ"には救われました。

星野真人

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GLASSER『Ring』 *画像
ARIEL PINK'S HAUNTED GRAFFITI『Before Today』
PANTHA DU PRINCE『Black Noise』
OWEN PALLETT『Heartland』
SEBASTIAN BLANCK『Alibi Coast』
EFFI BRIEST『Rhizomes』
FLYING LOTUS『Cosmogramma』
DEERHUNTER『Halcyon Digest』
TAMARYN『Waves』
POCAHAUNTED『Make It Real』






 2010年を振り返って印象深い10枚をピックアップしてみると、00年代に引き続き、この2010年もどうやらUSインディー三昧のようでした(笑)。その中で堂々の首位を飾ったのは、LA発の宅録女性ソロ・ユニット、グラッサーのデビュー・アルバム。様々な打楽器、弦楽器、シンセを駆使して描かれるトライバルでミニマルな浮遊感と力強くも癒し効果抜群のヴォーカリゼーションによる美しく神秘的な世界感とがマッチングした今作に、もうメロメロ。彼女の凛とした佇まい、アートワーク、PV等トータルではまりました。また彼女とはTrue Panther Soundsでレーベル・メイトであり、ウィスパー・ヴォイスとシューゲ的フィードバック・ノイズが眩し過ぎるタマリン、実験ドローン通過後、スペーシーで強烈なダブっぷりを見せたポカホーンテッドをはじめ、女性アーティストの目覚ましい活躍振りが、個人ランキングにもジワジワと食い込み始めています。ブルックリン発のエフィ・ブリーストなんてオール女性6人組(!)ですし。他に印象深かったと言えばアリエル・ピンクの4AD移籍後の華麗なる変貌っぷり。と言っても毎曲異なる方向性で相変わらず捉えどころがない印象は変わりませんが(笑)、より作品的になったことでより多くのリスナーにも受け入れられ、ようやく広く受けるべき評価を得たのではないかなと。あと12月の初来日ライヴが素晴らしかったファイナル・ファンタジー改めオーウェン・パレット。実は当初個人ランキングではギリギリ圏外だったのですが、ヴァイオリンとエレクトロニクスと美声と軽やかな指先を駆使してのライヴ・パフォーマンスでの楽曲の構築ぶりと、あんな音こんな音をヴァイオリンひとつで表現させるその完成度の高さに度肝を抜かれ、この度の再評価でめでたくランクイン致しました(笑)。聴けば聴くほどその創造性にワクワクさせられる逸品です。創造性繋がりでもうひとつ挙げればフライング・ロータス。大量の音の情報量を短い分数に斬新的なアイデアと目を見張るクリエイティヴティでリビルドしてブチ込んでいくその様は正に圧巻の一言でした。流石です。

 改めて振り返ってみると2010年は偶然なのかバンドというよりソロ・ユニット系のアーティストをよく聴いていたように思います。2011年ではバトルス、アクロン・ファミリーの新作も出るようですし、バンド系のアーティストがゾロゾロとランクインしていくのかなと早くも予想。あと2010年に引き続きジュリアナ・バーウィック(Julianna Barwick)をはじめとする女性アーティスト系も! とにかく2011年もいい音楽と出合えそうです。

藤田聡

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DEERHUNTER『Halcyon Digest』
SCHOOL OF SEVEN BELLS『Disconnect From Desire』
AS MEIAS 『As MeiasII』
GREGORY AND THE HAWK『Leche』
PREDAWN『手のなかの鳥』
SIMIAN GHOST『Infinite Traffic Everywhere』*画像
ANDYMORI『ファンファーレと熱狂』
BROKEN LITTLE SISTER『Memories,Violet&Demons』
EMPIRE!EMPIRE!(I WAS A LONELY ESTATE)『What It Takes To Move Forward』
L'ALTRA『TELEPATHIC』





 2010年、上記おそらくシーンの流れとはそれほど関連性がないですが、でも、現在ってそういうもんでしょうということで選んだ個人的10枚です。
 
 ディアハンターの前作にも勝る深い陶酔感は、ここ数年で彼らを中心としてサイケデリック・ミュージックが更新されていくのを確信させ、新しい刺激でした。来日公演では、ロックバンド然とした『Microcastle』の来日時に比べて明らかに芯の太くなった演奏に心地いい轟音フィードバックが覆い、音源が再解釈され、 それはそれでまた別の魅力がありました。ディアハンターと同じくシューゲイザー的文脈で語られていた(いる)スクール・オブ・セヴン・ベルズは近未来もしくは秘境を思わせるサウンドはクリアさが増して、全体のクオリティが底上げされていた傑作でした。また、90'sエモ好きの自分としては、アズ・メイアスの新譜が10年 振りにリリースされ、そしてその事実よりも、何よりそれぞれの楽器が計算され尽くされ奇跡的なバランスで鳴っている内容の素晴らしさにに、止まっていた時代が推し進められたかのように興奮し。グレゴリー・アンド・ザ・ホークやプリドーンなどの女性シンガーソングライターのクオリティの高い楽曲で感傷に浸り。前者の「Soulgazing」、後者の「What Does It Mean」という曲を何度聴いたか...。エアリアルのボーカル・ギターでもあるセバスチャンことシミアン・ゴーストは透明で空間的な音に暖かい彼のメロディが、いわゆる北欧エレクトロのなかでも豊かさを感じて美しかったです。アンディモリは彼らの俯瞰ていながらも生き急いでいて、脆さも同時に感じる『ファンファーレ と熱狂』を聴いたときは衝撃で、こんな日本のロックバンドなかなかいなかった。メンバーの脱退と加入を乗り越えて2011年の今年にリリースされる新譜が楽しみです。タイトルは『革命』だそうで。
 
 シーンが多様化したと言われてだいぶ経ってもいますが、未だに刺激的な音楽に出会ったときのどきどきが続いているということは、「新しい」音楽は生まれ続けているのだなと実感します。2011年もいい年でありますように。

角田仁志

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ARCADE FIRE『The Suburbs』
JANELLE MONAE『The Archandroid (Suites Ii And Iii) 』*画像
LAURA MARLING『I Speak Because I Can』
CEE-LO GREEN『The Lady Killer』
KANYE WEST『My Beautiful Dark Twisted Dreams』
WARPAINT『The Fool』
MAGIC KIDS『Memphis』
SLEIGH BELLS『Treats』
DEERHUNTER『Halcyon Digest』
DELOREAN『Subiza』





 2010年は、近年になく年間ベストの選出に頭を悩ませた年でした。反面、それはとてもうれしいことでもあったし、シーンが充実していたことの証明でしょう。

 また、面白い動きがいくつもありました。上記ランキングで挙げているものでいえば、ジャネル・モネイとオブ・モントリオール、カニエ・ウェストとボン・アイヴァーなど、アーバン・ミュージックとインディーのクロス・オーヴァー。その結果、世界のチャートからブログメディアにまで支持された作品が誕生しわけでう。ジャンルの垣根が取り壊されるなら、これからもっとユニークな楽曲が生まれてくることでしょう。

 それに、インターネット=フリーという概念が推し進められたことにより、ユニークな動きを見せたのはアーケイド・ファイア。Google Chromeを使い、オーディエンスが参加するPV(「We Used To Wait」)を作り上げてしまいました。これからスパイク・ジョーンズと短編映画を作るということ、そして映像や物語を想起させるコンセプテュアルなアルバムをリリースしたこともあり、アーケイド・ファイアは2010年最も映像的なバンドだったといえます。

 とはいえ、これらの動きはこれからの時代に向けての通過点、という気がします。2011年もワクワクできる曲にたくさん出会える年になるといいなあ。

田中喬史

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PERFUME GENIUS『Learning』*画像
BUFFALO DAUGHTER『The Weapons Of Math Destruction』
CARIBOU『Swim』
GIL SCOTT HERON『I'm New Here』
SUFJAN STEVENS『The Age Of Adz』
ROVO『Ravo』
THE BOOKS『The Way Out』
AUTECHRE『Oversteps』
THE LAST ELECTRO-ACOUSTIC SPACE JAZZ & PERCUSSION ENSEMBLE『Miles Away』
THE LIVING SISTERS『Love To Live』





 音楽という実体のない、人間が作りだした観念に笑い、涙し、時に安らぐというのは、いくら商業と切っても切れない関係になってしまったポップ・ミュージックであっても、僕に、そして誰もにロマンを、または成長させる何かを与えてくれる尊いものである。ひどく淡泊に考えれば、音楽とは観念でしかないが、その観念に、僕らは毎日こころ動かされている。音楽を聴いてきた体験の集積が人間を形成する強い要素と成りうることは珍しいことではなく、むしろ人間に何も与えない音楽があるとすれば、それは観念ですらない。僕はもし、良い音楽を定義するとしたら、人間を形成するとても強い要素に成りうる音楽のことを指して言う。

 近代の価値観で言えば、音楽には創作者の意思が宿っていて、創作者の想いや祈りにも似た願いが聴き手である僕ら聴衆を感動させるのだ、ということになってはいるが、たとえそうだとしても音楽という観念は漠然とした表現であり、創作者の意志を汲み取るのはとても困難であるし、漠然としているから面白いとも言え、創作者の意思が100パーセント表現されているとは限らない。というよりも、100パーセントの表現など成しえないと僕は思う。だからこそ僕らリスナーの想像力が表現というものに対して真摯に向き合った時、音楽という表現は完成する。鳴っている音が全てではなく、聴き手も含めて音楽なのである。そしてそれは聴き手の想像力を音と向き合わせることのみならず、音が聴き手の想像力を触発し、何かを生じさせ、つまりは人間の中にある感受性を音が引き出し、初めて音楽になるという場合が多い。音が音楽として聴こえるとき、創作者と聴き手の関係とは個別ではなく、対等でもなく、一体という言葉がふさわしい。もし音を聴いて、拒絶反応が起こったとしても、その拒絶という感覚もまた、聴き手と音の関係性の中で生まれた音楽の一部である。どんな感情にしろ、聴き手が音を聴いて何も感じないのならば、音が音楽という観念として働かないからだ。

 音を音楽として認知する、あるいは理解する術は時代背景や解説書を読むなど様々ではあるし、解説書から音楽が透けて見えることはあるが、それが音楽の全てではないことは当然で、ひとつの側面であることを自覚しないと解説書をなぞりながらしか音楽が聴こえなくなってしまう可能性がある。実際僕にはそういうことがあったのだった。それは良いか悪いかの問題ではなく、僕はときどき裸で音楽と向き合うことをおなざりにしてしまっていると自分で感じることがある。できることなら裸で音楽の前に立ちたいと思っているが、ほんとうの意味で先入観を抜きに音楽の前に立つことは不可能で、言ってしまえば音楽を音楽だと意識した時点で先入観を持っている。先入観を覆されることも音楽の醍醐味だということは分かっているつもりだが、僕としてはやはりというべきか、裸で聴きたい。そして言葉にしたい。でもそれは不可能だということにもやもやしてしまう。いっそのこと岡田暁生の『音楽の聴き方―聴く型と趣味を語る言葉』(中公新書)にあったように、音楽を語る言葉も含めて音楽だと考えれば腑に落ちるのだが。

 選んだ十枚はなるべく裸で聴きたいと思い、これからも聴き続けたいと思った盤であることと同時に僕を構成する強い要素になったのではないかと思える盤でもある。特にバッファロー・ドーター、ギル・スコット・ヘロン、パフューム・ジニアスは聴いていると知らない自分がどんどん胸の内から広がってきた。こんな気分は初めてだ、というやつだった。とんでもなく革新的な音楽ではないと思うが、それでも、音楽に身を乗っ取られる思いがした。不器用な僕はそんなふうにしか音楽を愛せないのである。旧譜なので十枚には入れていないが続々と出てくるマイルス・デイヴィスのライヴ盤を聴いたり、武満徹を聴いた一年でもあった。これまた十枚に入れていないがコーカスとヘラジカはライヴを観たら僕の中で印象がガラッと変わった。とても面白いことをやっているバンドだと思う。秋口に極度の不眠症になったが、やはり音楽はリアルに響いてくるのだなと実感した2010年。今年はさらにリアルに音楽と一体になりたい。音楽シーンに爆発的な何かが起こりそうな予感がする。

佐藤奨作

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KANYE WEST『My Beautiful Dark Twisted Fantasy』
MGMT『Congratulations』*画像
SLEIGH BELLS『Treats』
FLYING LOTUS『Cosmogramma』
DEERHUNTER『Halcyon Digest』
ARCADE FIRE『The Suburbs』
VANPIRE WEEKEND『Contra』
BEACH HOUSE『Teen Dream』
NO AGE『Everything Between』
BRIAN ENO『Small Craft on a Milk Sea』
SCHOOL OF SEVEN BELLS『Disconnect From Disire』






 今から10年程前、僕はリヴァイバル・ムーブメントに熱をあげていたのですが、とある友人と、CDを買う基準についての話しをしていたところ、その友達曰く「どうせ自分がお金を出して買うなら滅多に聴けない良い機材を使っているか、制作費がかかっているCDを買いたい」というなんとも夢のない基準に。リヴァイバル・ムーヴメントからマネーよりもアティチュードを感じとっていた僕は、真っ向からそれを否定しました。ところが、10年たった今、カニエ・ウェストを聴いてそれに気づかされてしまったわけです。直前まで「サーフ」や「ローファイ」「チルウェイヴ」といったキーワードから、どちらかと言えばあっさりとした音楽に触れてきた僕ですが、300万ドルの制作費をかけたカニエ・ウェストのこってりとした音にすっかり耳を奪われてしまったのです。あらためて、CDが売れない時代な昨今の事も考えながら、こういったアプローチから購買意欲を誘える(そういった事ができるアーティストも当然限られる)という意味でも2010年のベストです。

 と、いきなり金の話しからスタートしてほとんど内容に触れる事がなかった2010年の10枚ですが、次に選んだMGMTで語るのは皮肉です。2010年、僕が一番聴いたのはこのアルバムなのは間違いないのですが、先ほども少し触れた、「サーフ」という2010年初頭にでたこのキーワード。いったい今はどこの海を漂っているのでしょう。それこそ消費社会(または、2010年終わりにドロップされたカニエ・ウェスト)というビッグ・ウェーブにでもさらわれたかのごとく、随分と沖合いに流されてしまった気がしてなりません。ザ・ドラムスのギターが脱退したと聞いて、「そんなバンドもいたね」とか言ってるレベルではありませんか(それはちょっと言いすぎでしょうか)。そんな皮肉と、2010年の時系列をランキングで表現したい意味も含め、2位はMGMTです。

 3位のスレイ・ベルズは音がでかすぎるという点で3位です。何を言ってるのかと思われるかもしれませんが、実は1位のカニエ・ウェストを選んだ理由と根本は同じで、CDが売れない昨今を横目に見ながら、鼓膜の振動に酔いしれるような話しで(これでも何を言ってるかわかりませんね)、つまり、ライヴ会場に行けば鼓膜の振動に酔いしれる事はあろうとも、CDを聴いただけでそういった経験をするってあまりないかと思うのですが、これはそんな体験を視聴だけでさせてくれる貴重な一枚です。つまりCDで聴くからこそ意味がある。売れない時代へのカウンター・パンチ。まあ、とにかく音がでかすぎます。取り合わせの妙も相まって2010年屈指のインパクトではないでしょうか。

 こんな具合に、トップ3までは明確な理由がありますが、以下アーティストは前作からの延長で、期待通りの作品を作り、そしてそれがより世界に開かれたという印象でしょうか(ただ、その中でもフライング・ロータスのように踊らせる作品ではないと気付かされてから自分の中で評価が上がった作品もありますが)。いずれにしても、こんなにも年間の前半、後半を通してガラリと印象のかわる事もなかったと記憶しますが、それこそ、10年前のようなムーブメントは起こりにくいのでしょうか。今回僕はスレイ・ベルズ以外、デビュー・アルバムは選びませんでした。ここ最近の、CDが売れなかったり、そこから解散に至ったり、消費社会のスピードにいささかげんなりしたり、そういった諸々のネガティブな要素に抵抗するべく期待をこめて2作目、3作目をチョイスしたつもりです。まあ、ビートルズだってデビュー・アルバムが『Rubber Soul』だったわけではありませんでしたので。

 ほとんど、作品の内容に触れず、まわりくどい嘆き(CDが売れないだとか)をつぶやいてしまった感がありますが、これだけインフラが整うとわりと失敗する事もなく堅実な消費者になりますよね。そして、そこに付加価値を求めたり。打算的ですね。なんだか、アティチュードとか言っていた昔が懐かしいですが、僕が三十路になった分時代もかわったのでしょうね。

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