GRAPEVINE『真昼のストレンジランド』(Pony Canyon)

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grapevine.jpg ようこそ、ストレンジランドへ。

 この約1年半振りに届けられた彼らの通算11枚目のオリジナル・アルバムは、これまで彼らが『Sing』以降、追究してきた実験性と彼らが本来持っていたポップ・センスを兼ね備えた素晴らしいサウンドであるだけでなく、最早、一つの長編小説と呼んでも一切差し支えない豊満な文学性に満ちている。ロックやポップ・ミュージックを語る際に「文学」という言葉を使うことは、今となってはネガティヴなイメージを持たれることも少なくないが、ここでは、絶対的な賞賛と敬意をもって「文学」という言葉を使っていこうと思う。なぜなら、日本のロック・シーンにおいて、「文学的な」バンドというのは、本来、彼らグレイプバインを指すような肯定的な意味合いをもっていたはずであるからだ。
 
 架空の都市『真昼のストレンジランド』を舞台にした、このフル・アルバムにして長編小説は、例えばアメリカ由来の文学を米文学、イギリス由来の文学を英文学と呼ぶのが通例であるように、ストレンジランドの文学、すなわち「異郷文学」と言える作品だ。かつて、彼らはアルバム『Here』において「南行き」という曲を歌ったり、『Circulator』に収録されている「B.D.S.」をライヴで披露する際には「南部の男になってくれ!」のシャウトと共に演奏を始めたり、前作『Twangs』リリース前後にはテキサスのショーケース・ライヴ・イベント、SXSWに出演するために現地に飛んだりと、アメリカ南部ルーツのカラーを押し出してきたが、このストレンジランドもまさにアメリカ西海岸沿いのどこか南部地方をイメージさせる。でも、そんなことは実はこのアルバムに入って行く、ストレンジランドを旅する上では大した問題ではないのだ。実際に、アルバムを飾る「Silverado」がカリフォルニアの小さな街だと知っていても、曲中に出てくるアルバカーキが、今ではポートランドを拠点に活動しているザ・シンズの本当の故郷としての街であることを知っていても、だ。だって、思い返してもみてほしい。彼らの7枚目のフルアルバムが『deracine』という、フランス語で「根無し草」を意味する言葉であったことを。そして、そこには「放浪フリーク」なんて曲すら収録されていたことを。ここでは、乾いた文学性をもった一人のピカロによるストレンジランドの放浪記が記されているといったところで十分だろう。
 
 デビュー当時から様々な文学作品からの引用、影響を公言しており、実際に不条理文学を思わせる『Everyman Everywhere』というミニ・アルバムをリリースし、モーパッサンをユーモラスに取り上げつつファンキーな女性を歌った「マダカレークッテナイデショー」をリリースするなど、挙げだすとキリがないほどの文学的素養に満ちた数々の作品を歌ってきた田中和将であるが、今作も「ヘミングウェイ」や「ピカレスク(文学)」といった言葉を用い、「This town」においては何と作中作を表す{}という記号すら使っている。小手先だけの器用さで、そういった手法を用いることはできたとしても、恐るべきことに、歌詞全体を見渡しても情景的かつ叙情的な「詩」が成立してしまっていることは、最早、彼らのファンにとっては、自明の理でもあるが、もう一度、それを思い返させてくれる完成度を保っている。アルバム最終曲であり、先行シングルである「風の歌」、現時点での彼らの到達した珠玉の一曲は、そんな文学性と彼ら従来の王道的なサウンドが渾然一体となった新たな名曲である。

 サウンド面についても見てみよう。冒頭でも紹介した通り、今作は近年の彼らの実験性と初期の彼らが持っていたメロディの良さが混ざり合った上で、田中の圧倒的に表情豊かなボーカルがのった、「歌」のアルバムである。元々はルーツ・ロックに根ざしていた彼らではあるが、『From A Smalltown』リリース以降から、田中をはじめとしたメンバー全員がバトルズやウィルコからの影響を公言するようになり、『Sing』から『Twangs』にかけては、グリズリー・ベアやダーティ・プロジェクターズをフェイバリットに挙げたりもしていたこともあって、『Twangs』はブルックリンの雰囲気を彼らなりに消化した作品だった。そこには、彼らの昔からのファンを困惑させるようなきらいもあったことは否めないのだが、今作はそんな従来のファンをも掬い上げながらも、実験性も併せ持った堂々たる一枚と言えるだろう。アルバムのリード・トラックであり、フレーミング・リップスを意識したという「真昼の子供たち」は、そんな彼らの実験精神とポップネスが見事に融合した曲であるし、ベック『Modern Guilt』から影響を受けたという「ミランダ(Miranda warning)」などは、静寂と躍動による臨場感に溢れた曲であるし、タイトルからして陰美な響きをもつ「Sanctuary」は80'sゴスっぽい妖艶さを現代のエクスペリメンタル感をもってうまく表しているし、「夏の逆襲(morning light)」などはインストかと思いきや、たった2行の歌詞とどんどん広がっていくサウンドでいつまでもリスナーの心を掴んで話さない曲となっている。非常に触れ幅が広いにも関わらず、どれもポップで聴き辛い曲がないのだ。
 
 さて、アルバムを聴いてみよう。ストレンジランドを旅してみよう。そこで気付くはずだ。このストレンジランドこそ、自分自身の内面世界であることを。そう、これは、ストレンジランドの放浪記であり、あなた自身の放浪記であるのだ。しかも、もちろん、それは「自分探し」なんてものじゃなく、あくまで異郷探訪である。つまり、自分自身の内面と不条理な世界、あるいは認識していなかった自分自身とが混ざり合う地点で書かれたあなたの探索レポートなのである。あなたは、その道中で一つ一つの場所や出来事や人に出会い、そしてそこからまた進みだして行く。その出来事の奥へと足を進めるかも知れない、あるいは全く違う別の場所へと向かうかも知れない。それでも、「悲しいほど道を描いて」ゆきながら、「散らばってくそれぞれに理屈を抱えて、ただ元の場所にさよならを言うんだ」。

 この異郷文学は、彼らのお得意の手法であるこんな寸止めで終わる。《風に吹かれて、たった一つの》。「たった一つの」何だろう?それは、このストレンジランドを歩んできたあなた自身の放浪記に既に記されているはずだ。

 長く書きすぎましたね。とにかく、あなたのすぐ目の前にストレンジランドは広がっている。そして、あなた自身の「たった一つの」は、そこにある。さあ、行ってらっしゃい。

(青野圭祐)

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