神聖かまってちゃん『つまんね』(Warner Music)

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 正直言うと、最初は神聖かまってちゃんに興味はなかった。もっと言うと好きではなかった。大昔に(と言ったら偏屈なパンクスに怒られそうだが)セックス・ピストルズがやった、「ノー」を突きつけ未来をこじ開けようとしたことのクリシェにしか見えなかったからだ。現在の複雑な時代において、ピストルズを「まんま」演じているかのような姿には吐き気がしたし、初期マニックスのような計算されたセンセーショナリズムも見られなかった。しかし、インタヴューやライヴを追いかけていくうちに、神聖かまってちゃんに対する僕の見方は変わっていった。ただの駄々っ子にしか見えなかったの子の言動に見え隠れする批評精神や知性。発言や歌詞で発露される真面目さ。様々なイメージや装飾を取り払い神聖かまってちゃんそのものに焦点を当てたとき、正統派なロックンロール・ヒーローの系譜に連なるの子の姿が現れた。

『つまんね』『みんな死ね』を聴いていると、本当に心の底からの言葉を歌っているんだなと感じる。この世界を生きるうえでのイライラや劣等感を「真っ直ぐな皮肉」という言語感覚でもって、ポジティブで溌剌としたエネルギーに変換されているのには驚いた。たぶんこの言語感覚は同世代でないと理解しづらいものだし、決して誰もが分かり合えるというものではない。でも、神聖かまってちゃんの目的は同時代性を歌うことにあるわけだから、寧ろ多くの上の世代に渋い顔で素通りされるほうが嬉しいのかも知れない。

 だが、『つまんね』の厄介なところはどこまでも「かまってちゃん」なところである。『つまんね』は「チルウェイヴ?」と思ってしまうような目配せすら感じるポップな1枚となっている。の子もソングライターとして優れた能力と魅力を発揮していて、その魅力を生かした曲の構成もよくできているし、演奏もメンバー全員バンドとしてのグルーヴを意識しているかのような一体感もある。僕はどんなに時代とマッチしていたとしても、音そのものがつまらなかったら興味が持てないのだけど(神聖かまってちゃんが好きじゃなかった一因もこれにある)、アルバム全体に試行錯誤の跡が見られる。そして、この試行錯誤に「かまってちゃん」としての本音が表れているから厄介なのだ。『つまんね』『みんな死ね』というタイトルは、聴く者に唾を吐きかけるためのものではない。『つまんね』の後には「だろ?」という言葉が続く。つまり、神聖かまってちゃんはコミュニケーションを求めている。そのコミュニケーションの相手は、この世界に生きるすべての人々だ。『つまんね』を聴き終えたとき、僕は「何が?」と答えた。すると、僕の中で歯車が噛み合う音がした。「つまんね」と呟きながらも、神聖かまってちゃんの音に心が揺さぶられる僕が居たのだ。

《なるべく楽しいフリをするさ誰だって / 憂鬱になると気づけば誰もいないんだ》(美ちなる方へ)

 このフレーズは見事にロックの本質を言い当てている。ロックとは虚構である。その虚構の積み重ねによって、「現実」を抉り出すのがロックなのだ。そういう意味では、今もっともロックな存在なのは神聖かまってちゃんであるのは間違いない。もちろん、こうした姿勢を維持したまま神聖かまってちゃんとして活動していくのは厳しいかも知れない。ピストルズは消滅してしまったし、マニックスはリッチーという尊い犠牲を払った。「リスク・コミュニケーション」というのは大きな力をもたらしてくれるが、欺瞞がない分とても傷つきやすい。だから僕は、常にこの言葉を問いかけながら神聖かまってちゃんを応援していきたい。

「お前ら生き抜く覚悟あんのかよ?」

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