神聖かまってちゃん『みんな死ね』(Perfect Music)

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『つまんね』『みんな死ね』は、どちらも神聖かまってちゃんの「今」と「本音」がしっかり刻み込まれているアルバムだ。本当なら、2枚を抱き合わせ2枚組としてリリースすべきだったと思う。まあ、結果的にインディだろうがメジャーだろうが変わらないということを示しているからいいけど。 

『みんな死ね』というタイトルは、「死んだように生きるくらいなら死んでしまえ」ということだと思う。でなければ、《さんざんな目にあっても、忘れ方を知らなくても、僕は行くのだ》(怒鳴るゆめ)と歌うような曲を『みんな死ね』なんていう名のアルバムに入れる必要はない。そして、「死んだように生きるくらいなら死んでしまえ」という言葉は神聖かまってちゃん自身にも向けられている。 

《僕だけどあたしもいる、嫌われても人間らしく、素直に今を歌いたいのです》(自分らしく) 

 神聖かまってちゃんは、「死なないため」にロックを鳴らした。だが、「死なないため」のロックがバンド自身だけではなく人々に「生きるため」のアンセムとして広まったとき、神聖かまってちゃんは人々に覚悟を見せなければいけなくなった。『みんな死ね』には、そんな覚悟が垣間見れる。行き過ぎた言葉の表現に隠れがちだけど、神聖かまってちゃんが言いたいことは「生きさせろ」というすごくシンプルなことだ。『みんな死ね』というタイトルには、「みんな死んだとしても俺達は生きてやる!」という意味があって、聴いてると刹那的なものではなく「未来」を感じるのもだからだと思う。「僕のブルース」は自暴自棄な歌詞だけど、これは誰もが遭遇する「すべてを投げ出してしまいたい」という瞬間をの子なりに表現しただけ。「自殺する日も近いと思うから」というフレーズだけを切り取って、「過激で物騒なアルバム」なんて評する人もいるだろうけど、アルバム全体で聴くとポジティブな印象を抱くはず。ただ、このアルバムをポジティブなものとして受け取るには条件がある。それはリスナーの「依存」だ。神聖かまってちゃんがリスナーに「依存」を求めるのは、自分達だけでは「弱い」と認識しているからで、「弱い」と認識できる強さがゆえに『みんな死ね』という言葉が輝くのだ。

『つまんね』『みんな死ね』というのは、神聖かまってちゃんが未来を考えるうえでの自問自答の末に生まれたものだと思う。『つまんね』は自分達に「お前ら生き抜く覚悟あんのかよ?」と問いかけるアルバムだとしたら、『みんな死ね』は自分達に対する返答だ。だけど、決して内省的になっていないのは、その自問自答をロックというエンターテイメントとして発信しているからだ。そしてなぜロックを選んだのかというと、神聖かまってちゃんはロックの力を(というか音楽の力を)信じているからだと思う。時代を切り取る際に発揮される鋭い批評眼とは裏腹に、その批評眼によって見つけた膿に立ち向かう方法は感情的でロマンティックなものだ。こういった観念先行型の行動パターンは具体的な事実から離れやすいものだし、抽象度が上がって伝わりにくくなることもあるけれど、我慢できずに頭の中の考えを吐き出してしまうの子には軽いシンパシーを覚えてしまう。正直、まだ「事件としての神聖かまってちゃん」からは完全に脱皮しているとは言えないが、僕はクラッシュのような存在になる気がする。アティチュードとしてのパンクを抱きつつ、音楽的な進化をしていくようなバンド。『みんな死ね』は、神聖かまってちゃんが未来への扉を抉じ開けたことを証明する感動的なアルバム。

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