エイ・リリー『サンダー・エイト・ザ・アイアン・ツリー』(P*dis)

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 エイ・リリーとはイギリス人ミュージシャンのジェームス・ヴェラのソロ・プロジェクトである。デビュー作となる前作『Wake:Sleep』は、ラップトップをベースにした美麗なエレクトロニカで世界中でもブレイクしたが、4年振りとなる『Thunder Ate The Iron Tree』ではドラスティックな変化が起きている。まず、作詞・作曲・レコーディングをほぼ一人で受け持ったというジェームス・ヴィラが扱った楽器の多さに驚かされる。試しにブックレットに記載しているクレジットを羅列してみよう。

《singing, electric guitar, bass guitar, cello, marimba, glockenspiel, banjo, drum kit, pistachio shell shaker, rice shaker, djembe, gamelan bells, zheng, steel drums, kalimba, accordion, piano, organ, casio miniatures, yamaha miniatures, wooden frog, wooden cricket drum machine, synthesizer, all other percussion, lapsteel, autoharp, mellotron, tone chimes miniature harp, programming, acoustic guitar》

 オーソドックスな楽器からジャンベやバンジョー、メロトロンまでその幅の広さは、現代を代表するマルチ・インストゥルメンタリストであるトクマルシューゴに勝るとも劣らない。楽器の音同士を重ね、その隙間を活かしながら、且つ、歌も一つの楽器として的確に配置して、マジカルで上品なサウンドスケープを描き上げる彼の音世界には、芳醇な活きた音に充ち溢れており、玩具箱を引っ繰り返したかのような楽しさにも守られている。前作からはよりカラフルになり、EFTERKLANGのブラス・セクションも要所で活き、ポスト・クラシカルな音楽としては申し分のないサウンドスケープが拡がっているだけに、ここに、クリティークすべき言葉を置く意味があるのかどうか、とも考えてしまう。"既に音楽の中で、自分の音楽が語られてしまっている"と思えるところがあるからだ。

 我々が考えることが出来ないものや語ることが出来ないものの限界という言い方をするとき、空間的な表象を用いることを回避することはできない、といえる。となると、「トートロジー」という概念を持ち込むと、それは実は空間的表象形式としての別名かもしれなくなる。だからこそ、空間的ではない表象形式があれば、「トートロジー」の自家撞着形式から抜け出ることができる可能性もある。しかし、デリダの思想も関係させるならば、彼の解釈ではトートロジー的論理に取り込まれているがゆえに、それを自覚している自身の思想すら、己を裏切り、己から「ズレ」ることになる。そして、理性によって「ズレ」た他者の排除を、理性のトートロジー的言説の中から察知し、それを告発する自分の言説自体が自身に含む「ズレ」をも嗅ぎ分けるという鋭敏さを帯びてくるということになってくる。では、「エイ・リリーの音楽は、エイ・リリーの音楽だ。」(エイ・リリーの音楽は、エイ・リリーの音楽でしかない。)という凡庸なトートロジーは、この作品を前にどういった意味を持つのか、となると、僕は言葉より先立つ前提条件が幾つも見受けられるという点からして、開かれた他者性に向けられた特権を帯同した「差異」としての内容を孕んでくるように思える。形式の縁をなぞりながら、起こり得るエラーやバグも組み込まれている音楽として、既に音楽の中で存分に自分の音楽を語っているが、だからこそ、「内部」ではない外部から覗き込める隙間もあり、聴き手側に解釈の機微を預けられている要素も汲み取れる。

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 簡単に各曲に触れてみる。幾つもの楽器が鮮やかに重ねられ、多重コーラスが被さる「Joy」にはポリフォニック・スプリ―や『The Soft Bulletin』前後のユーフォリックなザ・フレーミング・リップスの影も見ることができる。メロウなトーンで始まる「Your Collarbone」は、生楽器の妙な組み合わせのため、コミカルな奥行きが生まれ、そこにアイスランド人女性シンガーEMILIANA TORRINIの気怠いボーカルが入り、彼の分厚い多重コーラスと行き来するというかなりエクスペリメンタルな曲。エフェクト処理されたピアノの旋律が美しい「Cheryl Cole」、『Tnt』期のトータスのような「Arc Hugo」、ラストの8分を越える「Rain Islands」は静謐な始まりから楽器と声が重ねられていき、荘厳な昂揚感をもたらす。といったように、10曲の中で、同じようなタイプの曲がない。

 このドリーミーで甘美な音像からは個人的につい、コリーンやマイス・パレード、またはタウン・アンド・カントリー、近作のフォー・テット辺りの音を思い出してしまうが、それらの名前よりも更にギャヴィン・ブライアーズやモートン・フェルドマンといった偉大なる現代音楽家の血筋も見て取ることもできる。ジェームス・ヴェラという人のポテンシャルと実験精神を見せつけた快作である。

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