JAMES BLAKE「Limit To Your Love」10"(ATLAS)

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 東京大学社会科学研究所で2005年度から進められている希望学プロジェクトというものにどうも個人的に首肯できない部分がある。例えば、玄田有史氏の「これまでの経済において希望は前提だった」、「今の若い人たちの問題などを考えると、希望があるという前提自体が崩れているように見える」というポイント自体には問題はないし、その通りだと思う。しかし、希望を社会の文脈で捉える中で、誰もの"個別な体験"をフレームとして希望内で括ると、個々の自由度や不安度の測量を曖昧にしてしまうところがあり、希望という大文字を修整した上で、一般論に落とし込む際の強引さがある。勿論、グローバリゼーションが進捗し、砂粒化した個々が艱難に生きることを要求されるこの世において、希望の質に関して議論するのは意味があることとは思うが、そのような抽象論では追いつかないくらい、現実は押し迫っているという側面もあり、その細部への降下、目配せが行き届かない点が気になってしまう。

 もはや、「希望的な何か」が失われてきているという憂慮は当たり前であり、今更、識者に語られるまでもなく、共通だった「通気孔」や「言語」がなくなり、誰もが息詰まることが増えた。だからこそ、構造論として上部から下部へと流れる空気は澱み、滞った結果として、スラヴォイ・ジジェクが今、装置化された近代的暴力への批判を積極的に行うことになったという所作は繋がる。それでも、ジジェクも指摘するように、主観的な暴力と"真正面"で向き合うと、自分自身がそこからの避難の意志を示そうが、その現象自体を生み出す「システム」としての暴力に関与している者たちの偽善にも「連結」されるという葛藤も発生してしまう。"希望的な何かの欠如の欠如"を補填するための導線付けは現代だと非常に困難であるというコンテクストも踏まえないといけない。

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 そんな中、ロンドンから現れた21歳の気鋭、ジェームズ・ブレイク(JAMES BLAKE)は"希望的な何かの欠如の欠如"に対して向き合った象徴的なサウンド・メイカーと言える。マシュー・ハーバートの「One」シリーズでもそうだが、大文字の物語と神話化の解体が積極的に行われるようになり、島宇宙化が進んだシーンにおいて、現前する音楽("音"自体の"楽"しみ)に無邪気にフォーカスを当てるという行為が逆説的に政治的だというのを示したからだ。

 現代のジャン・ジュネとでも言えるだろうか、「剽窃」に対する行為を敬虔なものではなく、造作なく取り入れる貪欲さの背景にあるセンシティヴなまでに現代に依拠するセンスは新しく、それでいて、アンチ・ヒロイズムの空気感さえあり、クールなところも似ている。しかし、その「新しさ」を語る言葉を持つ人が極端に少なかったのも事実で、YouTube、Facebook、口コミ、フロアーを通じて、増殖してゆく評価はグローバリゼーションが仕掛けた情報の均質化に対して差異ベースの企図が予め含まれているようで、興味深かった。個人的にも、例えば、全世界のクラブ・シーンでパワースピンされた「Cmyk」など、いまだによく「分からない」曲でもあるのは確かだ。隙間を活かしたサウンド・ワーク、ダブステップが帯びるメランコリアとロマンティシズムを承継しながらも、別種のエレガンスの属性、また、IDMに近い観念的な音とも捉えることもできること―。但し、そこで「素材」にされるのはアメリカのヒップなR&Bであり、アリーヤやケリスの「声」がいつかのアクフェンのような所作で「解体」されているという捌き方は新しいと言えばいいのか、どうなのか、分からない。それでも、この曲がもたらす昂揚感は大きかった。ジュネに関してもサルトルやコクトーに代表される救済の手が差し伸べられ、多くの言葉が費やされたが、どれも彼の核心を精確には射抜けなかったように、ジェームズ・ブレイクもジャイルス・ピーターソン、ピッチフォーク辺りから過度の期待が寄せられ、フック・アップがはかられたが、まるでそのテクストや評価とは別物というかのように、シングル毎に展開される音世界はより実験性を強めていきながら、独自の音世界を創造しているのは周知だろう。

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 来年に控えるというデビュー・フル・アルバムに向けて、先行となる10インチ・ヴァイナル・シングル「Limit To Your Love」では、馴染み易いポップな曲に「している」。この曲は、2007年にファイストがリリースしたセカンド・アルバム『The Reminder』に収録された曲のカヴァーだが、オリジナル曲にもあった清冽で静謐な美しさは保持されながらも、彼特有のウイットに富んだ解釈がなされている。ピアノの旋律が美しく響きながら、沈み込むようなトーンはまるでポーティスヘッド『Dummy』やトリッキー『Maxinquaye』辺りの作品が持っていたシリアスで深みのある音像を彷彿とさせる。そして、その低音とダークな美しさはダブステップの次を見渡すような「何か」を秘めている要素も伺える。とはいえど、そのような切実さと重さに注視するよりもまずはこの音自体が持つ政治性と強度に感応すべきだと思う。何より、「今、ここ」で鳴っている音という意味において、批評的な作品でもあるからだ。

 今年のビート・ミュージックの極北でもあったフライング・ロータスがビートのビット数を上げた傍で、ジェームズ・ブレイクはR&B、ヒップホップ、ジャズ、ファンクまでをメタに折衷させ、"揺らぎ"を加える。その"揺らぎ"の中にクラウドが踊ることができるスペースが用意されるというのは美しく、勇気の出る事柄だった。彼の作る音には、トゥーマッチな叙情性もドラマティック性もなく、どちらかというと、ストイックでもあるが、そのストイシズムが突き詰められた美意識からは針の穴ほどの希望的な何かを視ることができる。

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