DESTROYER『Kaputt』(Merge)

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destroyer.jpg デストロイヤーの新譜を聴いているはずだった。確かにコンポに入れたのはデストロイヤーの新譜であり、彼らにとって9枚目のアルバムである『Kaputt』であったはずだ。しかし、耳に入ってきたのは「コズミックな音像!」を身に纏い、流麗なアコースティックギターに乗った、デヴィッド・ボウイ(ルー・リードかな?)を思わせるダニエル・ベイジャーのヴォーカルであった。ひたすらにドリーミーである。サックスやトランペットの響きがまたひたすらにロマンティックだ。このコズミックなアレンジはこのアルバムにおける共通低音となって鳴り響いている。ほぼ全編に渡り、80sにおける緻密なロマンティシズム(それはピッチフォークが言うようにロキシ―・ミュージックであり、スティーリー・ダンでもある)を存分に取り入れつつ、浮遊感のあるシンセのループや、リヴァーブが深くかけられた幻想的な音像は2010年に大きな盛り上がりを見せ、今もその盛り上がりが持続しているチル・ウェイヴを思わせもする。

 話がそれるが、僕は今、昨年のアリエル・ピンクのアルバムについてノスタルジアなどという言葉はふさわしくないと思っている。無論、アリエル・ピンク登場以前でも、様々なアクトが過去から降り注いできた音をその身に受け、現代のものとしてそれを再創造してきた。だから、アリエルをノスタルジア云々ということに意味はないと言ってもそれはあたりまえだろうと思うかもしれない。だが、やはり昨年のアメリカのインディー・ミュージックシーンはあまりにもベタに「幸福であった過去」の音楽を無批判にトレースしているものが多かった。それはやはり肯定的にしろ、否定的にしろ、「ノスタルジア」と呼んでしかるべきであった。しかし、アリエル・ピンクのそれはあまりに破壊的・暴力的であった。それこそ、ポップ・ミュージック史全てを漁ろうとしているかのようだった。そして、これはもしかしたら、今後のスタンダードとなる姿勢なのかもしれない。そこには「ノスタルジア」は存在せず、ひたすら暴力的で無機質な「引用」と「配列」が繰り返されるのみであるのかもしれない。デストロイヤーのこのアルバムにも、アリエルと同様の過去の破壊願望が(このアルバムはコンセプチュアルだし、あそこまで極端ではないにしろ)ちらついて見える。ダニエル・ベイジャーはデストロイヤーの音楽性を「ヨーロピアン・ブルース」と評したことがあったが、これが彼らにとってのそれなのだろうか?

 1995年にカナダのバンクーバーでダニエル・ベイジャーはひっそりとデストロイヤーを誕生させた。セルフプロデュースによるデビュー作『We'll Build Them A Golden Bridge』で、バンドはバンクーバーのミュージックシーンにおいて一躍有名になった。ホームスタジオで録音されたそれはペイヴメントやガイデッド・バイ・ヴォイシズなどのアメリカのいわゆるローファイ勢と比較された。彼らはそこから休むことなく、ほぼ2年に1作のペースでアルバムを出し続けている。いわゆるMIDI(Musical Instrument Digital Interface)に触発されたオーケストラルでシンフォニックな『Your Blues』(2004年)はピッチフォークを始めとしたメディアから絶賛され、続く『Destroyer's Rubies』ではビルボードで最高位24位とヒットを記録。癖のあるヴォ―リゼーションはそのままに、スワンプなどアメリカ南部の土着的な要素を強く打ち出してきたことが功を奏した。そして前作『Trouble In Dreams』ではお得意のローファイサウンドを基調としながらも性急なドラムスとグラム風ギターでずたずたに引き裂いたものだった。

 さて、ここまで駆け足で彼らのキャリアを俯瞰したのは良いが、こう振り返ってみると、デストロイヤーというバンドは随分とその音楽スタイルに一貫性が無く、現役当時のデヴィッド・ボウイがそうであったようにまるでカメレオンのようにその音色を変え続けていることがわかる。この性質は100%、フロントマンであるダニエル・ベイジャーから来ている。彼はデストロイヤーのほかにもカール・ニューマンやニーコ・ケースとともに、ザ・ニュー・ポルノグラファーズ(アルバム『Together』ではベイルートのザック・コンドン、オッカヴィル・リヴァーのウィル・シェフ、セイント・ヴィンセントが客演していてびっくりした)というひねくれた遊び心が溢れるギターロックバンドをやったり、フロッグ・アイズやウルフ・パレードのメンバーとともにスワン・レイクというカナダのスーパーグループにも参加している(他にもハロー、ブルー・ローゼズなどにも参加)。このような多岐にわたる彼の活動、創作意欲がデストロイヤーの変貌し続ける音楽性の原動力となっていることは間違いない。

どこまでも不明瞭で、詩的、そしてなにより遊び心に満ちている歌詞もまた素敵である。

「Sounds, Smash Hits, Melody Maker, NME / All sound like a dream to me」

 例えばこの「女の子やコカインを追っかける」ようなミュージシャンを皮肉った曲、「Kaputt」。タイトルはイタリアのジャーナリスト/作家であるクルツィオ・マラパルテによって書かれた『Kaputt(壊れたヨーロッパ)』から来ているそうだ。そして、ダニエル・ベイジャーは、一度もその小説を読んだことがないらしい。なんだそれ。

 と思いきや、「Song for america」では、「I wrote a song for America. They told me it was clever. Jessica's gone on vacation on the dark side of town forever.」と歌いもする。彼はアーケイド・ファイアのようにアメリカについて言及するわけではないし(それどころか、上のラインはそれに対する皮肉も含むだろう)、それでもこのアルバムにはどこか、かの大国に対するそこはかとない想いがふと過る瞬間があるように思える。何とも言えないアンヴィヴァレントな心情がそのアイロニーでかつ、スピリチュアルな詞世界から、ふと零れ落ちる瞬間があり、非常に独特な彼の世界観を構成している。

 そして彼はこのアルバムで最も素晴らしい曲「Bay Of Pigs」において、こう歌う。

「Oh world!,you fucking explosion that turns us around.(中略)You travel light,all night,every night,to arrive at the conclusion of the world's inutterable secret.....And you shut your mouth....」

 どこにでもある景色、どこにでもある自然を描写し、彼はそこに何かを投影する。そして、最後に、世界について歌う。「世界の言い表しがたい秘密にたどり着く」ことによって「君」は沈黙する。「それの全てを見てしまった」せいで、沈黙せざるを得ないのだ。

 無論、全てを語ることなど誰にもできないし、全てを見ることなど誰にもできない。言うまでも無いことだ。だからこそ、彼のこのラインは非常に興味深い。おそらく「世界の言い表しがたい秘密」などは「存在しない」。また、それを全て見たと言っているがそこに広がっているのはブラックホールのような空間だろう。つまり、これも言うまでも無いことだが、「世界など無い」のだ。その「無い」ことへの想いが彼の口を閉ざす。だが、「無い」という答えを彼は知っているがゆえに彼は軽やかに、皮肉っぽく、言葉を紡ぎ続ける。誰よりもクレバ―であるからこそ、彼は対象の輪郭が明瞭な何かについて言葉を紡ぐことはしない。そこに向かってもあるのは袋小路だけだからだ。何かについて歌うということの困難さを彼は誰よりも知っている。これがデストロイヤーにとっての「ヨーロピアン・ブルース」なのかもしれない。

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