エイモス・リー『ミッション・ベル』(Blue Note / EMI)

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 キャレキシコというバンド名の由来が「カリフォルニア」と「メキシコ」を合わせた造語という部分からして、彼らの描く音というのは最初から、例えば、ルーツ・ミュージックやトラディショナル・ミュージックなどとの「距離感」によって図られるものであった。初期の『Spoke』や『The Black Light』といったアルバムでは、エンニオ・モリコーネが手掛けたマカロニ・ウェスタンの音楽のパスティーシュのような曲からマリアッチ、フォルクローレ、間に挟まれるインスト・ナンバーは緻密な音響工作が活きた浮遊感溢れるものになっていたり、とにかく、"Shady"な音楽であり、その印象から一部の人は架空映画のサウンドトラックという評をしてもいたが、実際、60年代や70年代の西部劇やB級映画に合いそうな雰囲気には溢れていた。

 しかし、03年の『Feast Of Wire』では歌の要素が増え、遊びの部分が減り、少しシリアスな様相を呈するようになっていた。それは、9.11以降の地平で無邪気な音楽をアメリカの中でそのままやるという難しさを孕んでいたかのようで、散文詩的な歌詞にふと挟まれるダークなトーンは、『Yankee Hotel Foxtrot』以降のウィルコやサドル・クリーク周辺のアーティストたちの温度ともシンクロしており、良質なアメリカン・ミュージックの担い手として注目を浴びることになったというのは、そもそもの彼らの起点からすると不思議なものだと思う。そういった流れを受けてのことか、05年のアイアン・アンド・ワインとの共作EP「In The Reins」ではオルタナ・カントリーへ接近し、06年の『Garden Ruin』、08年の『Carried To Dust』では、それまでにあった捩れたセンスが少なくなり、衒いのない良質な歌ものの要素が強くなった。バンドとしては「成長」していったのだろうが、その過程は、初期から追いかけている自分のような者からしたら、彼ら特有のウィットが欠けてゆくようにも思え、若干、寂寥も感じてしまったのも否めない。それでも、キャレキシコの主要メンバーでもあり、元・ジャイアント・サンドのジョーイ・バーンズのプロダクション能力とジョン・コンヴァティーノの持つサウンド・メイキングの巧みさには常に魅力を感じていた。

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 エイモス・リーの4作目となる『Mission Bell』では、ジョーイ・バーンズがプロデュースを手掛けているのだが、近年のキャレキシコの路線とエイモス・リーというモダンとルーツを行き来する正当なシンガーソングライターのアティチュードが健康的な形で融和し、良質でディーセントな音楽を結実させることに成功している。より表情豊かになったエイモスのボーカリゼーションを主軸に、ゴスペル、ソウル、フォーク、カントリー、ブルーズといった音楽的背景が叮嚀に束ね上げられ、オーセンティックなアレンジメントの下、ホーン、スライド・ギター、ピアノなどの楽器が有機的に絡み合う。

 同じブルーノートのノラ・ジョーンズが近作で多彩なアーティストとコラボレーションするなど自由度を高めた活動をしているのと比して、端整な佇まいとシルキーヴォイスでもってシーンに鮮やかにデビューし、その後もブルーノートの看板アーティストとしてポップの優等生的な道を歩んでいた彼が、深化の方向に歩みを進め、その成果がこうして出ているというのは頼もしく、映る。また、時にルーツ・ミュージックを求道するアーティストが陥りがちな「視野の狭さ」や聴き手を選ぶ「狭さ」はここにはなく、ソフィスティケティッドされた洒脱な空気を感じさせるものになっているというのは、ジョーイ・バーンズのプロデュースに拠るところも大きいのかもしれない。カントリー・ミュージックの重鎮であるウィリー・ネルソンの参加やソウルフルな歌声で独自の道を堅実に切り拓いているルシンダ・ウィリアムズとのデュエットなども活きている。

 余談になるが、今作を聴いていると、ルーツ・ミュージックを今の音に再構築する腕に長けたジョー・ヘンリーがプロデュースを手掛けていたら、どういったものになっていただろうか、ふと考えてしまうところがあった。もしも、エイモス・リーとジョー・ヘンリーが組むことがあっても面白いことになると思う。加え、例えば、ベックが行なっているレコード・クラブみたいな形で、エイモスが他のアーティストの曲をカバーしてゆくというのも良いかもしれない、とも思った。何故ならば、こうして作品を重ねることで、最初の頃のエイモスに付いてまわっていた匿名性の高い品の良さよりも、記名性の強いアクの強さが見えるようになってきたからこそ、もっと新しい試みを聴いてみたいという願望も出てきたからだ。

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 この『Mission Bell』は、今の渾沌したアメリカの音楽シーンの中で目立つ内容では決してないが、凛と背筋の通った志の高い作品である。同時に、ここでの「アメリカ」とは幻視されるべき旧き良きアメリカであるのかもしれない。そう考えてゆくと、「キャレキシコ」というバンドの存在とシンクロし、フィラデルフィア出身のエイモスがルーツを巡る過程で、幻像としてのアメリカが持ち上がったというのは興味深い。

 デビューからの流れがここで極まったような気もするだけに、今後、更に大いなるアメリカの歴史と向き合うのか、オルタナティヴに振れるのか、注目していきたい。

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