キャロライン『ヴェルデューゴ・ヒルズ』(Temporary Residence / &)

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 アメリカ人と日本人のハーフ、キャロライン・ラフキン。彼女のライブは僕も一度観たことがある(本作の日本盤解説を書いている上野功平さんといっしょに行った)。2010年4月の代官山UNIT。現在は日本を拠点に活動しているという彼女だが、ソロ名義としての日本でのライブは意外にもこれが初だったという。深夜のイベントで、他にはハー・スペース・ホリデイがアコースティック・セットで心地いい音楽を鳴らし、KIMONOSが素晴らしかったLEO今井も熱いパフォーマンスを見せてくれた。

 で、肝心の彼女だが、僕は...ごめんなさい。正直に告白すれば、まずは愛くるしいルックスの虜になってしまった。萌え画像きわまりない今回の表紙や、本作のジャケットをご覧になっていただければ同意もいただけると思うが、それはまあチャーミングなのである。華奢な体躯に凛とした表情。妖精のような佇まい。これは仕方がない。ミュージシャンだって人間。リスナーもまた人間。恋も人間関係もいつだって第一印象は見た目から判断し、スタートするものだ。いわゆる一目惚れ。見た目にイイものをもってるミュージシャンの音楽にハズレなし。そろそろしつこいが、しかし、その次の瞬間には彼女の歌声に耳を奪われ、涼しげでやさしさのこもったエレクトロニクス・サウンドと生楽器演奏の端正な融合ぶりに足も硬直し、背景に映されたアニメーションに視界を潤され、才気走ったオーラを放つ彼女のステージングに気がつけば見入ってしまっていた。

 自身もそこで生活し、収録された楽曲のほとんどが作られたというロサンゼルスの都市バーバンク(ヴァン・ダイク・パークスなどで知られる"バーバンク・サウンド"などで聞き馴染みがあるかもしれない)を囲む山々を名に冠した5年ぶりのアルバム『Verdugo Hills』は、日本でも人気のあるマイス・パレードのメンバーとして世界中を飛び回った経験から、特異な環境で育った彼女のプライベートな心情まで広く反映された充実作となっている。サンプリングやドラムマシーンを駆使した電子音を中心に、ハンドクラップから生活雑貨による音まで隠し味として含まれる気配りの利いた音響が、さえずりを思わせるキャンディー・テイストな歌声を穏やかに彩り、その音はポップな浮遊感に包まれている。昔のディズニー・ソングも意識したというドリーミーなムードが一貫して流れる一方、マーチング・ドラムやホーンを大きくフィーチャーした楽曲やアップビートな楽曲を後半に配したことで、糖分過剰摂取な単調さに陥ることを見事に回避しつつ、豊かな物語性まで生まれている。かと思えば、音楽同様に丁寧に紡がれた、英語による歌詞世界で謳われるテーマが悲恋についてなのだから、これまたおもしろい。

《わたしのハートを壊したいの?/こんなシーソーみたいな愛がいいの?》(「Seesaw」)《わたしはどうなるのだろう/もしあなたに会えないなら》(「Waltz」)など、「私自身の経験や、ライフスタイルが反映されている」という歌詞は、シンプルな単語の並ぶトラックリスト同様に言葉も最小限に抑え込まれ、過去の苦難を偲ばせる痛切な吐露が並ぶ。安易で安っぽい回復は決して訪れないが、アルバム最後の曲(日本盤ボーナストラックを除く)である「Gone」で、"あなた"が去ってしまったことを暗に仄めかしつつ、《何かを探し求めているわ/穴を埋めてくれるものを/わたしのハートは妥協できない》と、どこかポジティブな気分を思わせる方向に収束していくのもいい。簡素なセンテンスは音楽と相まって映像喚起力を生みだし、ヘッドホンでこのアルバムを聞き進めると心の奥まで溶け落ちそうになる。

 個人的に、本作を聴いて連想した作品はふたつ。まずはここを読んでいる人の大半はご存じであろう、ムームの02年作『Finally We Are No One』(もうすぐ、この作品が出て10年ですよ...)。もうひとつは、80年代から90年代にかけて、多くの耽美寄りでクレイジーなNW作品や環境音楽を輩出し、最近ではコノノNo.1などのリリースで知られるベルギーの多国籍ポップ・レーベル、クラムド・ディスクから発表された日本人女性SONOKOによる87年の隠れた傑作『La Debutante』だ。

 前者の作品を中心に、北欧エレクトロニカ・シーンが共通してもつ絵本を思わせる世界観や手作り感覚と彼女はずっと比較され続けてきたが、それらの音楽と彼女を絶対的に区別しているのは、後者の作品と共通する、ほんのりと香る東洋的でエキゾチックなムードだ。これは沖縄で生まれ、日本とアメリカを行き来しながら育ってきた彼女のインターナショナルな境遇が大きく反映されていることの顕われだろう。「自分のなかの日本人っぽい細く高いヴォーカルが、自然と出てしまうみたい」と本人も認めているが、名門であるバークリー音楽大学で学んだという音楽的素養の高さとともに、良質なJ-POPや日本の童歌を想起させる人懐っこい感性が節々に見てとれる。そして、先に挙げたふたつの作品と同様に、本作にも日差しに照らされているかのような明るさと、枕を濡らしたアンニュイな陰が同居している。

『La Debutante』をプロデュースした(ワイアーの)コリン・ニューマンはその作品を「純粋で特別な音楽だ」と評したそうだが、この『Verdugo Hills』にも、思わず同様の言葉で形容せずにはいられない甘美な魔力が秘められている。日本盤には彼女の狂信者であろうディンテル(Dntel)とハー・スペース・ホリデイによるリミックスも収録。今ではオールドスクールと括られそうな、この10年を振り返らずにはいられない懐かしく味のあるエレクトロニカ作品に仕上がっており、この作品の魅力をささやかに膨らませている。

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