デヴィッド・リンチ「グッド・デイ・トゥデイ / アイ・ノウ」EP(Sunday Best / Beat)

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 ゲーテが概念としての、デモーニッシュなものに触れるときは一般的な歴史における自然的なものを示唆した。特に、彼の自伝である『詩と真実』の中で、デモーニッシュなものに関して多く述べられている。そこでは、デモーニッシュなものはただ矛盾においてのみ運動し、顕現され、従ってどのような概念、如何なる言葉の下にも捉えられ得ないものであり、「主として人間と最も不思議な関係をもち、そして、道徳的世界秩序と相対立しないまでも、それと相交差する力を形作っている」という文脈を敷く。即ち、ゲーテによれば、デモーニッシュなものとは、寧ろ自然的なものであり、偶然的なものでありながら、尚且つ必然的なものであるという訳だ。また、彼によれば、デモーニッシュなものは先ずは「個人」に結び付いて現われるが、総ての個性的、特性的なものがデモーニッシュなのではなく、それは歴史的に重要なものにおいて出会うという形が常である、としている。ならば、いつの時代もデモーニッシュなものは社会的なものとして「経験」されるのが常なのかもしれない。

 09年の後半辺りからUSの早耳のブロガーの間で「ウィッチ・ハウス」という造語が行き交いだしたのは知っている人も多いと思う。その後、チルウェイヴとの繋がりを持つことにもなったが、どちらかというと、その奇妙なネーミングが示しているとおり、ジャンル、カテゴライズによって音楽そのものが帯びる不自由さへのアイロニーの姿勢を最初から含んでいた。昨年、ウィッチ・ハウスの代表格としてシーンを席巻したミシガンのセーラム(SALEM)に関しても目新しい音という訳ではなく、ゴシックな音に80年代風のニューウェーヴ要素を加えたダークな意匠が強いもので、その不気味なムードと幽玄的な女性ボーカルと沈鬱なラップが醸す「空気」こそが、ウィッチ・ハウス≒魔女のハウスという名称を体現していたと言える。一部では、UKのダブステップへの一つのリアクションと評されもしたが、どちらかというと、90年代初頭のトリップ・ホップを思わせる「低音」と「旧さ」が今、新しく解釈し直された上で、より現代的な閉塞を加えたという印象が個人的に強い。それでも、ブルックリンの若き俊才、バラム・アカブ(BALAM ACAB)辺りの人気も合わさって、ウィッチ・ハウスの周縁の暗渠に求心力を帯びてきたとも言える今、その源流を辿れば行き着くかもしれない映画監督デヴィッド・リンチが64歳にして本格的に「歌手」デビューするということは興味深い。
 
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『イレイザーヘッド』、『ツイン・ピークス』などで如何なくビザールなヴィジュアル・イメージを突き詰めていた彼の美意識、そして、ノイズを基調にしたサウンド・デザインとウィッチ・ハウスの親和度は高い気がしたが、この『Good Day Today/I Know』での「I Know」というオリジナル曲は、ポーティスヘッドの雰囲気を思わせるBPMが遅めのダークでヘビーな質感を持ったものになっており、仄かな共振さえも感じさせる。といえど、まずは皆が吃驚するのは、「Good Day Today」と思われる。リンチのヴォコーダー・ヴォイスが"軽快に"重なるシンプルなダンス・チューンだからだ。ちなみに、このシングルには表題の2曲のオリジナル曲以外に8曲のリミックスが収められており、「Good Day Today」のアンダーワールドのリミックスではカール・ハイドが全編歌い直したのもあり、ほぼアンダーワールドの曲になってしまっている。また、「I Know」のリミックスに関しては、サシャはリンチの持つ本来の世界観をよりスペイシーに広げたものに、スクリームは彼らしく強烈な低音が効いたスモーキーなものに、など各々の解釈が面白いものが揃っているが、白眉はベースメント・ジャックスのサイモン・ラトクリフの手によるものだろう。リンチの美学に対峙した上で、新しい不穏な美しさを付加することに成功しているだけでなく、しっかりと体を揺らせることができる緩やかなビートが心地良いトラックにしている。本体のベースメント・ジャックスの近曲の「Dracula」とも似ている要素があり、次作への展開の萌芽もここに見ることができるのではないだろうか。

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 なお、気になるジャケット・デザインはデモーニッシュなものにはなっているが、リンチの手によるものではなく、ピクシーズ、コクトー・ツインズや4ADレーベルなどのアートワークを手掛けたヴォーン・オリヴァーによるものであり、レーベルもUKのクラブ・ミュージックを主体にしているSunday Bestからというところからして、リンチが全面的にコントロール・フリークを発揮した作品ではなく、どちらかというと、これから軽やかな一歩を踏み出すために、自分にかかる期待やバイアスを敢えて避けたようにも思える。振り返ってみると、06年の『インランド・エンパイア』のサントラの時点で、リンチは「Ghost Of Love」を歌い、その後もポーランドのピアニスト、マレック・ゼブロフスキー、そして、スパークルホース、デンジャー・マウスと組んだりしていた訳で、音楽活動に興味が傾いでいたのは要所で伺えていた訳だが、こうしてデビューされてしまうと、様々な想いも巡る。

 例えば、ウィッチ・ハウスと呼ばれるものが召喚するデモーニッシュな何かが必然的に今、リンチ自身を「音像化」している過程内にあるとしたならば、ゲーテの示唆したように、歴史軸の中でこそ攪拌される遠心力を持つような気もしてくる。そう考えてゆくと、リンチの「個人的な欲求」が向かうべくして向かった部分と、歴史が呼んだ部分が合わさった意義深い作品なのかもしれない。だからこそ、完全なるセルフ・プロデュースによる"音楽家デヴィッド・リンチのアルバム"というのもそう遠い日ではないことを願ってやまない。

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