ボブ・ディラン『ザ・ブートレッグ・シリーズ 第9集:ザ・ウィットマーク・デモ』(Sony / Sony Music)

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 ボブ・ディランの未発表音源をどんどん発掘していく『ザ・ブートレッグ・シリーズ』もこれで第9集。これまでにも、ロック/ポップ・ミュージックの枠を超えてサブ・カルチャー史全体においても貴重な音源がリリースされてきた。66年にアコースティック・ギターからテレキャスターへ持ち替えた瞬間を捉えた第4集『ロイヤル・アルバート・ホール』では、ディランに「ユダ(裏切り者)!」と野次を飛ばす観客の声が聞こえる。「お前こそ嘘つきだ」と答えるディラン。ロビー・ロバートソンの「Get Fuckin' Loud!」を合図に「ライク・ア・ローリング・ストーン」がプレイされる。僕はこんな異様なテンションの演奏を他に聞いたことがない。マーティン・スコセッシが監督したドキュメンタリー『ノー・ディレクション・ホーム』は、そのサウンド・トラックが第7集としてリリースされた。デビュー前(最古のオリジナル録音)から『ブロンド・オン・ブロンド』期までのライヴ音源や別テイク、TVパフォーマンスなどが数多く収められている。

 ボブ・ディランは登場から現在まで、様々なキャラクターを演じてきた。そのキャラクターは、デヴィッド・ボウイの『ジギー・スターダスト』のようにアルバム・コンセプトを伴ったものではなく、その時に影響された音楽や思想、ライフスタイルなどから生まれたものだ。そもそも"ボブ・ディラン"という名前の由来やデビュー期のプロフィール(実家は電器屋なのに「家族はいない」と言っていた)などは、ほとんど自分自身によるでっち上げ。限りなく思いつきに近い。ディランの半生をポップに描いたトッド・ヘインズ監督(『ベルベット・ゴールドマイン』も必見!)の『アイム・ノット・ゼア』では、黒人の少年から女性(ケイト・ブランシェット)までが、ディランを演じている。でも、そこに違和感はない。"ボブ・ディラン"という人物こそが架空のキャラクターかもしれない、そんな解釈が面白い。たった一人で、時には多くの人たちを巻き込みながら進み続ける謎の男。伝承のフォーク・ミュージックからエレクトリック・ロック、ブルース、カントリー、そしてゴスペルまでを飲み込む音楽性。イマジネーションが炸裂する詩情は言うまでもない。音楽ファンはもちろん、デヴィッド・ボウイもビートルズの4人もディランに魅了されてきた。

 この『ザ・ブートレッグ・シリーズ第9集:ザ・ウィットマーク・デモ』は、すべてモノラル録音。1962年から1964年にかけて音楽出版社 M.ウィットマーク&サンズでレコーディングされた47曲(!)を収録している。ちょうどデビュー前から2nd『フリーホイーリン・ボブ・ディラン』発表の前後。すべての歌がディランのギター1本とブルースハープ、またはピアノだけで演奏されている。「風に吹かれて」「くよくよするなよ」「はげしい雨が降る」「ミスター・タンブリンマン」など、おなじみの歌と初登場となる15曲を収録。他のアーティストへの楽曲提供と自作曲の著作権管理のために、数人のレコーディング・スタッフとディランだけで録音された。まるでディランが目の前にいるみたいにリラックスした歌声が聞こえる。アーティスト契約とアルバム制作を経て、彼自身が"ボブ・ディラン"として歩んでいく自信を深めたのかもしれない。

 1800年代後半から"ティン・パン・アレー"と呼ばれていた音楽業界は、音楽出版社と作曲者、演奏者がそれぞれ分業で音楽を制作していた。やがて50年代にはロックンロールが誕生する。そして60年代初期には全米に波及する公民権運動と共にフォークがブームになる。そんな時代に飲み込まれながら、まさにその時代の寵児となるディラン。彼はアコースティック・ギターとピアノで美しい曲を書いた。そして、たった一人で演奏した。"フォーク/プロテスト・シンガー"として時代を書き換える前に、ここでもひとつの時代に終止符を打ち、未来を描いていたのだ。大げさな言い回しではなく、ボブ・ディランの登場とこのアルバムに収められた歌により、ティンパンアレー方式の音楽ビジネスが終わったという。オリジナル曲を演奏するミュージシャンの台頭により、分業制の音楽制作は静かに終焉を迎えた。

 時代を担わされる重圧は、まだない。いくつものキャラクターを演じ分ける必要もない。まず最初に彼自身が発明した"ボブ・ディラン"になりきること。カッコいいウディ・ガスリーみたいに、たった一人で音楽の旅を始めること。その喜びと自信に満ちあふれた素晴らしい歌がたくさん入っている。ミュージック・シーンを一変させる前に、ミュージック・ビジネスを変革させたドキュメントとしても貴重だと思う。この時、ディランは24歳。世界が彼の歌に耳を奪われる、ほんの少し前の出来事だ。

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