January 2011アーカイブ

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THE THE 「Nakedself」(2000)
ROBERT WYATT「Cuckooland」(2003)
WILCO 「Ghost Is Born」(2004)
ARCADE FIRE「Funeral」(2004)
RICHARD THOMPSON「From Parlour Ballads」(2005)
PORTISHEAD「Third」(2007)*画像
サイプレス上野とロベルト吉野「ドリーム」(2007)
PHOENIX「Wolfgang Amadeus Phoenix」(2009)
THEM CROOKED VULTURES「Them Crooked Vultures」(2009)
MORRISSEY「Years Of Refusal」(2009)





 今思いつく盤10枚です。ザ・ザはこの盤以降、オリジナル・アルバムは止まってしまいますが、個人的に外せないアーティスト。ポーティスヘッド、サイプレス上野とロベルト吉野、フェニックス、ゼム・クルークト・ヴァルチャーズは聴いた回数が特に多い盤です。この10枚に共通しているのは聴いた1回目から最高と思った盤だということです。

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新宿ロフトプラスワンで80回以上の開催実績を誇る「サエキけんぞうのコアトーク」。その黎明期(=クッキーシーン創刊当時)に「音楽雑誌を作ろう!」というサブ・タイトルのもと不定期ゲスト出演していた伊藤英嗣をフィーチャーした新しいイベントが、阿佐ヶ谷ロフトAで始まります!

題して「サエキけんぞう×クッキーシーン presents 洋楽トーク」。

不定期ながら継続的な開催が予定されている本トーク・イベントは、サエキ&伊藤を司会に、さまざまなアーティストや評論家が見る"洋楽"の魅力や面白さ、つまらなさや疑問点などを、ざっくばらんに語っていく内容となります。"洋楽"という言葉が徐々に廃れていく感のある今だからこそ、あらためて"洋楽"の魅力に向き合おうという企画。

その第1回となる2月8日のイベントでは、モノブライトのリーダー桃野陽介と、昨年末そのモノブライトに電撃加入した元ビート・クルセイダーズのヒダカトオルのゲスト出演が決定!

大の"洋楽"ファンとして知られるこのふたりから、どんな話が飛びだすか? こうご期待!

2月8日(火)
東京 Asagaya Loft A
開場 18:30  開演 19:30
前売¥1,500  当日¥2,000(共に飲食代別)

【出演】
サエキけんぞう(ミュージシャン)
伊藤英嗣(クッキーシーン主宰)
【ゲスト】
ヒダカトオル+桃野陽介(MONOBRIGHT)


前売はAsagaya Loft A予約フォーム
もしくはローソンチケット【L: 36122】まで!

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MOGWAI

いろんな意味で、変化する時期にあったんだと思うよ

モグワイのニュー・アルバム『Hardcore Will Never Die, But You Will』が素晴らしい。彼らは今も類い稀なるインスト・バンドだが、ここ数枚は歌入りの曲もあって、徐々に親しみやすさを増していた。今回もそう。無理をしているとかは全然感じない範疇で、ポップとさえ言えるアルバムとなっている。モグワイが? いや、本当なんです(笑)。もちろん彼ら独特の「人間的なヘヴィーさ」は存分に発揮されている。でもいい意味でライトな部分もある。明らかに最高傑作、と思う。

2月初頭の来日ライヴから数週間前、モグワイの中心人物である、おなじみの禿男ことスチュアート・ブレイスウェイトに電話をかけて、ショート・インタヴューを試みた。

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JONNY

自分たちが楽しむ音楽を
自由にやろうっていう、それがジョニーだね

ティーンエイジ・ファンクラブのノーマン・ブレイクと元ゴーキーズ・ザイゴティック・マンキのユーロス・チャイルドがスーパー・デュオ、ジョニーを結成! 共にポップなメロディー・メイカーとして知られる2人がデビュー作『Jonny』で聴かせるサウンドとは? デュオ結成のいきさつや2人の共同作業の過程、バンドの命名秘話までをノーマン・ブレイクに聞いた(2010年にリリースされた、ティーンエイジ・ファンクラブのアルバム『Shadows』リリース時の、ノーマンのインタヴューは、こちらにあります!)。

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HURTS

僕達は「それ以外」のことを強調した
音楽を作っているんだ


1月13日から15日にかけて、大阪と東京で計3公演をこなしたハーツ。僕は15日のライヴを観たんだけど、残念ながらアダムが病欠で不在だった。しかし、それでもハーツというバンドの本質の一端を垣間見ることができたと思う。その本質とは、ハーツというバンドが持つ「確固たるポップ観」だ。

『Happiness』のレヴュー
でも書かせてもらったけど、ハーツはすごく誠実にポップというものに向き合っている。でも、海外や日本国内のインタヴュー記事やレヴューを見てみると、80年代ニュー・ウェイヴやポストパンクとの比較論を基にしたものばかりで、正直うんざりしていた。そうした比較論でハーツを語る人達は、歴史性的文脈という過去の亡霊にとりつかれたアホです。いまや歴史性なんて無くなったも同然だし、だからこそ思いもよらない土地や国から素晴らしい音楽がたくさん生まれているというのに...。もちろん音楽的文脈が無くなったわけじゃないけど、それは「歴史」ではなく「人それぞれ」に存在しているのが「今」だと思うのだけど、どうだろうか? ただ、「人それぞれの文脈」は昔からあるものだ。でも、その「人それぞれの文脈」が多くの人に共有されるようになったのはゼロ年代以降の特徴だと思う。

そういう意味でハーツは「時代の寵児」としてポップ・スターになりえる資質を秘めた存在だと思う。それはインタヴューを読んでもらえば分かるけど、セオはあくまで「自分にとってのポップ・ミュージック」を語っているからだ(僕もそこを訊きたくて、そうした類の質問を多くしてみた)。前置きが長くなってしまったけど、とにかく読んでください。ハーツが真のアーティストであることが分かるはずだ。ちなみに、セオは美しかった。久々にノンケであることを悔しく思ってしまった。

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destroyer.jpg デストロイヤーの新譜を聴いているはずだった。確かにコンポに入れたのはデストロイヤーの新譜であり、彼らにとって9枚目のアルバムである『Kaputt』であったはずだ。しかし、耳に入ってきたのは「コズミックな音像!」を身に纏い、流麗なアコースティックギターに乗った、デヴィッド・ボウイ(ルー・リードかな?)を思わせるダニエル・ベイジャーのヴォーカルであった。ひたすらにドリーミーである。サックスやトランペットの響きがまたひたすらにロマンティックだ。このコズミックなアレンジはこのアルバムにおける共通低音となって鳴り響いている。ほぼ全編に渡り、80sにおける緻密なロマンティシズム(それはピッチフォークが言うようにロキシ―・ミュージックであり、スティーリー・ダンでもある)を存分に取り入れつつ、浮遊感のあるシンセのループや、リヴァーブが深くかけられた幻想的な音像は2010年に大きな盛り上がりを見せ、今もその盛り上がりが持続しているチル・ウェイヴを思わせもする。

 話がそれるが、僕は今、昨年のアリエル・ピンクのアルバムについてノスタルジアなどという言葉はふさわしくないと思っている。無論、アリエル・ピンク登場以前でも、様々なアクトが過去から降り注いできた音をその身に受け、現代のものとしてそれを再創造してきた。だから、アリエルをノスタルジア云々ということに意味はないと言ってもそれはあたりまえだろうと思うかもしれない。だが、やはり昨年のアメリカのインディー・ミュージックシーンはあまりにもベタに「幸福であった過去」の音楽を無批判にトレースしているものが多かった。それはやはり肯定的にしろ、否定的にしろ、「ノスタルジア」と呼んでしかるべきであった。しかし、アリエル・ピンクのそれはあまりに破壊的・暴力的であった。それこそ、ポップ・ミュージック史全てを漁ろうとしているかのようだった。そして、これはもしかしたら、今後のスタンダードとなる姿勢なのかもしれない。そこには「ノスタルジア」は存在せず、ひたすら暴力的で無機質な「引用」と「配列」が繰り返されるのみであるのかもしれない。デストロイヤーのこのアルバムにも、アリエルと同様の過去の破壊願望が(このアルバムはコンセプチュアルだし、あそこまで極端ではないにしろ)ちらついて見える。ダニエル・ベイジャーはデストロイヤーの音楽性を「ヨーロピアン・ブルース」と評したことがあったが、これが彼らにとってのそれなのだろうか?

 1995年にカナダのバンクーバーでダニエル・ベイジャーはひっそりとデストロイヤーを誕生させた。セルフプロデュースによるデビュー作『We'll Build Them A Golden Bridge』で、バンドはバンクーバーのミュージックシーンにおいて一躍有名になった。ホームスタジオで録音されたそれはペイヴメントやガイデッド・バイ・ヴォイシズなどのアメリカのいわゆるローファイ勢と比較された。彼らはそこから休むことなく、ほぼ2年に1作のペースでアルバムを出し続けている。いわゆるMIDI(Musical Instrument Digital Interface)に触発されたオーケストラルでシンフォニックな『Your Blues』(2004年)はピッチフォークを始めとしたメディアから絶賛され、続く『Destroyer's Rubies』ではビルボードで最高位24位とヒットを記録。癖のあるヴォ―リゼーションはそのままに、スワンプなどアメリカ南部の土着的な要素を強く打ち出してきたことが功を奏した。そして前作『Trouble In Dreams』ではお得意のローファイサウンドを基調としながらも性急なドラムスとグラム風ギターでずたずたに引き裂いたものだった。

 さて、ここまで駆け足で彼らのキャリアを俯瞰したのは良いが、こう振り返ってみると、デストロイヤーというバンドは随分とその音楽スタイルに一貫性が無く、現役当時のデヴィッド・ボウイがそうであったようにまるでカメレオンのようにその音色を変え続けていることがわかる。この性質は100%、フロントマンであるダニエル・ベイジャーから来ている。彼はデストロイヤーのほかにもカール・ニューマンやニーコ・ケースとともに、ザ・ニュー・ポルノグラファーズ(アルバム『Together』ではベイルートのザック・コンドン、オッカヴィル・リヴァーのウィル・シェフ、セイント・ヴィンセントが客演していてびっくりした)というひねくれた遊び心が溢れるギターロックバンドをやったり、フロッグ・アイズやウルフ・パレードのメンバーとともにスワン・レイクというカナダのスーパーグループにも参加している(他にもハロー、ブルー・ローゼズなどにも参加)。このような多岐にわたる彼の活動、創作意欲がデストロイヤーの変貌し続ける音楽性の原動力となっていることは間違いない。

どこまでも不明瞭で、詩的、そしてなにより遊び心に満ちている歌詞もまた素敵である。

「Sounds, Smash Hits, Melody Maker, NME / All sound like a dream to me」

 例えばこの「女の子やコカインを追っかける」ようなミュージシャンを皮肉った曲、「Kaputt」。タイトルはイタリアのジャーナリスト/作家であるクルツィオ・マラパルテによって書かれた『Kaputt(壊れたヨーロッパ)』から来ているそうだ。そして、ダニエル・ベイジャーは、一度もその小説を読んだことがないらしい。なんだそれ。

 と思いきや、「Song for america」では、「I wrote a song for America. They told me it was clever. Jessica's gone on vacation on the dark side of town forever.」と歌いもする。彼はアーケイド・ファイアのようにアメリカについて言及するわけではないし(それどころか、上のラインはそれに対する皮肉も含むだろう)、それでもこのアルバムにはどこか、かの大国に対するそこはかとない想いがふと過る瞬間があるように思える。何とも言えないアンヴィヴァレントな心情がそのアイロニーでかつ、スピリチュアルな詞世界から、ふと零れ落ちる瞬間があり、非常に独特な彼の世界観を構成している。

 そして彼はこのアルバムで最も素晴らしい曲「Bay Of Pigs」において、こう歌う。

「Oh world!,you fucking explosion that turns us around.(中略)You travel light,all night,every night,to arrive at the conclusion of the world's inutterable secret.....And you shut your mouth....」

 どこにでもある景色、どこにでもある自然を描写し、彼はそこに何かを投影する。そして、最後に、世界について歌う。「世界の言い表しがたい秘密にたどり着く」ことによって「君」は沈黙する。「それの全てを見てしまった」せいで、沈黙せざるを得ないのだ。

 無論、全てを語ることなど誰にもできないし、全てを見ることなど誰にもできない。言うまでも無いことだ。だからこそ、彼のこのラインは非常に興味深い。おそらく「世界の言い表しがたい秘密」などは「存在しない」。また、それを全て見たと言っているがそこに広がっているのはブラックホールのような空間だろう。つまり、これも言うまでも無いことだが、「世界など無い」のだ。その「無い」ことへの想いが彼の口を閉ざす。だが、「無い」という答えを彼は知っているがゆえに彼は軽やかに、皮肉っぽく、言葉を紡ぎ続ける。誰よりもクレバ―であるからこそ、彼は対象の輪郭が明瞭な何かについて言葉を紡ぐことはしない。そこに向かってもあるのは袋小路だけだからだ。何かについて歌うということの困難さを彼は誰よりも知っている。これがデストロイヤーにとっての「ヨーロピアン・ブルース」なのかもしれない。

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 ゲーテが概念としての、デモーニッシュなものに触れるときは一般的な歴史における自然的なものを示唆した。特に、彼の自伝である『詩と真実』の中で、デモーニッシュなものに関して多く述べられている。そこでは、デモーニッシュなものはただ矛盾においてのみ運動し、顕現され、従ってどのような概念、如何なる言葉の下にも捉えられ得ないものであり、「主として人間と最も不思議な関係をもち、そして、道徳的世界秩序と相対立しないまでも、それと相交差する力を形作っている」という文脈を敷く。即ち、ゲーテによれば、デモーニッシュなものとは、寧ろ自然的なものであり、偶然的なものでありながら、尚且つ必然的なものであるという訳だ。また、彼によれば、デモーニッシュなものは先ずは「個人」に結び付いて現われるが、総ての個性的、特性的なものがデモーニッシュなのではなく、それは歴史的に重要なものにおいて出会うという形が常である、としている。ならば、いつの時代もデモーニッシュなものは社会的なものとして「経験」されるのが常なのかもしれない。

 09年の後半辺りからUSの早耳のブロガーの間で「ウィッチ・ハウス」という造語が行き交いだしたのは知っている人も多いと思う。その後、チルウェイヴとの繋がりを持つことにもなったが、どちらかというと、その奇妙なネーミングが示しているとおり、ジャンル、カテゴライズによって音楽そのものが帯びる不自由さへのアイロニーの姿勢を最初から含んでいた。昨年、ウィッチ・ハウスの代表格としてシーンを席巻したミシガンのセーラム(SALEM)に関しても目新しい音という訳ではなく、ゴシックな音に80年代風のニューウェーヴ要素を加えたダークな意匠が強いもので、その不気味なムードと幽玄的な女性ボーカルと沈鬱なラップが醸す「空気」こそが、ウィッチ・ハウス≒魔女のハウスという名称を体現していたと言える。一部では、UKのダブステップへの一つのリアクションと評されもしたが、どちらかというと、90年代初頭のトリップ・ホップを思わせる「低音」と「旧さ」が今、新しく解釈し直された上で、より現代的な閉塞を加えたという印象が個人的に強い。それでも、ブルックリンの若き俊才、バラム・アカブ(BALAM ACAB)辺りの人気も合わさって、ウィッチ・ハウスの周縁の暗渠に求心力を帯びてきたとも言える今、その源流を辿れば行き着くかもしれない映画監督デヴィッド・リンチが64歳にして本格的に「歌手」デビューするということは興味深い。
 
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『イレイザーヘッド』、『ツイン・ピークス』などで如何なくビザールなヴィジュアル・イメージを突き詰めていた彼の美意識、そして、ノイズを基調にしたサウンド・デザインとウィッチ・ハウスの親和度は高い気がしたが、この『Good Day Today/I Know』での「I Know」というオリジナル曲は、ポーティスヘッドの雰囲気を思わせるBPMが遅めのダークでヘビーな質感を持ったものになっており、仄かな共振さえも感じさせる。といえど、まずは皆が吃驚するのは、「Good Day Today」と思われる。リンチのヴォコーダー・ヴォイスが"軽快に"重なるシンプルなダンス・チューンだからだ。ちなみに、このシングルには表題の2曲のオリジナル曲以外に8曲のリミックスが収められており、「Good Day Today」のアンダーワールドのリミックスではカール・ハイドが全編歌い直したのもあり、ほぼアンダーワールドの曲になってしまっている。また、「I Know」のリミックスに関しては、サシャはリンチの持つ本来の世界観をよりスペイシーに広げたものに、スクリームは彼らしく強烈な低音が効いたスモーキーなものに、など各々の解釈が面白いものが揃っているが、白眉はベースメント・ジャックスのサイモン・ラトクリフの手によるものだろう。リンチの美学に対峙した上で、新しい不穏な美しさを付加することに成功しているだけでなく、しっかりと体を揺らせることができる緩やかなビートが心地良いトラックにしている。本体のベースメント・ジャックスの近曲の「Dracula」とも似ている要素があり、次作への展開の萌芽もここに見ることができるのではないだろうか。

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 なお、気になるジャケット・デザインはデモーニッシュなものにはなっているが、リンチの手によるものではなく、ピクシーズ、コクトー・ツインズや4ADレーベルなどのアートワークを手掛けたヴォーン・オリヴァーによるものであり、レーベルもUKのクラブ・ミュージックを主体にしているSunday Bestからというところからして、リンチが全面的にコントロール・フリークを発揮した作品ではなく、どちらかというと、これから軽やかな一歩を踏み出すために、自分にかかる期待やバイアスを敢えて避けたようにも思える。振り返ってみると、06年の『インランド・エンパイア』のサントラの時点で、リンチは「Ghost Of Love」を歌い、その後もポーランドのピアニスト、マレック・ゼブロフスキー、そして、スパークルホース、デンジャー・マウスと組んだりしていた訳で、音楽活動に興味が傾いでいたのは要所で伺えていた訳だが、こうしてデビューされてしまうと、様々な想いも巡る。

 例えば、ウィッチ・ハウスと呼ばれるものが召喚するデモーニッシュな何かが必然的に今、リンチ自身を「音像化」している過程内にあるとしたならば、ゲーテの示唆したように、歴史軸の中でこそ攪拌される遠心力を持つような気もしてくる。そう考えてゆくと、リンチの「個人的な欲求」が向かうべくして向かった部分と、歴史が呼んだ部分が合わさった意義深い作品なのかもしれない。だからこそ、完全なるセルフ・プロデュースによる"音楽家デヴィッド・リンチのアルバム"というのもそう遠い日ではないことを願ってやまない。

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 2011年に入ってここまで夢中になって聴いたアルバムは、いまのところテニスの『Cape Dory』だけだ。60年代のオールライトな空気と、いまのUSインディのハンドメイドな感触と、グラスゴーっぽい温もりのあるメロディがすべて見事に融合して、この『Cape Dory』というアルバムにはパッキングされている。全曲にシックスペンス・ノン・ザ・リッチャーの「Kiss me」なみの甘酸っぱさがあって、愛せずにはいられない。ちなみにデンバー出身だって。360日中300日が晴天なんだって。ビーチ・ハウスの『Teen Dream』が天上の音楽だとしたら、Tennisは夕暮れ時の砂浜で永遠にかけていたくなる音楽。問答無用の傑作です。

 音楽的要素だけなら目新しいものはないなーとか思うでしょ。普通に良さそうだけどなーとか思うでしょ。だけどテニスはほとんどのバンドが手にできなかった特別な空間をアルバムのなかに作り出したのです。心の底から大絶賛したいです。

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 凄い。やっぱりエイジアン・ダブ・ファウンデイションは凄い。結成が93年だから今年で18年目になるわけだけど、UKエイジアンとしてのアイデンティティを維持しながら、ここまで世界を刺激し続けることができる存在もなかなか居ない。93年にジャングルという当時の最先端にアプローチしながらシーンに現れたエイジアン・ダブ・ファウンデイションだが、『A History Of Now』でもグライムやダブステップのエッセンスを巧みに取り込んでいて、持ち味のひとつである咀嚼の上手さは微塵も衰えてはいない。しかも作品を重ねるごとに大人の余裕というか、説教臭くならずに主張を伝える術にも磨きがかかっている印象だ。かつての、エゴが前面に出ていたエイジアン・ダブ・ファウンデイションの姿はここにはない。代わりに、見つめるべき問題にしっかり指を指しながら対話を求める姿が窺える。

 銃声みたいな音がした後に「俺は銃を持っている。死にたくなきゃ従うんだ」と言われたら、みんな従うのだろうか? 誰かが「銃を見た」と言ったら、その銃は存在すると思ってしまうのだろうか? しかし、その従う者や存在すると信じている人達は、実際に銃を見たのだろうか? 存在するとしたら、自分の目で確かめろよ。そしてもしその銃があったら、どうすりゃいいか考えようぜ。と、少々乱暴な例えになってしまったけど、今作でエイジアン・ダブ・ファウンデイションが言いたいことは、「自分の目で見つめ、考えて生きろよ」ということ。結構当たり前のように聞こえるかも知れないけど、現代を生きる人でこうした生き方を実践出来ている人は少ないと思う。もし実践出来ている人が多かったら、民主党政権がここまで続くことはなかった...なんてね。でも、情報に脚色を加え、良くも悪くも情報を扱っていたはずの我々が、いつの間にか情報によって逆に脚色されているというのは事実だろう。

 音楽的進化と変化を重ねながら、時代に蔓延る問題を浮かび上がらせることも忘れない。しかも快楽的なノリまである。シリアスと快楽は水と油のようにも見えるが、エイジアン・ダブ・ファウンデイションは戦うために踊るのだ。今作ではストリングスを上手く取り入れていることもあって、どこまでも広がるようなスケール感と、「体ではなく心を踊らせる」音も手に入れている。洗練とエッジを両立させた理想的なアルバムであるのは確かだけど、ひとつ気がかりなのはライナーノーツにおけるチャンドラソニックの発言だ。

「誰かから与えられた考えじゃなくて、自分の頭で考えるようになってほしいね。自分を取り巻く物事の背景とプロセスをちゃんと把握して、理解してほしい。このアルバムを聴いて、世界を別の角度から見て、考えてほしいんだ。俺はそれで十分満足だよ」

 僕にとってのエイジアン・ダブ・ファウンデイションはこんな軟な存在ではなかった。少なくとも「十分満足」なんて言葉は吐かなかったはずだ。世界が混乱すればするほど輝くバンドで、だからこそ『Enemy Of The Enemy』という傑作が生まれたのだから。もちろん世界が安定へと向かっているなら話は別だが、残念ながら世界は複雑になり混迷を極めている。エイジアン・ダブ・ファウンデイションはそんな世界を音楽の力でもって変えようとしていたはずだし、僕もそこが好きなところでもあった。言葉の揚げ足取りと言われたらその通りかも知れないけど、興味深くエイジアン・ダブ・ファウンデイションを追っていた僕にとっては、「十分満足」という言葉が出てくるだけで、少なくないショックを覚えるのもまた事実なのだ。

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 いきなり私事で恐縮だが、今年に入って職場が変わり、そこで流れるラジオ局もJ-WaveからInter FMに。JUJUや平井堅の番組もちょっと好きだったが、岡村有里子さんのDJがやっぱり素敵ぃ~♪ と聴き惚れていたら、頻繁にプレイされているある曲が耳につく。あまりに流麗なコーラスワークっぷりに一発でノックアウトされ、声質と音づくりのオタクっぷりからしてロジャー・マニングjr.の新曲かな...? と思ったらそうではなかったが、調べたら過去にジェリーフィッシュのカヴァーもしている人たちみたいで、そんなに間違えてもなかった...どころか、そのカヴァーのあまりの出来のよさに本人たちのお墨付きまでいただいているみたい。すごいな。

 ウェールズ出身の三人組、ザ・ソニック・エグゼクティヴ・セッションズ(The Sonic Executive Sessions)。スタジオのオーナーとセッション仕事やTV音楽などをこなすミュージシャンによるユニットで、楽曲の完成度のあまりの高さにアルバム発表前からMySpace経由で一部では大変話題になっていたそうだ。待望となるアルバムのほうも、期待を裏切らなかったろう文句なしのポップ・アルバムだ。スティーリー・ダンとジェリーフィッシュのドリーム・ユニットによる巧みかつハッピーで活き活きとした演奏に乗せて、疾走感あるサーフィン期と夢見心地なペット・サウンズ期が融合したビーチ・ボーイズ風の甘いコーラスが気持ちよすぎる...とまで書いても大袈裟でなさそうな「You'll Never Happy」(ラジオで大プッシュされている曲だ)を筆頭に、多少ウェットな憂いを帯びたり、とびきりチャーミングだったりしながら、甘美なメロディが全編に詰め込まれている。メリーゴーラウンド的な多幸感はロジャー・マニングjr.のソロ近作にも通じるものがあるし、冴えわたるソングライティングとピアノ・ポップぶりはベン・フォールズやルーファス・ウェインライトを彷彿とさせる。パワーポップ然ともしながらAOR的な音づくりの丹精かつ端正な職人気質で、クイーンから初期のキリンジまで、日本の音楽ファンのツボを押しまくる展開の連続だ。フックの強さは実にラジオ・フレンドリーだし、どの世代が耳にしても郷愁に襲われるに違いない。

 似たような作風でもMIKAのようなキャラクターのアクの強さは望むべくもなく、技巧派スタジオ・バンドだけあってライブの予定も特にないそうだが、だからといって地味な印象は微塵も受けない。どうやら筋金入りのポップ職人らしく、メイン・ヴォーカルであり作曲も手がけているChristian Phillipsはあのコリン・ブランストーンの近年のアルバム制作にまで携わっていたとのこと。日本盤ボーナストラックにはStack-O-Vocalsバージョン(ビーチ・ボーイズがよくやっていた、ヴォーカルのみのミックス)も収録。スゴ腕コーラスっぷりを堪能できる一方、これを聴くことで改めて彼らの録音技術/芸術の精巧さを再発見できる。ここまで書いて、誰がこの作品を賛辞しても似たりよったりな文面になりそうなことに気づいたが、それだけ広いストライクゾーンに対応している証拠で、音の魅力が誰にでもわかりやすく伝えられるというのもポップの世界においてはすばらしい長所だと開き直れるほどミラクルな瞬間に満ちている。雨の日も笑顔になれそうな、しかめっ面した人々の耳にイヤフォンを捻じ込んででも聴かせたくなる好盤だ。

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