ハビエラ・メナ『メナ』(Union Del Sur / Art Union)

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 イギリスの歴史家エリック・ホブズボームは自著『極端な時代』で「この数十年ほどの間に、社会学的な意味でのコミュニティは実生活の中に見出しにくくなったのであるが、それにつれて"コミュニティ"という言葉も、かつて考えられなかったほどに無分別に、また意味もなく用いられるようになった」(1994, P428)と述べているが、元来、コミュニタリアン的な視座を持つ彼の感覚は「別枠」に入れるとしても、歪曲された共同体というものが瓦解していったのがモダニズムの瀬であったのは間違いないだろう。グローバリゼーションが進捗するにあたって、国同士のボーダーラインがぼやけてしまい、文化が相対化されるようになった中で、「事実」は単純に知的構築物に過ぎないと「してしまう」ポストモダニズムという知的潮流が攪乱した「名前が付けられる前(または、名前が付けられてしまった後)の場所」ではファクト(事実)とフィクション(作り話)の明確な分岐線が設けられず、曖昧模糊たる小さな神話の中に回収されることになってしまった。その際の小さい「神話」はロベルト・ボラーニョのような事実に肉薄した幻惑的なパラレル・ストーリーなのか、ボードリヤールの提唱したシミュラークル的なオリジナル性の無い、模倣の文化要素を孕んでくるのか、今こそ考える必要はある。

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 想えば、1960年代以降、ラテン・アメリカで見られた"ヌエバ・カンシオン(Nueva Canción)"という、音楽を通じて社会改革を目指した運動の中で、"モダンネス"という言葉がリアルに響く事になったコンテクストは大きかった。"Nueva Canción"とはスペイン語でそのまま「新しい歌」という意味を指す。特にチリでは、1960年代末から1973年まで、ビオレータ・パラとビクトル・ハラを中心にして、多くの優れた音楽家が登場している。しかし、チリでは1973年9月のチリ・クーデターによってアウグスト・ピノチェトの軍事政権が成立すると、ヌエバ・カンシオンは大弾圧を受け、ビクトル・ハラは殺害され、他の多くの音楽家もやむなく国外追放されるなどにより、運動は一時的に停滞を求められることになった。

 その後、1990年にチリで軍政が倒れ、その前後の時期に再びヌエバ・カンシオン運動が盛り上がり、反軍政活動に大きな役割を果たすこととなった。但し、チリでは15年続いた軍政の間に国外に亡命していた有名な音楽家と、国内で活動していた音楽家の間では、音楽的な傾向に違いが生じていた。基本的に、70年代まで活動し、その後亡命に追い込まれた音楽家はトラディショナルな民族音楽(フォルクローレ)を基礎に置いていたのに対して、軍政下に国内で活動していた音楽家は、ロックなど欧米の音楽を軸に置くように変わっていた。

 では、今のチリ音楽の様相はどうなのか、というと、世界で類を見ない大文字の「モダンネス」を獲得しているものが多く、面白い。スマートな女性シンガー・ソングライターのフランシスコ・ヴァレンズエラ(Francisca Valenzuela)やカエターノ・ヴェローゾやホセ・ゴンザレスのような繊細なタッチの唄を歌う男性シンガーソングライターDaniel Riverosによるソロ・プロジェクト、ヘペ(Gepe)やエレクトロ・パンクからニューウェーヴ直系の音を痛快に鳴らすパニコ(Panico)、ショーグン(Shogun)名義での活動も盛んなCristián Heyneなど続々と出てきている。そして、そのチリ・シーンの中でも、注目が高いアーティストの一人にハビエラ・メナ(Javiera Mena)がいる。日本でも高評価を得た彼女のファースト・アルバム『Esquemas Juveniles』から4年振りに届けられた新作『Mena』では、前作と引き続きCristián Heyneをプロデューサーに招聘し、よりレトロフューチャーな音像の解像度は強まったが、前作と同様にアナログ・シンセをベースに用いた80年代的なサウンド・メイキングは淡い浮遊感を醸している点は変わらない。全体を通じて、キャッチーなメロディーと、彼女の軽やかな声がハミングするように乗ってくる爽やかな作品になっている。また、アップ・テンポな曲も増え、フロアーでも機能することが可能なスペースを残しているところが感じられる。

 例えば、アルゼンチンの音響派たちがより知性的に電子音を連ねてゆくというスタイルを取るのと比して、彼女は自分自身が好きな70年代後半から80年代初頭のディスコ・サウンドをモティーフにした上で、チープでローファイな質感を大事にしているという点で非常に無邪気だ。だからこそ、とても「モダン」的であり、そこに作為もなく、<非>的なグローバリズムへの距離感と共同体意識に対しての独自の孤高感があるのが美しい。また、フアナ・モリーナの『Segund』のジャケットを手掛けたグラフィック・デザイナーのAljandro Rosによるアートワークも神秘的ながら、非常にアイキャッチの強いものになっているというのも含めて、「ポストモダン的なもの」がもたらす無力性の周縁を巡るように幻惑的な世界観を提示しているのは面白い。

 歌詞で見られる「光」「空」「あなた」といった大きい言葉の先には「新しい歌(Nueva canción)」に近付くための実験精神も宿っているのだろうか。巷間に溢れるビッグ・アレンジとは違う箱庭的なディスコ、フォークトロニカのような可憐な音風景は非常に「記名性の強い」ものになった。旧き良き「モダンネス」が宿るこの作品にはポスト・モダンの仕掛けるフェイクを避ける透明性がある。

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