AEROPLANE『We Can't Fly』(Wall of Sound / Eskimo / KSR)

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aeroplane.jpg ニュー・ディスコとチルウェイヴって、意外と関連性があると思う。共に00年代後半からそれらしき音が出てきたし、ニュー・エレクトロが登場して、瞬く間に閉塞感を纏っていったのと入れ替わるように、ディスコが戻ってきた。なぜディスコなのかというと、ディスコが持つ開放的で自由なイメージが、閉塞感を打破する手段として魅力的に映ったのだと思う。でもそれは、本来ディスコが持っていたものというより、歴史性が無効化されつつあり、どんな音楽にもフラットにアクセスできる若い世代が生み出した幻想だと僕は思う。パラダイス・ガラージを例に出すと、白人の客を増やそうとしていたマイケル・ブロディに対して、ラリー・レヴァンは反対していたという話があるように、70~80年代のディスコは、ゲイや黒人など、差別を受けてきた者たちのアイデンディティーを示す場として機能していた。そういう意味では、決して開かれた場所ではないし、自由とは言えないのではないか?

 ディスコというのは、ブルースのように、悲しみや憎しみから鳴らされる音楽だ。しかし、このAeroplaneのアルバム『We Can't Fly』で鳴らされているディスコが、どこまでも風通しがよい「軽い」ものとなっているのは、骨抜きになったというよりも、ディスコが持っていた時代性や思想というのを排除して、新たな時代性を獲得したということだと思う。その時代性とは、乱暴に言うと「繋がり」だ。 つまり、マイケル・ジャクソンが目指したような、「白も黒も関係ない世界」の元に人々を集めて、「踊る」ということで、様々な困難を乗り越えようとしているのではないだろうか? その「白も黒も関係ない世界」の元に人々を集めるための手段として、ディスコが必要とされているから、ニュー・ディスコやチルウェイヴが出てきた。というのは、僕の考え過ぎかも知れないけど、『We Can't Fly』は、そんな僕の考え過ぎを確信に近づけてしまうアルバムだ。ここでは、70・80年代のディスコとは違う現代の悲しみや憎しみが鳴らされている。

(近藤真弥)

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