November 2010アーカイブ

retweet

今週のカヴァーは、向井秀徳とふたりでキモノズ名義の同名アルバムをリリースしたLEO今井です!

キモノズに関する彼のインタヴューは、ここに!

「DLすると約1500pixel角」となる画像をアップしました。切り抜けば縦長にも横長にもできそう。あなたのPCやiPadなどの壁紙に使えるかも(って、iPadには「壁紙」システムあるのか? 持ってないから知らない:笑)。

あと、もうひとつ。先日お伝えしたムックの編集作業修羅場のため、11月いっぱいくらい更新が滞ってしまう可能性がございます。何卒ご容赦ください。すみません!

2010年11月21日3時08分 (HI)

retweet

KIMONOS

「東洋と西洋の出会い」っていうか
もう出会ってるんですよね、とっくの昔に

00年代後半に最も注目される日本のニュー・アクトであったLEO今井が、元ナンバーガール、現ZAZEN BOYSの向井秀徳と組んだニュー・プロジェクトKimonos(キモノズ)が、アルバム『Kimonos』を発表した。これに期待を抱くなというのが無理と思うのだが、実際に音を聴いてみたところ、予想のさらに上を行く素晴らしさで、もう完全にうれしくなってしまった。

限りなく挑戦的でありながら、ポップ・ミュージックとして抜群のクオリティを備えている。どこか80年代に通じるようでありつつ、あくまで新しく、「未来的」とさえ言える。そんな意味で、これまでのLEO今井の作品の延長線上にありつつ、ハドソン・モホークあたりとシンクロするセンスも...と思ったら、向井のレーベル、MATSURI STUDIOからのアナログ・12インチ、およびiTunesからの配信オンリーで10月にリリースされたEPでは、カップリングにハドソン・モホーク・リミックスも!

そんなKimonosに秘められた感覚について、LEO今井に話を聞いた。

LEO_1011_top.jpg

retweet

今週のカヴァーは、ステレオラブです!

「新規取りおろしインタヴュー」が載っていなくてレヴューだけで申し訳ありませんが、いい写真をゲットできたので...。

今回は「DLすると約1500pixel角」となる画像をアップしました。切り抜けば縦長にも横長にもできそう。あなたのPCやiPadなどの壁紙に使えるかも(って、iPadには「壁紙」システムあるのか? 持ってないから知らない:笑)。

2010年11月11日11時40分 (HI)

retweet

retweet

ロックそしてポップ・ミュージックは、常に「オルタナティヴ」な存在であった。そんな信念のもと、1997年3月から2009年12月まで隔月刊/月刊ペースで発行をつづけてきた「クッキーシーン」。ウェブ媒体としては、ようやく本格的に動きだした...というか、まだよちよち歩きを始めたばかりのところ申し訳ありませんが、紙媒体としても不定期刊行ムックの形で復活します。

2010年12月なかばごろに、CDジャーナルでおなじみ(株)音楽出版社から発売される予定の第1弾は、題して「CDジャーナルムック『Cookie Scene Essential Guide: POP & ALTERNATIVE 00's: 21世紀ロックへの招待』。

00年代にUS, UK, 欧州でリリースされた素晴らしいポップ&オルタナティヴな音楽(日本人アーティストのものを除く)を網羅したパーフェクト・ガイド!

同時代性にこだわるべく、今回は「90年代以降にデビューしたアーティスト」にターゲットをしぼり、2000年1月から2009年12月までにリリースされたディスクをクッキーシーンならではのセレクションで150点(1アーティストにつき1点)を厳選。ついでに順位までつけてしまいました。まさに「00年代のベスト150」!

多くの掲載テキストに、過去クッキーシーンが取材してきた貴重なインタヴューの数々が使用されています。何度も取材したアーティストに関しては、それらをミックスしてお届けします(デビュー直後の初々しいノリがうかがわれるものも含まれています)。どの記事も「現在」の視点で再構築されており、読んで楽しい、そして新たな発見満載!

インタヴューから抜粋されたアーティストの発言が掲載される記事の一部(順不同):MGMT(本邦初取材含む)、アークティック・モンキーズ(本邦初取材含む)、フランツ・フェルディナンド(本邦初取材含む)、ザ・ストロークス(本邦初取材含む)、2メニーDJ'S/ソウルワックス、ディアハンター(本邦初取材含む)、フェニックス、デス・キャブ・フォー・キューティー、ファウンテインズ・オブ・ウェイン、オアシス、LCDサウンドシステム(本邦初取材含む)、アニマル・コレクティヴ(本邦初取材含む)、プレフューズ73、TV・オン・ザ・レディオ(本邦初取材含む)、ザ・ホワイト・ストライプス(本邦初取材含む)、アーケイド・ファイア(本邦初取材含む)、アントニー&ザ・ジョンソンズ(本邦初取材含む)、クラップ・ユア・ハンズ・セイ・ヤー(本邦初取材含む)、ザ・リバティーンズ(本邦初取材含む) etc.

※上記の「本邦初取材」という表記に関しては、正確ではないももの含まれているかもしれません。その場合、すみません...!

なお、2011年2月ごろ、CDジャーナルムック・シリーズにおけるクッキーシーン・ムック第2弾『Cookie Scene Essential Guide: POP & ALTERNATIVE 2010(仮題)』の発売が予定されています。今回の第1弾は「本体」のみの発売となりますが、第2弾には(クッキーシーン20〜60号のように)付録CDがつく可能性もございます。まだプランニングの段階にすぎず、予算の関係上できないかもしれませんが...。

2010年11月6日13時00分 (HI)

retweet

つい先日、ピッチフォーク・メディアから、ニュー・シングル「Heart In Your Heartbreak」のリリースを発表した、ザ・ペインズ・オブ・ビーイング・ピュア・アット・ハート。ニュー・アルバムのリリースは来年の2月前後ということも発表されており、それに際しての来日公演(は行われるのかはまだまだ不明だが、是非とも期待しておきたいところだ)に先駆けて、その「Heart In Your Heartbreak」や、今年、2月に行われた来日公演の後にリリースされた現時点での最も新しいシングル曲、「Say No To Love」をライヴで聴くことができた。

retweet

スーパーチャンクとティーンエイジ・ファンクラブ。なんて素敵な2マンなんだろう。ご存知の方も多いだろうが、この両者の関係は、ティーンエイジ・ファンクラブの音源が、米国では、スーパーチャンクのフロントマン、マック・マクガワンがオーナーを務めるマージ・レコードからリリースされていることだ。もちろん、彼らの5年ぶりの新譜、『シャドウズ』も、マージ・レコーズからリリースされている。スーパーチャンクもティーンエイジ・ファンクラブも、数年振りのフル・アルバムをリリースしただけあって、オーディエンスの期待も底なしのようだった。その期待に十二分に応えたUS、UKのインディー・ギター・ロックの雄たちの一夜をレポートしたい。

retweet

FRANKIE & THE HEARTSTRINGS

20年後に改めて振り返っても
誇りに思えるような作品づくりを目指している

かつてフューチャー・ヘッズやフィールド・ミュージックなどの好バンドも輩出してきた、英国サンダーランド出身の新人バンド、フランキー・アンド・ザ・ハートストリングス。

オレンジ・ジュースやジョセフKといった80年代バンドたちの流れを強く汲んだ、青臭くも情熱的な歌詞世界と、毒や捻りもありながら軽快で引き締まったギター・ポップ・サウンドは、NMEをはじめとした媒体からも好評を博し、気が付けばすでにその人気はイギリスばかりかアメリカにも飛び火しそうな勢い。

間違いなく日本でもウケそうな音だし、フロントマンであるフランキー・フランシスの端正なルックスながら負けん気の強そうなキャラもたまらなく愛くるしい。これまでリリースしてきたシングルからの曲を集めた日本独自編纂のミニアルバム「Ungreatful」も先ごろリリースされ、さあこれでブレイク間違いなし...と思いきや、残念なことに出演が予定されていたブリティッシュ・アンセムが中止に。

不慮のアクシデントに見舞われてしまった彼らだが、当初の予定どおりに来日を果たし、こうしてインタヴューを敢行することができたのは嬉しかった。記事を読んでいただければおわかりのとおり、若いバンドは発言もフレッシュ。笑いの絶えない楽しいインタヴューとなった。今回はメンバーのキャラクターやバンドの個性を知ることに焦点を当て、話を聞いてみた。

f&ths_5.jpg
photo by Yuji Honda

retweet

1010_frankie_live_1.jpg
FRANKIE & THE HEARTSTRINGS: photo by Takeshi Suga

retweet

cornelius.jpg ヴァルター・ベンヤミンの『複製技術時代の芸術』は「芸術作品は、原理的には常に複製可能であった」と書き出される。中でも、19世紀の中頃に登場した「写真」という媒体こそが複製芸術の革命的な転機として位置付けされるが、その技術を逆手にとって差異を均したのがアンディー・ウォーホールであり、以降のモダン・アートの宿命に「複製」を巡っての距離感が欠かせなくなる。

 しかし、複製されていけばいくほど、「オリジナル」と変わらない唯一無二の存在であり、それに依拠する芸術の「真正性」を示す事になったのは皮肉としか言いようがなく、更に、複製の複製をメタ認知していく磁場が現代の前提と「なってしまった」ならば、オリジナルの作品のみが持つ「アウラ」という言葉は記号化するのが先か、意味に落とし込まれてウィキペディアやグーグルの侵犯を許してしまうのが先か、の競争になってしまう。

          *          *          *

「渋谷系のエッジ」、フリッパーズ・ギターとして無数のサンプリングをカット・アンド・コピーして表層的にポストモダンの最前線を走ったコーネリアスこと小山田圭吾は最初から「様々な物が出揃っている時代の寵児」だった。だから、「借り物性」を表明し、自分のオリジナリティを示す事でアイデンティティや自意識の難渋さを回避していた。

 思うに、是が非でもコーネリアスとしての始発点は「渋谷系の集大成」のような『The First Question Award』でならなければなかったのかもしれないし、或る種のオブセッシヴな集合的無意識の要請が彼の音をそう「規定」していた枠を外れる事が出来なかったのかもしれない。とすると、創り手の意思とは「非」関係に作品というのは予期設定されているタイム・ボムのような危うさを孕んでこないだろうか。その爆発までの「基準閾値」を更に引いて視た際に、どんな音楽もリアリズムの壁を越える事が出来ない辛苦を孕む。その「リアリズム」に真正面から向かい合ったのがフリッパーズ・ギターのもう一人、小沢健二だったとしたら、彼が『LIFE』で背負った傷痕も同時に非常に根の深いものになってしまったと言える。そして、「引用と言葉の人」だった彼はどんどん言葉数を減らしていき、沈黙に近いフュージョンのような作品に行き着き、今年のような畏まった形でのリサイタルが行なわれるようになったのは皮肉だが、時代に負けたのかもしれない。

 時代とは社会の共約可能性があって初めて「成立」するものだから、今、自己のイメージ管理の罠について滔滔と語る小沢健二の反グローバリゼーションの姿勢は少なくとも、僕自身には「遊び」が足りない、旧態的な<左>軸を想起させた。思えば、最初は旧態的な<左>軸に居た小林よしのりが90年代に右旋して掲げた「大きな物語」が通用する瀬とは幸福だったのだと思う。大風呂敷を拡げても、それをスルーするでもなく、認知してくれる場所があったからだ。だから、ミスター・チルドレンも小沢健二も悠然と構えていることが出来た。やはり、確実にフェイズが変わったのは9.11以降であり、グローバリゼーションの進捗に起因するだろう。社会学の曖昧さから政治学の急進性へ一気に傾ぎ、同時に「地球市民」だとかの危うい言葉も行き来しだした。その「危うさ」は集団的恐慌状態の一歩手前の状態ともいえ、その常態を庇うような芸術作品は必然的に各々に適用するものにならないといけなくなった。そうなると、日本からワールドワイドに展開して誤配も少なく、勝つ為に引用数を減らし、最大限まで音をシェイプして、バンドとして音を鳴らしながら、高度なVJをリンクさせるモデルまで行った『Point』以降のコーネリアスは鮮やかだった。アートの臨界点とロックのカタルシスを同時に共存させながら、ドライヴさせてゆく手捌きは世界中のインディー・キッズからアーティストまでを魅了した。

          *          *          *


 よく『Point』以前/以降のような言い方もされるが、僕は精確には今の流れは既に『Fantasma』で待備されていたと思う。1997年のリリース当初は沢山の音が詰め込まれたガジェット的な意匠が前景化しており、レディオヘッドやプロディジーのような「足し算の音楽」が多かった雑音の中に埋もれてしまうような危うさもあった。それでも、セカンドのヘヴィ・メタルやハード・ロックで固めた『69/96』よりも同時代性もあり、何より鮮やかな「音響工作の美」が溢れていた。缶のプルトップを開ける音からマイク・チェックが始まり、そのまま作品が始まるという画期的なスタジオ(そこ)とここを繋いだスムースな導線。今まで、「ここ」に居る人は「そこ」は夢想しか出来なかったが、その夢想をより近しいものした上で、音をキャンパスに描くように塗り込む所業が目に浮かぶというのは新しかった。

          *          *          *


 その『Fantasma』が砂原良徳のリマスターの上、全面改訂された形でオリジナル・リリースから10年以上の歳月を経て2010年に、届けられた。「今の耳」で聴くと、見事に時代の風化を避けている、どころか、全く旧さを感じさせない点は改めて唸らされる。エレファント6界隈からシカゴ音響派、果てにポスト・ロックと呼ばれる音まで跨ぎ、要所にナード的な拘りも見せるコントロール・フリークな様はマッドながら、至極、シビアで、これにデーモン・アルバーンやハイ・ラマズのショーン・オヘイガンなどの人一倍癖のあるアーティストが称賛を寄せたのも然もありなんか、というくらい、「面白い」だけでは済まない奥の深さがあるアルバムである。

「奥の深さ」―そういったものに一番、無縁であった筈のコーネリアスが表層の表面を滑っていく事でメビウスの輪のように捩れていつの間にか深層を抉っていたのは今だからこそ、感心するが、相当な知的体力がいった事も推察出来る。何故ならば、この後に『Point』や『Sensuous』といったオリジナル・アルバム、数多の秀逸なリミックス・ワークス、膨大なツアーがあり、"コーネリアス"というアウラが礼拝価値から展示価値へと移行したとも言えるからである。だから、「コーネリアス印の音」が幾ら複製されようが、複製される事を弁えているからこそ、逆説的に価値は「高まる」。

 8cmシングルを二枚同時に掛けると一つの曲になるというドラムンベースを取り入れた「Star Fruits Surf Rider」から、数字の1から6まで数えるだけの歌詞のギターロック「Count Five Or Six」、彼のサンプリング・センスが冴えるポップでカラフルな「Monkey」など、『Fantasma』の曲群はブライトフルでもあり、また、無邪気に音楽と戯れている心地良さがある。その点ではよりアート方面へ傾いでいく前夜のカーニバルのような狂騒をパッケージングした作品であり、それを例の音の粒子が浮きあがって聴こえるような意匠を凝らす丁寧な砂原良徳氏のリマスタリングで、よりダイレクトに耳に新鮮な刺激を与えてくれるものになった。初回限定版には本編ディスク以外に、『Fantasma』前後の音源、リミックス、デモなどが収められたディスク2とライヴ等が含まれたDVDが付くが、コーネリアスが立ち上げたトラットリアという今は無くなったレーベルのコンピーレションに入っていた「Lazy」や「The Micro Disneycal World Tour」の原曲の持つ全面的な多幸性を再解釈して、少し不穏な要素も入れたハイ・ラマズのリミックスなど聴きどころも多い。

『Fantasma』の音風景は、『Point』や『Sensuous』に比べると、まだラフ・スケッチの部分があり、当時の渋谷や原宿のイメージを幻像化させていたとしたら、「情報を多く持っている方が勝ち」の時代の最後の通行手形のようなものだったのかもしれない。今は「情報はより少なく、大事なものだけで身軽な方が良い」という時代に反転してしまったからだ。そういう意味で、精巧な再現表象能力によってアーティストのメチエのあり方を厳しく問う一方で、夥しい複製を流通させ、引用によって成立する世界観を形成し、人々の知覚や記憶の在り方をも大いに変容させてしまった時代に毅然と立ち向かった証拠資料のような作品である。

(松浦達)

 1  |  2  |  3  |  4  | All pages